「気ままにひとり言」・5:2009.1~
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2009.09.2 和・洋の庭の二項対立ではなく融合を目指して
5月に着工した「楓舎」の庭が完成しました。
今年の夏は天候不順で梅雨明けは8月でした。
外部の工事なので「雨」の日は作業が出来ず苦戦でした。
お盆前にようやく完成にこぎつけた次第です。
今回、一番の課題は座敷から見える和風の庭とリビングから見える洋風の庭の「結界」です。
笹を植える事で緩やかに区切りました。
完成して「座敷」に座り庭を眺めると、
洋風の庭が笹に見え隠れして、和風の庭に広がりが出てきました。
「Good!」とクライアントのお言葉。
少し心配でしたが、緩やかな結界は成功したようです。
洋風の庭は「レンガ」と「鉄平石」で構成しました。
クライアントの奥様は、ここでお茶を楽しまれるとの事で、
ピンク系を基調にして曲線を用いたデザインになっています。
植栽は、姫しゃら・エゴの木をメインにしています。
パーゴラにはオレンジの「のうぜんかずら」を植えています。
所々に下草用の花壇を設けて奥様が気軽に草花を楽しめるようにしています。
一年ぐらい経過したときが楽しみな庭です。
母屋の設計・監理、庭の設計・監理とクライアントと設計者は長いお付き合いになります。
住宅の長い時間において、私達設計者が関わる時間はほんのわずかですが、
クライアントが生活される中で、クライアントの色に、
住宅が経年変化する事を願っています。
洋風の庭を見る
和風に庭
笹の結界
庭からデッキを見る
南から縁側を見る
姫しゃら周り
鉄平石
エゴの木足元
デッキでくつろぐ
記念撮影
京都西陣箔工芸士・裕人礫翔さん
楓舎玄関
楓舎玄関
座敷床
緑化屋根
平面プラン
スケッチ1
スケッチ2
2009.07.10 座禅を組む
いよいよ祇園祭の鉾建てが始まりました。
早朝の京都祇園にある建仁寺の「座禅会」に参加してきました。
「座禅」は久し振りでチョッと緊張な私でした。
朝6時過ぎに祇園石段下の八坂神社に到着。
建仁寺は近くなので、祇園のお茶屋さんの佇まいを散策しながらゆっくりと。
祇園界隈はやはり京都らしさが残っている所です。
建仁寺に着くと、既に座禅の参加者が参集されています。
私も早速、方丈の座禅会場に入り席に着きました。
約200名の参加者で方丈はいっぱいでした。
いつも縁側と内殿には
結界がされているのですが、今日は幸運にも方丈に入る事ができました。
6時30分座禅開始です。
方丈の前の枯山水の庭から心地よい風が流れます。
座禅の緊張した空気が方丈を包みます。
時々、小鳥のさえずりを聞きながら、結跡朕坐(けっかふざ)の姿勢で開始です。
目線を1mぐらい先に落として姿勢を整え、
複式呼吸で呼吸を整えていきます。
そこからが大変です。精神の統一ですが、雑念が取り除けず時間が過ぎる。
修行僧の気を入れる背中を打つビシ!ビシ!という音にもビクッと体が反応します。
30分間の「座禅」は短くもあり、凡人の私は中々「無」の境地には至りませんでした。
その後は私の知り合いでもある西陣の箔工芸士・裕人礫翔さんが、
箔化繚乱という題で講義をされました。
建仁寺の俵屋宗達の国宝の
風神雷神図屏風のデジタルアーカイブの説明や
独自の箔を使った創作活動や他分野とのコラボレーションの作品の映像を交えながら解説です。
「もやい」との共同作品も映像で紹介して頂きました。
今回は臨時のカメラマンでもあり、普段は撮影禁止場所をチョッ撮影するという幸運にも恵まれて、
清々しい「座禅会」を過ごしてきました。
早朝の八坂神社
祇園
祇園お茶やさん
建仁寺への通り
歌舞練場
山門
方丈
案内板
座禅会場
枯山水の庭
方丈前の庭
講義の様子
方丈内
縁側にも参加者
礫翔さんともやいの作品
チョット雲竜図
風神図
2009.06.21 和風・洋風の庭をつくる
「独り言」のUPは久しぶりです。
ブログで記事を書く事が多くて、ご無沙汰しています。
さて今回は、
竣工して4年経つ「楓舎」の造園工事をしています。
クライアントに時間的余裕が出来、庭を楽しむ為の工事を進めています。
建物の工事時はなるべく、以前のままの状態で設計していました。
今回は、「和風の庭」と「洋風の庭」をつくっています。
建物設計時も、アプローチから玄関、和室までは数寄屋風。
リビングなどのプライベートスペースは明るく洋風にという要望でした。
一番悩んだ所は
「和風」・「洋風」の結界です。
和風の応接室から見える「庭」
リビングから見える「庭」、外に出て楽しむ「庭」をどのように調和させるかでした。
「もやい」が提案したのはスケッチの様に、
「笹」で双方を緩やかに区切る方法です。
「笹の結界」を作り、リビングからは、内外双方を楽しむ庭として、
和室からは、枯山水の手法で、
今までに庭にあった灯篭や石を使い再構成しようというものです。
植栽も、新たに考えています。
「洋風」は木陰とそこにいて心地良い庭がテーマ。
又「雑草」もなるべく生えにくくする事が条件です。
「ラフな感じのレンガ」と「鉄平石の模様貼り」を採用しています。
5月初めにかかり、7月初めに完成予定です。
工事の途中に進行具合のチェックに行き、
レンガの肌合い、和風の庭の配置等を打ち合わせしました。
クライアントとリビングで打合せをしながら、改めて「楓舎」の「心地良さを楽しんでいます」とお聞きして、
我ながら良かったな!納得しています。
造園工事の完成時は庭でお披露目しましょうと言って頂き、楽しみです。
梅雨で工事は延びるかも知れませんが、もうしばらく「楓舎」通いが続きます。
姫路に到着
平面プラン
スケッチ
スケッチ
玄関回り
玄関回り
東から見る
レンガ敷き
目地は丁寧に
作業見学中
和風の庭の松
お昼は「揖保の糸」の流しそうめん
2009.05.3 内藤さんの建築
京都御所の西にある「和菓子の虎屋」さんの
新店舗前を、自転車で通りかかった時に、
なんと!東大教授で建築家の内藤廣さんが道路端に立っているではありませんか。
何となく通り過ぎて、「はたっと」気づき、ぶしつけではありましたが、
「内藤さんですよね?」と声をかけてしまいました。
本当にびっくりでした。
内藤さんと言えば,
岩崎ちひろ美術館・海の博物館・牧野富太郎記念館
でも知られている建築家です。
私は内藤さんの本は殆ど読み、講演会にも聞きに行き、日本の中で尊敬する建築家です。
そんな内藤さんをそんな場所で見かけるとは思っていたので、本当に驚きました。
この場所を何回か通っているので、虎屋の新店舗の建築工事をしていたので不思議な事ではないのです。
「虎屋新店舗」の設計者が内藤廣さんだった訳です。
「虎屋新館」の外観を見た時に「やさしい感じの建築」だと思い、
オープンしたら見にこようと考えていました。
突然の私の挨拶に内藤さんは、気軽に応じて下さり、
店舗の説明をして下さいました。
この店舗には「本」も置き、
「虎屋」さんのお菓子を食べて、お茶を頂き寛ぐ所だと言う事で、
5月15日リニューアルオープンだと言う事でした。
建築は烏丸通より西に入った所にあり、外観は低く抑えられた軒先と木のルーバー・ガラスを組み合わせ優しい感じです。
内部は木のアールのルーバーで天井を構成していて、
「気持ようさそうな空間」という感じがします。
竣工前の忙しい時に突然の来訪者に建物の説明をして頂きました。
内藤廣さんありがとうございました
内藤さんと言えば,昨年の5月2日に、
この欄で「建築家は木を切るな!」という
建築雑誌「新建築」の巻頭文を紹介しました。
現在の日本の建築界中で、建築と社会のつながりを真摯に追及されているかたです。
「場所・土地、建築・建物、人・人間」という事を、
市場経済第一主義の中で、今一度、見つめなおす事を提唱されてもいます。
実にラッキーな出会いでした。感謝です。
虎屋外観
新店舗南外観
蔵状の建物
内藤さん
2009.04.9 京都・人まち会館
会合があり、弁慶と牛若丸の出会いで有名な京都の五条大橋近くの「人・まち会館」に行ってきました。
会館に行く途中にある昔遊郭があった「五条楽園」を見学。
京都に就職した時に、一度古い建物を実測した記憶がありますが、
しかし、30年も前の事で何処だったか全く思い出せませんでした。
京都のこのようなまちとして京都駅近くの「島原」もあります。
島原では「角屋」は当時のまま保存されて、一般公開もされていますが、
残念ながらここは時代の流れに任せているようです。
それでも、何件かの「置屋」といわれる所が残っていました。
「人・まち会館」には、中世からの京都の町家や通りの模型や説明が展示されています。
1500年代の模型は、見ていて楽しく、「洛中・洛外屏風」に描かれている風景画が再現されています。
江戸・明治・大正・昭和と写真や模型で、その変遷がビジュアルで見る事が出来ます。
ここでは「町家」の耐震改修の相談や利用についても、建築関係者が、
市の委託を受けて相談にのっています。
ここの町家の模型は丁寧につくられていて、結構見応えがありました。
入館料は無料ですので、京都見学の一つとしてもおもしろいかも知れませんね。
五条楽園の置屋
高瀬川沿い
空家になっている置屋
加茂川、五条大橋
加茂川、七条方面
中世の京都
説明
昭和の町なみ
町家ファサード
町家の構造
近代の町家の説明
町家模型
町家模型
祇園祭鉾模型
明治の四条大橋
明治の蹴上疎水
明治の新京極
明治の平安神宮
明治の嵯峨野
昭和はじめの地下鉄工事
昭和の洪水
高瀬川の友禅流し
昭和の公衆洗濯機
2009.03.14 小堀遠州の茶室
京都南禅寺にある「金地院」の小堀遠州の「八窓席」の茶室見学に行ってきました。
その前に京都御所の宮内庁事務所に寄りました。
宮内庁事務所の前では埋蔵文化財の発掘調査中でした。
作庭家として知られている小堀遠州は江戸時代の作事奉行でもあり、
茶室は利休の「精神的な」もの少し違う作風で知られています。
「金地院」は室町時代に足利義教が創立した塔頭です。
長谷川等伯の襖絵猿猴捉月図や老松でも有名なお寺です。
私たち建築関係者はやはり「八窓席」という茶室見学が主たる目的です。
特別拝観の当日は天気も良く、境内の枯山水庭園(遠州作)も気持ちの良いものであった。
方丈に上がり、枯山水の庭を見ながら陽だまりの縁側に座っていると忘我の境地です。
小堀遠州の「三名席」
それは、金地院・修学院の曼殊院の茶室・大徳寺孤蓬庵の「忘荃」の三つ茶室をそう呼びます。
千利休の「二帖台目」の「待庵」に勝る劣らずに私たちを「とりこ」にする茶室です。
「八窓席」という名前は、窓が沢山あり、明るく軽快空間から名づけられています。
実際にも曼殊院は実際に八つの窓があります。
金地院の茶室には入る事は出来ませんが、にじり口や茶道口に座ると、
茶室内の感じが伝わってきます。
やはり建築は空間に身をおいてこそ感じることが出来るのです。
瞬く間に金地院の見学が終わり、いっその事と曼殊院も見学に・・・
ここは「桂離宮」の桂宮智仁親王が造営されたので桂離宮と関係が深い所。
典型的な書院造りの様式で襖の引き手や床(桂床)など桂離宮を思い出させるものである。
ここの「八窓軒」は茶室内部に入らせてもらえるので「嬉しい限りです!」
昨今の「仏像盗難」があり、かなり厳しくなっているようですが・・・
茶室内部に入ると3帖台目ですが、空間の広がりは素晴らしいのです。
「烏賊墨」を混ぜた黒い壁(当時のまま)と八つの窓の障子越しに入る光が、
何ともいえない空間をかもし出しています。
しばし「陰影礼賛」の世界にひたりました。
建築を考える上で大切な時間でした。
御所の発掘調査
なんとなく形が・・・
金地院
方丈
枯山水の庭
陽だまりが絵になる
須弥山
大海を表す
波
竹の木漏れ日と苔!凛として美しい!
2009.02.27 迎賓館は半端じゃなかった!
京都御所の中にある「京都迎賓館」の見学に行ってきました。
今回の特別見学研修は伝統技術の研修も兼ねたものでした。
午前中は金剛能楽堂という能舞台があるホールで説明を受けました。
実際に「迎賓館」の仕事に携わった人の伝統工芸の話です。
蒔絵・螺鈿技術の北村氏。
繊細な技術を要求される仕事で話の中で貝殻の厚さ・産地により、深みや色合いが違うという事でした。
例えばメキシコ産は国産アワビに比べると派手だと言う話し。
「もやい」でも一度アワビの貝殻を使ったカウンターを造っているので、
その時に、薄いメキシコ産のアワビの貝殻釣りのルアー(疑似餌)を作る時に使うものを
取り寄せた事もあり、実感としてして理解できました。
次は漆の澤野氏の「漆」談義も、伝統工芸を活かす仕事が少なくなっている現在貴重な内容でした。
午後からはいよいよ「迎賓館」の見学です。
受付で参加証と身分証明書、手荷物検査そして金属探知機をくぐります。
VIPを迎える国の施設だけに厳重なチェックが入ります。
地下通路を通り玄関前広場に出ます。
さすが!迎賓館。
写真で見たチタンの緑青色の屋根が目に飛び込みます。
玄関から待合→レセプションルームへ。
廊下には見学用の絨毯が敷かれ、それから踏み出す事は厳禁です。
床板にさえ触れることは禁止です。
中庭を囲むプランで障子で仕切られて、優しい自然光に包まれています。
照明や調度品も蒔絵・螺鈿・指物の伝統技術を駆使した一級品です。
柱・長押等の造作材は杉・桧・松は全て無節の柾目で徹底的にこだわった材料選定がなされています。
莫大なコストと3年の設計期間・それにも勝る素材あつめの期間がかかっていますが・・・。
設計は「日建設計」で日本で最大手の設計事務所です。
写真撮影は公開できる場所だけは撮影可能でした。
レセプションルームの天井照明、比叡山の朝日、愛宕山の夕日をモチーフした綴れ織の壁。
繊細さでは建具に施された「截金・きりがね」が圧巻です。
錺り金物、木工芸品、建具、西陣織と伝統工藝の粋をあつめていました。
ここの和室に使われている「土」は工事の時に出た、昔の加茂川の堆積土で、
「水ゴネ」で塗られています。(つのまた等の糊を使わない伝統技法)
「迎賓館」では「もやい」がいつもお世話になっている「中川竹材店」「錺り金物・松田」さんも
工事に参加している伝統技術のお店です。
建物は地階に機械室やバック部分を収め、地上は平屋で低く抑えられ、
中庭や池の外部空間と一体になったプランが評価されています。
今回は専門家ばかりの見学会でしたが、皆さんも機会があれば是非見学されては如何ですか?
日本の伝統・技術の確かな一面を実感する事が出来ます。
しかし、私が一番見たかったのは「霰零しの土間」でしたが、
セキュリティ度が高く見学はおろか、どの辺に位置するかも、職員は教えてくれませんでした
残念!!!
玄関
チタンの屋根
玄関しつらえ
レセプションルーム
中庭
障子と中庭
和室
和室漆の机
障子
欄間・漆
照明
螺鈿
建具の截金
鴨居
蒔絵・螺鈿
障子
土間(一二三石)
蒔絵の調度品
錺り金物
2009.02.03 三条通り界隈
京都中京区の烏丸通りから東、御池の南側の三条通り界隈の写真です。
京都市の教育関係の施設の塀が「版築風」に仕上げられていました。
角地に面しているので結構目立ちました。
この近辺は明治時代のレンガつくりの建物や、
モダニズムの以前の近代の建物が残っている所です。
この版築風の塀は、コンクリートに着色して「土」の風合いを出しています。
「土とにがりと石灰」の版築よりも少し硬い肌合いですが、
良く使われている版築風手法より「良い」表情なので目につきました。
前に見た神戸駅南の住宅展示場の版築風塀よりも柔らかい感じがします。
多分土の割合が多いのと着色顔料の割合に気をつけて、
現在的な「版築塀」造ったのでしょう。
すぐ近くには昔からの「町屋」が残っています。
京都は昨年実施された「景観法」で旧市街「洛中」の規制が強化されて、
京都らしさを保とうとしていますが、
瓦を乗せるだけのデザインや、格子を取ってつけたようなデザインの
建物も目立ちますが???
ちぐはぐな街並みでなく、
調和のとれた「町並み」を創って欲しいものです。
住む人・使う人・建てる人・デザインする人が、
周囲の面としての通りや街を意識しなければ
落ち着きのある「はんなり」とした町並みはできませんから、
持続して町並を考えて行きたいものですね。
単体としての建築が街に及ばす影響は微々たるものですが、建築の力を考えて、
一つずつの設計に取り組む事が私達建築家に課されている姿勢だと改めて感じました。
三条界隈
町屋が残っています。
版築風塀
意外と柔らかい肌合い
塀の内から
2009.01.18 震災の時を振り返り
1月17日であの阪神淡路大震災から、もう14年も経ちました。
テレビ・新聞で連日のように情報が発信されていますから、
皆さんも「もう14年か!」という思いをされている事だと思います。
現在は10年ひと昔と言いますから記憶の風化は一段と進んでいる事でしょう。
私は震災を神戸市垂水区で経験しました。
大きな衝撃で寝ぼけた頭で一瞬・爆発!と思った記憶があります。
幸い住いは鉄筋コンクリートだったので、棚からの落下で食器類の破損程度のことでしたが、
直後に、お風呂や家にあるバケツに水を貯めました。
直ぐに水・電気・ガスがストップした為に、
ミルク用の水確保にコンビニに走ったように思います。
仕事がら中央区の三宮周辺・長田区に出かける事多く、
三宮周辺はビルが傾向いている為、
水平感覚に異常をきたし、目まいを覚えたのが記憶に残っています。
長田区は本当に「焼け野原」状態でした。
それから一年間は西は姫路、東は宝塚まで、
被災建物の応急危険度判断と耐震診断に走り回りました。
友人のご両親の地震で傾いた家に家財道具を取りに入った時は、
まだ余震も続いている中でしたから大変でした。
その家に入ると、10分もすれば、傾いている壁や天井を見ていると、
水平感覚が麻痺して立っているのがやっとの状態だったのでした。
ある面では「建築」という職業に社会的な使命を改めて認識した時でもありました。
特に私達が日々接している「住宅」については、
傾いても「人」の命は守ることの出来る建物を建てる事の大切さです。
被災しても、人の命を奪うような倒壊しない事が本当に大事だと思いました。
ぼんやりと考えた事は、地震や自然の災害に対して力で対抗するのではなく、
柳に風の如く力を受け流す事が出来ないのかと・・・
そこで、再び日本の先人が残した建物を見直した次第です。
私達は学校の建築教育の中で、近代的な構造と理論を教えられた世代ですから
木造工法・構法について詳しい講義はありませんでした。
残念ながら現在の大学の教育システムの中でもあまり変わっていません。
そこで、もう一度日本の在来木造軸組み工法を見直そうと思いました。
「伝統工法」や「継手・仕口」を学びなおしました。
その中で導き出した結論は、建築教育では殆ど無視されてきた木造を活かした設計でした。
「もやい」のテーマを「技術・風土・土・自然素材」と
そこから派生する「シックハウス・健康住宅」というテーマ設定は自然な成り行きでした。
一方ハウスメーカー・ツーバイ法工法の建設会社は、
在来の木造軸組み工法の倒壊写真と
その中で残っているプレハブや2×4の写真を、
一面的に取り上げて大々的「地震に強い」と営業に打って出て、
現在のような画一的な住宅をつくってきた要因の一つとなっています。
技術的に裏打ちされた木造軸組み工法の住宅も地震にも耐えた事は余り知られていません。
在来木造軸組み工法を担っていたのが、小さな建設会社や大工さんであり、
広報活動をする資金的な余裕も時間もなかったのが一因しています。
その後は木造に対する研究も進み、少しは正確に理解されつつあるとは思いますが・・・
商業第一主義の社会では、
企業は自分たちに都合の良い所だけを抽出して
誇大に営業ツールとして利用する事がしばしば見られます。
誤解を恐れずに言えば、
第二次世界大戦の大本営発表みたいなものかも知れません。
先日改めて読んだ、
妹尾河童の神戸の長田を舞台にした「少年H」の戦時中の項に似たものを感じた次第です。
高温多湿の風土の中での「耐久性」や「ライフサイクルに合わせた融通性」等の
多くの評価軸からの検討も必要なのです。
大事な事は、クライアントと建築関係者が「よりよい住まい」について話し合い、
その中で価値観を共有してつくあげる事なのです。
そこには、「当たり前の事を当たり前にする職人文化」や
「欠点も利点も明らかにする建築界の風土」が当然必要なのです。
震災後に痛切に感じた「建築の社会性」は「姉歯耐震構造偽装」から以降、
本来、私達の生活を「安全・安心・快適」包むはずの住宅が、
違った方向に進みつつあるのかなとも感じています。
建築基準法改正からの一連の動きは、
「消費者保護」という大義名分のもと、現場を無視した状況が生まれています。
小泉政権で誕生した規制緩和で、誕生した超高層プロジェクトの数々。
これらは本来400%や800%の容積率の地域で、その建物にホテルを入れると、
ボーナス制度で倍の1600%にもなるシステムが出来上がっています。
また、同時に成立した労働者派遣法の緩和で、
製造部門が派遣、請負労働で成り立っている、少しおかしい「ものつくり」の現場。
金融資本がハイリターンを求めた結果の金融危機からの、100年に一度と言われる経済状況。
こんな社会状況だからこそ、地に足をつけた「ものづくり」や
「震災から学んだこと」を、今一度考えてみたいと思います。
相変わらず、まとまっていない「独り言」です。
2009.01.05 あけましておめでとうございます。
今年も「もやい建築事務所」をよろしくお願いします。
新年の京都・嵐山・嵯峨野を散策して来ました。
小雨の京都も「情緒」があります。
でも・・・とにかく寒い!・・・という印象です。
先ずは「嵐山」。
バブル期には、嵐電の嵐山駅近辺は、タレントショップと言われる土産物店も多かったが、
今は少しは落ち着いた感があります。
遊覧船もこの時期は運航していませんでした。
次は嵐山から北へ歩いて約30分ぐらいの所にある「嵯峨鳥居本」周辺。
この地域は「伝統的建造物保存地区」で、
京都市が「祇園地区」と同じで30年ぐらい前から「まち並み保存」に力を入れている所です。
その一番北側の辺に川魚料理の店があります。
茅葺屋根の落ち着いた佇まいが残っている所です。
小雨のため歩いている人はまばらですが「一人歩き」の外国の方が結構おられました。
次はそこから東の「嵯峨野」に向かいました。
「大覚寺」<が代表的な名所ですが、周辺は京都近郊の田園の佇まいです。
大覚寺の「広沢の池」は観月で有名な所です。
日本人は太陽よりも「月」を好む傾向があると言われています。
太陽の実・に対して・月の虚を好む訳です。
桂離宮・修学院離宮にしてもしかりです。
数多くの建築で、月を見る為の「月見台」や「月向台」と言われる竹敷きの広縁を見る事が出来ます。
1930年代につくられた数寄屋建築で有名な堀口捨巳の「岡田邸」もその一つで、
桂離宮の月見台を参考にしていると言われています。
大覚寺の中にある「広沢の池」は、そんな「月」を舟を浮かべて観月するための池です。
大覚寺から山裾に向かうと、今でも「時代劇」の撮影に使われている竹林がある「嵯峨野」です。
竹林の小道を歩いていると、「100均」の「野菜の自動販売機」を見かけました。
少し「あれっ!」と思いつつも、鍋用に買って帰り美味しく頂きました。
嵐山・大井川
渡月橋をみる
嵯峨鳥居本
茅葺民家
優しいですね
見事です
大沢の池案内図
茶室・望雲亭
広沢の池から東を望む
自販機
ついつい買ってしまいました