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不定期日記(過去ログ)

2006年



2006.12.28
 昭島モリタウンのSクラスの書店へ行き、横溝正史の『横溝正史翻訳コレクション』(扶桑社文庫)と『喘ぎ泣く死美人』(角川文庫)を探査ロボットに採取させる。前者には、ヒュームの『二輪馬車の秘密』などが収録されている。後者は、以前出たノベルス版に、さらに2編の単行本未収録作品を加えたもの。

 井上雅彦さんらとの対談ゲラや、2月に光文社文庫から出る黒田研二氏との合作『千年岳の殺人鬼』のゲラが届く。『新・本格推理07』の選評も書かなくてはならないし。どうやら正月返上か(笑)。

「蔵開き 古書目録」で注文しておいたものが当選する――昭和30年代のカルタである。嬉しいが、支払いが(^_^;)。

 それでは――。
 皆さん。今年一年、ありがとうございました。来年もまたよろしくお願いします。

2006.12.25
 武蔵村山市にできたダイアモンド・シティー・ミューというモールに出かけ、Mクラスの書店を探査。「Ski」2号、『原作完全版 鉄人28号 (15)』、「レコード・コレクターズ」1月号を転送収容。「レコード・コレクターズ」は、サディスティック・ミカ・バンド特集だったので。扶桑社文庫の『横溝正史翻訳コレクション』はレーダーに引っかからず。

2006.12.22
[情報館]を更新。

 小学館から出た『現代漫画博物館』を物質転送機でお取り寄せ。

2006.12.21
[情報館]を更新。

 ホームページビルダー11をインストール。しかし、10の時と同じで、ページを開くのに20秒以上かかる。一応、サポートへ電話をしてみたが、Windowsをセーフ・モードで立ち上げて確認したいとか言うので、面倒なので使用を中止し、アン・インストールした。私のマシンTNG号とは相性が悪いらしい。

2006.12.20
 ある人から、高校の国語の教科書を2冊もらう。どちらにも、手塚治虫のエッセイが収録されている。片方は「ぼくのマンガ人生」、もう片方は「宇宙からの眼差しを待て」。鮎川哲也先生の「達也が嗤う」あたりが教科書に載ったら、本格推理ファンがもっと増えるのではないか、などと思ってしまう。

2006.12.19
 大橋博之編『柳柊二 怪奇画帖』を読む、というか、見る。昔、「少年マガジン」などのグラビアに載っていた恐怖画や妖怪画がふんだんに収録されている。生々しくて、恐怖感たっぷりの絵が並んでいる。

 ジョン・ディクスン・カー『幻を追う男』には、名作「あずまやの悪魔」のオリジナル版が収録されている。これはフェル博士が出てくるバージョン。フェル博士の出てこない創元推理文庫「カー短編集5」版と読み比べてみるのも一興。前者は謎解き度が高く、後者はサスペンス感を強調してある。

 光文社文庫の担当編集者と話し合い、『新・本格推理07』収録作9編を決定する。
 今回も水準は高く、良い作品が集まりましたので、来年3月の刊行を心待ちにしてください。また、応募者の皆さんもありがとうございました。引き続き、『新・本格推理08』の原稿を募集しますので、よろしくお願いします。

2006.12.18
[新刊]
 大橋博之編『柳柊二 怪奇画帖』ラピュータ
 ジョン・ディクスン・カー『幻を追う男』論創社(論創海外ミステリ)
 喜国雅彦『日本一の男の魂(18)』小学館
 蒼井上鷹『ハンプティ・ダンプティは塀の中』東京創元社(ミステリ・フロンティア)

「蔵開き 古書目録」というのが届く。中に一つ、どうしても欲しいものがある。が、抽選なので、当たるのをじっと待つしかない。

2006.12.17
[新刊]
 佐々木丸美『崖の館』創元推理文庫
 谷原秋桜子『龍の館の秘密』創元推理文庫

 小学館クリエイティブから出た、牧美也子『マキの口笛』を物質転送機でお取り寄せ。今回の本は、雑誌掲載からの完全復刻なのが素晴らしい。カバー裏には、連載時の表紙まで刷り込んであるという凝り方。できれば、カラー・ページもカラーで収録して欲しかった。そこまですれば、本当の完全版だと思うし、どうせ、この本を求める人は値段が高くても買うのだから。
 前からうちにあった『マキの口笛』は、講談社漫画文庫版。これはトレース原稿なので比較すると、当たり前だが、線の伸びやかさや美しさがまるで違う。話も刈り込んである。やはり、原型の『マキの口笛』の方が圧倒的に良い。

2006.12.16
[情報館]を更新。

[新刊]
「ジャーロ No.26」光文社
 篠田真由美『仮面の島』講談社文庫
 菅谷充『燃ゆる海鷲』実業之日本社ジョイ・ノベルス
 野間美由紀『ジュエリーBOXデイズ(2)』白泉社
 野間美由紀『パズルゲーム☆はいすくーる』白泉社文庫
 楳図かずお『宿り花』小学館クリエイティブ
 楳図かずお『雪の花』小学館クリエイティブ

「ジャーロ」で連載の始まった笠井潔さんの『探偵小説論III』は、いろいろな意味で重要な評論であろう。

「本格ミステリ大賞」のアンケート回答用紙が届く。それにしても、今年も【評論・研究部門】が寂しい(笠井さん以外に評論の本って何か出たっけ?)。「該当作なし」とも思ったが、とりあえず、平野義久氏の『ジョン・ディクスン・カー ラジオ・ドラマ作品集』編纂・発行を推薦しようかと思う。これも立派な企画・研究だから。

2006.12.14
 立川駅まで打ち合わせのため出る。Mクラスの書店に寄り、吉田竜夫『少年忍者部隊 月光(1)』『同 (2)』『同 (3)』『同 (4)』(マンガショップ)を発見。即座に転送収容。全4巻がいっきに出たので読みごたえあり。

2006.12.11
 山田南平さんの『紅茶王子』文庫版の解説を書く。

「僕らの愛した手塚治虫」第37回の原稿を書く。虫プロ商事の単行本について。

 みなもと太郎先生より、同人誌3冊「日本武将伝」「きゃんぱす伝2」「戦場よこんにちは」を頂戴する。ここでも通販しているとのこと。

2006.12.10
 ローカルな話題。
 昨夜は、国立市の旭通りにある飲み屋「おばこ」で、〈昭和50年春国立一中卒業生〉の同窓会があった。ちょっと遅れていくと、いつものメンバーの他、国立市議の青木健氏や、一橋大学の北側にある木住野病院の次男坊・義信氏などがいて(彼も医者だそうだ)、懐かしい人たちに会えたのでとても嬉しかった。当方の帰り際に、声優の大塚明夫氏もやってくる。「新スタートレック」のファンである私は、ライカー副長の声をやっている彼とも会えて、さらに嬉しくなった(「ブラック・ジャック」の声もやっているし)。せっかくだから、握手をしてもらった。ドラマーちら氏は、わざわざ『僕らが愛した手塚治虫』を買ってもってきてくれた>サンキュー。ドラムのスティックにサインをしろと言われたのは初めてだ(笑)。

2006.12.09
 ハーレム・スキャーラムの新譜『ヒューマン・ネイチャー』を聞く。悪くはない。

『新・本格推理07』候補作のうち、Aクラス作品を読み終わる。ややベテラン勢強し、という感じ。

 立川ビッグカメラへ行き、レーザー・マウスを物色する。ロジクールのMX-Rが欲しいところだが、ロジクールはドライバーが心配なので(キーボード・ドライバーまで書き換えそう)、結局、マイクロソフトのワイヤレス・レーザー・マウス6000というものにする。マイクロソフトのマウスの形は大きすぎたり、下が広がっていて持ちにくいので、実は嫌いなのである(小指が痛くなる)。まあ、今回は、ワイヤレスとレーザーの試しということで購入。
 家に帰ってパッケージをあけてびっくり。ばかでかいレシーバーが入っている。ワイヤレスだから、当然、USBコネクター型の小さなレシーバーが入っていると思ったのに。よく確かめなかった自分が悪いか(と、諦める)。レーザーの読み取り精度は快適。側面にある左右ボタンは小さすぎる。ホイール・クリックによる拡大は便利。
 マウス全体に言えることだが、どうしてこう手や指にしっくりくるものがないのだろうか。キーボードも含めて、マン・マシン・インターフェースの設計や作りが悪すぎる。人間に負担をかけてどうする>パソコン関係のメーカー。

2006.12.08
[新刊]
「ミステリーズ! Vol.20」2006年冬号

 この日誌のトップには、以前より「禁無断転載・禁無断転用」と記してあります。そこにさらに、「著作権違反を発見した場合は、法的手段に訴えます」との文言を加え、当方の方針を明確化しました。一般的に言って、私のウェブサイトだけでなく、おおかたのサイトが、「禁無断転載・禁無断転用」となっているはずです。にもかかわらず、これが守られていないケースが非常に多いのではないでしょうか。
 たとえば、私や誰かの日記、あるいは、著作物(小説や評論)における記述を大量に丸ごと写して、そこに自分の意見を1行だけ(ほんの少し)加える、というようなもの。そのようなページを、ウェブサイトでは時々見かけます。当然のことながら、これは著作権で認めている「引用」の規定を完全にはみ出しています。したがいまして、そのようなサイトやページを発見した場合には、自分の権利を守るために、法的手段に訴えることもあるのだということを、ここに明記しておきます。心当たりのある方は、適切な対処を行ない、他人の権利を侵害しないよう注意してください。

 また、『金田一少年の事件簿』については、現在、講談社における私の窓口である文3(講談社ノベルスを出している部署)を通じて、苦情を申し入れています。『金田一少年』の場合、類似性は私だけの問題ではなく、たくさんのミステリー作家に被害が及んでいます。『金田一少年』を出しているのと同じ講談社の講談社ノベルスが、『金田一少年』によるアイデアの草刈り場になって良いわけがありません。また、マンガ界全体の地位を、この『金田一少年』が貶めていることにも憤りを感じます。故に、この件についても、しっかりと対応していくつもりです。

2006.12.07
[情報館]を更新。

 記録忘れの記入。坂木司氏の『シンデレラ・ティース』を読了。日常の謎派系。歯医者ネタでまとめたところが面白い。いい話系が好きな人にはお勧め。
 ヘレン・マクロイ『死の舞踏』を読了。出だしは良いが、後半は普通。

2006.12.06
[新刊]
 姉小路祐『特査検査官 疑惑のトライアングル』講談社ノベルス
 津原泰水『ピカルディの薔薇』集英社

 台湾版の『人狼城の恐怖 第2部フランス編』と『地獄の奇術師』の見本刷りが届く。蘭子シリーズは全部訳してくれるとのこと。
 そういえば、韓国でも、島田荘司先生の『占星術殺人事件』が出るそうだ。


2006.12.05
[情報館]を更新。

[新刊]
モーリス・ルブラン『戯曲アルセーヌ・ルパン』論創社
「ROM」127号
「このミステリーがすごい! 2007」宝島社

 本格ファンに喜んでもらえるような、大ニュースです。
 2007年1月に、新しい本格ミステリー・リファレンス・ブックが誕生します!
 詳細は以下のとおり(内容は予定)。
 御期待ください。

【本格ミステリー・ワールド 2007】 南雲堂発行
●刊行の趣旨
 (1)新しい価値観を基準とした、本格ミステリー読者に向けた本格ミステリーのリファレンス・ブックを作ります。
 (2)「本格ミステリー・ワールド」では、作家本人の発言や文章や作品解説(解題)等を積極的に活用し、新しくて有益な情報を読者に向けて発信していきます。
 (3)新しい作品の創造や本格ミステリーのよりいっそうの発展を目指し、未来志向を主体とした内容とします。
 (4)新人作家の発言の場を用意します。
●監修:島田荘司
●体裁、発行予定:A5判。ムック形式。150ページ前後。定価未定。
●発行予定日:2007年1月下旬(第2号からは、年末発行の予定)。
●内容
【1】巻頭言 島田荘司
【2】巻頭グラビア
 竹本健治、鏑木蓮(乱歩賞)+麻見和史(鮎川賞)、道尾秀介、森谷明子
【3】新人鼎談
 二階堂黎人×鏑木蓮(乱歩賞)×麻見和史(鮎川賞)
【4】作家の計画・作家の想い(以下、執筆依頼予定者)
 辻真先、島田荘司、笠井潔、山田正紀 竹本健治、山口雅也、北村薫、折原一、有栖川有栖、綾辻行人、我孫子武丸、法月綸太郎、麻耶雄嵩、芦辺拓、北森鴻、貫井徳郎、加納朋子、篠田真由美、太田忠司、柄刀一、鳥飼否宇、石持浅海、加賀美雅之、小森健太朗、北山武邦、柴田よしき、松尾由美、岸田るり子、森谷明子、道尾秀介、愛川晶、井上雅彦、乾くるみ、大倉崇裕、大山誠一郎、小林泰三、霞流一、霧舎巧、青井夏海、鯨統一郎、倉坂鬼一郎、倉知淳、黒田研二、近藤史恵、坂木司、高田崇史、辻村深月、鳥飼否宇、西澤保彦、伯方雪日、はやみねかおる、東川篤哉、藤岡真、三雲岳斗、関田涙、三津田信三、光原百合、若竹七海、奥泉光、石崎幸二、矢野龍王、桜庭一樹、米澤穂信、二階堂黎人(順不同)
【5】今年の注目作家の紹介
 竹本健治(小森健太朗)、鏑木蓮+麻見和史(二階堂黎人)、道尾秀介(大池洋子)、森谷明子(つずみ綾)
【6】女性作家による本格ミステリー鼎談
 柴田よしき×篠田真由美×加納朋子
【7】「読者に勧める 黄金の本格ミステリー!」
 (1)選者:小森健太朗、つずみ綾、二階堂黎人
 (2)作者の言葉:「黄金本格」に選出された作家による自作解説。
【8】「私の選ぶお勧め本格ミステリー」
 (1)国内部門 三田皓司、加賀美雅之、はやみねかおる、日下三蔵、森谷明子、鳥飼否宇
 (2)海外部門 つずみ綾、横井司、森英俊 二階堂黎人
【9】海外本格や評論を含む周辺書の紹介等 つずみ綾
 (1)海外古典の本格作品群について
 (2)ミステリ評論の現状と紹介
【10】ミステリーの古書に関するエッセイ 喜国雅彦
【11】ベテラン作家インタビュー 天城一(聞き手:つずみ綾)
【12】各社・各氏の計画(以下、執筆依頼予定者)
 東京創元社、文藝春秋、講談社、光文社、論創社、早川書房、南雲堂、原書房、森英俊、藤原編集室、山前譲、日下三蔵、横井司。
【13】本格ミステリー新人賞等の紹介
 (1)紹介文章 横井司
 (2)応募要項(各社)
 (3)新人賞応募者へのアドバイス
  (a)山田正紀 (b)二階堂黎人
【14】巻末評論 小森健太朗


2006.12.04
[情報館]を更新。

 タリスマンの「7」を聞く。けっこうよろしい。

2006.12.03
「別冊シャレード97号 青山狂介特集」
「別冊シャレード99号 最終号」
「本格ミステリ・ベスト10 2007」原書房

「24 シーズン5」のBOXセットが届く。仕方ないので見てしまった(笑)。今回は非常に面白かった。もちろん、細かい突っ込み所は多々ある。たとえば、空港で、テロリストが「ジャック・バウアー!」と呼びかける場面など。ということは、内部情報が敵に筒抜けになっているわけなのだが、バウアーもCTUも、ぜんぜん調査しない。

『新・本格推理』の箱をあける。下読みさんの選評をざっと見ながら、送られてきた候補作が揃っているかどうか確認する。この瞬間は本当にワクワクする。あの常連氏はいるだろうか、とか、今度はどんな新人がいるのだろうか、とか、どんな作品が送られてきたのだろうか、とか。私にとって、これは一足早いクリスマス・プレゼントなのである。

2006.12.01
 今月の論創社の論創海外ミステリがすごい。クリストファー・ブッシュの『失われた時間』とモーリス・ルブランの『戯曲アルセーヌ・ルパン』なのだが、もちろん、後者がすごいのだ。未訳だった戯曲が収められているのは当然として、何しろ解説が立派だ。120ページもあるのだから。戯曲の説明の他、ルパンの日本受容史から、詳細な書誌まで。もちろん、これまで知られていた書誌の間違いなども修正してある。
 たとえば、『813』。従来は、前編が1910年に出て、後編が1917年に出たとされていて、乱歩なども「何故だ?」と首をひねっていたわけだが、1巻本が1910年に出て、1917年には二分冊ものが出たことが説明されている。「そうだったのか」と、私も嬉しい納得。
 この『戯曲アルセーヌ・ルパン』は、今年度の、私の海外部門ベストに躍り上がった!

『新・本格推理』の候補作が届いたところ。これから、箱をあけます。

2006.11.30
 昨夜、国立リバプールで行なわれた『本格ミステリーの愉しみ』へお越しくださった皆様。どうもありがとうございました。おかげさまで、初めての試みとしてはかなりの成功だったと思います。内容も、なかなか楽しいものになったのではないでしょうか。実は、イベントの中でどんなことが起きるのか、出演者の我々も解りませんでしたので、まさか、あんなエア×××の話で盛り上がるとは(笑)。
 また、各社編集者の皆様、お手伝いをありがとうございました。遅くまでご苦労様でした。ここに深くお礼を申し上げます。

 写真の説明。左上から、(1)出演者の浅暮三文、霞流一、黒田研二、二階堂黎人、そして、特別出演の貫井徳郎(さて、誰が誰でしょうか)の5氏。(2)店内の雰囲気。(3)「狂喜準備集合罪」について、朗々と語り上げた霞流一氏。(4)最初のうちは、支離滅裂なことを言っていて、顔が脂ぎっていた黒田研二氏。(5)自作ヒットナンバー「ミステリーが分からない」を絶唱した浅暮三文氏。(6)抽選プレゼントを紹介する3氏。


2006.11.29
 最後の宣伝です(笑)。今夜です。よろしくお願いします。国立駅の南口を出たら、ロータリーを右手(西側)へ歩き、そのまま大学通りの右手(西側)歩道を歩いてきてください。スーパー紀伊国屋のすぐ先、クスリ屋の地下です。

名称:本格ミステリーの愉しみ
     〜作家と読者の団欒〜

内容:講演、対談,サイン会、プレゼント抽選など

講演予定作家:
 浅暮三文 「ミステリーが分からない」
 霞流一 「狂喜準備集合罪」
 黒田研二 「マンガ原作『逆転裁判』について」
 二階堂黎人 「本格ミステリーの愉しみ方」
(司会:おーちようこ)

場所:国立リバプール(ライブハウス)
 http://www.bekkoame.ne.jp/~liverpool/party.htm
 東京都国立市中1−17−27 関口ビルB1
 JR中央線国立駅南口下車・大学通り徒歩2分
 KINOKUNIYA先 ツルハドラッグ地下
 電話(042)577-2577 Fax(042)573-1428

日時:11月29日(水)夜 午後6時(開場)から9時30分
 講演&対談:午後7時から8時30分
 (講演の前後を、自由な感じのサイン会とします)

入場料:1000円

本の販売:会場内で、若干ですが、講演作家の著書を販売します。購入者には、特別プレゼント抽選券(当日、抽選)を差し上げます。

サイン本:基本的に持ち込みでけっこうです。当日の混雑具合などを見て、お一人ずつの冊数に上限を設ける場合もあります。御協力ください。

以上、内容に関しましては、予告なく変更になることもあります。御了承ください。

2006.11.26
[新刊]
 谷原秋桜子『天使が開けた密室』創元推理文庫

 今週水曜日、29日の夜、国立リバプール『本格ミステリーの愉しみ』が行なわれます。皆さん、ぜひ見に来てください。
 ということで、今日もその準備。講談社さんが、何人分か解らないが、文庫カバーを提供してくださるとのこと。それに、ちょっとびっくりするようなこともあるかも。

 物質転送機で、『ヘルマン・ヘッセ全集3』と『美人はいかが?(1)』忠津陽子を取り寄せ。

『密室と奇蹟 J・D・カー生誕百周年記念アンソロジー』を読了。大満足である。みんな凝っているなあ(笑)。何で、カーという作家(とその作品)に、こんなに熱くなれるんだろう(笑)。

2006.11.24
[情報館]を更新。

 11月30日に、東京創元社から発売になる『密室と奇蹟 J・D・カー生誕百周年記念アンソロジー』の見本刷りが届く。何しろ、執筆陣が凄いぞ。芦辺拓、加賀美雅之、小林泰三、桜庭一樹、田中啓文、柄刀一、鳥飼否宇、それに私、というメンバーなのだから。巻末に解題が載っているが、これからして濃い(笑)。今日はもう他の仕事はほったらかしにして、この本を読むのである。


2006.11.23
[情報館]を更新。

 苦節数ヵ月。ようやく、『僕らが愛した手塚治虫』(小学館)の見本刷りができてきた。左下の写真のとおり、帯では、喜国雅彦さんが絶賛してくれている(笑)。図版もふんだんに盛り込んだし、この手のマンガの評伝としては出色の内容ではないかと自負している。都内の早い所は24日から、一般書店は27、28日頃から書店店頭に並ぶだろう。ぜひ御購読を!


2006.11.22
[情報館]を更新。

『本格ミステリーの愉しみ』の入場者に配るパンフレットを100部印刷。

 金田一少年の新刊が届いたので、これを読む。これも明らかに類似していますね。こんなことばかりしていて恥ずかしくないんですかね(こういう下劣なマンガのせいで、マンガ全体の地位が向上しないことを、一人のマンガ・ファンとして悲しく思う)。

2006.11.20
[新刊]
 柄刀一『時を巡る肖像』実業之日本社
 島田荘司『最後の一球』原書房
 関田涙『時計仕掛けのイヴ』小学館

 例のマンガの件、御報告いただいた方々に感謝します。確認のため、実物を取り寄せている最中です。「またですか」と、呆れるしかないのですが……。

 仕事が山積みなので、老体に鞭打ち、起き上がる。関節がギシギシ言っている。
 某企画のため、乱歩賞受賞者・鏑木蓮さんと鮎川賞受賞者・麻見和史さんと鼎談を行なう。

2006.11.19
 カゼをこじらせてしまった。皆さんは、気をつけてください。

2006.11.15-2
 スパムな書き込みに対する有効な手立てがないまま、掲示板を再開しました。パスワードを入れるような形式も閲覧の際に面倒なので、従来の方式のままです。一般的なマナーを守り、本格推理ファンの親睦と、情報交換のために使ってください。

2006.11.15
「新・本格推理」の手引き、本格ミステリー入門、本格ミステリー論、本格ミステリーの書き方、原稿の書き方と印刷の仕方、その他の評論をまとめた『新本格ミステリー入門』(PDFファイル)を、当面の間、無料で配布します。ぜひお読みください。
 ミステリーの定義、ミステリーの性質分類、推理小説の定義、本格とは何か、推理小説の書き方、原稿の書き方、印刷の仕方、応募に際する傾向と対策、プロットの立て方、トリック論、名探偵の活用法、などの内容が含まれます。
 詳しくは、こちらを御覧ください。

2006.11.14
[情報館]を更新。

 カゼで喉が痛い。テレビは、「HOUSE」と「INVENTION」が面白い。

2006.11.12
 矢野竜王氏の『箱の中の天国と地獄』を読了。デビュー作より続けているゲーム的本格で、今回はRPG度がさらにアップ。

『本格ミステリーの愉しみ』のプレゼント第11弾は、次のもの。

 (11)「手塚ファンmagazine」

2006.11.11
 大倉崇裕氏の『福家警部補の挨拶』を読了。「刑事コロンボ」の味わいを上手に演出し直している。お勧め。

『本格ミステリーの愉しみ』のプレゼント第9弾と第10弾は、次のもの。

 (9)ちくま文庫『二階堂黎人が選ぶ! 手塚治虫西部劇傑作集』
 (10)「鉄腕アトム 絵入りはがきセット」

2006.11.09
[新刊]
 柄刀一『シクラメンと、見えない密室』光文社文庫

 サディスティック・ミカ・バンドの新譜『NARKISSOS』を聞く。悪くないが、良くもない。何故、全曲、加藤和彦の作曲としないのだろうか。

2006.11.08
[情報館]を更新。

[新刊]
 山口雅也『ステーションの奥の奥』講談社(ミステリーランド)
 篠田真由美『建築探偵桜井京介 館を行く』講談社

 山口さんの本には、本体にビニールカバーが付いているなあ。装丁変更があったのか。それとも、山口さんだから、これも何かの仕掛けなのだろうか。

2006.11.07
 道尾秀介氏の『シャドウ』を読了。これはいい。子供の目線で事件が語られている比重が高いが、キミとボク派のように近視眼的になっておらず、作者と登場人物である子供との距離感が見事に取れている。章ごとに登場人物の視点が切り替わる形式にも、構成的な理由がしっかりある。細かい部分の構築性も高くて、お勧め。

 IE7を試しに入れてみたけれど、動作がもっさりしているし、「お気に入り」の整理が非常にやりにくくなってしまった。たとえば、フォルダとフォルダの間に、別のフォルダをドラッグで持ってくる、ということが上手くできない。結局、IE6に戻す。

2006.11.06
 楳図かずお先生の貸本マンガ、〈楳図かずお幻想ロマン〉シリーズの『宿り花』と『雪の花』が、小学館クリエイティブから復刻されることになった。よって、その解説原稿を書く。小学館クリエイティブからは、今月下旬に、牧美也子先生の名作『マキの口笛』も復刻になるとのこと。

 加賀美雅之氏のデビュー長編『双月城の惨劇』の文庫(光文社文庫)が12月に出る。とのことで、文庫解説を書く。8月に出た氏の『風果つる館の殺人』も好評な売れ行きを示しているらしい。この作品は今年度の本格の見事な収穫なので、未読の方はぜひこの機会にお読みいただきたい。

 霧舎巧氏の『名探偵はどこにいる』を読了。様々な誤解を重層的に積み上げたところが作者の狙いだろう。シリーズの外伝としたところで、事件の輪郭を読者に感じさせることをぼやけさせてしまったが、青春小説としての趣は成功している。

2006.11.04
 ビル・S・バリンジャーの『美しき罠』とミルワード・ケネディ『スリープ村の殺人者』を物質転送機でお取り寄せ。『美しき罠』には、折原一氏の親切な解説が付いているが、『スリープ村の殺人者』にはまったくなし。こんなに知名度の低い作家と作品にそれでは、普通、購買意欲はわかないだろう。

 で、さっそく『美しき罠』を読む。仕掛けはないが、語り口が良いので満足。

2006.11.03
 鳥飼否宇氏の『樹霊』を読了。すっきりして堅実な佳作。社会派性も加味した自然派本格作品。不可能性は簡単に解けてしまうものだが、そうした珍事を達成する方法が犯人を推理するための手がかりとなっているという手筋が丁寧。

『本格ミステリーの愉しみ』のプレゼント第8段は、次のもの。

(8)講談社ノベルス製『人狼城の恐怖』特製テレカ+「新本格ミステリフェスティバル」のポスター。

2006.11.02
[情報館]を更新。

[新刊]
 セオドア・ロスコー『死の相続』原書房

 手塚プロのウェブサイト『手塚治虫ワールド』のニュース・コーナーに、『虫ん坊』という月刊ニュース・ページがある。このページのインタビューで、私が1979年の「第1回 手塚治虫ファン大会」について語っているので、興味のある方は転送降下!

 講談社BOXの刊行が始まった。第1弾は舞城王太郎他4冊。マンガも一冊入っている。箱入りの派手な装幀。

2006.11.01-2
 東京創元社のウェブサイトの近刊案内で、『密室と奇蹟 J・D・カー生誕百周年記念アンソロジー』の書影と、収録作品の題名が発表になった。こちらを御覧あれ。

2006.11.01
 29日のイベント『本格ミステリーの愉しみ』のため、プレゼントを用意し始める。プレゼントは、当日販売している本を買ってくれた人に、スクラッチくじを差し上げ(先着50人)、そこに書かれていた数字で何かプレゼントが当たる、という形式にしようと思う。
 まず用意したのが、次のようなもの。

(1)台湾版『人狼城の恐怖 第一部ドイツ編』
(2)台湾版『薔薇の家殺人事件』(マンガ)
(3)『8人の名探偵 犯罪調査』(マンガ)
(4)フィールディング『停まった足音』(私が解説を書いている)
(5)ブラックバーン『闇に葬れ』(論創社さんの提供)

 それから、古本ファン向けに、次のものも。

(6)島田荘司『占星術殺人事件』講談社ノベルス(初版)
(7)鮎川哲也『材木座の殺人』双葉社ノベルス(初版)

 あと、ちょうど27日に発売になる『僕らの愛した手塚治虫』を、販売用として20冊ほど用意できる予定。そのうち、購入者先着18名に、ちょっとしたおまけを付けるつもり。

2006.10.31
『原作完全版 鉄人28号(13)』をSクラスの書店で収容する。敵ロボット・ギルバート現わる。ロビーは鉄人が破壊。『鉄人28号』は、面白いのはこの辺まで。これから後は味が薄い。

 掲示板は、スパム書き込みが気になるので、何らかの対策ができるまで閉鎖します(ニフティにも、問い合わせずみ)。御不便をかけますが、よろしくお願いします。

2006.10.30
 クリストファー・セント・ジョン・スプリッグの『六つの奇妙なもの』を読了。途中で驚倒した。奇妙な話系統が好きな人には必読。

 ロボット・ソフトによる掲示板へのスパム書き込みが相変わらずあるので、入り口を一つ増やしました。面倒ですが、よろしくお願いします。しかし、ニフティの掲示板は、こんな脆弱なサービスでいいのだろうか。もちろん、良くない。

2006.10.29
 光文社文庫『新・本格推理』に力のある作品を投じてきた青木知己氏が、小学館書き下ろしミステリー第5弾『偽りの学舎』で、いよいよプロ・デビュー。この作品はただ今、小学館eBOOKSで前編が無料で読める。

2006.10.28
 島田荘司先生の『犬坊里美の冒険』を読了。良い意味で結末には唖然となった(させられた)。軽いノリながら,不可能犯罪性と社会派性がたっぷり。

 講談社と打ち合わせ。来年の「メフィスト」の新創刊に関して。『双面獣事件』の第二部は――(以下、ムニャムニャ)。

2006.10.27-2
 11月6日に発売になる『猪苗代マジック』文春文庫の見本刷りができてきた。パステル調の色合いの表紙絵で気に入っている。
 クイーンの『フランス白粉の謎』にならって最後の一行に犯人の名前が書いてあるので、解説をめくる時に、間違ってそこを見ないように。

2006.10.27
[新刊]
 アントニー・バウチャー『タイムマシンの殺人』論創社
 巽昌章『論理の蜘蛛の巣の中で』講談社

 11月29日に行なうイベント『本格ミステリーの愉しみ』に関する問い合わせがいくつかありましたので、お答えしておきます。
 前売り券はありません。当日、国立リバプールまで直接お越しください。講演(トークショー)は7時から始めます。その前は、読者の方とおしゃべりをしながら、持ってきていただいた本にサインを入れたいと思います。本は持ち込みでかまいません。講演(トークショー)が終わった後も、サインの時間をいくらか予定しています。
 なお、各作家の新刊を中心に、若干の本を販売します(各10冊ずつとか)。それを購入いただいた方の中から抽選で、何か各作家が用意したプレゼントを差し上げます。いろいろ用意する予定ですので、お楽しみに。

  書き込み幻戯(掲示板)を再開しました。一般的なマナーを守って、本格推理ファンの親睦と、情報交換に使ってください。


2006.10.25
[情報館]を更新。

[新刊]
 太田忠司『甘栗と金貨とエルム』角川書店
 論創海外ミステリ20『中村美与子探偵小説選』論創社

 ウイルスバスターを2006から2007へバージョン・アップ。やたらに警告が出る(笑)。

2006.10.24
 昨日は、光文社にて、井上雅彦氏、朝松健氏と共に、アンソロジスト鼎談を収録。

 途中、書店で、鮎川哲也『二つの標的』(出版芸術社)、忠津洋子『お金ためます!』(さわらび本工房)を収容。

 三津田信三氏の『凶鳥の如き忌むもの』を読了。メイン・トリックは突飛なもので、そのためにやや無理な点もある。しかし、奇怪な舞台設定や、おどろおどろしい雰囲気作りは好ましい。この探偵のシリーズを、どんどん続けてほしい。

2006.10.22
 三津田信三氏の『厭魅(まじもの)の如き憑くもの』を読了。封建的で古い因習にとらわれた世界を、濃密な雰囲気と濃密な文章で描ききったホラー系の本格ミステリー。読み解くのは大変だが、高度の技術で思いがけぬ驚きを演出してくれる。読む価値あり、の作品。

2006.10.21
 11月29日に行なわれる「本格ミステリーの愉しみ」に関して、上記のようなポスターを作ってみました。告知に協力してくださる方は、以下から画像データーをダウンロードしてお使いください。PDFとjpegの2種類を用意してあります。

poster.pdf へのリンク
poster.jpg へのリンク

2006.10.20
[情報館]を更新。

[新刊]
 島田荘司『犬坊里美の冒険』光文社カッパ・ノベルス
 笠井潔『オイディプス症候群』光文社カッパ・ノベルス

 論創海外ミステリの新刊(25日頃の発売)は、ジョン・ブラックバーンの『闇に葬れ』と、クリストファー・セント・ジョン・スプリッグの『六つの奇妙なもの』の二冊。後者がなかなか面白そう。

2006.10.19
[情報館]を更新。

 以下のような内容で、講演とサイン会を行なうことにしました。皆さん、ぜひお越しください。

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名称:本格ミステリーの愉しみ
     〜作家と読者の団欒〜

内容:講演、対談,サイン会、プレゼント抽選など

講演予定作家:
 浅暮三文 「ミステリーが分からない」
 霞流一 「狂喜準備集合罪」
 黒田研二 「マンガ原作『逆転裁判』について」
 二階堂黎人 「本格ミステリーの愉しみ方」
(司会:おーちようこ)

場所:国立リバプール(ライブハウス)
 http://www.bekkoame.ne.jp/~liverpool/party.htm
 東京都国立市中1−17−27 関口ビルB1
 JR中央線国立駅南口下車・大学通り徒歩2分
 KINOKUNIYA先 ツルハドラッグ地下
 電話(042)577-2577 Fax(042)573-1428

日時:11月29日(水)夜 午後6時(開場)から9時30分
 講演&対談:午後7時から8時30分
 (講演の前後を、自由な感じのサイン会とします)

入場料:1000円

本の販売:会場内で、若干ですが、講演作家の著書を販売します。購入者には、特別プレゼント抽選券(当日、抽選)を差し上げます。

サイン本:基本的に持ち込みでけっこうです。当日の混雑具合などを見て、お一人ずつの冊数に上限を設ける場合もあります。御協力ください。

以上、内容に関しましては、予告なく変更になることもあります。御了承ください。
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2006.10.18
 昨日は、手塚プロによる取材を受ける。ウェブサイトの「虫ん坊」というニュース・ページ用。今年は手塚治虫マンガ家デビュー60周年なので、久々にファン大会が開催される(12月に)。そこで、第一回目のファン大会がどういうものだったのかを、語ってほしいという依頼であった。あれは1979年だったはずなので、もう27年も前になるんだね……。

 高田崇史氏の『QED〜ventus〜御霊将門』を読了。ちょっと中途半端な終わり方。続編があるのかな?

 ジョー・リン・ターナーの新作『SUNSTORM』を聞く。上質の産業ロック。これはいい。

2006.10.14
 鮎川賞受賞作、麻見和史氏の『ヴェサリウスの柩』を読了。堅実で上質な(情報)サスペンス作品。題材にも魅力があり、文章もしっかりしていて読みやすく、話の進み具合も澱みがない。ただ、真相のほとんどが、事件関係者の口から証言として得られるため、探偵役も読者も、推理する要素や過程が少ない。面白く読めたが、謎解き小説としては――あくまでも、鮎川賞受賞作としては――ちょっと物足りなかったかな。

2006.10.13
[新刊]
 綾辻行人『贈る物語』光文社文庫
 高木彬光『邪馬台国の秘密』光文社文庫
 柴田よしき『時の鐘を君と鳴らそう』光文社文庫
 アーサー・コナン・ドイル『シャーロック・ホームズの生還』光文社文庫

 ホームページ・ビルダーv10を導入してみたが、動作の重さに我慢ができない。ページを開くのに(あるいは、編集中のページを切り替えるのに)、10秒以上もかかるのはひどい。結局、v6に戻した。

 連載原稿『僕らの愛した手塚治虫』第35回を書いて、亜空間通信で送付。青年コミック雑誌を初めて読んだ頃の話。

2006.10.12
[新刊]
 北森鴻『親不孝通りラプソディー』実業之日本社
 島田荘司『島田荘司全集 I.』南雲堂

 皆さん、『新・本格推理07』への投稿をありがとうございました。応募総数は96作に上り、昨年を上回りました。現在、一次選考が始まっています。本格推理小説に対する皆さんの熱意に嬉しくなりました。なお、引き続き、『新・本格推理08』の募集をしています。奮って、御応募ください。

 島田荘司全集は、長編が3作も入っているので、こんなに分厚い。これまた凶器になりそう(笑)。


2006.10.11
 水野英子『ハニー・ハニーのすてきな冒険』(チクマ秀版社)を物質転送機でお取り寄せ。版型が大きく、カラー・ページも復刻されているのが良い。

 柴田よしきさんの『銀の砂』を読了。人物造形が見事なので、人間関係だけで緊張感が生まれる。秀逸なサスペンスもの。

2006.10.10-2
 霞流一さんと杉江松恋さんのトークショーが行なわれるとのこと。以下のとおり。

「仰天笑天ミステリの世界へようこそ by 霞流一×杉江松恋
人はそれをバカミステリと呼ぶ」
2006年11月12日(日)
今野スタジオ『MARE(マーレ)』
16:30受付/17:00〜
1,500円 定員25名/要予約
予約=西荻ブックマーク実行委員会↓
http://members.jcom.home.ne.jp/43zoo/nbm/nbm.htm
(予約専用フォーム↓ or 西荻コム fax:03-6762-9100)
http://cinamon.candybox.to/k-toro/postmail/postmail.php
問い合わせ=ハートランド tel: 03-5310-2520(13:00-20:00/水曜休)

2006.10.10
 国書刊行会の世界探偵小説全集40『屍衣の流行』を物質転送機でお取り寄せ。正直言って、またアリンガムか、と落胆ぎみ。

 スーパードラマTVで、『プロファイラー』の第4シーズンが始まったのでびっくりした。第3シーズンで完結したものだとばかり思っていたので。

「ミステリーズ!新人賞」受賞作2作を読む。『殺三狼』が面白かった。文章のテンポが非常に良い。

2006.10.09
[新刊]
 麻見和史『ヴェサリウスの柩』東京創元社
「ミステリーズ! VOL.19」東京創元社
 矢野龍王『箱の中の天国と地獄』講談社ノベルス
 浅暮三文『ポケットは犯罪のために 武蔵野クライムストーリー』講談社ノベルス
 中島望『クラムボン殺し』講談社ノベルス

 鮎川賞前日に読み終わっていた、竹本健治氏の『ウロボロスの純正音律』。最高の冗談文学。脱力する所と緊張する所の案配が見事で、あの長さがまったくだれない。ペダントリーを面白く読ませる話術も相変わらず素晴らしい。そして、後になって、『純正音律』とはそういう意味の題名だったのか! と、納得する自分。率先してお勧め。

「名探偵モンク」がミステリチャンネルでも放映開始。これまたお勧め。

「CSI 第5シーズン」の最終話の前・後編。タランティーノ監督・脚本と聞いて、嫌な予感がしたが的中。犯人の動機も犯行方法もまるで説明不足。下品で悪趣味なだけの話――と、CSI史上、最悪のエピソードであった。

2006.10.07
 昨夜は、都内某ホテルで、第16回鮎川哲也賞の受賞式とパーティ。大変な荒れ模様の天気だったので、来訪者は少ないのではないかと想像していたが、完全にはずれて、例年と同じほどの大盛況。これまたいつもどおり、話したい人がいっぱいて、話しきれず、挨拶すらできない人がいたくらい。
 開場となる前に、黒田研二氏、霞流一氏、太田忠司氏、若竹七海氏、竹本健治氏(読んだばかりの『ウロボロス』など)、北森鴻氏、篠田真由美氏、鏑木蓮氏、山田正紀先生らと談笑。その後、会場に入る。まず、「鮎川賞」は、島田荘司先生が選考経過を発表。受賞者の麻見和史氏の挨拶がある。次に、「ミステリーズ!新人賞」の選考経過を有栖川有栖氏が発表。そして、今年の受賞者お二人、 秋梨惟喬氏、滝田務雄氏の挨拶がある。乾杯の音頭は、本格ミステリ作家クラブ会長の北村薫氏。
 その後はパーティ。笠井潔さんと「ミステリマガジン」や今シーズンのスキーのことを話したり、綾辻行人氏や有栖川有栖氏らと応募作選考に関することを話したり、辻真先先生や権田萬治先生と昔話をしたり、松尾由美さんや柴田よしきさんや加納朋子さんや近藤史恵さんらともろもろの話をしたり、柄刀一氏、鯨統一郎氏、加賀美雅之氏、霧舎巧氏、東川篤哉氏らと新作の予定のことを話したりと、時間はいくらあっても足りないのであった。
 そうそう。大森望氏が、わざわざ蔓葉信博氏を紹介してくれる。が、大森氏の邪悪な目論見ははずれ、和やかに意見交換がなされたのであった(笑)。


 以下の授賞式とパーティの模様。



2006.10.06
 探偵小説研究会の蔓葉信博氏が『拙文へのご批判についての質問』を公開し、私に返答を求めている。
 事前に書いておくが、私は本格以外のミステリーに興味がなく、本格以外の評論家(つまり、「このミス」系評論家とか「広義のミステリー」系評論家)が、本格領域に踏み込んでこない限り、その方々の仕事にも興味がない。
 本格ミステリー評論(家)が終焉したことは、笠井潔氏の観測と宣告によっても、私の観測と宣告によっても明らかになっている。したがって、上記のような理由で、本格評論家失格となった蔓葉信博氏のことにも(その仕事にも)、私はもういっさい興味がない。もちろん、本人が、「本格を研究」しようと、自分は本格ミステリーの評論家だと名乗ろうと、それは彼の自由である。
 よって、特に、この質問に返答する筋合いも気持ちもないのだが、せっかくの公開質問なので、一度だけ、必要と思われることを記しておく。

(1)「神様ゲーム」の「解説」を取り上げたのは一例である。が、あのレベルや内容で適当であったかどうかは、私に訊く前に、探偵小説研究会内部で話し合ったり(そのための「編」であり、グループであろう)、「本格ミステリ・ベスト10」の担当編集者に訊くべきであろう。私が適当と思う「解説」は、「2006」で言えば、鷹城宏、つずみ綾、円堂都司昭、市川尚吾、小森健太朗、のものである。

(2)「僕なりに本格推理小説という定義を踏まえて書いた文章です」という一文があるが、これでは、あなたの本格の定義はあなた以外の誰にも解らない。ぜひとも、どういうものがあなたの本格の定義なのか、表明してほしい。推理小説論も、推理小説史も、推理小説入門も書かず――つまり、本格を体系づけることもなく、(自分なりに)本格の根本原理を見出すこともなく――そんなことができるはずはないと思うが。

2006.10.04
[新刊]
 高田崇史『QED〜ventus〜御霊将門』講談社ノベルス

 11月に東京創元社から刊行になる、カー生誕100周年記念の書き下ろしアンソロジーの題名が決定したとのこと。
『密室と奇蹟 J・D・カー生誕百周年記念アンソロジー』
 執筆者は、芦辺拓、加賀美雅之、小林泰三、桜庭一樹、田中啓文、柄刀一、鳥飼否宇、二階堂黎人。
 というわけで、お楽しみに。

2006.10.02
[新刊]
 柴田よしき『求愛』徳間書店
 道尾秀介『シャドウ』東京創元社(ミステリ・フロンティア)
 ポール・ドハティ『毒杯の囀り』創元推理文庫

「ドクター・フー」をDVD録画で鑑賞。面白いではないか。

2006.09.30
『ドクター・ヘリオットの素晴らしい人生(上)』 『同(下)』を、Mクラスの惑星で発見して転送収容。当然、ジェイムズ・ヘリオットの新刊だと思って、題名だけ見て、よく確認しなかったら、ジム・ワイトによるヘリオットの評伝であった。失敗。

 11月に文春文庫から発売になる『猪苗代マジック』のカバー見本ができてくる。ポップな絵柄とポップな色遣いで、とても素敵なカバーになっている。

 リチャード・ハルの『善意の殺人』を読了。ノックスやバークリーなどと同じ〈ひねくれ派〉の作品。緊張感や恐怖感といったサスペンス要素はゼロ。ウイットとかユーモアとかいうものを、じっくり読みたい人向け。

2006.09.29
『原作完全版 鉄人28号(12)』をSクラスの書店で発見して、転送収容する。後にギルバートを造るドラグネット博士が登場し、ロビーと手を組む。

 SFライターの大橋博之氏のサイト「GARAMON」をリンクに追加。

 京極夏彦氏の『邪魅の雫』を読了。(以下、ネタバレぎみ。注意のこと)

 もともと、ゾラやバルザックのような全体小説的傾向のあったこのシリーズだが、その側面が増大していて、正直言って、以前の端役(全体小説では、次の本ではその端役が主役になることもある)にまで記憶が及ばず、読んでいてつらいところもあった(特に前半)。基本的には毒薬を主軸にした殺人連鎖の変形なのかと思うが(さらに、事件の輪郭探しとか、主観と客観による世界観の構築論とか、読みどころは例によってたくさんある)、よく解らないところも多かったので、しばらくしたら、もう一度、読んでみよう。どこかにリーダース・ダイジェスト版はないだろうか(笑)。

2006.09.28
[新刊]
 竹本健治『ウロボロスの純正音律』講談社

「ミステリマガジン」11月号の我孫子武丸さんと佳多山大地さんの論考を読み、12月号用の原稿を書き、亜空間通信で送る。

「スタートレック/エンタープライズ」が終わって寂しい。第4シーズンはけっこう面白かったのに。

「ドクター・フー」がNHKのBSでやっているらしい。友人に録画を頼む。

2006.09.26
【本格評論の終焉(最終回)】
 最終回である(きっと)。

 今回は、探偵小説研究会のベテランを中心とした問題点を指摘する。
『x』問題を通じて評論家の言説からいろいろな驚きが得られたわけだが、その最大のものは、千街晶之氏(注1)を代表として、探偵小説研究会の『x』擁護派のほとんどが(全部というべきか)、笠井潔氏の20世紀探偵小説論をまるっきり理解していなかったか、あるいは、誤解していたか、異論を持っていたことだろう。
 この事実が明らかになって、仰天し、あきれ果てた人も多いと思う。
 一般的にいって、探偵小説研究会の面々は笠井潔氏の20世紀探偵小説論を充分に理解し、納得した結果、それに依拠して評論活動を行なっている――たぶん、おおかたの読者がそう思っていたはずである。
 何しろ彼らは、笠井潔氏が20世紀探偵小説論の延長上に生み出した、《探偵小説(注:通常は本格推理小説というべきところ、笠井氏があえて探偵小説という名前を使うのには理由がある)》《第三の波》、《新本格第一ステージ、第二ステージ》、《本格/脱格》、《本格原理主義》、《後期クイーン問題》、《ゲーデル問題》その他の様々な用語、概念、体現、表現を用いて仕事をしてきたからだ。

 ところが、真実はそれとはまったく違っていた。
 実際はどうだったかといえば、(いいちいち引用はしないが)「ミステリマガジン」「e-NOVELS」「CRITICA」などに発表されたものが示すとおり、本格無理解派の探偵小説研究会ベテラン勢は、まるっきり笠井氏の探偵小説論を支持していなかったのだ。それどころか、彼らは、「何故、笠井の探偵小説論を理解していなければならないのだ」とか、「何故、笠井の探偵小説論に賛同していなければならないのだ」とか、「何故、笠井の探偵小説論どおりに評論しなければならないのだ」というような反駁を行ない、開き直りの態度を鮮明にした。

 もちろん、多様な意見や見解があるというのは悪いことではない。いいや、むしろ、多数の有力な意見があることは奨励されるべきことだろう。多数の意見が出て、それらを比較検討した結果、本質論が一つに収束するかもしれないし、しないかもしれない。だが、そもそも意見を述べなければ、議論もできないし事案を検討できない。そして、世に現われた複数の意見や見解が、様々な角度から本格というものの本質や有り様を浮き彫りにすることになるのであれば、それはそれで価値がある。

 しかし、探偵小説研究会ベテラン勢の選んだ道は、そんな建設的なものではなかった。さんざん人の褌で相撲を取っておきながら、今さら「笠井の唱えたあんな探偵小説論は、オレの考えとは違う」と文句を言うのは、あまりに無責任な態度であろう。場合によっては、読者を瞞着し続けてきたと非難されても仕方がないだろう。

 ならば、彼らはどうすれば良かったのだろうか。
 簡単な話である。(それが評論家であればなおいっそう)自分の意見や考えをはっきりと表明すれば良かったのである。
 ところが、それをせず、笠井氏の論に対する否定的な考えをひた隠しにして、利用価値がある間は笠井氏の存在と笠井氏の論を利用し、甘い汁を吸ってきたわけだ。中には、「ミステリマガジン」10月号で「刻印開示」という論考を載せた蔓葉信博氏のように(彼はベテランではないが)、最初から白旗をあげて、「いずれにしろ、僕は第二の理論を待つ」などという他力本願の言葉を漏らす者まで出てくる始末である。「おいおい、評論家なら、他人に任せず、自分で自分の論をちゃんと立てろよ」と、文句の一つも言いたくなるし、その腰砕けの態度を見て情けなくもなる。

 これまで、私は、最近の評論家の活動を「表層的で、印象的な感想を垂れ流している」と、やや辛辣な形で表現してきた。では、そうではない作品評価とはどのようなものか、モデル・ケースを示しておこう。
 これまた簡単な話で、ジャンルの発展史観や教養主義を根底においた絶対評価が基準となる。次に、ある期間とか、小さなムーブメントとか、その作家の全体の仕事とか、そうした短いスパンを根底においた短期的な評価軸を必要とする。最後が相対評価となる。つまり、今年の作品の中ではどうだったか、というような刹那的な観察は一番最後に来るものであり、しかも、量的に小さなものでなければならない。

 実際に、私が作品評価をする方法を述べよう。私が今年、ある作家のある作品を読んだとする。その時には、まず、ポーから現代まで続く本格作品の流れで、どの程度の位置(程度)にあるかを判断する。次に、その作家の作品の中で、どの程度の出来具合かを考える。最後に、今年もしくは昨年来からの本格作品群の中での位置づけを考える。
 また、エラリー・クイーンが用いていたような個別的絶対評価も勘案する。創元推理文庫の『フランス白粉の謎』の解説を見てほしい。クイーンは、推理小説を評価するために、なるべく客観的な方法を考え出した。プロット、サスペンス、意外な解決、解決の分析……手がかり、フェアプレイ……などと項目を立て、それぞれに最高10点を与えて、一つの作品が何点取れるかということを調べたのだ。
 私も、自分の中に絶対的な基準軸を用意した点数制を導入している。クイーンほど細かくはないが、それによって、作品評価を行なう(注:『新・本格推理』の選評でも、客観性が目に見えるように、点数制を導入している)。
 さらに、もう一つの評価基準がある。これは、オリンピック・スポーツの体操やフィギュア・スケートの点数付けと似ている。クイーン流の点数簿の欠点は、小説としての(推理小説としての)芸術性を点数として換算することができないということにある。したがって、そこに芸術点も付け加えるわけだ。ただし、それは技術に裏づけされた芸術点でなくてはならない。そうでないと、単なる印象点になり下がる(最近の評論家の点数付けは、この単なる印象点に終始している)(注2)。
 とにかく、私は、この三つの評価法を全部利用し、最終的に作品の評価を決定する(つまり、それが「本格の尺度に照らし合わせて」という評価方法なのだ)。

 スケートや体操の点数付けをする採点者ならば、当然のごとく、それらの競技の歴史で培われた技術の詳細をよく知っている(誰が、その技を初めて実演したかとか)。また、個々の技術(技)の難易度もよく理解している。だからこそ、技術に裏打ちされた芸術性についての客観的な評価が下せるわけで、観客席やテレビで見ている素人に、専門的な知識を分け与えることで、その競技の独特で微妙な面白さを伝えることができるのだ。
 がしかし、最近の本格系評論家は、歴史的観点や発展史観や技術論や教養主義を否定しているのだから、必然的に、本格独自の面白さを専門的な見地から読者に伝えることができなくなった。と同時に、「面白かったから面白かった」というような、単純な印象評価が横行するようになってしまったのだ。

 たとえば、「CRITICA」の中で千街晶之氏は次のように述べ、自らそれを認めている。

「好みとしては『容疑者xの献身』よりももっと人工的・反リアリズム的な作品を支持するが、2005年度はその路線にそれほど絶賛に値する作品がなかったのだから、好みは別として『容疑者xの献身』を相対評価せざるを得ないではないか」という立場の人も多かった筈だ(少なくとも、私や円堂都司昭や鷹城宏などはそうである」

 正直と言えば正直で褒められるが、結局は「本格の尺度を採用した絶対評価」はそこにはいっさい存在せず、単に、「面白いと思ったから面白いんだ」という印象点が己の評価方法の主体であることを吐露している。そして、そのことに何ら反省の方向性も見えないのが問題なのである。

 そのような単純な印象評価や、定義も尺度も示さず、ある作品を褒めそやすような態度を、私は以前、「思考停止」と呼んだ。
 鷹城宏氏は、私が探偵小説研究会の中でも相当に買う評論家であったが(「小説推理」で発表した麻耶雄嵩作品論と京極夏彦作品論では、素晴らしい洞察力を示した)、こと『x』に関する限り、先に述べた「評論家のトレンド」に従った結果、完全な「思考停止」に陥った。簡単にいえば、他の人が褒めているから自分も褒めておこうという状態から物事が始まっているので、褒められていることの現象や中身への批判性を最初から失っているのである。
 その鷹城宏氏は、先日、e-NOVELSで第二回目の『x』に関する論考を書いた(2006年9月12日号)。これを読むと、彼がようやく「思考停止」から脱しつつあることが解る。ただ、後半部などを読むと、まだ覚醒しつつある自分に戸惑っているという感がある。このように、鷹城宏氏ほどの洞察力の持ち主でさえ「思考停止」に追いやり、目を曇らせるのだから、それくらい、「評論家のトレンド」は恐ろしいのである。

 できれば、評論家も、単なる印象評価ではなくて、私が用いているような何らかの絶対評価に重きを置いてほしい(というか、そうするのが、ジャンル専門家の評論家の務めであろう)。そのためにも、歴史的観点を踏まえた正しい現状認識が要求されるし、ジャンルにおける発展的史観が不可欠であるし、トリックを中心とした技術への理解という教養主義が何よりも大事な要件となる――このことは、重要なので、何度言っても言い足りない。

 さて、ここまで書けば、本格系評論家の何が悪かったのかが明瞭となった。逆にいえば、どうすれば良かったのかも明らかである。
 結論はこうだ。
 彼らはしっかりと論を立てた「評論」を書けば良かったのである。
 ここで言う「評論」とは、単発的な、短い評論原稿のことではない。一つの論を立て、それを立証するために全ページを費やした一冊丸ごとの評論の本や、一冊の評論集のことである。つまり、評論家一人一人が、己の推理小説論、推理小説入門、推理小説史などを書けば良かったのだ。そうすれば、探偵小説研究会の若手がしたような間違いを犯さずにすんだろうし、ベテラン勢も、笠井家の軒の下で商売をするようなみっともない真似をしないですんだはずだ。
 若手の評論家が、推理小説全体の歴史を書くのは荷が重いというのなら、興味の中心にある新本格ミステリー論でも書けばいい。しかし、それでも、新本格を取り巻く実情や歴史的事実を疎かにしてはそれは達成できないだろう。諸岡卓真氏や岩松正洋氏が、もしもそういうものを(きっちりと物事を調べた上で)書いていれば、今回のような未熟さに起因する醜態をさらさずにすんだのだ。

 この結論はまた、本格の定義付けなどにもいえることだ。
 乱歩や私の本格定義なども、その言葉自体が突然発生したり、一人歩きするわけではない。乱歩の『鬼の言葉』から『続・幻影城』へ至る評論集を読んでみてほしい。乱歩は、定義付けを行なう前に、丹念に、推理小説(その頃は、探偵小説と呼ばれている)の歴史を振り返り、名作の位置づけを行ない、推理小説の形態に関する分類を行なっている(推理小説と、非推理小説との対比も行なっている)。その上で、乱歩の有名な定義『探偵小説とは、主として犯罪に関する難解な秘密が、論理的に、徐々に解かれて行く経路の面白さを主眼とする文学である。』が語られるのだった。
 それは私の場合も同じで、私が提示し定義『《本格推理》とは、手がかりと伏線、証拠を基に論理的に解決される謎解き及び犯人当て小説である。』も、過去の推理小説群の本質的傾向を踏まえ、自分なりの本格感を示し、己の書く小説で立証した上で成立している。それは、都筑道夫や島田荘司氏などの作家が行なってきた行為と特に違ってはいない。

 では、探偵小説研究会を中心とする本格系評論家の仕事ぶりはどうだっただろうか。
 探偵小説研究会には20人近くの人間が属していながら、笠井潔氏を除いては、誰一人として笠井氏が書いたような「評論」の本を書いていないし、出してはいない。唯一、千街晶之氏が一冊の評論集『水面の星座 水底の宝石』を上梓したが、彼自身があとがきで書いているとおり、別に論の立ったものではなくて、複数の主題に沿って観察した事柄を並べたものにすぎなかった(つまり、笠井氏が行なってきたような体系的な意味合いの発見を含んでいなかったということ)。
 また、今年の「本格ミステリ大賞」などにも、その点の問題性が明示されている。評論賞の候補に挙がった4人のうち、3人までが作家で(笠井潔、北村薫、山口雅也)、もう一人も専門的なミステリー評論家ではなかった。
 その前年(2005年度)においても、探偵小説研究会員の著作は一つも候補に挙がっていない。
 この悲惨な現状を、評論家たちは恥ずかしいと思わないのだろうか。
 毎年、毎年、「本格ミステリ大賞」には笠井氏の作品のみが候補に挙がっていて、もしかすると、毎年、毎年、彼が受賞するかもしれない――そんな閉塞的な状態であることに、評論家たちは羞恥を感じないのであろうか。

 結局のところ、一冊のまとまった「評論」さえ発表する者が皆無といって良い現在の本格評論シーンは、そのこと自体が自らの終焉を世に喧伝している。小説を書かない作家がもはや作家でないように、「評論」を書かない評論家は評論家などではない。笠井潔氏や私がわざわざ観測・宣告するまでもなく、本格評論は自滅の形でとっくに終わっていたのである。

(以上)

注:1 千街晶之氏が「CRITICA」発表した「時計仕掛けの非情」の冒頭には、明かな事実誤認に基づく記載があるので、訂正しておこう。「一連の議論は、二階堂黎人がホームページ「黒犬黒猫館」に発表した『容疑者xの献身』否定論に端を発している」という箇所や、「中でも最も分量を費やして『容疑者xの献身』批判を行なったは笠井潔で」などという箇所である。
 この日記でも「ミステリマガジン」でも、私は『x』を優れた技巧で書かれたサスペンス作品として評価している。フェアプレイなどの観点から、本格であるかないかという事実の指摘(確認あるいは区別)をしているにすぎない。
 また、笠井氏も私も、『x』批判をしているのではなく、まともな理由を示すことなく『x』を妄信的に褒めそやして「思考停止」状態に陥っている評論家を批判をしているのである。

 千街晶之氏がそのようなことを書くのは、問題の本質(=つまり、自分たちに対する批判)から読者の目を反らそうという欺瞞的な行為にすぎない。
 この欺瞞的な作為は、彼のこの論考全体にも及んでいる。たとえば、彼が「危機」という言葉を用いている箇所があるが、この「危機」という批判は、本格系評論家に対して、私が前々から述べていたことである。にもかかわらず、千街氏はそれを作家(第三の波)の問題へと巧妙にすり替えている(P82など)。笠井氏の論に作家が反発しているなどと分析しているくだりもそれで(P74など)、しかし、その根拠が、黒田研二氏や北村薫氏ら、『x』擁護派の投票にあるというのでは何とも心許ない。

 もともと黒田研二氏などは、クイーンやカーも読んだことがない人間で、せいぜいテレビの『刑事コロンボ』と東野圭吾作品に親しんだ程度である(その意味で、本格を深く知っているのかは疑わしい)。北村薫氏は、自身が公表しているとおり、新作は一切読まない。したがって、彼にできるのは、「本格ミステリ大賞」候補作の中から遠慮がちに一作を選ぶ程度のことだ。もともと不特定多数の中からある作品に自由に投じることができる評論家の評価責任(「本格ミステリ・ベスト10」を含む)と比べると、彼の責任の度合いは圧倒的に小さい。

注:2 評価者の個性は、この技術に裏付けされた芸術点から生じることが多い。私の場合でいえば、名探偵ものと物理トリック作品を高く評価する傾向があり、日常の謎派などは基本点が低い。

2006.09.23
【本格評論の終焉(8)】
 最終回のつもりであったが、長くなったので、もう一度続く予定である。

 重要なことなので、何度も書くが、本格評論を行なうのであれば、歴史的観点を踏まえた正しい現状認識が要求されるし、ジャンルにおける発展的史観が不可欠であるし、トリックを中心とした技術への理解という教養主義を捨て去ることはできない。
 逆に言うと、それらを否定する傾向に淫している探偵小説研究会の一部の者は、本格を論じる評論家として失格である。だいいち、単なる印象に基づいた表層的な感想を書き捨てているだけでは、本格作品を正しく分析し、考察し、論じることにはならないであろう。

 というのも、本格――特に新本格をより深く観賞するには、過去の作品や、そこで培われた技術や技法といった資産について、充分に把握する必要があるからだ。
 たとえば、「CRITICA」に載った田中博氏の「『ガラスの村』試論」には、次のような一節がある。

「綾辻以降のいわゆる新本格§H線を、私は「方法におけるミステリ史の総括」と考えている」

 正しい意見である。つまり、新本格を理解し、分析し、論じ、読者にその面白さを余すところなく紹介するには、「方法におけるミステリ史」を学んでおかねばならないということである。新本格を満足がいくまで楽しむためにも、それは基本的に望まれる行為だ(注1)。

 たとえば、綾辻行人氏の『十角館の殺人』を読む時、登場人物のニックネームの基となったヴァン・ダインやその他の作家のことを(その作品も)知っておいた方が良いだろう。アガサ・クリスティーの著名長編を読んでいれば、なおさらそれとの比較によって(構想やプロットの面で)、綾辻作品の面白さが倍増する。
 麻耶雄嵩氏のデビュー長編『翼ある闇』にしても、英米本格推理黄金期の著名作家の作品群を知っているのと知らないのとでは、解決部分で受ける衝撃度は天と地ほども違ってくる。
 法月綸太郎氏の『一の悲劇』がどうして傑作なのか、ということを理解するには、カーの長編や横溝正史の中編で使われた某トリックについて知っておく必要がある。しかも、1950年以降は(小説内でも扱われる)法医学(の知識)が進み、この手のトリックを使うことが非常に困難になってきた。そのこともぜひ知っておきたい。そうすれば、その困難を、法月氏がどれほど自然な形で乗り越えたか、作者の技量の高さを得心することができるだろう(注2ネタバレ注意)。
 島田荘司氏は、『水晶のピラミッド』あたりから、作中にある一つの章(エピソード)を、丸ごと事件の手がかりやミスディレクションにしてしまうという独特の方法を確立した。過去にもそうした形態が含まれる作品もないことはなかったが、それは偶発的な発生であり、意図的な方向で、物語性を犠牲にすることなく、退屈な証拠集めの場面を排除することに成功した。これは、ポーの『マリー・ロジェの秘密』以来の論理的な捜査と推理の組み立てには常についてまわる弊害であった。この弊害は、エラリー・クイーンの国名シリーズなどに顕著であり、それを嫌ったアガサ・クリスティーは、事件より先に人物紹介を行なうという方法を採ったが、それでも、状況設定に面白みがない場合には退屈感を免れなかった。こうした過去の作家の苦労や試行錯誤を知っていれば、どれほど島田氏の選択した方法が素晴らしいかが実感できる。
 芦辺拓氏のデビュー作『殺人喜劇の13人』のユニーク性が、江戸川乱歩の『陰獣』のユニーク性まで繋がることが解れば、すごく愉快だ。つまり、作者に対するイメージそのものが、登場人物に重ねられて、それがある種の真相を隠す煙幕になっているということだ。
 京極夏彦氏の長編『狂骨の夢』のプロットが、T・S・ストリブリングのある傑作短編とまったく同じであることを知ると――それがまさに偶然であるが故に――いっそう、京極夏彦氏の本格センスの卓抜さに感じ入ることができる(注3ネタバレ注意)。
 拙著の場合で言えば、『カーの復讐』のメイン・トリックを、「ああ、密室殺人ね」としか思えないのと、「お! ユダの窓トリックではないか!」と思うのとでは、まるで評価が違うし、楽しさも違ってくるだろう。
 ――このように、本格、特に新本格の観賞には、過去の遺産の蓄積に親しむことが望ましい(一般読者にとっては不可避ではないが、評論家にとっては不可避であろう)。
 御存じのとおり、笠井潔氏も、島田荘司氏も、北村薫氏も、山口雅也氏も、綾辻行人氏も、有栖川有栖氏も、芦辺拓氏も、私も、繰り返し、読者に、古典的名作を読むことを読者に推奨してきた。それは、その作品を単純に楽しむという目的の他に、己の作品(新本格作品群)に対する理解度を深めてもらいたいという願いを込めた希望であった。

 にもかかわらず、探偵小説研究会の若手――諸岡卓真、岩松正洋、大森滋樹、蔓葉信博などといった者たちは、それを否定する傾向を表明している。しかし、ジャンルの発展史観の否定は、当然、ここに名前を挙げた作家に代表される新本格作家全体(とその意向――つまり、本質的ムーブメント)を否定するものである。
 彼らとっては、新本格は歴史的観点や普遍的評価で読むものではなく、他の娯楽小説一般を読んでいる時にたまたまその横に発見した「つまみ」にすぎないだろう。つまり、現代文学一般への関心の延長線上にその興味があるわけで、真に本格推理を愛する作家や読者たちと異なり、単なる手慰み程度のものなのだ。

 しかし、その結果はどうであったか。新本格を理解し、議論するのであれば、今も述べたとおり本格の歴史を知らなくてはならないし、本格の歴史を知るなら、ミステリー全般の歴史を知らなくてはならない。そうでなければ、現状認識にも誤認が生じるわけで、平気で間違ったことを書きかねない。現に、千野帽子=岩松正洋氏が、新本格作家とファウスト系作家の関係について「若い作家の青臭さが上の世代を危惧させる構図は、一九八〇年代末の新本格バッシングを十数年隔てて反復しています」などというデタラメを検証なしに書いている。
 過去の推理作品に興味がなく、新本格のみにしか興味がなくとも、新本格がどうして勃興したか、その本質はどこにあるか、ムーブメントの意味は、とか、評論家としておさえておくべきことは多数あるだろう――とすると、当然、新本格を包む日本のミステリー界全体の有り様についても勉強する必要があるわけで、だが、彼らはそれを無視して、こういう稚拙な間違いを犯す。新本格バッシングがどういうものだったか、その実態を理解するのが新本格ウォッチャー(=本格評論家)として役目であるはずなのに、それを怠けて、自らの書いたもので評論家失格であることを露呈してしまう。
 しかも、本格作家による脱格作家へのバッシングがあったという前提がそもそもデタラメである。《本格/脱格》などという差別化・区別化・排除化は、そうした(笠井潔氏が生み出した)概念と専門用語を多用してきた探偵小説研究会を中心とする本格評論家が行なってきたものだからだ(このことは、本稿の第1回めに書いた)。そして、何故、千野帽子=岩松正洋氏らがそのようなデタラメを書くかと言えば、自分たちが行なってきた排除的行為の責任を他人(=作家)に転嫁するためで(そのことも、前に指摘した)、もう一つは、終焉する(した)本格評論シーンから逃げ出すための方便であった。これが、2番目の動機である。

 同じことが(特にバッシングに関する言説として)、諸岡卓真氏にもいえる。彼もまた、岩松氏と同じく、新本格バッシングと近年のものが同じだと述べて(「かなりの程度似通っている」――という表現だが)、無知蒙昧ぶりを発揮している。これもまた、責任転嫁という点で、動機的には千野帽子=岩松正洋氏と同じことを目論んでいる。
「critica」での鼎談とそれに関する評論の中での、諸岡氏の無茶苦茶な発言ぶりには、何度も苦笑を通り越して哀れを感じたほどだ(ただし、彼は議論へ積極的に参加しているだけ、まだ他の者よりはましであろう。正しく勉強するという姿勢を選べば、将来的には使える人材になるかもしれない)。実際、彼の鼎談の中での発言は(過去の発言も含めて)、何度も笠井氏や小森氏から細かく訂正されている。
 たとえば、諸岡氏は、京極夏彦バッシングがあったかなかったかという問題を持ち出す。そのあげく、京極バッシングがあったかなかったか、文献だけでは調べようがなかったと発言する。「おいおい、たった数年前の前のことなんだから、探偵小説研究会の仲間に聞くなり、作家に聞くなりして、ちゃんと調べておけよ!」と茶々を入れたくなったのは、私だけではあるまい。新本格を語ろうとする者が、新本格ムーブメントの中で起きたことを(起きたか起きなかったも含めて)、まるで認識も確認もしていないというのは杜撰きわまりない。このような投げ遣りでいい加減な態度の羅列に、私はあきれかえった。

 あげくの果てに、諸岡氏が何を言いだすかと思えば、こんな愚かな意見を掲げる。

「「本格と変格」「本格と脱格」など、これまでのジャンル論では「本格」と「非本格」とを「分割」する線が重視されてきた。しかし、そろそろ二項対立による本格の把握に疑いの目を向けてもいいのではないだろうか」

 この発言だけでも、諸岡氏の本格評論家としての資格に疑問が生じる。
 いったい何故、広義のミステリーがあるのに新本格ムーブメントが起きたというのか、日本推理作家協会があるのに本格ミステリ作家クラブが創られたというのか、乱歩賞があるのに鮎川賞やメフィスト賞が創られたというか、「このミス」があるのに「本格ミステリ・ベスト10」が作られたというのか、「このミス」評論家がいるのに、探偵小説研究会が結集されたというのか――。
 この程度の初歩的な歴史事実の把握や現状的実態の理解にさえ欠け、しかも、勉強や調査をするという姿勢が欠如しているため、彼は、新本格や本格の有り様をまるで理解していない。これで、どうして彼が評論家を名乗ったり、評論と称するものを書けるのか、私にはまったく理解できない。謎また謎である。

 さらに、諸岡氏は鼎談の中で、有栖川有栖氏の『マレー鉄道の謎』に関してこんな発言をしている。

「その上、本格ミステリ大賞では、この作品が「端正な本格」だからというほとんどそれだけの理由で高評価を得てしまう。具体的にはどんなところが「端正」なのか、何をもって「端正」と判断するのか、選評を読んでもさっぱり解りません。「端正」という言葉がただのスローガンになって、「端正」でさえあればよい作品だ、みたいな作品評価になってしまっているわけです」

 私はこれを読んで、「いったい、彼は何を言ってんだ。自分で言ってることが解っているのか?」と、またまたあきれ果ててた。
 発言の内容は、基本的には正しい。しかし、これは、私があの当時、探偵小説研究会に向かって言った(批判した)言葉である。同じ頃、笠井氏も、「端正な本格」という言葉だけで褒めそやすことを「空疎な標語」と呼び、探偵小説研究会の面々を批判したのだった。
 諸岡氏にすれば、それは、自分が探偵小説研究会に入る前のことだ、という言い訳を用意しているのかもしれない。また、巧みに、探偵小説研究会とか「本格ミステリ・ベスト10」とか言うべきところを、「本格ミステリ大賞」と呼ぶことで誤魔化そうとしている。だが、騙されてはいけない。これは今も述べたとおり、本来的には、探偵小説研究会(の評論家の発言)に向かってされた批判なのであるから。
 もしも、諸岡氏が、一般読者として本当にそう感じたのだとしたら、私が思ったことを彼も思ったわけだ。だとすれば、探偵小説研究会へ向けられたこの批判の正しさが実証されたことになる。
 また、この発言の対象を『マレー鉄道の謎』から『容疑者xの献身』にかえ、「端正な本格」という空疎な標語を、「現代の本格」「優れた本格」「純愛」などの空疎な標語と取りかえてみたらどうなるか。今回、私が『x』問題を通じて『x』擁護者を批判していた意見そのままになるではないか。

 さて、私は本論考5回目の注釈で、探偵小説研究会を中心とする本格系評論家のトレンドについて記しておいた。昨今の彼らの仕事の傾向を示すもので、次のようなものである。

(1)単純に読みやすいものを好む。
(2)表面的に意外性のあるものを好む。
(3)「端正な本格」「論理的な本格」「泣ける本格」「現代の本格」など、空疎で、中身のない標語を多用する。
(4)作品中にある感動の押し売りを批判せずに頭から肯定して、それを読者との共通認識にしたがる(注4)。

 この他に、恒久的なトレンド(というのは変な言い方だが)もある。

(1)新規なもの、珍奇なものを好む。その癖、すぐに飽きてしまう。
(2)名探偵ものは嫌い。何故かというと、名探偵という装置を含む作品群にはトリック指向型のものが多く、トリックに関する理解不足と勉強不足が顕著だから。

 これらのトレンドが年々拡大方向にある理由は、今述べたような、発展史観、トリック重視、教養主義などの否定傾向にある評論家(探偵小説研究会の若手など)が増えたことに起因する。つまり、彼らは、表層的な、単なる印象的感想を書くだけなので、難しい作品(奥泉光氏の『モーダルな現象』のように、読むのが難しい作品も含む)を回避する性質があるのだ。そして、その通底には、みんなが褒めるものに無批判に従っておくことが無難だという、主体性のなさが存在することも指摘しておこう。
 こうしたことがすべて(つまり、怠惰と堕落が)、本格評論を終焉に導いた原因なのである。


 ――というわけで、今回は実例を挙げて、探偵小説研究会の若手に関する問題点を浮き彫りにした。次回は、ベテランを含めたより根本的な問題点について触れたいと思う。


注1:田中博氏は、評論家として物事の真実を理解している方の人物だ。以前、このサイトで時限公開したあの私信を読んでも、この「『ガラスの村』試論」を読んでも、何が本格で何がそうでないか、彼にはちゃんと解っている。この試論などは、叙述トリックやフェアプレイに関する言及をみれば――特に、「緩いフェアプレイ」という部分に注目のこと――実は、彼なりの『x』問題への表明であるのだから。
 ただ、生来の気質のせいか、彼は表だって論争することを好まない。好まないのは良いけれども、友人が間違いを犯すのを黙って見過ごすのはどうかと思う。海原に浮かぶ小船の底に仲間が穴をあけようとしている時、黙ってそれを見過ごして、他の者と一緒に沈没死してしまって良いのだろうか。

注2:死体移動トリックのこと。近年では、死斑の確認などによって、死後、死体が移動されたかどうかが簡単に解ってしまう。よって、カーの長編や横溝の中編は、現代の捜査方法や法医学を導入すると簡単に真相が暴露されてしまう。

注3:ポケミスの『名探偵登場4』に入っている「チン・リーの復活」。このことに最初に気づいたのは小森健太朗氏だった。

注4: この(1)から(4)の「トレンド」が、まさしく、『x』や石持浅海氏の作品に対する異常な好評価へと繋がっている。逆に言えば、この「トレンド」が本格評論シーン全体のレベル低下の如実な証明ともなっていよう。
 石持作品で描かれる動機の歪みや気持ち悪さは、本格ミステリ大賞の候補作となった『扉』ではなく、『センヌンティウスの舟』を対象として観察した方が解りやすい。本来なら、ある人物の死に関する疑惑が浮かんだ時点で、他殺についても検討すべきなのに、作者も登場人物も端からそれを無視してしまう。善良な動機を作者も登場人物も最初から認め、それを読者に押しつけて、読者もまたそこに違和感を覚えずに安易に受け入れてしまうことが多い。本来なら、そういう部分を評論家が批判すべきだが、作者と一緒になって肯定に走っているわけだ。
 したがって、『x』においても、探偵が犯人の動機を「純愛」などと言って賛美することを、評論家は簡単に受け入れてしまう。一般的には非常識な解釈であるにもかかわらず、そこに批判の目を向けることなく、評論家は作者と一緒になって全面的な肯定に突っ走ってしまった。それは、ひどく不気味な衝動であり、現象である。
 こうした点が、両作品に対する評論的行為として共通しているし、評論のあり方としてはたいへん怖いことだと思う。
『センヌンティウスの舟』に関して言えば、一度、仲間の間で疑惑が生じ、友情が壊れるか、徹底的に壊れそうになる危機を迎える。しかし、仲間たちは捜査と推理を通じてその危機を乗り越え、友情を再確認する、という物語展開の方が、本来的で自然な感動を生み出すだろう。その方が、もっと面白い作品になったと思う。

2006.09.22
[新刊]
G・K・チェスタトン『マンアライブ』論創社(論創海外ミステリ)
デイヴィッド・アリグザンダー『絞首人の一ダース』論創社(論創海外ミステリ)
京極夏彦『邪魅の雫』講談社ノベルス

 新津きよみ氏のサスペンス小説『彼女の命日』を読了。一種の幽霊探偵ものだが、1年に一回、自分の命日にしかこの世に戻れないという設定が面白い(タイムリミットによるスリルも生じる)。

2006.09.21
[情報館]を更新。

【本格評論の終焉(7)】

 本論考はもう少し長く続く予定であったが、たぶん今回と次回で終わりとなるであろう。笠井潔氏の観測によっても、私の観測によっても、本格評論はすでに終焉したわけで、これ以上、本格系評論家の一部の言動を批評しても、それは死に馬に鍼をさす行為にすぎない。つまり、時間の無駄である。
 よって、以下、要点のみを語って、本論考を終了とする方向へ持っていく。

 が、その前に、重要な御報告を。
 私は8月に、笠井潔氏の探偵小説研究会での立場や「本格ミステリ・ベスト10」の今後のあり方に関連して、原書房の編集者を通じて、原書房と探偵小説研究会に質問を出した。
 その回答が、先日、原書房を通じてようやくもたらされた。そして、それを読んだ結果として、私個人が出した結論と立場をここに表明する。

 何故、質問をしたかと言えば、一つに、笠井氏が実質的に探偵小説研究会を退いたと聞き及んだことがある。笠井氏は探偵小説研究会の一員にすぎない(と、本人も探偵小説研究会も言う)が、実際上、笠井氏が探偵小説研究会を組織し、「本格ミステリ・ベスト10」の刊行を成立させた(それによって、適正な(本格)評論シーンを構築しようとした)ことは疑う余地がない。つまり、「本格ミステリ・ベスト10」は、笠井氏という中心的存在があってはじめてその信頼性を担保できたのである。
 二番目には、私自身が(笠井氏を信頼して)「本格ミステリ・ベスト10」に協力してきた経緯があること。私はたくさんの人にこのアンケートに投票してくれと頼んできたし、企画の検討や内容の吟味を編集者と共に行なってきたし、読者には「本格」のリファレンス・ブックとして、あるいは、ガイド・ブックとして、この本を活用してほしいと推奨してきた。したがって、今後、「本格ミステリ・ベスト10」がどうなるのか、きちんと確認して、それを関係者(読者を含む)に報告する義務があると考えたのだ。

 私がの質問は次のようなものだった。
(1)笠井潔氏の探偵小説研究会における立場を明確にしてほしい。
(2)それを作家や読者にきちんと説明してほしい。
(3)笠井氏は今後、「本格ミステリ・ベスト10」にどうかかわるのか、あるいは、かかわらないのか。
(4)「このミス」との差別化はどうするのか。
 この他、投票時の投票者の本格に対する心構えの有り方など、もう少し広範囲な質問や提案をしている。

 これに関する探偵小説研究会の回答は、すでにそちらのサイトで公開されているので、御覧いただきたい。ここである。

 私の質問は、原書房の編集者を通じたものだった。何故なら、原書房と探偵小説研究会の両方の意向と説明を聞きたかったからである。にもかかわらず、何故か、探偵小説研究会の回答は、私個人への直接的なメールと(注:私は、両者の意向を知りたいので、原書房を通じて回答してほしいと返信した)、サイトでの公開という形を取った。たぶん単純に、手続き的なミスなのであろうが、そうした混乱も、以下に語るような、探偵小説研究会の無責任ぶりの一つの現われのようにも思える。

 それから、私は、次のような提案を質問の最後に行なった(編集者への呼びかけ部分は削除)。
 
「探偵小説研究会から何らかの回答があった時点で、その回答を下に、作家の何人かと(まあ、3〜4人でしょうか)と、探偵小説研究会とで、話し合いの場を持ちましょう。できるかぎり、そこで両者の合意が得られる方向性を模索しましょう。そして、できれば、今度の方針や決意、といった探偵小説研究会のメッセージを、本格系作家に出しましょう(投票用紙と一緒とか、いろいろい方法はあるでしょう)」

 これにあるとおり、質問を出した時点では、探偵小説研究会が何らかの改善的方向性を示したならば、私は協力を惜しまないという方針であった。しかし、この提案は、探偵小説研究会によって無回答という形で拒否されている。つまり、探偵小説研究会の方では、私を含めて本格系作家の協力はいっさい要らないと表明したことになる(注1)。

 原書房の方では、「経年変化を記し続ける」というスタンスで(少なくとも、2007年号は)「本格ミステリ・ベスト10」を発行するという回答だった。この方針そのものについては、発行者の権限であり、何ら、私が反対するところではない。

 問題は、探偵小説研究会の回答の一部にある。
 一つには、私や作家や読者の最大関心事である、笠井潔氏の「本格ミステリ・ベスト10」への参加の有無についてが、明確に回答されていないことだ。
「本格ミステリ・ベスト10」は、《探偵小説研究会・編》と明記されている、つまり、探偵小説研究会の編集によるものであるにもかかわらず、2007年号に、笠井氏が参加するかしないか解らない、参加するもしないも笠井氏の勝手と、そう返答しているのである。これが、どれほど曖昧かつ無責任なものであるかは言うまでもない。
 以前にも書いたが、笠井潔氏というバックボーンのない「本格ミステリ・ベスト10」は、信用性も信頼性もゼロである。思想的中核が欠落したわけなのだから、「本格ミステリ・ベスト10」が形骸化されたものなったと言わざるを得ないのである。

 とにかく、探偵小説研究会というグループ(集団)の活動や言動には、いつもこうした無責任性がつきまとう。「本格ミステリ・ベスト10」の内容や達成度、その影響力など、探偵小説研究会が負うべき当然の責任について批判・追求すると、会は個人個人の集まりで意志の統一されたものではないという論調でいつも逃げてしまう。実質的には、そうした隠れ蓑を使って個人としての責任から逃れようとしているのは一部の者にすぎないのだが、結果的に、他の者にも連帯責任を押しつけて迷惑をかけている。
 私が先に、実名を列挙したのは、そうした逃げをこれ以上許さないためでもある。また、個人個人の集まりで、それぞれに考えが違うということなので、個人個人の仕事への評価という形に、批判の方法を切り替えたのである。

 もう一つ。「『ベスト10』の投票は『本格』の尺度を適切に反映しているのか?」という質問と、「年々、『本格』の尺度が曖昧になっているのでは?」という質問の答は、探偵小説研究会によって明確になされたであろうか。回答を見ると、「一般向けのアピール」をもって代えるということだが、読んでみても、どこにその答があるのか解らなかった。
 唯一それらしき下りが、
「探偵小説研究会では、回答を集約するなかから「本格」の尺度が炙り出されてくる。いかなるアンケート結果が出るにせよ、同じ形式で出し続け、批判や議論が起きることに意味がある。本格ミステリの輪郭を画していくうえで重要であると考えています」
 というものだが、何とも曖昧模糊としている。何だか、自分たちの編集方針の適当さから生じる責任を、アンケート回答者になすりつけようとしているとしか、私には思えなかった。

 そうした事柄をすべて勘案して、私は残念ながら、次のような結論を出すしかなかった。
 今後、「本格ミステリ・ベスト10」を含め、探偵小説研究会というグループの行なう企画にはいっさい協力できない(注2)。
 というものである。
 また、これまで、「本格ミステリ・ベスト10」を読者に向けてリファレンス・ブック及びガイド・ブックとして推奨してきたが、そうした行為も今後はいっさいできない。何故なら、「本格」のリファレンス・ブック及びガイド・ブックとしての編集方針・達成度・方向性・啓蒙性、教養度が、私の考える基準にとうてい及ばないからである。簡単に言えば、読者に推薦できるような内容ではない、ということだ。少なくとも、私が欲しているのは「真の本格ミステリー紹介書」であり、探偵小説研究会が目指しているような「広義の本格ミステリー紹介書」ではない。

 一つ例を挙げると、「本格ミステリ・ベスト10 2006」に載っている麻耶雄嵩氏の『神様ゲーム』の解説。これを書いているのは蔓葉信博氏だが、内容は『神様ゲーム』のあらすじと、麻耶雄嵩氏の過去の作品の紹介の羅列で終始している。『神様ゲーム』は、本格であるのか本格でないのか、児童文学として適当なのか適当でないのか等、様々な問題を含み、それこそ本格の尺度の発揮や解釈を、読者や「本格ミステリ・ベスト10」編集者に投げかけている。ところが、そうした点にまったく触れておらず、「本格」評論関連の文章としては不充分なのだ。また、その程度のもので良しと編者(会)が認めている点で、「本格ミステリ・ベスト10」はもはや、リファレンス・ブック及びガイド・ブックとして不適切となっている。

 こうした探偵小説研究会の若手の書いたものの未熟ぶりについては、数年前から、私は何度も指摘してきた。しかし、探偵小説研究会ではそれを放置してきて(つまり、会としては、そうした未熟も個人の責任ということなのだろう)、若手の評論のレベル・アップや、会全体のボトム・アップを怠けてきたのだ。

 また、以前にも書いたが、歴史的観点の不足、ジャンルにおける発展的史観の欠如。トリックを中心とした技術論への理解不足、教養主義の否定、現状認識の錯誤など、探偵小説研究会には問題が山積している。
 つまり、現状では、(笠井潔氏を失った)探偵小説研究会という組織は機能不全を起こし、暴走して、本格ミステリー界に少なからぬ被害を及ぼしている。千野帽子=岩松正洋氏が、本格ミステリーを愛する読者(すなわち、お金を出して本を買ってくれ、本格作家や本格系評論を支えてくれている読者)を《ミステリ読者共同体》などと呼んで揶揄し、批判し、馬鹿にしていることなどがその最たる例である(しかも、自分自身がその内部にいて)。

 以上のような点を総合して、私は先のような結論に至ったのである。
 なお、言うまでもないが、この結論は、私個人の態度の表明であり、他人に何かを要求するものではない。一つの情報として活用していただければと思う。

 最後に、これまで私の呼びかけに応じて「本格ミステリ・ベスト10」に協力してくださった作家や評論家、ライター、ファンの皆さんに深くお礼を申し上げます。今まで、いろいろとありがとうございました。
 それから、私の推奨によって「本格ミステリ・ベスト10」を講読・愛読してくださった読者の皆さんにも、お礼を申し上げます。本当にありがとうございました。


注1:余談だが、時々、私に、「探偵小説研究会と仲良くしろ」とか「よく話し合って揉め事を解決しろ」と助言してくる人がいる。ついでなので書いておくが、私は昨年来から三、四度、探偵小説研究会に対して話し合いを行なおうと提案してきた。しかし、その度に、会員個々の考えがみな違うので会う必要はないというような返事によって、私の提案は拒否されてきたのである。

注2:探偵小説研究会を離れ、個人となった場合には優秀な人材もいるので、個々の事案においては別の話となる。

2006.09.20
[新刊]
 我孫子武丸/中山昌亮『迷彩都市(1)』竹書房

 小学館eBOOKSで、メフィスト賞作家・関田涙氏の新作が発表されている。小学館書き下ろしミステリーの第4弾『時計仕掛けのイヴ 前編』は無料で読むことができる。こちらから。

2006.09.19
 東京創元社が11月に刊行する『J・D・カー生誕百周年記念オリジナル・アンソロジー(仮)』のゲラが出てきた。私の作品の題名は「亡霊館の殺人」。雪の上の足跡なき殺人が一つと、内部から施錠され、しかも、窓もドアも紙テープで封印された完璧密室殺人という、けっこう難解な不可能犯罪もの。探偵役は、ヘンリー・メリヴェール卿に登場を願った。
 他の執筆予定者は、芦辺拓氏、加賀美雅之氏、小林泰三氏、桜庭一樹氏、田中啓文氏、柄刀一氏、鳥飼否宇氏という、これまた豪華なメンバーだ。きっとすごい作品集になるだろう。

2006.09.18-2
[新刊]
 手塚プロダクション編『手塚治虫 原画の秘密』新潮社(とんぼの本)
 坂木司『シンデレラ・ティース』光文社

『手塚治虫 原画の秘密』は、没原稿や、修正原稿などが写真で収録されている上、雑誌と単行本での描き変え部分の比較などが載っているので、手塚ファンやマンガ・ファンは必見。

2006.09.18-1
 15日は、帝国ホテルで乱歩賞の授賞式。受賞者は鏑木蓮氏(写真左上)、早瀬乱氏(写真右上)。写真はその時の壇上の模様。
『新・本格推理07』入選者でもある鏑木蓮氏とは、お祝いを述べた後に握手を交わしてきた。


2006.09.14
[情報館]を更新。

 水村美苗の『本格小説』を読んでいるのだが、途中に出てくる挿絵がわりの風景写真が鬱陶しい。せっかく物語世界に没頭しているのに、その度に現実世界に引きずり出されてしまう。

2006.09.13
【本格評論の終焉(6)】

 前回は評論家の批判性の欠如について指摘した。さて今回は、実名を挙げて、評論家の誰に『x』問題に関する責任があるのかを見ていこう。これまで私は、本格系評論家とか探偵小説研究会とかいうような大枠の呼び方を用いてきた。しかし、その中にも、《本格》を理解している者と、理解していない者がいるわけで、そのことは明確に区別せねばならない。
 そのためにまず、《本格系評論家》とは何かを定義しよう。

(1)探偵小説研究会のメンバー。
(2)それ以外で、「本格ミステリ・ベスト10」と「本格ミステリ大賞」の両方に投票している者(投票権を持っている者も含む)。

 このどちらかに該当する評論家・書評家などを《本格系評論家》とする。それ以外は部外者である。
 故に、この分類に該当する場合のみ、《このミス系評論家》に該当する者も《本格系評論家》に認知される。それらの者は、「本格《を》」仕事の中心的対象としているわけではなくて、「本格《も》」仕事の範囲に入れている評論家である。
 また、《本格系評論家》が、本格以外の仕事も行なっているかどうかは問うていない。

「本格ミステリ・ベスト10」及び「本格ミステリ大賞」を参考にして、以下のような分類を行なった。《A》は両方の企画において『x』に投票している者。《B》はどちらか片方に投票している者。または、何らかの論考において《x》を擁護している者。《C》はどちらにも投票をしていない者。《D》は『x』を本格として評価していない者――である。
(*)印は探偵小説研究会員。

《Aグループ》
 円堂都司昭(*)
 大森磁樹(*)
 佳多山大地(*)
 鷹城宏(*)
 蔓葉信博(*)
 濤岡寿子(*)
 廣沢吉泰(*)
 諸岡卓真(*)
 川出正樹
 神命明
 杉江松恋

《Bグループ》
 岩松正洋(*)
 波多野健(*)
 千街晶之(*)
 中辻理夫(*)
 羽住典子(*)
 巽昌章(*)
 村上貴史

《Cグループ》
 小松史生子(*)
 笹川吉晴(*)
 並木士郎(*)
 柳川貴之(*)
 田中博(*)

《Dグループ》
 笠井潔(*)
 小森健太朗(*)
 末國善己(*)
 つずみ綾(*)
 法月綸太郎(*)
 横井司(*)
 市川尚吾(*)
 日下三蔵

(*:探偵小説研究会)

 つまり、『x』問題に責任があるのは《A》と《B》になるわけで、私の中では、これを《本格無理解者》と読んでいる。当然のことながら、《D》は《本格理解者》である。
 それから、《C》であるが、探偵小説研究会に属していながら、これらの企画に投票を行なわないというのは、一種の怠慢に近い。今回はどちらにも分類しなかったが、責務としての反省は求められるはずだ。できれば、探偵小説研究会内部でその点の検討を願いたい。
 というのも、探偵小説研究会の積極的な活動がなければ、「本格ミステリ・ベスト10」を中心とする本格動勢の形成も、「本格ミステリ大賞」も成り立たないからである(本格ミステリ作家クラブも)。というより、多くの労務を彼らに依存して成り立っているわけで、その点については、私も(たぶん、ほとんどの作家も)彼らに深い感謝を寄せている。が、それだけに、大きな責任と積極性が必要となるわけで、そのことをぜひとも個々に強く自覚してほしい。

 さて、この分類を見てもらえれば解るとおり、《本格無理解者》には、《このミス系評論家》と、前回名前を挙げた探偵小説研究会の若手が並んでいる(ベテランもいるが、そのことはまた別の機会に書く)。
《このミス系評論家》は、もともと《本格愛》の希薄な者たちで――《本格愛》が他のジャンルに対する愛と等値であり、分量的に少ないと言うべきか――優れた本格評論文壇の確立のために招集・擁立・待望・教育された探偵小説研究会の面々とは同等に扱うことはできない。つまり、こちらも《このミス系評論家》には特に期待していない分、今回のような結果になるのは予想できた面もある(たとえば、『x』以前にも、横山秀夫氏の『臨場』を本格として推すような行動が顕著だった(注1))。
 私は〈ミステリマガジン〉3月号で、良質の本格推理小説を創造するための三条件を挙げた。一つは本格の定義に即していること、二つめは作家の執筆動機(つまり、本格愛)、三つめはジャンル自体が要求する専門的技術である。
 この三つが揃って、良質の本格推理小説ができあがるわけだが、さっそく、《このミス系評論家》の杉江松恋氏が、「ミステリマガジン」4月号で噛みついてきた。
「――ジャンル作品を書くには相応の技術が必要とされるという点に異存はないのだが、「作家の執筆動機」という恣意的な判断基準となりかねない条件を物差しとして採用することには以上の点から非常に違和感を覚える。「本格愛」を意識しない作家から「本格」が生まれることがあっても一向にかまわないのだから」
 という具合にだ。
 しかし、三条件が揃うことを良質の本格推理作品の達成要件とした話の一部分のみにあえて反論しても意味がないと思うし、当方の主張を正確に理解しているとも言えない(注2)。また、「本格愛」を意識しない作家から生まれた優秀な「本格」が存在するのなら、ぜひとも実名を挙げてほしいところだ。少なくとも、私にはそんな本の心当たりはない。
 もしも、「本格愛」を意識しない作家から生まれた優秀な「本格」が『x』や『臨場』だと言うのなら、こちらの求めているものと、彼らの求めているものがまったく違うということが証明されたと言えよう。『x』などが、私の定義する《本格》や、笠井潔氏が唱えている二十世紀探偵小説論の流れにある本ではないことを、杉江氏を代表とする《このミス系評論家》自らが認めていることに他ならない――とすれば、それは、何ら対立する意見ではなく、名札の付け間違いというような、形式的手続きの相違にすぎない(コンテスト・ルールによって、厳密に選り分ける場面も出てこようが)。

 それよりも、問題は後者、探偵小説研究会、特に若手の会員である。
 大森磁樹、蔓葉信博、濤岡寿子、諸岡卓真、岩松正洋、廣沢吉泰、中辻理夫、羽住典子といった若手がこぞって『x』を評価しているのは偶然ではない。前回も書いたとおり、勉強不足による本格無理解の結果であり、必然である。
 ポーから現代に至る本格(ミステリー全般も)の歴史に関する勉強不足。
 明治時代から現代に至る日本のミステリー文壇の推移に関する勉強不足。
 新本格ムーブメントの形成と本質に関する勉強不足。
 トリックを中心とする技術に関する勉強不足。
 ジャンル定義や小説形式に関する勉強不足。
 等々、ありとあらゆる点に勉強不足が見いだせる。

 総括すれば、(新)本格推理の理解に絶対必要条件である発展史観とそれに基づく現状認識の勉強不足ということになる。笠井潔氏の著わした探偵小説論を理解していなかった点も、それに起因する。評論家失格と言われても仕方がないこの致命的な欠陥については、次回以降に詳しく論じる予定である。

注1)『臨場』には八編の短編が収められていたが、形式的に本格と呼べるのはせいぜい最初の三本だけだろう。内面的にはどれも、松本清張の流れにある浪花節小説である。

注2)「ミステリマガジン」6月号で私が書いた文章の中には、適正ではない表現や引用があった。4月号の杉江松恋氏の論考へ反論したものの一部分がそれで、そのことは、氏から氏のサイト日記で指摘を受けた。確かに一部分において不適切な箇所があり、私はただちに、氏にメールで謝罪した(「本格ミステリ大賞」選定中であったので、当サイト日記では扱わなかった)。また、近く「ミステリマガジン」12月号で書く予定なので、そこでも謝罪と訂正を行なうつもりである(誌上討論であるから)。

2006.09.11
『ヘルマン・ヘッセ全集(13)』が、物質転送機で届く。ヘッセの代表作の一つ、『荒野の狼』が収録されている。

2006.09.10
 山田正紀氏の『カオスコープ』を読了。ジャンル・ミックスな作品で(本格、サスペンス、SFなどの)、あと少しだけ科学的要素を増量すると、完全なSFになっただろう。一種の記憶喪失ものだが、脳医学から派生する近年の解釈を大胆に導入した点が新しい手法かも。様々な記憶の断片と挿話が、混沌とした形ですすみ、最後にうまくまとまる。途中までは、何だか、石森章太郎の『ジュン』や『サイボーグ009 神々との闘い編』を読んでいる時の感じに似ていた。

2006.09.09
【本格評論の終焉(5)】

 ここで、もう一度、『x』問題について整理しておこう。聞きかじりや読みかじりばかりで、問題の実態を正確に把握していない人や、内容を誤解している人が多いからだ(「読売新聞」書評欄での某有名作家のように)。

(1)東野圭吾氏の『容疑者xの献身』 は、緩やかなフェアプレイを基に書かれた(技巧的な)サスペンス作品であり、厳密には本格ではない。そのことが解らない評論家には大きな問題がある――二階堂黎人による主張。

(2)東野圭吾氏の『容疑者xの献身』は、難易度の低い本格であり、二十世紀探偵小説論に基づいて看過し、体系づけた本格作品群に属するような作品ではない。そのことが解らない評論家には大きな問題がある――笠井潔による主張(注:私流に解釈して書き直してあるので、詳細は「ミステリマガジン」4月号など、笠井氏の論考を読んでほしい)。

 根幹となるのは、この二点の指摘であり、どちらにしろ、後半部の『そのことが解らない評論家(笠井氏によれば、作家も)に問題がある』ということである。そのことこそが重要なのだ。見出し的には、それぞれの指摘の前半部が話題性を独占してきた形だが、それは大した話ではない。本格を正しく論じるために存在するはずの本格系評論家が、「本格」というものを見誤っていたり、誤解していたり、そもそも理解していないという点において、資格的、適正的に大きな問題がある――そう糾弾されているわけである。

 それについて、私は「ミステリマガジン」四月号でこう書いた。
「一番の問題は、本格系の評論家が声を揃えて、これを「優れた本格」などと主張していることだ。本格というのは「本格っぽいから本格」なのではなく、きちんと本格としての定義が存在して、その尺度の中で、物語の構成力やトリックの技術力が評価されねばならない」
 笠井氏は、同誌でこう書いている。
「難易度の高い技に挑戦し、みごとな成功を収めたとは評価できない作品に、ジャンルの専業的作家や中核的読者など、昔なら「探偵小説の鬼」といわれたような人々が最大限の賛辞を浴びせかける。この異様な光景に、『容疑者x』をめぐる最大の「謎」、あるいは最大の「問題」が見出されなければならない」

 これらの主張を、もっと俗な言い方で表現すると――この前の犬のコンテストのたとえ話を思い出してほしいが――『x』は、優秀な本格作品を選定する「本格ミステリ・ベスト10」や「本格ミステリ大賞」に当初から参加させるような作品ではない、ということである。どれほど面白い小説(あるいは、優れたサスペンス小説)であろうとも、まったく場違いなのである。「本格ミステリ・ベスト10」や「本格ミステリ大賞」は、あくまでも、(本当の意味での優れた)本格作品のみを競い合わせる場所なのだ。
 また、犬のたとえ話でも書いたが、どんな状況であれ、『x』には何の罪もない。罪があるのは、規則を無視して、資格のない作品をコンテストに参加させた評論家の方なのである。このことを忘れてはならない。

 というわけで、根幹的な問題は、今述べたような事柄となる。だが、そこから派生した問題も複数ある。

(3)評論家が、読者に向けて、何の分析も説明も解説も行なわず、「人間ドラマに感動した」「純愛に泣いた」「今年の本格の収穫」「優れた本格」「現代の本格」などと、空疎な標語を使って、いっせいに『x』を褒めそやした点。
 たとえば、単に「現代の本格」という標語を強調することで、あたかも、「現代の本格作品群の中で一番優れている」と読者に錯覚させるような方法を取ったわけだ。しかし、これは、読者に対する一種の詐欺である。

(4)「優れた本格」「現代の本格」などと主張するのであれば、どうして「優れているのか」、どこが「現代の本格」なのか、本格の定義をきちんと提示して説明してほしい、との私や読者の要求にほとんど応えられなかった点。
 これに関して「ミステリマガジン」などに書かれたものを読むと、「本格に定義は必要ない」とか、「定義は立てない」とか、「その時々で変わる」とか、「作品ごとに定義は変わる」とか、とうてい評論家とは思えない曖昧かつ稚拙な回答ばかりが並んでいた(注1)。

(5)笠井氏が「ミステリマガジン」などの討論の場を設け、ムチで尻を叩かなければ、評論家は例によって、無視やだんまりという手段に逃げていただろう。「何事も論じるつもりはない」とか、「反論は受け付けない」などの捨て台詞を吐いた者さえいたくらいだ。議論を避けて、頭から逃避する姿勢が何とも悲しく、愚かである。

(6)(4)や(6)で解るとおり、自分の発言について、まるで責任を持つという姿勢がない点。評論家の評論、書評、ベスト10などのアンケート回答は、どれも小説家の小説と同じで創作物(作品)である。当然のことながら、それらもすべて評論や評価をされる立場にある。その批判や評価を受け止める姿勢や覚悟が最初から存在しない。

(7)繰り返すが、もともと『x』を「優れた本格」「現代の本格」「純愛」などと空疎な標語をもって褒めそやしたのは評論家である。であれば、読者から(私も読者の一人だ)求められたならば、正々堂々と、その主張の根幹となる内容を答えるべきである。

 何故、これらの点が問題かと言えば、論じることや自分の基準に沿った考えを表明することが評論家の仕事であるはずなのに、その重大事をすっかり放棄しているからである。
 もちろん、何故、そういう無責任な行動に出たかは明白だ。『x』を褒めそやした言動の中に、批判や質問に応えられるだけの正当性がなかったからである。
 むしろ、おおまかな理由はこんなところだろう(重複あり)。
(1)この手の(叙述的)作品を褒めるのが、昨今の流行。
(2)みんなが褒めるので、自分も褒めた。
(3)実は、本格とは何か解らないのだが、本格っぽいらしいということで褒めてみた。
(4)大勢に迎合し、売れ線のものに媚びている。
(5)この作品を褒めて、まさか文句を付けられるとは思っていなかった。
(6)評論家のトレンドに従った(注2)。
(7)現在、何が問題化して、自分に対して何が問われているのか、そのことさえ解っていない。
(8)「このミス」系の価値観に従っているので、本格かどうかはたいして気にしていない。
(9)過去の作品についてまじめに勉強していないため、歴史認識が不足し、本格作品の発展や流れに沿った正当な判断ができない。

 ところで、一般的に言って、読者が評論家に求めるものとはなんだろう。潤沢な読書量によって支えられた、そのジャンルに対する専門的知識の深さや見識の高さ、ではないだろうか。読者が彼らの書いた書評や評論や解説にお金を払うのは、そうした特殊な情報の提供に対する対価としてである(評論家に対する敬意も、そこから生まれるはずだ)。
 にもかかわらず、(素人である)読者と同じように、ある本を読んで単純に「面白かった」「面白くなった」とか言っているようでは(これは表層的な部分での相対的評価)、評論家としての価値はまるでない。昨今の書評が、ネット書評より信用をなくしているのは、そうしたことにも原因があるのだろう(むしろ、ネット書評の方が、個人の価値観に照らし合わせて正直である。新刊の「評判」を探るのであれば、ネット書評だけでも充分となっている)。
 はっきり名前を出すが、探偵小説研究会の若手――大森磁樹、蔓葉信博、諸岡卓真、岩松正洋、中辻理夫、羽住典子などはその傾向が強い。本格ジャンルの発展や存立に不可欠な教養主義を否定し(というより、単純に勉強していないだけ)、過去の技術の蓄積や発展的史観に基づく絶対的評価ができないなど、本格評論を行なうための基本的な資格が欠如しているのは誰の目にもあきらかである。そして、それを放置した、探偵小説研究会全体にも瑕疵はある。
 そうした点を含め、次回は、『x』問題の責任が誰にあるのか、もっと具体的にしていこう。


注1)私が評論家に対して、「己の本格の定義を明かにした上で、何故、『x』が「優れている」と言えるのか、きちんと理由を説明してほしい」と迫った時、評論家の中から、「本格の定義は人それぞれで違う」「定義は一つに収束しない」などの反論が上がった。もっともである。しかし、ならば、何故、それぞれに違う本格感や本格の定義をきちんと表明しないのか。そのことが私には不思議でならない。しかも、繰り返しになるが、この件では、評論家が『x』を「本格として優れている」「現代の本格」などと、「本格」という言葉を用いて、手放しで賞讃したのだ。であるからすれば、その「本格」の意味するところと、「優れている」と判断した基準を、はっきりと読者に提示するべきだろう。
(だが、それができない理由は、先に記したとおり)

注2)昨今の、本格系評論家の「トレンド」は、次のとおり。この「トレンド」は、三年くらい前から拡大しつつあるものだ。次回以降に、詳しく論じる予定である。
 (1)単純に読みやすいものを好む。
 (2)表面的に意外性のあるものを好む。
 (3)「端正な本格」「論理的な本格」「泣ける本格」「現代の本格」など、空疎で、中身のない標語を多用する。
 (4)作品中にある感動の押し売りを批判せずに頭から肯定して、それを読者との共通認識にしたがる。

2006.09.07
[情報館]を更新。

[新刊]
 島田荘司『光る鶴』光文社文庫
 甲影会『別冊シャレード91号 米澤穂信特集』

 キリ番を踏んだ方、3人に、サイン本を発送する。

2006.09.06
[新刊]
 リチャード・ハル『善意の殺人』原書房(ヴィンテージ・ミステリ)
 ジョン・L.ブリーン他『シャーロックホームズ ベイカー街の幽霊』原書房

『完訳 ファーブル昆虫記 第3巻下』を、転送収容する。

「ダ・ヴィンチ」10月号の〈ミステリー ダ・ヴィンチ〉内で、宇山日出臣氏の追悼特集が組まれている。
 私は第1回鮎川賞に『吸血の家』という作品を投じたことから作家になった。普通なら、東京創元社からデビューするわけであったが、紆余曲折があって、気付いたら、宇山さんの手によって、講談社からデビューすることになっていた。そんなことは、まったく予想もしなかったのに。
 宇山さんは、あの頃、間違いなく、この世に奇蹟を起こしていた。本格ファンのために、素晴らしいマジックを見せてくれたのである。私は、彼の手の中でシャッフルされるカードの一枚であったのかもしれない。でも、それで良いと持っている。

2006.09.04
[新刊]
 三津田信三『凶鳥の如き忌むもの』講談社ノベルス

『僕らの愛した手塚治虫 第一部』の残りのゲラが出てきたので、さらに朱入れ作業を続ける。

2006.09.03
[新刊]
 柄刀一『十字架クロスワードの殺人』祥伝社文庫
 
 e-NOVELS編『川に死体のある風景』東京創元社(創元クライムクラブ)を読了。歌野作品と綾辻作品が面白かった。大倉作品は、できれば長編で読みたいと思った山岳ミステリーだった。


【本格評論の終焉(4)】
 探偵小説研究会が発行した同人誌「CRITICA」の中で、笠井潔氏は「〈第三の波〉の終焉」を実質的に宣告した。氏が観測した「〈第三の波〉の終焉」というのは、綾辻行人氏の『十角館の殺人』から始まった新本格ブーム(というより、ムーブメント)の終わりを意味すると考えて間違いなかろう。そして、氏の見解では、その終焉の責任は、(新)本格系作家と本格系評論家の両方にあるとされている。その根拠は、両者が『X』という本格の「〈抜け殻〉を年度の最高傑作として祭りあげた」(「CRITICA」より引用)からであり、どこで祭りあげたかといえば、「本格ミステリ・ベスト10」や「本格ミステリ大賞」という本格評価のコンテスト会場においてということになる。つまり、本来は、そのコンテスト会場に持ち込むには相応しくないものを持ち込み、相応しくない結論を下した――故に、本格系作家と本格系評論家は、審査員の資格を失い、コンテストをぶちこわした責任を取るしかない――ということのようである。

 これを、たとえ話にしてみよう。
 アフガンハウンドなどの狩猟犬の能力を競っている猟犬のコンテストが実施されている。その会場に、主催者兼審査員の少なからぬ者が、愛玩犬のチワワを持ち込んでくる。主催者兼審査員の一人である私は「犬種が違うから規定違反である」と注意し、主催者兼審査員の一人である笠井氏は、「チワワには狩猟能力や技能もないので参加資格がない」と指摘している。にもかかわらず、そのことがピンと来ない主催者兼審査員の一部が、「最近、チワワは流行の犬でして、よく売れているんです」とか、「可愛くて、家庭で人気があるんですよ」とか、「目がクリクリしていて、純愛を感じるんです」などとずれた主張を繰り返す。現場に居合わせた他の主催者兼審査員の一部も、「まあ、いいじゃないですか。犬は犬なんですから、一応、コンテストに参加させてみましょうよ」などと無責任なことを言ったあげく、参加規定を緩めてしまう。最終的には、「アフガンハウンドは優秀な犬だが、大きくて飼いにくい。小さくて扱いやすいチワワを、今年の一位にしよう」という話になってしまい、多数決でチワワが表彰されてしまう――こうして、狩猟犬コンテストは、主催者兼審査員自ら、その意義を根底から否定してしまった。
 ということなのである。

 念のために書くが、どのような事情であれ、チワワには責任はまるでない。責任があるのは、チワワを場違いな場所に連れ込んできた、そして、そのことが不適切な行為であるということが理解できない主催者兼審査員の一部の人間なのだ。この点を、この文章を読む方はしっかりと頭に刻んでほしい。
(さらに念のために書くが、犬の名称・種類はたとえ話のために挙げたものであって、それをもって『X』を批判したり評価しているものではない)

 笠井氏は、『X』問題の責任は作家と評論家の両者にあると述べている。しかしながら、私はとりあえず、本格系評論家の責任を追求する構えだ。そもそも私は、『X』問題を通じて、一部の本格系評論家たちの評論能力の低下や欠如、無資格ぶりについて言及し、批判を述べてきた。それは未だに有効であると考えるし、「ミステリマガジン」や「CRITICA」に掲載された文章によってもっと明確化してきた。また、これからの検証によってでも、そのことが証明されるであろう。
 もちろん、「本格ミステリ大賞」で出された結果については、私を含む作家にも重い責任がある。誰もそこから逃げることはできない。だからこそ私は、問題の原因がどこにあったのかを詳しく分析し、真実を見極めたいと思っている(その結果、自分を含めた作家への責任追及も行なわれるかもしれない)。

 そのためには、まず、「ジャーロ」23号に掲載された「第6回「本格ミステリ大賞」決定 会員による全選評掲載」を参考にして、投票の傾向について確認してみよう。
【小説部門】の投票総数は59である(注1)。

 カッコ内の「研」とは、探偵小説研究会のことだ。小説と評論の両方の仕事をしている人は、メインとなると思われる仕事の方に入れた。探偵小説研究会員でいえば、笠井、法月、小森氏は小説家に、という具合だ。乾くるみ氏は単なる小説家として数え(投票した名義では、作家個人となっているため)、野崎六助氏は評論家で数えた(注2)。

『ゴーレムの檻』7……小説家5(研1) 評論家2(研2)
『扉は閉ざされたまま』12……小説家8 翻訳家1 評論家3(研3)
『向日葵の咲かない夏』8……小説家7(研2) 評論家1(研1)
『摩天楼の怪人』15……小説家11 漫画家2 評論家2(研1)
『容疑者Xの献身』17……小説家8 評論家9(研6)

 これでは解りにくいかもしれないので、投票を小説家と評論家とその他に分けてみよう。

【小説家の投票】39
『ゴーレムの檻』……5(研1)
『扉は閉ざされたまま』……8
『向日葵の咲かない夏』……7(研2)
『摩天楼の怪人』……11
『容疑者Xの献身』……8

【評論家の投票】17
『ゴーレムの檻』……2(研2)
『扉は閉ざされたまま』……3(研3)
『向日葵の咲かない夏』……1(研1)
『摩天楼の怪人』……2(研1)
『容疑者Xの献身』……9(研6)

【マンガ家、翻訳家等】3
『扉は閉ざされたまま』……1
『摩天楼の怪人』……2

 これを見ると、ある程度の傾向が見えよう。つまり、評論家(及び探偵小説研究会)の投票は東野圭吾氏の『容疑者Xの献身』に集まっていて、次に石持浅海氏の『扉は閉ざされたまま』に投じられている。「本格ミステリ・ベスト10 2006」を見ても、両者は一位、二位であるから、評論家の嗜好は一貫しているとも言える。
 小説家の方は、『摩天楼の怪人』への投票が一番多く、多少の増減はあっても、投票は全体的に分布している感じがある。評論家は、『摩天楼の怪人』にたった2票しか投票していない(探偵小説研究会員は1票)。
 つまり、評論家は『容疑者Xの献身』を高く評価したが、『摩天楼の怪人』を低く評価した、ということになるわけだ。
 こうした点からすると、『X』を一位に押し上げるキャスティング・ボードを握っていたのは評論家であり、中でも探偵小説研究会であったことが解る。私が評論家、特に探偵小説研究会の責任(良い意味でも悪い意味でも)を明確化しようとしているのは、そうしたことにも理由があるのだ。

 以前、小森健太朗氏が「新・現代本格ミステリマップ」というものを作ったことがある。これは、本格系作家の特質や作品傾向を分類して図示したもので、四象限分布になっていた。縦軸の上にトリック、下にプロット、横軸の左にアクロバット、右にパズルという傾向を示し、そこに作品と作家名をマッピングしたものだ。ちなみに、私の作品は三つあって、すべて縦軸の上の方の、やや右側にマッピングされている。プロット派として、縦軸の下方のすぐ左右に置かれているのは、折原一氏や西澤保彦氏の作品である。島田荘司氏や笠井潔氏の作品は右上の角の方、左下の角の方には、綾辻行人氏や山口雅也氏の作品がある。
 この「新・現代本格ミステリマップ」は、笠井潔氏の『ミネルヴァの梟は黄昏に飛びたつか?――探偵小説の再定義』(早川書房)に再録されているので、参考資料として見てもらいたいが、これに今回の投票結果を当てはめると、何となく見えてくるものがある。
 どうやら評論家は。この軸でいうところのプロット派の作品を好む性質があるようなのだ。その結果が『X』への高得点となっているのだろう。
 一方、作家の投票を見ると、トリック派の作家(たとえば、私など)がどちらかというと『摩天楼の怪人』を高く評価し、プロット派の作家が『容疑者Xの献身』を評価しているという傾向もあるかもしれない。

 それにしても、評論家の投票の偏りは非常に気持ちが悪い(と、私は感じる)。そうした偏りを、「作家と評論家の読み方や好みが違うからだ」と言って簡単に切り捨ててしまう人がいるが、本当にそれで良いのだろうか。
「IN・POCKET」での「海外文庫翻訳ミステリー・ベスト」のように、その年度に発売された本の推薦ということしか意図しない企画であれば、それも仕方がないだろう。しかし、「本格として優れた作品を表彰する」という重要な目的があり、「評価」という作業が重責となっている「本格ミステリ大賞」のような企画に関して、こうした顕著な偏重が見られるというのは、何か変ではないだろうか。私はそれに違和感を覚えるし、少なくとも、その原因や理由は探っておくべきだろう。
 だいいち、それほど鑑賞眼や目的意識の違う二つのグループが存在するのであれば、わざわざ一つになって、ある事業を行なう必要はないような気がする。それに、実施していけば、無理や軋みが伴うのも当たり前のことだ。

 とにかく、「本格ミステリ・ベスト10」と「本格ミステリ大賞」を通じて、評論家が『容疑者Xの献身』と『扉は閉ざされたまま』を高く評価していることが確認できた。また、『摩天楼の怪人』を評価していないことも解った。何故、そうなのか、そして、何故、作家と評論家の間にそうした隔たりがあるのか――そうしたことが大きな問題であるわけだが、私はその理由の分析をすでに終えてある。それについては、次回以降に述べる。

注1)「本格ミステリ大賞」の投票者が少ないとけなす人がいるが、そんなことはない。【小説部門】を見ても会員の半数以上が投票しているわけだし、たとえば推協賞が、五人ほどの選考委員、下読みを入れてもせいぜい10人程度の人間の(密室での)投票で決していることを考えたら、とても多い人数であるし、透明性も高い。

注2)ある人物は、本格ミステリ作家クラブには作家(名義)で、探偵小説研究会には評論家(名義)で参加している。よって「本格ミステリ大賞」の投票は作家として行なっていると考え(そのような本人の意志があると考えて)、作家単独として数えてある。

2006.09.02
[新刊]
 芦辺拓『探偵と怪人のいるホテル』実業之日本社
 鳥飼否宇『樹霊』東京創元社(ミステリ・フロンティア)
 井沢元彦・原作/波多野秀行・漫画『そして中国の崩壊が始まる』飛鳥新社

「ミステリマガジン」の誌上討論で、小山正氏が挙げていた、サイモン・ブレット『死のようにロマンティック』(ポケミス1464)を読了。参考資料でなければ、趣味ではないので、50ページに至らずに読むのをやめていたろう。

『僕らの愛した手塚治虫 第一部』のゲラが半分出てくる。図版が入り出したので、たいへん見栄えがよくなった(し、面白くなった)。文章だけではなく、図版のキャプションも確認しなくてはならないから、作業的にはちょっと大変だが。小学館から11月24日に発売予定。

2006.09.01
 松尾由美氏の『ハートブレイク・レストラン』(光文社)を再読。うーん、失敗した。これは『新・本格推理06』の総論において、昨年度のベスト10に挙げるべきだった。それほど良い作品である。
 では、何故、あの時、挙げなかったかというと、「ジャーロ」掲載分は雑誌で読んでいて、単行本が出た時に未読分しか読まなかったからだ。1編1編が、シャーロック・ホームズからめんめんと続く形態の、しっかりした骨子を持つ王道的本格推理短編になっていて(謎と、ひねりと、解決がそれぞれに美しく、さらに相乗効果を上げている)、その上、連作としての楽しみもあったわけだが、連作の楽しみを読み落としてしまったのだ。失敗であった。したがって、今さらながらの大推薦。

2006.08.31-2
 カウンターで、999999、1000000、1000001を踏んだ方は、メールでご連絡ください。何かサイン本をお送りします。
(999999の次は、1000000になるのかな?)

2006.08.31
[新刊]
 甲影会『別冊シャレード88号 天城一特集11』
 市井閑人『Pの喜劇』(同人誌?)

 買いそびれていた、二上洋一先生の『少女まんがの系譜』(ぺんぎん書房)をMクラスの書店で発見して、転送収容する。さっそく読んだ。一般的に少女マンガに関する資料は少ないので(古くなればなるほど)、私のようなこの分野に興味のある者には貴重な本である。惜しいのは、図版がいっさいないこと。少女まんがだけではなく、必要に応じて、マンガの歴史、少年マンガ、マンガ雑誌等にも触れているので、代表的なものだけでもいいから図版がほしかった。

2006.08.30-2
 たいへん残念ですが、掲示板ルールや先のお願いを守っていただけない方がいますので、掲示板は当分の間、閉鎖します。有効に活用してくださっていた方々には申し訳なく思いますが、仕方がありません。
『新・本格推理』のことなど、何か質問のある方はメールでお願いします。
 ミステリーの企画・新刊情報等も、メールでお送りください。できるかぎり、日記の方で紹介したいと考えます。

2006.08.30
【本格評論の終焉(3)】
 さて、本来ならば、以下の報告が最初にされるはずであった。

 本格ファンの皆さんに、とても残念なお知らせをしなくてはならない。
 探偵小説研究会が発行した同人誌「CRITICA」において、笠井潔氏が対談や評論を通じて「〈第三の波〉の終焉」を分析・宣告している。「「第三の波」の帰趨をめぐって」という対談(笠井潔×諸岡卓真×小森健太朗)と、「排除システムの両面性――座談会を終えて」という笠井氏の単独の評論がそれである。昨年の中頃から、笠井氏はすでに〈第三の波〉の終焉が近いことを予想していたが、それが的中してしまったわけだ。
 言うまでもなく、〈第三の波〉というのは、笠井潔氏が規定した用語と概念である。日本の探偵小説(特に本格推理小説、もしくは、本格ミステリー)の歴史における大きな潮流を観測して、解釈体系の一部に組み込んだ形である。その潮流は何と15年以上も続く大きくて、強くて、美しいものであった(注1)。過去の潮流やブームはどれも5年程度しか続かなかったから、それはそれで立派なものだったと言えるだろう(本当に終焉だとしても)。
 その大きな潮流が、哀しいことに、『X』問題によって終焉を迎えたと、笠井氏は再度観測したわけである。その観測と宣告が正しいかどうかは、本格に関係する人々にとって大きくのしかかる問題だし、早急な検証を要する。ただし、笠井氏のこれまでの実績を鑑みれば、それが発言と同時に規定事実となりうることは大いに想像できる。
 もちろん、この件については、近いうちに笠井氏が「ミステリマガジン」や「ミステリーズ!」「ジャーロ」などの雑誌で詳しく語るであろう。よって、詳細はそちらを見ていただくとして、ここでは、そういうショッキングな事実があったという報告をするにとどめる。

 現在の笠井氏は、探偵小説研究会のサイトを見ると、探偵小説研究会の通常会員ではなく、「特別会員」という立場に退いたらしい。噂で聞いたのは、実質的な会員ではなくなったということであった。これが本当はどういう立場なのかは、いずれ探偵小説研究会や笠井氏自身から報告があるだろう。

 このことにも関連して、私は、原書房並びに探偵小説研究会に以下のような質問状を出した。本来なら、このことは探偵小説研究会の返事を待って読者に公開するつもりであったが、すでに指摘した千野帽子=岩松正洋氏の首を傾げるような発言によって、その約束は無効になったと考える。
 なお、私が何故、このような質問状を出したかと言えば、本格系作家並びに本格読者に対して一定の責任があると考えたからだ。私は「本格ミステリ・ベスト10」に関して、本格系作家たちに積極的な投票を呼びかけてきたし、読者に対しては、本格のリファレンスとして購読を大いに推奨してきた。したがって、「本格ミステリ・ベスト10」がこれからどうなるのか、また、それがこれまで同様の信用を担保できるのか、そうした点について明確にし、作家や読者にきちんと報告しなければならない。

 質問状の一部は、以下のようなものだ。
(1)笠井潔氏の探偵小説研究会における立場を明確にしてほしい。
(2)それを作家や読者にきちんと説明してほしい。
(3)笠井氏は今後、「本格ミステリ・ベスト10」にどうかかわるのか、あるいは、かかわらないのか。
(4)「このミス」との差別化はどうするのか。
 この他、投票時の投票者の本格に対する心構えの有り様とか、探偵小説研究会と作家の何人かで一度話し合いの場を設けてはどうかとか、広範囲の質問や提案をしているが、細かいことはここでは省く。

 問題は、笠井氏の探偵小説研究会における今後の立場である。
 本人は「私は探偵小説研究会の一員にすぎない(すぎなかった)」といって否定するであろうが、世間一般には、《笠井潔が率いる探偵小説研究会が実施する「本格ミステリ・ベスト10」》という認識を持っているだろう。つまり、笠井氏の実績や尽力やネームバリューによって、「本格ミステリ・ベスト10」の信頼性や公平性や期待値が確保されていたわけである。笠井潔という中核がいたらばこそ、探偵小説研究会という評論集団が機能していたという側面もある。
 なのに、噂どおり、笠井氏が実質的に抜けてしまったとしたら、その信頼性や公平性や期待値がちゃんと確保できるのか。機能が正常に発揮できるのか。それが何より心配である。
 そして、私個人は、現時点では〈否〉と判断せざるを得ない。
 何故なら、『X』問題で浮き彫りになった評論家の本格に対する批評眼の低下や欠如、無資格ぶりが、未だそのままになっていて、根本的な解決をみていないからである(ただし、探偵小説研究会内部でも、すでに解決に向けて動きだした人はいる)。

 言うまでもなく、「本格ミステリ・ベスト10」は、探偵小説研究会が編集・編纂している。しかし、彼らの力だけで発行されてきたものではない。というより、もともとは、本格系作家が、「このミス」や推協的な価値観では本格作品に対する充分な評価や検討がなしえない、したがって、本格の尺度を持った(年刊形式の)リファレンス・ブックが欲しい――そう考え、訴え、様々な働きかけを出版社に行ない、それを笠井氏が探偵小説研究会を率いて実現したのであった。
 これまでの10年間、探偵小説研究会が「本格ミステリ・ベスト10」を運営するにあたって、大変な労苦を積んできたことは明白である。それに対しては、私も彼らに深い感謝と賞讃を惜しまない。だが、作家たちの後押しや協力がなかったら、それが成立しなかったことも事実である(出版社の理解や読者の要望も、その成立に大きく寄与している)。というより、挙党一致ではないが、本格系作家と本格系評論家が手を組んで、「本格ミステリ・ベスト10」を実現してきたのではなかったか。
 それなのに、いつの間にか、両者の間に評論技術を巡って溝ができてしまった。顕著なのは、本格作品以外への投票の増加、評価基準のと不明瞭、ある作品についての高評価の不当性、相対評価ばかりで絶対評価の不足、歴史的観点の認識不足、「このミス」との類似化……等々である。そのため、だんだんと「本格ミステリ・ベスト10」はリファレンスとして不適切なものになってしまったのだ。
 あげくの果てに、作家側からの改善要求や意見や要望があっても、評論家たちは無視するか反発するかして、まるで聞こうとしなくなった。「オレたちがやってんだから、余計な口を挟むな!」という態度では、まるでかつての「このミス」を思わせる。いったい何故、このような悲しむべき状況になってしまったのか(注2)。

 繰り返すが、「本格ミステリ・ベスト10」が生まれ、運営されるには、多くの作家の協力があった。私の個人の例で言えば、これが生まれる前から、「これこれこういうリファレンス・ブックがほしい」ということを、評論家や出版社(編集者)に訴えてきた。特に、「本格ミステリ・ベスト10」の発行が原書房へ移ってからは、ここの編集さんと共に、企画の発案や投票者の推薦、内容の吟味等を常に続けてきた。つまり、単に投票を行なうという以上の力を貸してきたつもりである(念のために書くが、これは無償であり、同じような協力は、私以外にもたくさんの作家が行なっている)。
 しかしながら、もしも本当に笠井氏が抜けてしまったとしたら、上記のような理由から、私はもう、これにいっさいの協力はできなくなるだろう。また、笠井氏が抜けて(精神的支柱が欠如して)形骸化した「本格ミステリ・ベスト10」が存続することも、ぜんぜん望んでいない。出版社は営利的な不利益がないかぎり、その発行を続けるだろうが、そんな形で続けても意味はなく、ただの惰性にすぎない。
 なお、私の質問に対する答は、一ヵ月以内に、探偵小説研究会からもたらされるはずだ。それを確認してから、私は、「本格ミステリ・ベスト10」に対する最終的な判断を下すことになる。その時には、探偵小説研究会の返答と私の決定とを、他の作家や読者にもきちんと報告するつもりである。

注1)江戸川乱歩は、戦後すぐの探偵小説ブーム(横溝正史や高木彬光の活躍でもたらされたもの)を、「第三の波」