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CannonballがWesにビックリ仰天
  • 1959年頃に、Julian Cannonball AdderleyがWes Montgomeryの驚異的な演奏技術にビックリして、早速Riversideからデビューさせた時の様子、という(今更かも知れない)昔話です。
    タレント・スカウト
  • Julian Cannonball Adderleyが自己のバンドで、Cannonball Adderley Quintet in San Franciscoという大ヒット作を発表した前後から、Riversideの社長Orrin Keepnewsは彼に、レーベルのタレント・スカウトを依頼していました。こういうことは、Blue NoteのAlfred Lion社長が、Ike Quebecや、Duke Pearsonに同様のことを依頼するなど、よく行われていました。それなりにジャズのビッグ・ネームで、しかも国内をくまなくツアーして回るジャズメンには、新人発見の機会が多いからでしょう。
    1959年9月7日の夜
  • Wes Montgomeryは、40年代末にLionel Hampton楽団に参加して、ツアーをしていましたが、ワン・ナイト・スタンドの連続に参ってしまい、家族と一緒に居たいということで、故郷のIndianapolisに引っ込んでしまいました。しかし、田舎町ではジャズの仕事は少なく、悶々とする年月に堪えていたようです。そうしたある日、Cannonballがやってきて、その町にWes Montgomeryというギタリストが居ると聞きます。自分達のバンドのギグがはねてから、Cannonballはタレント・スカウトの仕事として、Wes Montgomeryがやっているクラブに聴きにやってきます。それが、Wes Montgomeryにとっては運命的な瞬間となる、1959年9月7日の夜でした。
    ヒェーッ、凄いじゃないの
  • 演奏が始まって、まだ一曲目が始まったばかりなのに、Cannonballは妙技を繰り広げているWesの真ん前のテーブルに移ってしまいます。暫くジーッとその演奏ぶりを注視した後、Cannonballは座っている椅子の背にグッタリと寄りかかって、目をグリグリさせて、天井を仰いでしまいました。正に、「びっくり仰天」、Wesの演奏に打ちのめされたのです。Cannonballは、そのギグの間中、根っ子が生えたようにそのテーブルから動こうとしなかった、といいます。
    信じられないジャズ・ギター
  • この後直ぐにCannonballの強い推薦を受けて、WesはRiversideレーベルの専属となり、驚異のデビュー盤、The Incredible Jazz Guitar、信じられないジャズ・ギターで、世のジャズファン、評論家等を驚かせたます。そして続いて出した西海岸のクラブ「ツボ」でのライブ盤、Full Houseで、Johnny Griffin、Wynton Kelly、Paul ChambersそしてJimmy Cobbを相手に、アレヨ、アレヨの超絶テクニックと歌心を披露して、Down Beat誌の人気投票でトップになってしまいます。
    Verve、そしてA & M
  • その後数年のストレートなジャズにおける活動を経て、VerveからA & Mに至る時期が続きます。その間の活躍は目覚しく、7人の子持ちであったWesは、もっと広いファン層に音楽を提供するスタイルになります。Nelsonは、甘ちゃんですから、そんな演奏も好きですが、中には「堕落した」等と文句を付ける、判った風な人が多かったようです。彼の大の信奉者であるGeorge Bensonは、これに対して次のように反論しています。「ジャズメンを愛する人たちは、我々がやりたいことをやっていると愛してくれるが、我々はそれでは御まんまが食えない。Wesのように多くの人が聴く音楽をやると、ジャズファンも評論家もこき下ろす、と死ぬ一週間前にも、Wesは訴えていた。彼は非常に残念がっており、こういう意見に不満だった。」こと、Wesに関する限り、彼の晩年の音楽も素晴らしかった、とNelsonは思っています。

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