神武

初代神武天皇(神倭伊波礼毘古命)は、大和国橿原宮で即位したわけであるが、大和国出身というわけではなく、日出ずる処(東)を目標に、一族郎党を率いてはるばる九州からやって来た…ということに『古事記』ではなっている。その大移動の途中で多くの国津神達を服従させ、最終的に大和国に落ち着き即位したという話が、この神武東征である。

 

 〈東征の道筋〉日向から畝傍へ〜

  
日向からSTART!!
   
@豊国の宇沙(大分県宇佐市)  E白肩津(大阪府)
   
A筑紫の岡本宮         F熊野(和歌山県・三重県一帯)
   
B安芸国(広島県)の多祁理宮  G宇陀(奈良県宇陀郡)入り
   
C吉備(岡山県)の高島宮    H宇陀(奈良県宇陀郡)通過
   
D速吸門            I忍坂(奈良県桜井市)
                     
畝傍橿原宮にGOAL!!

[日向]
「一体どこの地であれば、天下を正しく治めることができるだろうか…?」
神倭伊波礼毘古命カムヤマトイワレビコノミコトと同母兄五瀬命イツセノミコトは、
高千穂宮タカチホノミヤで相談した。
そしてその結果……
「やはり,太陽がお出ましになる東へ行こう!」
ということになって、すぐに
日向ヒムカから旅立った。
  

@豊国
トヨクニの宇沙ウサ(大分県宇佐市)で、その土地の宇沙都比古ウサツヒコ
 
宇沙都比売ウサツヒメが足一謄宮アシヒトツアガリノミヤを献上し、
 
神倭伊波礼毘古命五瀬命に服属した。
  

A筑紫に移って、岡田宮に一年滞在した。
  

B安芸国(広島県)へ移って、多祁理宮タケリノミヤに七年滞在した。
  

C吉備(岡山県)へ移って、高島宮に八年滞在した。
  

D速吸門で亀に乗って釣りをしている国津神クニツカミと出会う。
 海の道に詳しいことを知り、服属させる。
 その国津神に
槁根津日子サオネツヒコと名づける。
  

E浪速の渡を経て白肩津シラカタノツ(大阪府)に停泊。
 この時に登美
トミ(奈良県奈良市)の那賀須泥毘古ナガスネビコ
 が軍勢を率いて、神倭伊波礼毘古命一行に戦いを挑んできた。
 この戦いで、
五瀬命は那賀須泥毘古の矢を手に受ける。
 その為
五瀬命は……
 「太陽の神の子である我らが太陽(東の方角)に向かって戦うのは
 よくない。迂回し、背に太陽の光を受けて奴等を討とう」と誓い、
 一行は南へ迂回することとなった。だが、その時の傷がもとで、
 その途中の
紀伊国(古くは大阪府泉南市に相当)で、
 
五瀬命は命を落してしまう。
  

F神倭伊波礼毘古命熊野(和歌山・三重県一帯)の村に到着した時に、
 大きな熊(熊野の山の
荒ぶる神の化身)が現れ、すぐに姿を消した。
 すると
神倭伊波礼毘古命とその軍勢は、毒気に当てられて気を失って
 しまった。この時、熊野の
高倉下タカクラジという者が倒れている
 
神倭伊波礼毘古命の側にやって来て、一振りの大刀を握らせた。
 そうすると、
神倭伊波礼毘古命は正気を取り戻し、軍勢も皆起き上がった。
 一方、大熊は
神倭伊波礼毘古命の手に大刀が渡ったと同時に斬り倒されて
 いた。そこで
神倭伊波礼毘古命がその大刀の由来を問うたところ、高倉下は
 「私は不思議な夢を見ました。
天照大御神アマテラスオオミカミ高御産巣日神
 
タカミムスヒノカミ建御雷神タケミカズチノカミをお呼び寄せになり、
 
『葦原中国がひどく騒がしく、我が御子達は悩んでおられるようだ。
 その国は元々お前が言向けた国(服従させた国)であろう?
 お前が降って御子達をお助けするのだ』
とおっしゃいました。
 建御雷神はそれに答えて、
『私が降らなくても、葦原中国を平定した時に
 用いた大刀がございます。この大刀を御子に与えようではありませんか。
 高倉下の倉の屋根に穴を空けて、そこから大刀を落しましょう』
と申され
 ました。その後、建御雷神が私に
『お前がその大刀を探して御子に献上し
 なさい』
と夢の中でおっしゃいました。朝になって自分の倉の屋根を調べ
 ますと、夢のお告げの通りに大刀がありました。そこで、御子に大刀を献上
 した次第です」と言った。
  

G高御産巣日神が神倭伊波礼毘古命に「天津神アマツカミである御子よ、この先は
 荒ぶる神が沢山いて、大変危険です。今、天から
八咫烏ヤアタカラを遣わし、
 先導させますので、その後に続いてお進み下さい」とお告げをされた。
 そのお告げに従って進軍すると、吉野川下流で国津神の
贄持之子ニエモツノコ
 その先の井戸で
井氷鹿イヒカが、そのまた先の山で石押分之子イワオシワクノコ
 
神倭伊波礼毘古命に恭順の意を示したのだった。
 その後、一行は山中を踏み分けて
宇陀(奈良県宇陀郡)へと出た。
  
H宇陀兄宇迦斯エウカシ弟宇迦斯オトウカシという兄弟が治める地であった。
 そこで、
神倭伊波礼毘古命は八咫烏を派遣して、「今、天津神である御子が
 ここにおいでになる。お前達はお仕え申すか」と問わせた。
 すると兄宇迦斯は鏑矢を放って八咫烏を追い返した。兄宇迦斯は迎え撃つ為に
 軍勢を集めたが、思うように集まらない為、罠を仕掛けた御殿を作り、
 恭順を装って弟宇迦斯に一行を迎えに行かせた。
 弟宇迦斯は
神倭伊波礼毘古命の許へ赴くと、兄宇迦斯の謀略を全て白状した。
 そこで、
神倭伊波礼毘古命の家来である道臣命ミチノオミノミコト大久米命
 
オオクメノミコトは兄宇迦斯を脅して、御殿の中へ追い込んだ。
 兄宇迦斯は自らが仕掛けた罠である押機
オシ(足を踏み入れると、頭上から
 石が落下してくる罠)で命を落した。
  

I宇陀から更に先へと進んで、忍坂(奈良県桜井市)に出た。
 そこでは、
土雲という猛者達が待ち構えていた。
 
神倭伊波礼毘古命は土雲達にご馳走を用意して、住処である穴からおびき出し、
 油断させて全て打ち殺した。
  

[畝傍橿原宮]
神倭伊波礼毘古命はこうして荒れすさぶ神々を全て討ち果たして、
畝傍(奈良県橿原市)の橿原宮カシハラノミヤで即位したのだった。(完)

神倭伊波礼毘古命
カムヤマトイワレビコノミコト

初代神武天皇。天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命アマツヒタカヒコナギサタケウカヤフキアエズノミコトと正妻玉依毘売命タマヨリビメノミコトの間の第四子で、天孫降臨を果たした邇々芸命の曾孫に当たる。他に若御毛沼命,豊御毛沼命という二つの別名を持つ。享年137歳。

<神武天皇の同母兄弟構成>
長男 五瀬命
イツセノミコト(東征中に戦死)
次男 稲氷命
イナヒノミコト(海原へ)
三男 御毛沼命
ミケヌノミコト(常世国へ)
四男 神倭伊波礼毘古命(即位)

五瀬命イツセノミコト

上記四兄弟の長兄に当たるが、東征中、那賀須泥毘古ナガスネビコの矢が手に突き刺さって、あえなく戦死。

高千穂宮タカチホノミヤ

場所は未詳。但し、高千穂は天孫邇々芸命ニニギノミコトが降臨の際に降り立った霊峰を指す。

日向ヒムカ

九州南部一帯。

荒ぶる神

天津神である神倭伊波礼毘古命に従わない国津神。

大刀

佐士布都神サジフツノカミと名づけられている。甕布都神,布都御魂とも呼ばれる。この大刀には七つの刀先があり、現在奈良県天理市の石上神宮の御神体となっている。

建御雷神タケミカズチノカミ

大国主神から天孫への国譲りが円滑に行われるように、葦原中国平定を命ぜられた雷神。ここで天照大御神等は、国譲り時の葦原中国平定が不十分で、神武東征がはかどらないとして、責任を取るという意味合いを含めて、お前が地上に降りて御子を助けなさいと命じている。

八咫烏ヤアタカラス

大きな烏。「咫」アタは親指と中指を広げた長さ。

土雲

「雲」は「蜘蛛」の借字。尾が生えていると記される。


★私評★

 この神武東征は歴史的事実に基づいて書かれているという説が今日見られるが、個人的には大賛成である。わざわざ九州から奈良県まで移動するなら、最初から奈良県に天孫降臨すれば良かったのだよと思ってしまうからである。
ちなみに、神武天皇を祭神とする奈良県橿原市の橿原神宮では、お守りの一種として八咫烏マスコットを販売している。八咫烏の姿をかたどったものだが、なかなか可愛く、懐かしきアニメ日本昔話に登場しそうなカラス振りである。

欠史八代に行ってみる