
『万葉集』が「益荒男振り」と評されるごとく、上代の歌は決して洗練されてはいませんが、まるでそこで言霊が響いているような、不思議な印象を受けます。この和歌集は、管理人が大いなる独断と偏見で集めた言霊達でございます。(特選と言いつつ、実は自分の好みらしい…)
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須佐之男命/倭建命/女鳥王
/速総別王/軽大郎女/木梨之軽太子/雄略天皇
聖徳太子/中大兄皇子1・2/有間皇子/大津皇子
/石川郎女
/舎人親王/山上憶良
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「八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣作る その八重垣を」
訳:八雲立つ出雲の地,この地に雲のように幾重にも垣をめぐらし、
妻を置かんとして、幾重にも垣を作っている。
ああ、この幾重にもめぐらした垣よ。
(『古事記』上巻/by 須佐之男命)
〈ひとこと〉
八俣の大蛇を退治したスサノオが、自らの宮を出雲国に定めようとした時に、そこから雲が立ち上ったのを見て詠んだ歌。雲がさかんに立ち上ることは大地の霊力が強いことを表しており、スサノオは「八雲立つ」と褒め称えて、出雲の地を祝福している。古事記によれば、この時スサノオは、大蛇は倒したし、天照大御神に草薙剣を献上して汚名は晴らしたし、櫛名田比売は手に入れたし、出雲国は素晴らしいしで、とてもすがすがしい気持ちだったらしい(「須賀」という地名まで出来たほど…)。
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「倭は 国の真秀ろば
たたなづく 青垣 山籠れる 倭し麗し」
訳:大和は、最も素晴らしい国だ。重なり合った青い垣根のような山,
その中に籠っている大和国は、本当に美しい。
(『古事記』中巻・景行記/by 倭建命)
〈ひとこと〉
倭建命が死に際して詠んだ望郷の歌。戦いに明け暮れ、周辺諸国を次々と平定して英雄となっても、とうとう故郷大和国に帰りつくことができなかった。倭建命は死後、古事記によれば千鳥に,日本書紀によれば白鳥に変化する。
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「雲雀は 天に翔る 高行くや 速総別 雀取らさね」
訳:雲雀は空を飛ぶけれど、貴方はその上空を翔ける隼なのですから、
速総別王よ、雀など取っておしまいなさいませ。
(『古事記』下巻・仁徳記/by 女鳥王)
〈ひとこと〉
女鳥王は仁徳天皇の異母妹で、仁徳天皇から求婚されていた。その際の仲介役となったのが、仁徳天皇の異母弟である速総別王ハヤブサワケノミコである。(※当時、同母兄弟は結婚可)ところが、その速総別王と女鳥王が結婚してしまった。仁徳天皇はその事実を知り、若い二人を許そうとするが、二人から天皇である自分に対する謀反の意を感じ取って殺すことにした。その契機となったものが、この女鳥王の歌である。仁徳天皇は和名を大雀命という。女鳥王は、速総別王に大雀命を取ってしまいなさいと、謀反を唆している。
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「梯立の 倉椅山は さがしけど
妹と登れば さがしくもあらず」
訳:梯立の倉椅山は険しいが、愛しい妻と一緒に登れば
険しいとは思わない。 (『古事記』下巻・仁徳記/by 速総別王)
〈ひとこと〉
仁徳天皇の追手から逃げる為に、女鳥王と共に倉椅山に登った時に詠んだ歌。女鳥王は元々仁徳天皇の妃の一人になる筈であったが、それを蹴って速総別王と結ばれた。仁徳天皇は若い二人を許そうとしたが、二人の言動に、天皇である自分に対する謀反の意を感じ取って殺すことにした。
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「君が往き 日長くなりぬ 造木の
迎へを行かむ 待つには待たじ」
訳:貴方がお出かけになってから、随分と日が経ちました。私がお迎えに
参ります。もうこれ以上はお待ちしません。
(『古事記』下巻・允恭記/『万葉集』巻2・90番/by 軽大郎女)
〈ひとこと〉
軽大郎女が、皇位継承争いに敗れて伊予に流された允恭天皇の太子,木梨之軽王に向けて詠んだ歌。軽大郎女と木梨之軽王は恋人同士だったが、両親を同じくする兄妹だった。当時、異母兄弟なら恋愛可だったが、同母は不可で、二人の関係は当然周囲の非難を受けるものだった。古典にしばしば見られる「衣通姫」のたとえは、軽大郎女の別称「衣通郎女」が元になっている。軽大郎女はその身体の光が衣を通って外に出るほど美しかったらしい。尚、『万葉集』に類似歌として「君が行き 日長くなりぬ 山尋ね 迎へか 行かむ 待ちにか待たむ」(巻2・85番/磐姫皇后)がある。
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「隠処の 泊瀬の河の
上瀬に 斎杙を打ち 下瀬に 真杙を打ち
斎杙には 鏡を懸け 真杙には 真玉を懸け
真玉なす 我が思ふ妹 鏡なす 我が思ふ妻
在りと言はばこそよ 家にも行かめ 国をも偲はめ
訳:泊瀬川の上流に斎杭イグヒを打ち、下流に真杭マグヒを打ち、
斎杭には 鏡を懸け、真杭には真玉を懸け……
その真玉のように私が大切に思う妻よ,
その鏡のように私が愛する妻よ。
貴女がいるというのなら、家にも行こうと思うけれど、
故郷を懐かしむけれど、貴女はここにいるのだから,
私のそばにいるのだから、そうはしないよ。
(『古事記』下巻・允恭記/by 木梨之軽王)
〈ひとこと〉
前歌「君が行き…」を詠んで後を追った軽大郎女が、木梨之軽王に追いついた時に、王が郎女を抱き締めて詠んだ歌二首のうちの後者。この直後に、二人は共に命を絶つのである。
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「籠もよ み籠持ち 掘串もよ み掘串持ち
この岡に 菜摘ます子 家告らせ 名告らさね
そらみつ 大和の国は おしなべて 我こそ居れ
しきなべて 我こそ居れ 我こそは 告らめ 家をも名をも」
訳:籠よ,御籠を持って、掘串よ,御掘串を持って、この岡で菜を摘んで
いる娘子よ。あなたの家を教えなさい、あなたの名を教えなさい。
そらみつ大和の国は、この私がすっかり平らげているのだから。
この私が隅々まで治めているのだから。
この私が先に名乗ろうではないか、家も名も。
(『万葉集』巻1・巻頭歌/by 第21代雄略天皇)
〈ひとこと〉
『万葉集』全20巻の巻頭を飾る歌。この歌で、雄略天皇は娘子に求婚している。当時、家や名を教えることは求婚を承諾する意味合いがあった。掘串(ふくし)は昔のスコップ。
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「家ならば 妹が手まかむ
草枕 旅に臥やせる この旅人あはれ」
訳:家にいたならば、妻の手枕で休むことができたろうに…
旅に出て倒れてしまっている,この旅人の何と哀れなことか。
(『万葉集』巻3・415番/by 聖徳太子)
〈ひとこと〉
『日本書紀』に、聖徳太子が道に倒れている旅人に食物と衣を与えたという説話があり、「しなてる 片岡山に 飯に飢て 臥やせる その旅人あはれ 親なしに 汝生りけめや さす竹の 君はやなき 飯に飢て 臥やせる その旅人あはれ」の歌が載せられている(推古紀)。
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「香久山は 畝傍をおしと 耳成と
相争いき 神代より かくにあるらし 古も
しかにあれこそ うつせみも 妻を 争ふらしき」
訳
T昔、香久山(男)が畝傍山(女)を「愛し」と思って、耳成山(男)と
妻争いをしたらしい。神代がそうであるからこそ、現代でも妻を争うの
だろう。
U昔、香久山(男)が畝傍山(女)を「惜し」と思って、耳成山(男)と
妻争いをしたらしい。神代がそうであるからこそ、現代でも妻を争うの
だろう。
V昔、香久山(女)が畝傍山(男)を「雄々し」と思って、それまで
親しくしていた耳成山(男)と揉めたらしい。神代がそうであるから
こそ、現代でも男と女には揉めごとがつきないのだろう。
W昔、香久山(女)が畝傍山(男)を「雄々し」と思って、耳成山(女)
と取り合ったという。神代がそうであるからこそ、現代でもそういった
ことが起こるのだろう。
(『万葉集』巻1・13番/by 中大兄皇子)
〈ひとこと〉
大和三山の歌。香久山・畝傍山・耳成山を男女にたとえて詠んでおり、上記四つの解釈ができる。諸注釈書によって異なっているが、中大兄皇子(天智)と大海人皇子(天武)の額田王争いを考慮して、T・Uが主流。
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「海神の 豊旗雲に 入日さし
今夜の月夜 さやけくありこそ」
訳:大海原に広がる豊旗雲に入日がさしている。今宵の月世界は、まさしく
さわやかであるぞ。(『万葉集』巻1・15番/by 中大兄皇子)
〈ひとこと〉
前歌「香久山は…」の反歌2首のうち1首。上代では、日没から新しい一日が始まると考えられていたという。何故この歌が大和三山歌の反歌であるのかは謎である(『万葉集』編者,大伴家持氏もわからなかったらしい)。
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「岩代の 浜松が枝を 引き結び
真幸くあらば また帰り見む」
訳:岩代の浜松の枝を、引き寄せて結びつけておこう。ああ,もし我が身が
無事であったなら、再び見ることであろう。
(『万葉集』巻2・141番/by 有間皇子)
〈ひとこと〉
第36代考徳天皇の御子,有間皇子が謀反の嫌疑をかけられて護送されていく時に詠んだ歌。草木を結ぶのは、旅の無事を祈る一種のおまじない。しかし結局処刑されてしまい、帰路につくことができなかった為、それを見ることはかなわなかった。
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「あしひきの 山の雫に 妹待つと 我立ち濡れぬ 山の雫に」
訳:山の雫が落ちてくる所で、ずっと貴女を待っていた。
余りにも長く立ち続けていたので、私は濡れてしまったよ,山の雫に。
(『万葉集』巻2・107番/by 大津皇子)
〈ひとこと〉
天武天皇の御子,大津皇子が石川郎女に向けて詠んだ歌。石川郎女は、大津皇子のライバルである異母兄草壁皇子(天武天皇と鸕野皇女=持統天皇の子で、皇太子)の妻だったとも言われており、二人の仲は人目を偲ぶものであった。大津皇子は天武天皇死後に謀反の罪で処刑される。その真相は、人望が厚く文武に優れた大津皇子に脅威を感じた,
鸕野皇女による陰謀とも言われるが、定かではない。
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「我を待つと 君が濡れけむ
あしひきの 山の雫に ならましものを 」
訳:私を待って、貴方が濡れてしまわれたという山の雫。
その貴方を濡らした山の雫に、私はなりたかったのに……。
(『万葉集』巻2・108番/by 石川郎女)
〈ひとこと〉
前歌107番に対する返歌。
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「ますらをや 片恋せむと 嘆けども
醜のますらを なほ恋ひにけり」
訳:益荒男であるこの私が、こんな片恋をするのかと嘆いてはみるが…
全く何とみっともない益荒男であろう。この恋心をどうすることも
できないのだから。(『万葉集』巻2・117番/by 舎人親王)
〈ひとこと〉
舎人娘子(舎人親王と乳兄弟?)に宛てた歌。天武天皇と新田部皇女(天智帝の皇女)の間に生まれた舎人親王は、一品を授けられ、『日本書紀』編纂の総裁を務めるなど、朝廷内で大変重要な位置を占める皇子だった。
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「常盤なす かくしもがもと 思へども
世の事理なれば 留みかねつも」
訳:常盤のようにいつまでもこうありたいと願うけれど、
これが世の常なのだから留めようがない。
(『万葉集』巻2・805番/by 山上憶良)
〈ひとこと〉
804番の長歌「世間の住み難きことを哀しぶる歌」に対する反歌。「貧窮問答歌」で有名な山上憶良には、人生を悟ったような作品が多く見られる。憶良は、その深い学識を買われて、初位(最も低い官位)から従五位(いっぱしの貴族と認められる官位)までの大出世!を果たした,叩き上げの官吏だった。きっと…いろいろと御苦労があったのでしょうなぁ。
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『古事記』・『万葉集』は諸本によって内容に違いがあります。ご了承下さい。
新編日本古典文学全集『古事記』/小学館
新編日本古典文学全集『万葉集』/小学館
『万葉集』上下、伊藤博校注/角川書店