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京都散策記

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三条・四条@

今回の旅のスタートは、四条大橋の西詰め、京阪電鉄四条駅
の出入り口付近から始めることにしよう。
三条・四条といえば、京都の繁華街、買い物等の中心地であるが
そこが維新の志士たちの活躍の舞台で、歴史あふれるところで
あることを知る人は意外と少ない。
今回は、そんな三条・四条をクローズアップしてみる。
また、「三条・四条歴史散策マップ」を製作したので、位置関係を
確認しながら、その後の京都散策にも生かしてもらいたい。
まず、京阪四条駅を出るとすぐに、橋のたもとに「出雲の阿国」の
銅像がある。1603年(慶長8)に阿国はこの四条河原で、
先鋭的な伊達男の扮装で、「かぶきをどり」を披露、関ヶ原合戦
後のすさんだ世に都人を驚かせ、絶大なる喝采を浴びたという。
阿国は歌舞伎の元祖と言われているが、出生は不詳で、
出雲大社の巫女で、勧進のために一座を率いて入洛、
北野天満宮の定舞台で名声を得て、各地を巡業した。
その後、風紀を乱すということで女歌舞伎は禁止となり、
男が女形を演じるようになり、今日の歌舞伎となった。

さて、四条河原町の交差点を北上、河原町通を少し進むと、
和物雑貨屋の前に「中岡慎太郎寓居跡」の石碑がある。
中岡慎太郎は、土佐藩出身。1861年に武市瑞山
土佐勤皇党に参加。武市瑞山は、吉田東洋を暗殺し、
藩の方針を尊皇攘夷に変えさせることに成功。
しかし1863年の8月18日の政変により、長州藩と
三条実美ら尊皇攘夷派の公家は京都から追い出され、
土佐勤皇党党員の多くも投獄されていまう。
そこで慎太郎は脱藩し、龍馬と共に京へ向かう。

中岡慎太郎は、1867年には坂本龍馬の海援隊に対し、
陸援隊を組織した。陸援隊は土佐藩の陸軍のような役割を
担っていた。しかし、同年11月に、事件は起こった。
慎太郎は、新撰組につかまっている土佐の同士が釈放され、
その身柄の引き取りに、京都河原町に下宿している谷守部
を訪れに行くが、谷が不在だったため、近江屋にいた龍馬を
訪れていた。そのとき「十津川郷士」を名乗る人物に
急に襲われ、龍馬と共に刺殺されてしまうのだ(近江屋事件)。
近江屋跡には今は京阪旅行社がある(左写真)。

そんな彼らの出入りした土佐藩邸跡が、四条木屋町を少し
上がったところにある。
 
 
 
 
 
 
 

さて、その土佐藩邸跡のちょうど、木屋町通の向い側に、
本間精一郎遭難之地」の石碑が見受けられる。
本間精一郎は越後出身で、京に出て、尊皇攘夷活動に
従事した。どこの藩にも属さなかったので、自由に活動し、
急進派」と呼ばれた。しかし酒におぼれることが多く、
同志にも嫌われ、1862年に先斗町で遊んだ帰りに、
この場所で斬られた。齢29歳であった。
 
 
関連リンク

>>三条・四条歴史散策マップ

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