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新撰組の旅もいよいよ最終回だ。 |
| 今回は、戊辰戦争、鳥羽・伏見の戦いの舞台を中心に巡る |
| ことにする。 |
| 最初に訪れたのは、藤森神社。 |
| 神功皇后が創設されたという古い神社。 |
| 神功皇后は14代仲哀天皇の后で、天皇と共に熊襲(くまそ)を |
| 平定する戦にでたり、新羅に攻め込んだりした勇ましい皇后だ。 |
| 境内には、腰痛が治るという切り株があり、近藤勇も度々お参り |
| に来たと、伝えられている。 |
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| 次に訪れたのは御香宮神社。 |
| 左写真の門は、もともと桃山城の大手門。 |
| 鳥羽・伏見の戦いでは薩摩軍が布陣した。 |
| この神社は高台にあり、薩摩軍は低地にある伏見奉行所 |
| に対して、五門の大砲で徹底的に狙い撃ちして攻撃した。 |
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| この日は「七五三」の日で、着飾った子供たちが両親たちに |
| 連れられて、たくさんお参りをしていた。 |
| かつてこの地で血で血を洗う戦争が行われていたとは |
| 想像もつかない平和な光景である。 |
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| 境内には、桃山城の石垣の残石などもあった。 |
| 伏見には安土桃山時代の華やかな遺構と、幕末の混沌とした |
| 時代の遺構が混在する。 |
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| 最後にやって来たのは、伏見奉行所跡。 |
| 桃陵団地の51棟と52棟の間に、その碑が残っている。 |
| 会津藩と新撰組が布陣したが、高台に布陣した薩摩軍から |
| 攻撃を受け、壊滅的な被害を受けた。薩摩軍が洋式装備で |
| あったのに対し、新撰組は戦国時代さながらの重い甲冑を |
| 身にまとい、その装備の差は歴然としていた。 |
| 2番隊の永倉新八と島田魁が決死の切り込みを行ったが、 |
| すぐ逃げ帰るしかなかった。 |
| この戦いに敗れた新撰組は京を離れ、江戸に戻ることとなる。 |
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スポットDATA
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藤森神社
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[交通] 京阪「藤森」駅下車、徒歩5分。 |
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御香宮神社
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[交通] 近鉄「桃山御陵」駅下車、すぐ横。 |
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伏見奉行所跡
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[交通] 近鉄「桃山御陵」駅下車、南へ徒歩5分。桃陵団地の51棟と52棟の間。 |
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関連リンク
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>>京都散策「壬生」〜新撰組を歩く@
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>>京都散策「島原」〜新撰組を歩くA
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>>トップページ>>目次>>第32話「亀山」
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