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自己限定の美:「ぼくは豆腐屋だから、豆腐しか作らない」
  • Nelsonは、コケの一念で本線モダンジャズを集中的に聴いていますが、自分をしっかりと弁えて、わき目も振らずに探求し続ければ、良いこともありそうだ、、、というお話です。
  • 先日の「NHK日曜美術館」で、山田太一監督をゲストに迎えて、カラー・メゾチント(彩色銅版画)技法を開拓して、国際的にも評価が高い浜口 陽三さんを採り上げていました。テレビですから、次々と作品が画面に出てきて、サクランボや西瓜などの限られた静物を題材にした、余り目にすることがない静謐で幻想的な作品群には、「幽玄」の趣きさえあり、大いに刮目致しました。浜口さんは、明治42年生まれだそうで、平成12年に91歳で亡くなられていますから、わが母と同世代で、しかもずっと長生きされたようです。そして、作品を鑑賞しながらの山田監督の話は、実はジャズにも通じる興味深いものでした。
    浜口、小津、笠、山田
  • 山田監督は、浜口さんがメゾチントの題材を、果物その他の限定されたものに止めて、それらを通してモノの本質を眺めることに徹したことに言及されて、そこに「小津映画」に通じるものがあるのではと指摘しています。そして、晩年の小津監督の名画「晩秋」等の一場面を流しつつ、色んな誘いもあっただろうに、他の題材には手を広げることをせずに、中産階級の、たとえば娘の嫁入り話を執拗に撮り続けて、それが数十年も経った今、不朽の名作として色褪せずに残っていることには心撃たれる、と述べておられました。
  • そして、小津監督の至言、「ぼくは豆腐屋だから、豆腐しか作らない。同じ人間が、そんなにいろいろな映画を作れるものではない。何でも揃っているデパートの食堂で、うまい料理を食べられないようなものだ。人には同じように見えても、ぼく自身はひとつひとつに新しいものを表現して、新しい興味で作品に取りかかっている」を紹介しています。また、名優、笠智衆がその映画の末尾で慟哭することを指定されながらも、小津監督に「ワシは熊本の男だから、人前では泣けん。」と注文をつけて、我を通してしまったこと、それを小津監督が後日、「(シナリオとは違い)笠さんが泣かない結末になったけれど、あれはあれで良かった」と述懐された、というこぼれ話も聞けました。
  • 山田監督は自分の生き方も含めて、浜口、小津、笠さんらが、「色んな可能性に出会うけれども、そこで我慢して、自己限定したこと」は、結構大事なことではないかと、締めくくられていました。例え話として、「豆腐屋が流行のチーズ・ケーキ作りに転じて、豆腐作りを止めたとして、そのチーズ・ケーキの人気が落ちて売れなくなっってしまったら、次に何を作ろうというのでしょうか。」と、キツイことをおっしゃいました。
    自己限定
  • (ここからは、ジャズ談義です)お判りのように、これはジャズメン、そしてジャズファンにも通じることだと思います。ある程度ジャズが演奏できるようになったり、ある程度ジャズのレコードやライブに親しんだ段階になったりすると、「これも面白そうだなぁ、、、」と新たに興味を惹くものが出てきます。しかし、「そこに、陥穽がある」と、小津監督も山田監督も言うのです。自分なりのジャズを演奏する(聴く)レベルに達したとしても、そこでよそ見をしたりするのではなく、さらに自らの出自を可能な限り深めていく中でこそ、他人には出来ない、正に自分の境地が生まれるのではないか。自分が一番良く知っている「自分」、それをそう安易に放擲してしまって良いのか。目に入る外の世界はそれとして置いておいて、自分の中から湧き出るものを大事にすること、そういう自己限定も大事ではないか。知り尽くしている筈の自分を、敢えてさらに掘り下げ続けてこそ、余人にはなしえない「濃密さ」が生まれるのではないか。
  • あのSonny Stittの、Zoot Simsの、そしてMilt Jacksonの、逃げも隠れもせぬ堂々たる自己限定、、、それを「十年一日の如きマンネリ」などと侮ってはなりません。そういう自己限定によって昇華され、凝縮された「ジャズの濃密さ」、それこそが「余人をもって代え難い」という賞賛される所以でしょう。
    「こけの一念」
  • 自分の内から発するものを大事にする「自己限定」は、浜口、小津、笠、山田さんらの域にまで達すればサマになりますが、悪くすれば「我がまま」、「視野が狭い」、「十年一日の如し」、「同じことの繰り返し」、「マンネリ」に止まる恐れがあります。そこで大事なことは、青臭い言い方になりますが、その選択の誠実さ、あるいは真摯さということでしょう。自己限定が性に合うのか、自己拡散がしっくり来るのか。人それぞれなのに違いありません。右か左か、そのどちらを採るとしても、自分を偽らずに、真摯に物事を捉えることが大事なことです。
  • そして、Nelsonの場合には、本線モダンジャズをこれからも聴き続けることが、一番です。先日も、発掘盤のCharles Mingus Sextet with Eric Dolphy/ Cornell 1964を初めて聴いて、唸ってしまった所です。「本線モダンジャズ」ったって、数万枚もの音源があるのです。その全容を聴き尽くした人など、まだ居ない筈です。まだ、1,2万枚位しか聴いていないNelsonなどは、その底の深さには圧倒されてしまいます。
  • Nelsonの場合は、まぁ、自己限定の美なんて、ご大層なものではありません。良く言っても、「こけの一念」程度のものです。それしか出来そうにないし、それが何よりも性に合っています。結構底は深いし、そこに「もっと」というか、「まだまだ」というか、濃密な何かがあるような気がします。右顧左眄に堕した薄味のジャズなんかに、かかずらわっている暇は無い、、、というのが正直な所です。
  • 我が「Nelson's Navigator」が、「濃いぃサイト」になりえるかどうか、これからも「一歩前進、二歩後退」であろうとも、その域に迫りたいのです。

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