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野球とマラソン -- Sonny RollinsとJohn Coltrane

  • 野球とマラソンの対比が、Sonny RollinsとJohn Coltraneの違いと通じるものが有りはしないか、というお話です。
    Sonny Rollins
  • Sonny Rollinsの好演盤、「In Japan」に収録の、お家芸である「Alfie」は、彼を歓迎する日本の観客を前にして、唄心全開で10分以上を吹き切る名演です。我等が増尾さんのギターも目一杯鳴っています。この演奏は、聴く度に、いつもその迫力にマイッてしまいます。「楽しい歌で、聴き心地が良い」のは勿論なんですが、そのアドリブの、何と多彩で、変化に富んでいることでしょうか。しかも、それが明るく、明快で、「人間賛歌」、「羽化登仙」、「無我夢中」、「千変万化」、「豪放磊落」、「古今無双」、「一瀉千里」等と、四字熟語がポンポン脳裏に浮かんでしまいます。吹いている本人が楽しげで、聴いているこちらも釣られて、「何んちゅう、おもろいテナーや」と、感嘆置く与わずの心境になってしまいます。Sonny Stittや、Zoot Simsもアイディアの豊富さでは負けていないかもしれません。Eddie Harrisや、Wilton Felderも、楽しさでは引けを取りません。しかし、、、しかし、このスケールの大きさは、並ぶものが無いレベルでしょう。この人のことですから、ステージ中の歩き回って、サックスを上下左右に振り回しながらの、長時間ソロです。「参りました」というしかありません。
    John Coltrane
  • ここんところ、Coltraneの「Chasin' the Trane」を、ひっきりなしに聴き返しています。上記「Alfie」のテーマも単純ですが、この「Chasin' the Trane」のテーマは、あって無きが如しの、単純なブルースです。それを木っ端微塵に打ち砕いて、アドリブの極致を聴かせてくれます。テンポ位を打ち合わせただけでの、全くの即興演奏で、ここまで深いジャズを展開していく器量の大きさには、舌を巻きます。この人の場合は、旋律、リズムなどを自己流に解釈し、細分化した上で、アドリブを展開していきます。その「微に入り、細にわたる」行き届きぶりは、体力的な面をさて置いたにしても、他の人には出来ない集中力を要する、超絶的な境地です。「馬鹿か」と言われるほどの練習を重ね、試行に試行を重ねた、その精緻かつ精妙なアドリブ世界は、比類なき過酷な修練のたまものに違いありません。
    野球とマラソン
  • 野球は、米国製のスポーツで、青空に「カーーーン」という音と共に消え行くホームランの打球は、爽快です。暗闇の中に輝く芝生と内野のグラウンドの色の対比もキレイです。「バットを持っている奴は、兎に角嫌いなんだ」と、投手が全力で投げ込む剛速球を、「眼の前で観客の注目を一手に集めている、あの投手野郎の鼻ッ柱を折ってやるんだ」と言わんばかりに、バットを一閃打ち返す、その勝負の見事さ、華麗さには、唸らずには居れません。形容すれば、「豪快」、「爽快」、「スピード」、「腕力」、「駆け引き」と言うところでしょうか。一方、マラソンは、やはりスポーツの、もう片方の王者であり、オリンピックでもメイン会場を使う花形です。約40キロを一気に走り切るという人間の限界に挑戦する姿は、時に神々しいまでの美しさを伴います。確かに競争相手がいるとは言え、優れて「個人の戦い」の色彩が強い競技です。表面的には無言なんですが、走者が口の中で「ウッシ、ウッシ、、、」と呟きながら、兎に角足を前へ、前へと繰り出していく、弛(たゆ)まぬ「意志の力」がこちらに伝わってきます。屋外競技ではありますが、どうも「澄み切った青空」等が大写しになることは少なく、苦しげながらも、強い意思で着実に前進を続ける走者の表情が、克明に伝えられます。そこから生まれるイメージは、「努力」、「克己」、「堅実」、「自己実現」といったものでしょう。
    Sonny Rollinsと野球
  • Sonny Rollinsに、「Newk's Time」という好演盤があります。これは、Sonny Rollinsが名ピッチャーのDon Newcombeに風貌が似ているために付けられた「Newk」という仇名を、アルバム標題に持ってきた盤です。それはさておき、上記「Alfie」の豪快な演奏を聴いていて、この頃BSの番組放映によって親しみが増してきたMLB (Major League Baseball)の画面を、思い浮かべました。ある意味で陽性で、人懐っこいアメリカ人の良い所がそこにはあり、それがSonny Rollinsの演奏と、不思議に繋がって聴こえるのです。
    John Coltraneとマラソン
  • John Coltraneについては、「微に入り細にわたるか、簡にして要を得るか -- John Coltraneの模索」でもメモしましたが、持ち歌の「My Favorite Things」や「Impresions」で、半時間はおろか、一時間に及ばんとする演奏を平気で聴かせています。Coltraneという名前からの連想でしょうか、仇名も機関車(Train <-- trane)」と呼ばれる程であり、正に機関車のように驀進する感のある強力無比のアドリブが魅力です。そして強力ではあるんですが、Coltraneは、テナーの魅力の一つである低音域のサブ・トーンはあまり使いません。むしろ、アルトに近い音域の中高音を多用したアドリブをします。素人聴きというか、聴き専門の側からは、表層的な見方になりますが、「音群の色合いが苦しげに」聴こえます。また、「至上の愛、第4楽章、賛(美)歌(Psalm)」も、特徴的です。その前の3楽章に続くこの楽章で、音取りを全く変えて聴かせる不思議な音群には、「神」が言い過ぎなら、「偉大なるものに心から帰依することによる安寧」とでも評したくなる色合いが感じられます。この辺が、次のような点と関係しているような気がしますが、あまり自信はありません。
  • それは、こういうことです。Coltraneのアドリブのスタイルには、どちらかと言うと「豪放磊落」というよりも、「克己」とか「求道」とかいう感触があります。まぁ、「たかが、音楽」を聴くんだから、そんなことはどっちでも良いとも言えますが、何となく「襟を正して謹聴」してしまうような感じがあり、Rollinsを聴く時のように「まぁ、楽しいのは何よりだから、この人の底抜けの明るさを大事にしましょう」という感じとは、少し違います。だから「陰性」なのかと言われると、そういう問題じゃァありません。ザトペックなんて古過ぎる話はしませんが、同じ無心でのアドリブであっても、そこにある「明るさ」と「切迫感」という両者の対比は、歴然としている感じがあります。加えて不思議なことに、Nelsonもそうですが、多くの方がColtraneを聴いた後に、「何だか、サッパリして、明日も仕事を頑張れそうな気がしてきたョ」と感じることがあるそうです。Coltrane特有の音群とこの辺の関係は、普通のトニック着地のカタルシスではなく、この人独特の複雑な仕掛けのようです。これは、実感として「何となくそうだ」という気がする程度で、その筋道は理解し得ていません。
    「どっちが、、、」と「どっちも、、、」
  • 気の短い人は、「じゃぁ、Sonny RollinsとJohn Coltraneのどっちがスゴイの」と、短兵急に問われるかもしれません。Nelsonの答えは、「どっちもスゴイ」です。「どっちが好きか」と問われると、「どっちも好きだ」です。恐らく中には、「好きなのはコッチで、アッチは駄目」という方も居らっしゃるでしょう。それはそれで、その人の認識です。Nelsonは、どっちを聴くのも好きです。片っ方をじっくりと聴いたので満腹感があっても、もう一方を続いて聴くのにやぶさかではありません。そこはそれ、「別腹(べつばら)」(^o^)という便利な表現があるじゃないですか。

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