神は自らを救う者を救う、というこれはマトモな諺もあるんですが、これをもじったもので、「神は自らセーブする者を救う」という言い回しがあります。ウィズ十戒あたりに入っていたかもしれませんがどうも「どこで見た」というのを明確には言えないのが残念です。が、パソコンゲーム雑誌(はなやかなりし頃の)とか、パソ通のゲーム関係のところなどでは結構見かけました。もちろん、「救う」とセーブするの
save をひっかけているのですけどね。
これはRPGなどのゲームではこまめにセーブしておかないと一歩先は闇、一歩先で全滅、一歩先で墓石なんてえことが珍しくもなんともないので、そこまでにやってきた努力が水の泡になる、セーブもちゃんとしておかない不精者には神様だってそっぽを向くだろうよ、てなことだろうと、つまりはゲームにおけるセーブのすすめなわけなのですが。
また、BGなどのD&D系とか、M&Mなどの世界がやたらと広い、そして自由度の高いゲームの場合には「こまめなセーブ」推奨に加え、いくつかのセーブデータの保存というのも強く推奨されます。自由度の高いゲームではしばしば、ハマリ(その地域などを抜けられないとか、ゲームクリアに至れないとか)であるとか、大損(経験値や強力アイテムを得られないなど)に平気でなってしまうからです。
BG関係の掲示板などではたまに、ハマリ状態になったという悩みを見かけます。で、またその中には、ここをなんとかできないならずいぶん前から(甚だしい場合最初から)のやり直ししかないと訴えておられるケースもあるんですが、気の毒ながらアドバイスのしようもない場合があります。おおむね自由度の高いゲームは比較的自由にセーブできるものや、セーブデータの数を多くもっておけるものが多いようなので、是非とも「自らセーブをして」神の手を待つまでもなく自らを救っていただきたいものです。
と、おもわず攻略ページのような進行になってしまいましたが(漢字変換で信仰が先に出てくると、神が出ていただけに面白い)、ここはアドバイスではなく愚痴〜弱い主張みたいなのをしたいのでして。すなわち、特に社会人などにとっては、「自らを救う自由」に対する厳しい制限があるゲームはちょっと、といいたいのです。
もしかしたら、アクションゲームなどの影響を受けていたのかもしれませんが、古いゲームの場合かなり純粋タイプのRPGなどでもセーブは1つしかできないとか、セーブ&コンティニューの思想しかなく、基本的にゲーム中でのロードがない、つまりはやり直しを認めないものは多かったです。ここのオールドゲームで紹介している中でも夢幻の心臓とかウィザードリィとかそういうのは多いです。
最近はゲームといえば専用機(コンシューマ)という風潮ですが、これらからPCへの移植の場合には、比較的セーブ・ロードに対する制限が厳しいものが多いようです。一つにはHDDなどを自由に使い得るPCと異なり、制約が大きいものであったところ、移植に際してシステム的な改変はあまり行っていないてなことがあるのかもしれませんし、本質的に制約があるものだという暗黙の了解があるからかもしれません。
せっかくPCでゲームをするのですから、セーブぐらい自由にやれて、こうすればこうなるなどをいろいろ試すことができる方が楽しいのになあなどとパソコンゲーマーオンリーの私など思うんですけどね。それでも移植にあんまり手をかけられないからてな事情は察することもできますが、不思議なことにフリーにセーブやロードをさせないためにシステムに手を入れたとしか思えないケースもあります。こうなると、上記の「暗黙の了解」というか、ゲームの楽しさそのものについての考え方が大きく異なるところがあるのかな、などと思ってしまいます。
実情を良く知っているわけではないのですが、韓国では専用機ゲームよりPCゲームが主流だとか。しかし、別の所でも書いていますがどうも韓国のゲームは日本のコンシューマゲームの影響を強く受けているように感じることが多々あります。コルム大陸のセーブ制限なんかも、まあ、アクション性のゲームだからてのもあるでしょうが、なんかコンシューマゲームを思わせる一因にもなっていました。そういえば、カルマなどかなりFFの影響を受けたものだったんだな、と、これはPC用に出たFF8をやってから思ったものでしたけどね。
もちろん、セーブに対する制限があるからこその緊張感とか現実シミュレーション性とかを全く否定するものではないんですが、現代に近づくにつれマシン性能は高まり、ゲームについても表現力と自由度とを両立させ、なおかつ操作や速度などの快適さをも実現できるようになってきているのですから、セーブやロードの自由さをも含めてトータルな楽しさを追及してほしいと思うのです。
セーブ・ロード制限による緊張感などを支持される方には、いわゆる「ぬるい」ゲームを指示する許しがたい日和見主義と思えるかもしれませんが、逆にセーブ・ロード制限による緊張感に頼るということが「安易」ともいえるのではないでしょうか?セーブ・ロードを多用してイージーに遊びたいやつには遊ばせればいいし、自ら制限してシビアに遊びたいやつにはそうさせればいいと思います、基本的にはですが。
そう、セーブ・ロード制限による緊張感に頼るゲーム作りは安易に思えるのです。加えて、「このぐらいは連続してやれよ」「このあたりでセーブすれば良かろう」みたいな押し付けがましさをも感じます。こういう文章を打ち込んでいて「『の』が連続しています」とケチを付けられたり、呪文を書いたらそのスペルに文句をつけられたりする際の気分の悪さに近いものがあります。
まあ、ふりかえってみれば「自ら」の方にも問題はあるので、そりゃあ若い頃は元気なもんで夜通しでも遊んでいたもんだし、それでも翌日の仕事ぐらい何とかなったもんだし、比べると今は…てなものです。個人差こそ大きいでしょうが、誰しも年をとればそういう傾向は出てくるでしょう。それで遊ばなくなってしまうというのも悲しいことこの上ないではないですか。前述のように、近年の進歩したハード・ソフトをバックに作成されるゲームたるもの、個人の好みに応じていろいろと楽しめるような方向を是非目指してもらいたいものだと思うのですが、どうでしょうね。
それに、そもそもセーブ・ロードの制限による緊張感、これすなわち「やり直し」を容易にさせないことによるものですよね?実のところ「やり直し」が効かないか容易ではないてえのは、実人生で十分という気がするのだなあ。というか、ゲームの中でくらい、いろいろやらせてくれ。
ということで、弱い主張は「我にセーブの自由を与えよ」でありました。
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