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京都散策記

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知恩院

円山公園の北側にある、浄土宗総本山知恩院
京都の中心地四条河原町から徒歩20分ばかりの地に広大な
境内を有している。
1175年、法然がこの地に大谷禅房という草庵を結んだのが
寺の起源。後に弟子の源智上人がその住居跡に現在の本堂の
前身である御影堂を建立した。
左写真は、国宝三門。1621年に二代将軍徳川秀忠によって
建立されたもので、高さ24メートル、横幅50メートルもあり、
屋根瓦は約7万枚をも使用している。

一般には寺院の門を称して「山門」と書くのに対し、知恩院では、

空・無相・無願という、悟りに通ずる三つの解脱の境地を表わす
門(三解脱門)という意味で、「三門」と書くという。
門の中には、仏堂があり、本尊の釈迦牟尼像のまわりには
極彩色で彩られた天女や飛龍などが描かれているというが
特別拝観の際にしか見ることはできない。
この日は絶好の花見日和で、桜も満開であった。
 
 

境内にもが多数植えられており、桜の木の下で春を満喫している
人々で、賑わっていた。
 
 
 
 
 
 
 

左写真の建物で、左側が経蔵(重文、1621年建築)、右側が
御影堂(国宝・1639年建築)
経蔵は、非公開だが、内部は、狩野山楽による天井画等が
描かれており、徳川秀忠の寄附にる宋版大蔵経約六千巻
を安置する輪蔵が備えられている。
御影堂は、三代将軍徳川家光によって再建されたもの。
 
 
 

境内の一番奥、山手のほうに、ひっそりと建つお堂がある。
御廟と名付けられており、1212年にこの地で亡くなった、
始祖法然の遺骨を安置している。
現在の御廟は、1613年に、常陸国土浦城主松平伊豆守
寄進を得て改築されたもで、扉には大きく葵の紋が入ってい
る。
 
 
 

さて、最後に紹介するのは、徳川秀忠の長女である千姫の墓
幼くして秀吉の息子秀頼の元へ嫁ぐが、大阪の陣により徳川家
の元へ戻され保護される。
その後、姫路城主本田忠政の嫡男忠刻のもとへ再び嫁ぐ
が、夫の病死により、弟の三代将軍徳川家光の元へ戻り、
余生を過ごす。享年70歳。政略に翻弄された人生であった。
墓の後ろにあるのは、知恩院を火災から守る、濡髪童子
祀っている濡髪大明神という神社。
 
スポットDATA
知恩院 [交通]京阪電鉄四条駅から徒歩15分
[拝観時間・料金]境内拝観自由。

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