沙本毘と沙本毘


〈第11代垂仁天皇記〉

垂仁天皇沙本毘売命サホビメノミコトを皇后とした時に、沙本毘売命の兄,
沙本毘古王サホビコノミコがその妹に尋ねた。

沙本毘古:「そなたは夫と兄のどちらをいとしく思うか?」
沙本毘売:「それは……もちろんお兄様の方ですわ。」
沙本毘古:「そうか。そなたが本当に私のことをいとしく思うならば、
      私とそなたとで天下を治めようではないか。」
      
沙本毘古は切れ味の鋭い小刀を沙本毘売に手渡した。
沙本毘古:「この刀で天皇が寝ているところを刺し殺すのだ。良いな?」
沙本毘売:「………」

さて、
天皇はそんなこととはつゆしらず、沙本毘売に膝枕をしてもらって、うとうと眠っていた。そこで、沙本毘売沙本毘古から渡された小刀で天皇の首を刺そうとした。思い切って三度振り上げたが、悲しい気持ちを押さえかねて、そのまま振り下ろすことができず、目から溢れ出た涙が天皇の顔にこぼれ落ちた。
その時、
天皇は目を覚ました。

垂仁天皇:「后,私は今不思議な夢を見たよ。
      
沙本の方からにわか雨が降ってきてね、
      急に私の顔を濡らしたのだ。
      また、
錦の文様のある小さな蛇
      私の首にぐるぐる巻きついた。
      この夢は、一体私に何を告げているのだろう?」
沙本毘売:「………。先日、私の兄の沙本毘古王が『夫と兄の
      どちらをいとしく思うか』と私に尋ねました。
      面と向かって言われると耐えられず、思わず私は
      『兄の方をいとしく思う』と言ったのです。
      すると兄は私を誘って、『私とそなたとで天下を
      治めよう。だから
天皇を殺せ』と言って、この小刀を
      私に渡しました。それで,…私は
天皇のお首を刺そうと
      致しました。三度振り上げましたが、悲しくて振り下ろす
      ことができず、目から涙が溢れ出て、
天皇のお顔を濡らして
      しまったのです。夢はきっとこのことを告げているのですわ…。」
垂仁天皇:「……くっ,そうであったか。
      あやうく私は騙されるところだった。」

天皇は早速軍勢を集めて沙本毘古を討とうとした。その時、沙本毘古稲城を作って迎え撃った。沙本毘売は兄を思う情を押えかね、裏門から逃げ出して兄の稲城の中に入った。この時、沙本毘売は身ごもっていた。一方、天皇はと言えば、三年を共にした后をいとしく思う気持ちと、身重である后の身を案じる気持ちで胸がいっぱいだった。そこで、軍勢に稲城の周りを取り囲ませるだけにとどめて、攻めようとはしなかった。そうしているうちに、沙本毘売は産気づいて稲城の中で御子を出産した。沙本毘売天皇に使者を遣わして、「もしこの御子を天皇の御子と思し召すならば、お引き取りになって下さい」と伝えた。すると天皇は、「その兄は怨んでいるが、やはり后を思う気持ちは押さえられない」と言い、使者に承知の旨を伝えて、御子を引き取る際に沙本毘売をも取り戻す計画を練った。天皇は兵士の中から力持ちで敏捷な者を選んで、「御子を引き取る時、同時に沙本毘売もさらってまいれ。髪であろうと手であろうと、どこでも取りつかまえて、稲城の中からつかんで引き出すのだ。」と命じた。沙本毘売は、天皇のそうした心を察していたので、長く豊かな黒髪をすっかり剃って、剃り落とした髪でかつらを作って頭を覆い、また玉の緒を腐らせて三重に腕に巻き、また酒で衣服を腐らせて、素知らぬ顔で身につけていた。こうしてすっかり準備した後、沙本毘売は稲城の外に御子を差し出した。それを見た選りすぐりの兵士達は、その御子を受け取ると、沙本毘売をも連れて行こうとした。沙本毘売の髪を握ると髪は自然に落ち、腕を取ると玉の緒がちぎれ、その衣をつかむとビリビリに破れてしまった。そうこうしているうちに、沙本毘売はさっと稲城の中に入ってしまった。こういう次第で、兵士達は御子を受け取ることはできたが、沙本毘売を連れてくることはできなかった。天皇は失敗を悔い、兵士達を怨み、沙本毘売の為に玉の緒を作った玉作り達を憎み、それが高じて玉作り達の土地を全て取り上げてしまった。そこで、諺に「地所を持たない玉つくり」というのである。天皇は稲城の外から大声で沙本毘売に語り掛けた。
    
垂仁天皇:「子の名前は必ず母親がつけるものだが、
      この御子の名は如何しよう?」
沙本毘売:「火が稲城を焼く時に産気づき、火の中で産んだのですから、
      名前は
本牟智和気御子ホムチワケノミコとつけたら良いでしょう。」
垂仁天皇:「そなたがいないというのに、どうして育てられよう?」
沙本毘売:「乳母をつけ、大湯坐・若湯坐オオユエ・ワカユエ
      定めて育てたら良いでしょう。」
垂仁天皇:「そなたが結び固めた私の下紐は、一体誰が解くというのだ。」
沙本毘売:「旦波比古多々須美智宇斯王タニハノヒコタタスミチノウチノミコに、
      
兄比売・弟比売エヒメ・オトヒメという娘がおります。
      この二人の媛はとても忠誠な民です。
      どうぞこの二人をお召し下さいませ。」

そうして、
天皇はついに沙本毘古王を滅ぼした。
沙本毘売命も兄に従って自害した。

垂仁天皇

第11代天皇。和名は伊玖米入日子伊沙知命イクメイリビコイサチノミコト。第10代崇神天皇とその皇后御真津比売命ミマツヒメノミコトの子。

沙本毘古王・沙本毘売命
サホビコノミコ・サホビメノミコト

第9代開化天皇の皇子,日子坐王ヒコイマスノミコと沙本之大闇見戸売サホノオオクラミトメ(春日建国勝戸売カスガノタケクニカツトメの娘)の子。沙本毘売命は佐波遅比売サワジヒメという別名を持つ。同母兄弟としては他に袁耶本王ヲザホノミコ(三人兄弟の中間子)がいる。しかし、袁耶本王は一切この話には登場しない。沙本毘売が「命」と称されているのは、皇后という高い身分にあった為と思われる。

沙本サホ

現在の奈良県奈良市北部佐保川の北岸一帯を指す。沙本毘古王の本拠地。

錦の文様のある小さな蛇

「錦の文様」は雅な女性を、「小さな蛇」は小刀を象徴。

稲城イナキ

稲束を積み重ねた防御用の砦。

地所を持たない玉つくり

利益を得ようとして、かえって不利益を受けてしまうことを表す諺。玉つくりは玉を扱う匠。『竹取物語』に、庫持の皇子の為に蓬莱の枝をつくった玉つくり達がさんざんな目に合うという話がある。

子の名前は
必ず母親がつけるもの

昔は妻問い婚で、子供は母親の元で養育される為、母親によって命名されたらしい。

本牟智和気御子
ホムチワケノミコ

別名、品牟都和気命ホムツワケノミコト。成人するまで物を言うことができなかった。後に、大国主神のタタリと判明。この本牟智和気御子は継体天皇の出自において大変重要な位置を占め、応神天皇ではなく本牟智和気御子こそ継体天皇の祖であるという説もある。「御子」という称号は王位継承権を備えた皇子のこと。通常、古事記の中では後に天皇になった皇子にしか用いられず、この本牟智和気御子と倭建御子(倭建命)のみ例外。

大湯坐・若湯坐オオユエ・ワカユエ

乳幼児を入浴させる女性。大・若は大女将・若女将同様、正と副。

旦波比古多々須美智宇斯王
タニハノヒコタタスミチノウチノミコ

日子坐王と息長水依比売オキナガノミズヨリヒメ(天之御影神の娘)の子。沙本毘古王・沙本毘売命とは異母兄弟に当たる。

兄比売・弟比売
エヒメ・オトヒメ

旦波比古多々須美智宇斯王と丹波之河上之摩須郎女タニワノカワカミノマスノイラツメの子。沙本毘売の姪に当たる。兄比売・弟比売は普通名詞で、年上の媛・年下の媛の意。兄比売の本名は比婆須比売ヒバスヒメで、沙本毘売亡き後、垂仁天皇の皇后となった。

 

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