欠史

 

24代仁賢〜第34代推古天皇(『古事記』下巻の最後を飾る)の各記には、史実が殆ど記されていない。この十代を、特に「欠史十代」と呼ぶ。これと似たような話が、『古事記』中巻に存在する,「欠史八代」である。歴史が欠けている=何らかの意味がある筈で、「欠史十代」にも同様のことが言えるわけだが、一体何故、この間の史実が記されていないのであろうか。それはやはり、『古事記』が古事(フルコト)を記す書物だからであろう。『古事記』成立時から数えれば、欠史十代のトップを切る仁賢天皇は、それほど古い過去ではない。当時の人々にとっては、分かりきったことで、わざわざ記すまでもない歴史なのだ。逆に、この欠史十代の各天皇記に歴史が記されているとすれば、それは古代史上を揺るがす大事件であったと、推測出来るのである。

 

<欠史十代>

27〜29代30〜33代がそれぞれ異母兄弟な為、それほど古い時代ではない。
 後世にその名が知られる聖徳太子は、第31代用明天皇の皇子で、
 記中では上宮之厩戸豊聡耳命
カミツミヤノウマヤトノトヨトミミノミコトと記される。

24代 仁賢天皇(意祁命 オケノミコト

25代 武烈天皇(小長谷若雀命 ヲハツセノワカサザキノミコト

26代 継体天皇(袁本杼命 ヲホドノミコト

27代 安閑天皇(広国押建金日命 ヒロクニオシタケカナヒノミコト

28代 宣化天皇(建小広国押楯命 タケヲヒロクニオシタテノミコト)     異母兄弟

29代 欽明天皇(天国押波流岐広庭命 アメクニオシハルキヒロニハノミコト

30代 敏達天皇(沼名倉太玉敷命 ヌナクラオホタマシキノミコト

31代 用明天皇(橘豊日命 タチバナノトヨヒノミコト)           異母兄弟

32代 崇峻天皇(長谷部之若雀命 ハツセベノワカサザキノミコト)       

33代 推古天皇(豊御食炊屋比売命 トヨミケカシキヤヒメノミコト

 

 

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