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生きるということ
私が中学校の時に心臓の手術をして以来
看護婦として働いている間にも
持ち主に似てぐうたらな私の心臓は、困ったことに
時々休んだりサボったりするのである・・・。
本来一分間に70回前後は心臓が拍動するのに
2つにひとつ、もしくはそれ以上に休んだりするため
一分間に30数回しか動かないのである。こんな動きでは
しんどくて仕方ない無理して動けば
動悸が激しくなり心臓が口から飛び出しそうになる。
で、結局ペースメーカーという器械を身体に埋め込み
サボる心臓に「動けよー」と
鞭を打ってくれるようにしてもらったのである。
これもまた難儀なことに5−6年に一度は
電池交換をしてもらわないといけないのだー。
私の胸のレントゲンを見た人は
心臓の手術の時に胸の骨をつないだ幾つかの
ねじった針金や電線や器械が写っている
私を「ロボナース」と呼ぶ。
万が一にも私が平均寿命まで生きるとしたら
私の胸には年輪のように
電池交換の傷跡が刻まれることであろう。
そんなこんなで、幾度の入院、手術を繰り返し
そのたびに「また生きる日を与えてもらった」と
感謝して生きている私にとって
一日一日は非常に大切なのである。
だから妻として、母として、看護婦として
そして一人のREIKOという人間として
一分一秒を惜しんで「生きている」
ボーっとする時間が必要だと思いながらも
それが惜しくてひたすら出歩き
たくさんの物を見て、たくさんの感動をして
たくさんの人と出会い たくさんお話をして
たくさんの経験をしたいと思っている。
人に、[時間がもったいない]なんて話をすると
「そんなこと考えたこともない」という
返事がよく返ってくる。そんな人は
平凡に生きられるという最高の幸せを実感せず
生きていていると思うので私としては、やはり
もったいないと考えてしまうのである。
とにかく生きていれば人間なんだってできるのだー。
首から下が麻痺していても感性豊かな詩や絵を
口で描ける人もいるのだし
手足がなくても充実して日々を楽しんでいる人だっている。
いやなことが続いて辛い日を送っていても、発想の転換で
頑張ろうって気にもなれるはず。
必要なのは元気な肉体以上に
元気な心だということを考えて欲しいと
殺伐としたニュースの多い今日この頃、特に願うのである。
ホームページ開設当初に書いていたこの文を
また掲載して欲しいといってくださるご要望があり
再掲載させていただきました。