主神伝

大物主神オオモノヌシノカミは、大和国を取り仕切る一介の国津神である。しかしその活躍振りは素晴らしく、「大国主神の国造り神話」では大国主神の国造りを助け、初代「神武天皇記」では神武の皇后の父として語られ、第十代「崇神天皇記」ではタタリ神として登場してしまうのである。そして、そのタタリをもって、崇神天皇に神殿を建てさせ、自らの子孫を神主として登用させてしまう。その時の神殿が、奈良県桜井市にある大神神社オオミワジンジャであるという。それにしても、なぜ一介の国津神に天皇を屈服させてしまうような力があったのだろうか。このあたりを探ると、『古事記』の行間に隠された歴史の裏側が見えてきそうである……

大国主神の国造り神話 神武天皇記の大物主神伝 崇神天皇記の大物主神伝


【大国主神の国造り神話】

大国主神は神産巣日神カミムスヒノカミの子、少名毘古那神スクナビコナノカミと義兄弟の契りを結び、共に国づくりを進めていたが、まだ完成しないうちに少名毘古那神が単身で常世国へ渡ってしまった。後に残された大国主神は「私一人でどうやってこの国を作り堅めることができるというのだ。一体、どの神が私と一緒に上手く国づくりをすることができるだろう」とつぶやいた。この時、海面を光り輝かせて近付いてくる神がいた。その神は、「私をよく祭ってくれるのなら、私が貴方に協力して、国づくりを完成させようではないか。もしそうしなければ、国づくりは上手くいかないだろう」と言った。そこで、大国主神は「貴方をどのようにお祭りすればよろしいのですか?」と尋ねると、その神は「大和を青い垣根のようにめぐる東の山の上に祭りなさい」と答えた。これが御諸山の上に鎮座されている神である。

少名毘古那神
スクナビコナノカミ

別天津神の一柱,神産巣日神の子。余りにも小さすぎて、神産巣日神の手の指の間からすり抜け、葦原中国にこぼれおちてしまった神。出雲国で、雁の皮で作った着物を着て、天の羅摩の船アメノカガミノフネに乗っているところを大国主神に発見された。

常世国
トコヨノクニ

海の彼方にあると考えられていた不老不死の楽園。

御諸山の上に鎮座されている神
ミモロヤマ/ミムロヤマ

大物主神のこと。「御諸山」とは神の鎮座する山という普通名詞で、具体的には大神神社の御神体である三輪山を指す。
『日本書紀』では、大物主神は大国主神の「幸魂
サキミタマ・奇魂クシミタマである」(幸魂:御魂を褒め称える言葉/奇魂:霊的な魂)と記されており、大国主神の分身のようである。

 

【神武天皇記の大物主神伝】

神武天皇が皇后とする為の乙女を探している時に、大久米命オオクメノミコトが耳寄りな情報を持ってきた。大久米命は「この大和には神の御子といわれる一人の乙女がいます。その方を神の御子というわけは、その昔,三島の勢夜陀多良比売セヤダタラヒメに一目ぼれした大物主神が、その娘が大便をしようとした時に、赤く塗った矢に姿を変えて、その大便をしようとした溝を流れ下って、娘の陰部を突きました。すると娘は驚いてその矢を家に持ち帰りました。すると、矢はたちまち立派な男の姿になり、娘と大物主神はそのまま結婚したということです。そうして生まれた子が、今お勧めしようとしている富登多々良伊須々岐比売命ホトタタライススキヒメノミコト,またの名を比売多々良伊須気余理比売ヒメタタライスケヨリヒメという乙女なのです」と申し上げた。

比売多々良伊須気余理比売
ヒメタタライスケヨリヒメ

富登多々良伊須々岐比売命ホトタタライススキヒメノミコトの「ホト」という言葉を嫌って、後にこのように改名されたということである。
大和国の国津神である大物主神の娘と結婚することによって、九州から東征してきた神武天皇は、大和国を支配する力を手にしたのであった。

 

【崇神天皇記の大物主神伝】

崇神天皇の御世に疫病が大流行し、とうとう人民が死に絶えんばかりとなった。そこで、天皇は愁い嘆いて、夢で神託を受ける為の床で休むことにした。その夜に、大物主大神が夢の中に現れて「このタタリは私の意志によるものだ。意富多々泥古オオタタネコをもって私を祭らせたなら、タタリによる疫病は収まり、国もまた平安になるであろう」と言った。そこで国を挙げて意富多々泥古という人を捜し求めたところ、河内の美努村で見つかった。天皇が「お前は誰の子か」と尋ねると、意富多々泥古は「私は大物主大神が陶津耳命スエツミミノミコトの娘である活玉依毘売イクタマヨリビメを娶って生んだ櫛御方命クシミカタノミコトの子、飯肩巣見命イイカタスミノミコトの子、建甕槌命タカミカヅチノミコトの子です」と答えた。すると天皇は「天下は安らかになり、人民は栄えるだろう」と、とても喜んで、早速意富多々泥古を祭主として三輪山にて意富美和之大神オオミワノオオカミを拝み祭った。
この意富多々泥古が大物主大神の子孫であるとわかった理由は次のようである。
ある夜に、非常に美しい乙女であった活玉依毘売のもとに、突然一人の立派な若者がやってきた。二人は愛し合い、若者が姫のもとに通ううちに、まだそれほど時が経っていないというのに、姫は身ごもった。そこで姫の両親は不思議に思って、「お前は夫もいないのにどうして身ごもったのか」と尋ねた。すると姫は答えて、「美しい若者が、その姓名はわかりませんが、毎晩私のもとにやって来て、共に暮すうちに自然に身ごもりました」と答えた。両親はその男の素性を知ろうと思って、姫に「赤土を床の前に撒き散らし、麻糸を針に通して、それを男の着物の裾に刺しなさい」と教えた。その夜、姫は教えられた通りにした。朝になって見てみると、針につけた麻糸は、戸の鍵穴から抜け通って出ており、残っている麻糸は糸巻に三巻だけだった。男が鍵穴から出ていったということを知って、その糸をたどって行くと、三輪山の神の社で終わっていた。そこで、その神が大物主神と知り、お腹に宿した子は神の子であるとわかった。その時、麻糸が三巻残ったところから、その地を三輪というのである。

私は大物主大神が…建甕槌命の子です。

意富多々泥古は大物主神五世の孫にあたる。

意富美和之大神
オオミワノオオカミ

大物主神のこと。上代には蛇信仰があったと言われているが、大物主神の正体は蛇であったと、『日本書紀』には記されている。『古事記』は大物主神の真の姿を記さないものの、蛇信仰の片鱗が随所に見られ、霊的存在として描かれている。垂仁天皇記では、その皇子である品牟津和気命ホムツワケノミコトが、その正体が蛇である肥長比売ヒナガヒメと結婚している。大物主神を祭った大神神社では三輪山を御神体としているが、三輪山は蛇がトグロを巻いた姿を表しているという。

★私評★
大物主神は@美しい乙女が大好き,A祭られること大大好きな神である。特に、定期的にアクションを起こして、時の権力者にしっかりと自分を祭らせるタタリパワーは大したものである。独断と偏見で歴史を想像してみるなら、天皇一族が九州から東征してきた時、大和国にはかなり大きな別の一族がいてきっと両者はすごい戦いになったのだろう。結果的に天皇一族が勝利したが、余りの激戦ゆえに、天皇一族はそのタタリを恐れた。その為、その倒した一族が祭っていた神,いわゆる大物主神の魂を神社に封じ込め、盛大に祭ってタタられないように予防線を張った?……というトコなのではなかろうか。

 

沙本毘古と沙本毘売へ行ってみる