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さて、今回は茨城県水戸市にやってきた。
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| 水戸といえば・・・・水戸黄門。 |
| 今回はその黄門様ゆかりの地を訪ねる小旅行に |
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出かけてみることにしよう。
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さて、JR水戸駅を降り立つとすぐにTVドラマでお馴染の
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「例の3人」が駅前で出迎える。
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黄門様こと徳川光圀、助さんこと佐々宗淳、
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| 格さんこと安積澹泊、の3人の像だ。 |
| 安積澹泊は江戸で儒学を学び、新井白石や、室鳩巣、 |
| 荻生徂徠などとも交友した著名な学者で、 |
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助さんこと佐々宗淳らと「大日本史」を完成させる中心的
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役割を担っていた。
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どうもTVの無骨な感じとはずいぶんと違う。
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さて、駅前から、歩くこと5分あまり、やってきたのは
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「水戸黄門神社」。
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ここは、一応、「黄門様誕生の地」、ということになっている。
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| 徳川光圀は初代水戸藩主、徳川頼房の第3子として |
| 寛永5年(1628)6月10日に、家老の三木仁兵衛の邸 |
| で生まれた。 |
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光圀の母の谷氏は、光圀が生まれると梅の木の
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苗木を1本植え、その梅は、光圀の成長とともに、
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同じく大きく育っていった。
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光圀は、40歳になったとき、この神社の地である梅の木を
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| 再び訪れ、 |
| 朽ち残る 老木の梅も 此宿のはるにふたたびあふぞ嬉しき |
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と亡き母を思って歌を詠んだという。
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光圀の一大事業といえば、やはり「大日本史」の編纂であろう。
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水戸市立第二中学校前には、「大日本史編纂之地」の
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石碑がある。
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| 水戸藩では、光圀が中心となり、全397巻にもわたる史書の |
| 編纂を開始した。 |
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完成したのはなんと明治39年(1906)になってからである。
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優に250年はかかったといえる。
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その「大日本史」の編纂の舞台となったのが、水戸藩の藩校
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でもあった弘道館である。
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15代徳川慶喜もここでで学んだ。
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| 明治維新の際、水戸藩では改革派の「天狗党」と保守派の |
| 「諸生党」が激しく争った。 |
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1868年には、会津戦争で敗走した諸生党が水戸に舞い戻り、
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弘道館に立てこもって抗戦するという、いわゆる
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「弘道館戦争」が起こり、多くの建物が焼失した。
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弘道館を創設したのは、9代水戸藩主・徳川斉昭
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(とくがわなりあき)である。弘道館近くにその像がある。
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人材を多く登用し、藩政を改革した。
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| ペリー来航当時には、幕政に参与し、尊皇攘夷論を主張。 |
| 安政の大獄により蟄居させられた。 |
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さて、水戸市内にも家康を祀った水戸東照宮がある。
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家康の十一男で水戸藩の藩祖である徳川頼房が、父を
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祀るために創建した。
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| 鎮座地名を、光圀が、「常磐山」とした。 |
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関連リンク
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