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潮待ちの港・鞆の浦を歩く

JR福山駅からバスに乗ること約30分。
広島県福山市にある、鞆の浦という小さな港にやってきた。
読み方は「とものうら」と読む。
中国地方のほぼ中央に位置し、沼隈半島の先端にあるこの
港は、古来から海上交通の要衝であった。
 
 
 
瀬戸内海の潮流は、満潮時と干潮時で、鞆の浦を境にして
流れが変わることから、瀬戸内海を横断する船は、鞆の浦
で潮の流れが変わるのを待たなければならなかった。
よって鞆の浦は、古来から「潮待ちの港」として栄えてきたのだ。
古くは、万葉集にて大伴旅人にも歌に詠まれている。
左写真は、港にある小さな神社で、特に名前も無いが、
福山市重要文化財の「鞆の津の力石」という石がある。
江戸時代、船の荷物の積み込みなどに従事した仲仕が、
この石を持ち上げて力を競ったのだという。
鞆の浦には、江戸時代さながらの景観が今もそのまま
残されている。
江戸以前にも、鞆の浦は度々歴史の舞台に登場する。
戦国時代は毛利氏によって要害が築かれ、また織田信長
京都を追放された室町15代将軍足利義昭は、この地に
落ち延びて再起を計ったのだ。
 
 
左写真の旧太田家住宅も幕末の歴史に登場する。
1863年、京都にて「8月18日の政変」が勃発する。
一橋慶喜や薩摩藩・会津藩などの公武合体派が、
長州藩など、尊皇攘夷派を京都から追放したのである。
このとき、三条実美ら公家7人も京都を落ち伸び、
七卿落ち」とも呼ばれたのだが、実美らは、落ち延びる際、
ここ鞆の浦の旧太田家住宅に立ち寄り、歌も残しているのだ。
 
 
左写真は「いろは丸展示館」。
建物自体は、「大蔵」とよばれる江戸時代の蔵を利用している。
1867年、坂本竜馬の結成した結社海援隊の船「いろは丸
が武器などを積載して航行中、紀州藩の軍艦「明光丸」と
鞆の浦沖で衝突し、沈没してしまうという事故が起きる。
その沈没場所は1987(昭和62)年と2005年(平成17)に調査
が行われ、「いろは丸」の引き揚げ物などが館内に展示されて
いるのだ。
事故発生後、船に乗っていた竜馬と海援隊は鞆の浦に
上陸し、竜馬自身は回船問屋の升屋清右衛門宅で数日間
身を潜めたという。
この展示館では、そのときの「竜馬の隠し部屋」を再現している。
 
 
 
 
最後に、鞆の浦のシンボルである港の常夜燈を紹介しよう。
江戸時代のもので、1859年に建てられたとか。
常夜燈の役割は、灯台と同じで、その灯りで船の出入りを
誘導していた。
高さは、基礎石が3.6m、燈部分は5.5mで、北面には
「当所祇園宮」、南面には「金毘羅大権現」と彫られている。
 
 
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