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京都散策記

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本能寺

歴史上、誰もが知っている本能寺の変
1582年6月2日、「信長の閲兵を受ける」と称して京都に向かった
明智光秀はわずかな手勢で本能寺に泊まっていた織田信長
を包囲した。
信長は「是非に及ばず」と言い放ち、しばらく自ら弓や槍を取り
戦ったが、その後、奥に篭って火を放ち、自刃したとされる。
当時の本能寺は現在の場所ではなく、西洞院蛸薬師付近に
あったが、焼失後、豊臣秀吉により、1587年に現在の位置
に移されたのだ。
信長は、中国地方で苦戦していた秀吉の応援に自ら
駆けつけるため、安土を出発し、この本能寺で軍勢の
集結を待っていた。
当時の本能寺は、広大な敷地で、堀や土塁も備え、
内部には七洞伽藍や多くの子院、厩も備える
城郭構えの大寺院で、天下人信長が、宿とするのに
ふさわしい寺であったという。

左写真は、信長の供養塔

 

光秀の謀反の動機については諸説があり、秀吉応援の
発令の際に、坂本城と丹波の所領を取り上げ、現時点で
まだ毛利領である伯耆・出雲に国替えを命ぜられた
恨みによるという説などがある。
左写真は、境内にある本能寺戦没者合祀墓
 
 
 
 

本能寺の変で戦死した者の名前が列挙されている。
なかには、森蘭丸の名も。
 
 
 
 
 
 
 

さて、境内には信長や本能寺の変にまつわる人々以外の人々の
墓もたくさんある。
左写真は供養塔が綺麗に3つ縦に並んでいるが、手前から
9代将軍徳川家重夫人、菅中納言局庸子、島津義久夫人
の墓となっている。
 
 
 
 
スポットDATA
本能寺 [交通]京阪電鉄三条駅から徒歩10分、京都市営地下鉄市役所前から徒歩5分
[拝観時間・料金]境内拝観自由。

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