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銅像歴史散策

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蜂須賀家政(はちすか いえまさ)1558〜
【撮影場所】徳島市・徳島城
【関連リンク】青春18きっぷ旅<14>東四国一周
蜂須賀小六正勝の子阿波藩の藩祖。幼少期から父に従って、
秀吉の軍で転戦。山崎の戦い、九州出兵、文禄の役、などに
参戦した。関ヶ原の戦いでは、自身は西軍に、子の蜂須賀至鎮
は東軍についた。どちらが勝利しても蜂須賀氏を生き残らせる
ための処置である。これにより、戦後は息子が東軍について
いたため蜂須賀氏の存続は許された。

林 羅山(はやし らざん)1583〜1657
【撮影場所】岐阜県下呂市・下呂温泉

【関連リンク】湯の道<4>下呂温泉

【関連リンク】江戸散策記<2>「湯島聖堂」
【関連リンク】江戸散策記<3>「昌平坂」
本名・林信勝、出家名は林道春。江戸初期の儒学家で林家の祖。
藤原惺窩(ふじわらせいか)の推挙により23歳で家康の儒学の師
となる。1690年に羅山の私邸内に建てた孔子廟「先聖殿」が移築
され、昌平坂学問所となる。漢詩集で下呂を三名泉と歌ったこと
から、下呂温泉に銅像がある。

光源氏(ひかるげんじ)
【撮影場所】京都府宇治市・宇治上神社前

【関連リンク】京都散策記<58>宇治C・宇治川の戦い

紫式部の「源氏物語」の主人公。架空の人物ではあるが、
源融(みなもとのとおる)がそのモデルであると言われている。
物語では、美貌と才能に恵まれ、宮中で数々の浮名を流しなが
らも、紫の上を理想の女性として育てる。また、父桐壺帝の後宮
女御の藤壺との間に冷泉帝をもうけるなどする。
 
 

土方歳三(ひじかた としぞう)1835〜69年
【撮影場所】東京都日野市・高幡不動

【関連リンク】江戸散策記<42>高幡不動尊土方歳三像

【関連リンク】京都散策記<21>壬生

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【関連リンク】京都散策記<31>伏見
近藤勇の道場(試衛館)の仲間とともに、幕府の浪士組に応募し、
京へ出立。のち新撰組となった後は、副長を務める。近藤亡き後
は、旧幕府軍とともに、会津函館、と転戦するが、戦死。

フランシスコ・ザビエル 1506〜52年
【撮影場所】マレーシア・マラッカ

【関連リンク】世界の写真集<8>マレーシア・マラッカ

イスパニア人のイエズス会宣教師。

アジア布教の途中の1549年鹿児島に寄り、領主の島津貴久
の許可を得て、キリスト教を伝える
その後、上京したが、目的を達せず、山口に戻り、領主
大内義隆の保護を受けて布教。次いで、豊後の大友義鎮
入信させる。1551年にインドに帰り、52年に中国布教を目指すも
広州付近で死去。
 
 
 

細川忠興(ほそかわ ただおき)1563〜1646
【撮影場所】京都府長岡京市・勝竜寺城址

【関連リンク】城めぐり「勝竜寺城址」

13代足利義輝の幕臣・細川藤孝の嫡男として生まれ、信長の
長男織田信忠に仕える。信長の仲介により、明智光秀の3女・
玉子(ガラシャ)と結婚する。義父の光秀が本能寺の変を起こした
時も光秀側に誘われるが断り、ガラシャを丹後に幽閉して潔白を
示す。信長死後は秀吉に仕え、小田原征伐朝鮮出兵などで
武功を挙げる。関が原では東軍・家康方につき、戦後豊前小倉藩
39万9000石に加増移封される。
長男の細川忠利は、初代熊本藩主で、熊本細川家は、明治維
新まで12代続くことになる。
 

細川ガラシャ(ほそかわ がらしゃ)1563〜1600
【撮影場所】京都府長岡京市・勝竜寺城址
【関連リンク】城めぐり「勝竜寺城址」
明智光秀の3女にして、細川忠興の妻。
キリシタンであったことから、ガラシャと呼ばれるが、これは明治期
にキリスト教徒から贈られた名前にすぎない。
父光秀が本能寺の変で信長に謀反を起こしたことから、夫忠興は
潔白を示すためにガラシャを丹後の屋敷に幽閉する。
また、関が原では夫忠興が東軍・家康方についたため、石田光成
がガラシャを人質にとろうとし、屋敷を囲ませるが、ガラシャは人質
をよしとせず、自殺することになる。
 
 

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