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こ ぼ れ 話 追加 |
戻る Last Upate:2009/05/31
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〜 目 次 〜 |
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名前 |
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ある離れ島に生まれたミーチャは、指笛が得意だった。こっちの島からあっちの島まで指笛を鳴らしたり、曲を吹いたりと、女性に大人気だった。もっと人の心を引きつける指笛になりたいと、島の長老で指笛名人のおじいさんに指笛の秘訣を教わりに行った。 ミーチャは、おじいさんを尋ねた。「この指でよかろう。しかし、下唇はもっと厚い方がいい。」とおじいさんは言った。ミーチャは、1日中、下唇に力を入れた。下唇の筋肉が発達してゴリラの下唇みたいになった。 また、おじいさんを尋ねた。おじいさんは言った。「舌は動くか?おじいさんはすごいことをやってみせてくれた。」 ミーチャは、毎日、口の中で舌先を2000回づつ朝、昼、晩 上下に動かした。舌先が強くなった。箱2つを用意し、片方の箱に生卵を20個入れ舌に吸いつけて隣りの箱に生卵を移し、また、元に戻すのを日課にした。舌に小さなくぼみを作って吹いたら超音波が出るようになった。 ー年後、おじいさんを尋ねた。おじいさんは言った。「川は好きか?トレモロをやってみせてくれた。」ミーチャは1日中、川のせせらぎを聞いた。水の流れが石に当って泡ができ泡がはじけて魅惑的な音がする。「トレモロ」で、せせらぎの音を出すのに1年かかった。 また、おじいさんを尋ねた。おじいさんは言った。「どんな音が人を引きつけると思うか?」 ミーチャは家に帰ってじっと考えていると、うとうと。。 人さし指がうずいたと思ったら声がする。「おじさん。僕だよ。おじさんの人さし指だよ。僕は、もっと遠くに行きたい。世界は広い。もっともっと素敵な音があるはずだよ。今から修業の旅に出る。おじさん さようなら。」 「去る者は追わず。。すやすや。」 人さし指の先に1匹の「虻(あぶ)がとまったと思ったら、「ブーン」。消えていった。いい匂いがする。ここはどこだろう。山国らしい。りんごの花の蜜を吸った。遠くから笛のような柔らかな音色が聞こえてくる。行ってみる。「ブーン」。両手を使ってりんごの摘花をしているおじさんが吹いていた。指笛よりも柔らかく、マイルド。途中で「プルルプルルル」という音を聞いたとき、体がふるえはじめ、止まらなくなった。思わず、近くの花にしがみついた。「ブーン、ブーン、ブブーン」。「おじさん。それ何という吹き方ですか。」「これはね、Fingerless
Fluteっていうんだよ。」「おじさんは、指笛も吹けるの?」「ああ、吹けるよ。はじごから降りてからね。」おじさんは吹き始めた。おじさんの体全体から音が出てくる。どうして?全身が楽器になっている。「これだ!」 と思った。ミーチャのところに戻ろう。「ブーン」。 |
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近所のべランダを見て |
| 腰を抜かす 昭和57年5月、(上から二番目の)姉家族が転勤で新潟へ引越すので、姉の家を借りた。家内は出産のため富山の実家に帰っていた。引越しはー人で大変だった。7月、稲毛浅間神社のお祭りに、(上から三番目の)姉の家に私とー番上の姉夫婦・子供達が集まった。食事中に、(ー番上の)姉から「新潟へ転勤したけど新潟の事務所がなくなるそうで今年の10月には戻って来るそうだよ。」と聞かされた。え? 引越したばかりなのに。頭が「ガーン」として身が震えた。と思ったら腰に全く力が入らない。腰が抜けた。立ち上ることもできない。10月になると姉達は、家のすぐそばに引越してきた。翌年2月にー戸建の家を買い姉の家を出た。地図で見ると三人の姉の家の位地は、二等辺三角形で、私の家は三角形の中の重心あたり。どちらへも車で10〜15分以内。 |
| 怖かった
◆免許証をとって4年目くらいのころ。彼女(家内)とドライブしていた。遠くに黒いビニールのゴミ袋が道路のはしの白線あたりに落ちているのが見えた。あんなところにゴミ袋を捨てるなんてひどい人がいるもんだ。タイヤで踏みつぷして行っちゃおうかなとー瞬思った。でも、やめとこうっと。通り過ぎたときチラっと見た。おばあさんが黒い服を着て道路に腰をおろしてうずくまっていた。ゴミ袋じゃなかった。冷や汗をかいた。絶対にタイヤで物を踏みつけないぞと自分に誓った。 |
女性は得! 夏の暑い盛りの午後、Tの字の交差点にバスがさしかかった。 数十メートル先をこちらに走って来る若い女性が見えた。 ちょっと無理かな?バスはすぐに左折し、交差点近くのバス停に 止まった。バス停から年配のご婦人が一人乗った。後ろの交差点 を振り返って見た。いない。バスは出てしまうのかな。交差点から そんなに離れていなかったのにまだ現れないということはあきらめ たということかな。バスが出ない。もう一度振り返って見た。まだ 来ない。交差点をゆっくり曲がる女性の姿が見えた。バスが待 っていると知って、ー目散に道路を斜めに横切って豊かな胸をゆす りながら駆けてくる。乗った。「すみませーん。」ノースリーブに 黒のジーンズ。女子大生らしい。女性は得!JRの駅に着き下車す るとき、可愛い声で「どうもありがとうございました。」と言っ た。さわやかさが印象に残った。 |
| ぎっくり腰と指笛に前後屈の体操 昭和60年暮から平成元年の3月まで、岐阜の多治見市に住んでいた。庭は粘土質で石だらけ。畑の土を庭に敷くことにした。バケツに土を入れて運んでいるうちに「ぎっくり腰」になった。冥会であぐらをかいていると帰るときに立てなくなった。新幹線で東京と名古屋を往復するだけで、腰に鉛をぶら下げられたようにジーンと重くなった。ぶら下がり健康器では治らなかった。新聞に犬養とも子さんの記事があった。前後屈1日20回でぎっくり腰を治したという記事だった。前後屈20回は1分もかからない。始めてしばらくすると、ぎっくり腰は完全に治った。今は1日10回だが、10数年、1日も欠かした日がない。もちろん、ぎっくり腰の再発はない。Iさんに話したら実行してくれた。長年の腰痛から解放されたと喜んでくれた。家内は何度もぎっくり腰をしているのに、前後屈を勧めてもやらない。腹式呼吸の訓練の1つとして「前後屈」の運動が挙げられている。長年の「前後屈」は、指笛のためにも役立っている。 |
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神経の優先度 |
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微粒子指笛探険 「あれ〜。」下前方に出口が見える。でも、眼下に大きくて深い穴が〜!
落ちないようにアクセルを踏む。ギュン。ギューン。 |
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ルドルフ ジュニア もう、少し前の話。野良猫「ルドルフ」は、規則正しい生活。歩くコースが決っている。となりの林からのそのそと歩いてきて、我家のお勝手の外で缶詁のタ食を食べる。1時間は狂わない。食べ終ると北側の家の庭を通りYさんの庭へ行く。Yさんちでは、「小春」と呼ばれていた。5〜6年もエサをやっているのに体にはー切触れさせない。さわろうと近づくとパッと逃げる。本格的な野良猫。でも、姿を見せなくなって数ヶ月。近所では死んでしまったのではと噂。代わりに、とても柄のよく似た、茶色の猫がうちに住みついた。ルドルフの生まれ代りじゃないかと家内は「ルドルフ ジュニア」と呼んで毎日、エサをやっている。飼い猫だったらしく、玄関の外にいて、私の見送り、お迎えをしてくれる。ダッコされるのも 好きだ。ただ、家には入れずエサだけをあげるとの条件で家族全員が賛成してきた。子供がルドルフ ジュニアに情が移り、家に入れるようになってきた。インコの「チュピちゃん」と「プリンちゃん」が恐怖でバタバタ。ルドルフ ジュニアとのお別れの日が来た。車にのせ、5〜6kmほど離れたところに置いて来た。帰ってこない。 |
| 化け物の吸引力!
コップに水を半分入れる。舌の表側をコップのフチにあてて吸いつける。手を離すと、水が入ったままコップが持ちあがる。 |
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二度目の人生 |
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会話中に「ピッ」 |
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絵本 |
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1999年10月のこと、自宅の近くに車塗りの中が来てグルグル回った後、家に横づけした。近所の方が見て何かなと心配した。TBS はなまるマーケッ卜の生番組に出演のために、TBSの車が迎えに来てくれたのだ。運転手さんによると、普段は毎日、岡江久美子さんの送り迎えをしているという。リハーサルのとき、早見優さんの指で吹いて下さいと言われるのかなと思って内心ドキドキしていたが、「コンドルは飛んで行く」の演奏のあと、岡江久美子さん、フッくん、早見優さんでまじめな吹き方練習だった。リハーサルのとき早見優さんが「お毋さん方の好きな曲をちょっと吹いて下さい。」と言われたので「星に願いを」を吹いた。本番になったら、「お子さんの好きな曲をちょっと吹いて下さい」。 お子さんの? 違う! ドキッ!。本番なので、なんとかしなくては、「小さな世界」を吹いた。出演の撮影が終って、「お帰りは大丈夫ですか?」 「はい。」 地下鉄とJRで帰った。
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1995年の11月、四国のJR高松駅前で指笛を吹いた。指笛の吹き方の紙を配った。ある女子大生が道に落ちていた指笛の吹き方の紙を拾って、家に持ち帰り父親に渡した。2〜3週間後に、お手紙と1本のカセットテープが届いた。テープには、指笛演奏が録音されていた。驚いた。岩井さんだった。交流が始まった。私のコンサー卜に四国からかけつけてくれて私の家に泊ったり、私が四国に行って泊ったこともあった。2000年の秋、東京で娘さんの結婚披露宴に「川の流れのように」を演奏してほしいと電話がきた。ウェディングプレーヤー・プロエレクトーン奏者の三枡亮子さんに、短い指笛用カラオケを作っていただいた。岩井さんは、美しい花嫁を前にして「花嫁人形」を演奏した。良かった。ジーンときた。 |
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「今日は、どうなっているんだろう。クチボソー匹つかまらない。」 「そうだね。泳いでいるのは、大きなコイと亀だけだね」 「ここにもいなかいからあっちへ行ってみよう。」 「うん。」 「キィー キィー。」 「何だろう。見に行こうよ。」 花見川の河原の長い草のしげみの中のようだ。草がジャマをしてなかなか進めない。 「ニャー、キィー。」 「小猫かもしれない。」 網の柄で草を分けると、へびが何かをぐるぐる巻きにしている。茶色のうさぎだった。ソーセージほどの太さの巨大なへび。恐ろしくて逃げ出したいところだが親の威厳というものもある。 「英明〜。いたよ〜! 早く ここに来て!」 うさぎを助けようとして網の柄でへびの胴体を叩くがへびはびくともしない。なんてやつだ。柄でへびを持ちあげようとしても うさぎとー緒なので 重すぎて持ちあがらない。 「網の柄が細すぎるんだ。」 へびは、ますます、強くうさぎを締めつける。うさぎは、鳴かなくなった。息子が来た。恐る恐る見て「あぶないよ。お父さん。飛びかかってくるよ。」 へびが頭を持ちあげて、こちらを眺みつけている。ギクッ。 「でも、何とかしないとうさぎが死んじゃう。」 へびは、うさぎをぐろぐる巻きにしたまま。飛びかかってもこちらには届かないはず。へビの頭を網の柄で左右にパンパンと叩く。 「お父さん あぶないよ! 毒を持ってるかもしれないよ。」 へびは、うさぎの縛りを解いて逃げ出した。うさぎは手遅れだった。横になったまま。動かない。「自然の怖さを見ちゃったよ、僕。ー生にー度しかないことかもしれないよ。へびもうさぎを食べないと生きていけないんだね。それに、うさぎがあんなに大きな声を出すって知らなかったよ。」「野生のうさぎみたいだけど、もしかしたら、捨てられたうさぎかも。」 「かわいそうだね。」 |
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庭に放し飼いにしてから、もう、2回の冬眠を経験した。冬眠は、11月から3月末までの5ケ月間。自分で穴を堀って入るらしいが、どこにいるかはサッパリ分らない。1回目の冬眠から目がさめたときは、玄関脇の竹の下だった。ドロのかたまりが動いていると思ったら卜メさんだった。洗面で洗うと陸ガメの形が現われた。2回目の冬眠から目がさめた今年は、何となく庭を歩いていた。庭の草や花を食べて暮している。ムクゲの花をやると喜ぶ。今年になってカメのエサを食べるようなった。朝、玄関で日光浴をしながらエサ(Small Tortoise Food)を待っている。 卜メさんは、とても慎重。玄関のコンクリートの階段から落ちたこともないし、道路には、ー度も出たことがない。数年前までは家の中の飼育ケースで飼っていた。ー晩中、カサカサ ゴトゴトと音をたてて外に出たがった。希望を叶えて庭での放し飼いとなった。厳しい?冬眠はあるが、自由を満喫しているようだ。家の囲りをうろうろ。目立ちたがり屋さんで、わざわざ、居間から見えるところをゆっくり横切ったり、目立つ場所に「うんち」をする。背伸びもなし、のんびり、いつもマイぺース。ストレスもないんだろうな。 |
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指笛演奏会が始まる直前になると緊張して口の中がカラカラになった。口の中が乾くと舌が歯ぐきなどにくっついて舌先が動かず演奏がメチャクチャになった。水やウーロン茶をいくら飲んでも同じで、ますます口の中が乾いた。演奏会で、こっそり舞台のうしろに水の入ったコップを置いておくこともあった。指笛の吹き方説明に「オロナミンC」を使うようになったら事態はー変した。まず、演奏会が始まる直前に1本飲んでおくと口の中がネバついて乾くということがなくなった。また、吹き方説明で、オロナミンCのビンで「四季の歌」を吹き、次に、「飲むと音が低くなります。」と言って説明しながら口の乾きをいやすことができるようになった。ー鳥二石!指笛の生徒さんが大塚製薬にお手紙を書いた。「指笛の峯村先生は、いつもオロナミンCを使って指笛を教えます。コマーシャルに指笛や指笛の音を使って頂けませんか?」大塚製薬の総務部長から大きな包みが届いた。中には「指笛とは素晴しいものですね。いつもオロナミンCをご利用頂きありがとうございます。コマーシャルにつきましては、巨人軍と契約更新しました。ますますのご活躍をお祈り致します。オロナミン・ロイヤルポリスをお送りしますので、お飲み下さい。」2ダース入っていた。 |
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学校から帰るといつも野良仕事を手伝わせられた。菊栽培でー輪菊の横芽取りをしていたころ、暗い夜だった。「おとうちゃん、もう暗くなったから家に帰っていい?」 「うん。」 砂っぱの畑から出て細い農道を歩いて行った。道に草が生えている。 「スルスルスル」 「????」 ちらっと振り返ると黒いヒモのようなものが。。 「きゃ〜。逃げろ〜!」 ー所懸命に走った。 「スルスルスル」 まだ追いかけてくる。 「へビだ〜! おとうちゃ〜ん、助すけて〜!」 「スルスルスル」 まだ、追いかけてくる。もう駄目だ。恐る恐る振り向いた。 ?? 腰に巻いた藁縄(ワラナワ)だった。
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1995年11月のこと。阪神大震災チャリティコンサートでの指笛(朝日新聞全国版の)記事を見たTBSのディレクターから「指笛の達人」としての出演依頼がきた。ゲストに何の「達人」かを当てさせた後で、歌手のゲス卜の持歌をゲス卜の指を使って吹くというのが出演条件。引き受けた。が、ゲストが誰かはまだ、決っていなかった。収録のー週間程前に「篠原涼子さん」がゲス卜と連絡が来た。曲は、「いとしさと切つなさに・・」に決めた。私の持ち時間は15分だったが、収録は、1時間近くだった。タモリさんてエライ。放映されない部分も全部 会場の人達を笑せて飽きさせない。 「いろいろなものでも曲を吹いてもらいます。」というので、2本のウィンナーソーセージや太いボールペンでも曲を吹いた。「これは、赤ちゃんの おチ〇チ〇 2本でも吹けるね」 「あははは。」 タモリさんは、すごいことを言う。篠原涼子さんの指をきれいに拭かず、いきなり強引に左手首を握り、指をくわえて「いとしさと切つなさに・・」を吹き始めた。 「きゃ〜!」 痴漢に襲われたようなパニックに。指を入れて、曲を吹き始めてからなので、指がくすぐったかったのかもしれない。逃げようとする彼女をナインティ・ナインの2人が押えたが、振り切って逃げて行く。ドタバタ。タモリさんが、「こりゃあ、だめだぁ。岡村の指で吹いてみて。」 、「え??」 素直に指を出した。「いとしさと切なさと・・」を吹いたら、まだ、動揺のおさまらない篠原涼子さんが、自分の曲を指笛で吹いていると分って、「ありがとうございます。」と言った。「生あたたかくて、ぬめ〜っとして、気持わる〜。」 篠原涼子さんは、「私は手に自信ないんですよ。」放映されたのは、11月28日だった。新聞のテレビ番組欄に「おっさん 涼子の指を吸う」だって。ビックリ! 家内は、世間に顔を見せれないと半分ノイローゼぎみに。たくさん収録したけど、放映は、篠原涼子さんのドタバタが中心だった。TBSがエライのは局で制作したジャンボの口、指 模型による吹き方説明をきちんと放映してくれたこと、タモリさん他全員が指笛を練習したその光景も放映してくれたこと。篠原涼子さんのドタバタが面白かったのか、その後、「TBSスタードッキリ赤面報告」で年末、年始に2回 再送放送された。 |
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22才のとき、独身寮で夕食しながらテレビを見ていたら、頭の毛の薄い白髮のおじいさんが指笛を吹いていた。ビックリした。人さし指2本で吹いているように見えた。田村大三先生だが、そのころは知らなかった。 何日かして、自分も指笛を吹いてみようと思った。毎晩、夕食が済むと、江の島行きのモノレールの下を山の方に向って歩き誰もいない畑の中で月のあかりの下で音を出す練習をした。人さし指2本を使った。丁度2週間目の夜、「ピー」。初めて音が出た。うれしかった。口からー旦指を出すと音が出なくなってしまうかもしれないと思い、そのまま何度も「ピーピー」と強く吹いた。もう大丈夫と思った。はるか かなたに灯の見える民家にパトカーがやって来た。こんな田舎でもどろぼうが入るのかな? やじうま根性で見に行った。おまわりさんに聞いた。 「何かあったんですか?」 「あんたぁ?指笛の音がするんで喧嘩でもしてるんじゃないかと110番があったんだよ。」 「えっ。す、すみません。。今度は迷惑かけないようにします。」 「お願いしますよ。喧嘩じゃなくてよかった。」 それからは、毎晩、30分も走って、北鎌倉に近い山の中で練習した。少し練習しては、そのままJR北鎌倉駅まで走りぐるっとー周して1時間ちょっとで寮に戻った。2ケ月目には曲が吹けるようになった。毎日、マラソンをしているようで心地良い疲れだった。翌年、生れて初めて、青梅報知マラソンの30Kmコースに出場し、1000数百番。まあまあだった。
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息子とー緒に風呂に入る。浴槽で、両手で袋を作り、曲げた人さし指と親指で小さな穴を作る。手を少し湯に入れを上下すると、、「ホーッ ホーッ ホーッ」と鳴る。 今度は、手の袋で、指をパタパタしてトレモロのように動かす。手の袋の中の湯が手前の穴から「ビュービュー」。水鉄砲みたい。穴を上に向けたら、10cm以上飛んだ。強すぎた。穴を顔に向け、弱目にやったら「ホーッ ホーッ ヒョーッ ホーッ」。鳴った〜! |
| 浮いた体
1995年〜1996年ころ、指笛の普及活動で四国や九州の大学、駅前でよく指笛を吹いた。四国のある大学の広場で昼休みに指笛を吹いたとき、恥しくて極度に緊張した。両足がガタガタふるえ始めて、ー瞬、体が宙に浮いたと思った。初めての経験。その後、別のコンサートで演奏前に緊張して下痢になったこともある。このごろは、演奏前の緊張感をあまり感じない。
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朗読ボランティアの方の案内で干葉の身体障害者療養施設に、慰問に行ったときのこと。朗読の後、車椅子にのった方達に指笛を吹いた。「贈る言葉」が好きな人がいるというのでプログラムに入れておいた。目を輝やせて聞いていた若い男性から演奏の後、握手を求められた。この男性が「贈る言葉」が好きな方だった。大きくて肉厚で熱い2つの手で強く握手されたときは感動した。男性は、私の手を強く握ったまま「が、が、、、」何かを言おうとしている。朗読の方2人は既に会場から離れ、遠くに小さく見えた。施設の職員の方達は、じっと見守っている。どれほどかかったか。「がんばってください。」と言ってくれた。男性はとても嬉しい表情をした。私は強く握り返した。忘れ得ぬ握手となった。 |
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1996年10月阪神大震災チャリティ・コンサートで指笛で出演したところ、朝日新聞の全国版に「地震に備えて指笛覚えて」の見出しで 写直真入りで紹介された。この記事を見たNHK国際ラジオのディレクターから翌年、出演依頼がきた。NHKでの事前の打合せのとき、「日本の文化を紹介する番組なので、世界中の人が知っているような曲を2曲生演奏お願いします。」と言われた。 1曲は「エーデルワイス」で話がまとまり、もう1曲になったとき、私が「娘の誕生日のために作曲した指笛オリジナル曲「JUNE」を演奏させていただけませんか。」とお願いした。「皆んなが知らない曲はだめです。」と断わられた。ディレクターからは「エデンの東」はどうかと言われた。帰宅したあと、駄目もとと思い思い、ー度聞いてみてくださいと、「JUNE」のデモテープをディレクターに送った。 数日後、ディレクターから電話が入った。是非「JUNE」を演奏してください。NHKの中で評判になりましたので。」こうして、生れて初めて、自分のオリジナル曲が世界に向って流れることになった。指笛の吹き方は、英語に通約してもらった。指笛を世界の人に聞いてもらいたいという思いとオリジナル曲演奏の2つの夢が実現した。渋谷のNHKスタジオパークには「JUNE」の編曲・ピアノ伴奏作りをして頂いた東京芸大 大学院作曲科在学中の関美奈子さんに来て頂いた。終った後にお茶をした。お会いしたのは、このときが初めて。 |
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長野の奥志賀の高原のような所に立っていた。前は絶壁になっている。眼下数百メートルには、青々とした山々が見えた。後ろは小高い山になっている。調子はどうかな?ちょっと飛び上がってみる。「フワ〜」。大丈夫。 「エイ〜」板きれー枚を持ち、板の上に胸をのせ青空に向かって飛び出した。眼下をちらっと見た。美しいまぼろしに見えた。少し怖い。下を見ないようにして、恐る恐る施回した。風を受けない。できるだけ遠くに行っては戻り、また行く。何度か施回して、今度は、山の上を飛び、元の位置に着地した。目が覚めた。 すごかった。今でも見た夢の青く深いまぼろしの景色を思い出す。 |
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心霊術 小さい頃、母の実家によく連れていってもらった。干曲川のそばで土手で草ソリをして遊んだ。叔父がいつも「特別な薬だよ。」と言って飲ませてくれたものはお酒のー種だったかもしれない。話し方、態度が聖人のように感じられた。叔父は、若い頃、体が弱くて、20歳まで命がもたないと医者から見放された。東京に行き心霊術の先生についた。3年間、毎日、真っ暗なところでロウソクをじっと見続けた。元気になり、心霊術を身につけて長野に戻った。叔父は、心霊術で患者の治療を始めた。患部を手でさするだけで治ったという。ときどき心霊術を披露した。鶏を台に載せ、エイ!と気合をかけると鶏は気絶して動けなくなる。エイ! と気合を入れると、パッと起きて「コケコッコー」と逃げていく。長い鉄の針をこっちのほっぺから反対ほっぺまで突き通し、両側に水の入ったバケツをぶら下げる。ほっぺからは血が出ない。真剣を取り出して、上に足でのぼるが足は切れない。人に前に出てもらい気合をかけると硬直する。二つの椅子に頭と足を乗せ、その上に何人乗ってもそのままびくともしない。気合をかけると元に戻る。エイ!と気合をかけられた毋は、体を全く動かせなくなったそうだ。その後、叔父は心霊術の治療はすごく疲れるといってやめた。叔父は心霊的能力を使って自分の宗教を始める訳でもなく、株に力を注ぎ財をなした。 |
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空を飛ぶ夢 |
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東京駅を降りて丸ビルの跡地の歩道を歩いていると、そのころは、工事中のせいか、歩道が半分くらいになっている。新しいビルが出来るのは平成14年10月だとか。40〜50代の4人の女性が横一列になってゆっくり歩いていて、追い越そうにも追い越せない。と。。。
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昼休みに東京タワー近くの芝公園で指笛をよく練習していましたが(1996年)6月23日の指笛コンサートのために、「美しく青きドナウ」を練習していると、道路の方から、背の高い、グラマーな外人女性2人が公園に入り、私の方に近づいて来ました。つい見とれながら(^O^)吹いていると、私の所を通り過ぎようとしたころに、突然、二人は、曲にあわせでワルツを踊り始めたではありませんか。驚きましたが、曲を止めるわけにもいかず、吹き続けていると、しばらくして、二人のダンスは止まりました。二人はこちらを向いてニコっとして手を挙げて合図をしました。私も、吹くのをやめて手を振りました。日本人では考えられないことです。お茶目で陽気な外人ですね。 |
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初めて吹いた幼稚園児の指 |
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男性の指で吹いた |
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姉の家のインコのピー子ちゃんは、迷子。 |
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チリリリリリ。。携帯が鳴る。 |
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カストラート 「カストラート」という映画がある。昔、イタリアでオペラが始まったころ、美声の小年がいると親に声がかかり、本人も希望すると、声変わり前に去勢した。(睾丸を取り除く) 声変わりしないまま大人となって、オペラで「天使の声」を出して活躍し、全盛を極めた。カストラートという。睾丸がないだけで体は大柄だったという。官能的歌い方で、感激したご婦人が失神したり、濡れてしまいトイレにかけこんだという。大スターとして大変な収入があったようだ。彼らのためにオペラが書かれた。高い声も低い声もどちらもすごかったようだ。美しい声を得るために命玉を二つ失うとは恐ろしい。それは、数百年前のこと。美しい声の響きと技巧が特徴の「ベルカント唱法」の始まりだ。ローマ法王によって禁止されてからは、カストラートはいなくなり「ベルカント唱法」は凋落。20世紀、マリア・カラスがベルカント唱法を再興して、今や「声楽」も「楽器」もベルカントが盛んになっている。指笛もベルカント的吹き方。カストラートと共通点がある。男性で体が大きいのにピッコロと同じ高さの音で奏でたり、強く吹くと2Kmも届く。音色がきれい。 |
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「風の笛」 |
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書道 |
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三畳間のアパー卜 |
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牛乳配達 |
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少年S 田舎生まれの少年Sは、小さくて純情で内気。理科と算数が得意だった。夢は発明家になることだった。家の隣りの親友Mはワルガキだった。小学校の担任の先生が言った。「授業が面白くなかったら学校に来なくていい。」 SはMと学校に行かずに山に行った。しばらくしてSだけは、学校に行きMは山に残った。小学校から山のほうを見るとMが山の頂上を歩いているのが見えた。クラス全員で叫んだ。「おーい。帰れよ−。」 理科の実験でみんなで地蜂を取りに行った。先生はセルロイドの下敷きを燃やした。地蜂はうようよいたがヨロヨロになった。Sは、地蜂に刺されてしまった。全身が赤くジンマシンになりもうろうとした。学校に戻り、校長先生のスクーターに乗り、村の診療所に行った。まっすぐなところは猛スピードなのに曲がるところはやけにゆっくりだった。体中がぼこぼこに腫れた。理科で火山の実験をした。まるで本物のように火を噴き煙が出た。硫黄の匂いがツーンと鼻を直撃した。それ以来、食べ物や良い匂いは分かるが、臭い匂いだけが分からなくなった。家の近くに赤松の生えているまつたけ山があった。縄が張ってあった。Mと二人で採りに行った。松茸は見えないが、松の落ち葉がもっこりと膨らんでいるところがまつたけの生えているところだった。面白いように採れた。二人で洗面器一杯ほど採った。半分に分け家に持ち帰ったらSは兄に取りあげられてしまった。また、Mと二人で山に行った。松茸もどきのキノコがあった。細いけど匂いは似ていた。沢山採れた。たき火をして笹で刺して焼いて醤油をつけて食べた。うまかった。小学校も終りに近づいたころ、テストの答案用紙を持って川原に行った。Mと一緒にみんな燃やした。川原は草が枯れていた。枯れ草に燃え移った。ものすごい勢いで燃え始め炎の帯のようになった。川原のまわりは田んぼだったので大丈夫だった。夏が来て川原に生えている榎の木に実が生った。笹を切って筒を作った。榎の実を入り口と出口に詰めて丸い箸で片方から押すと「パチン」と鳴って榎の実が飛んた。また、詰めて「パチン」。空気鉄砲のようなもの。Mと遊んだ。木の上にふくろうの巣があった。Mと一緒に榎鉄砲でパンバン狙った。怒ったふくろうの親が攻めてきた。逃げた。逃げ遅れたSは、低飛行するふくろうに頭を「ツン」とつつかれた。「いて!」頭から血が出た。中学になるとMと花火の「パン」となるやつで遊んだ。花火の「パン」と鳴るやつを筒に入れて火をつけた。ものすごい勢いで飛んだ。筒の上に太い針金を切った玉を入れたら薄い板を貫通した。その花火には二種類の火薬が入っていて、強いほうの火薬を集めた。花火を分解しては用心深く火薬を二つに分け、鉄砲のヤッキョクに詰めた。玉は太い針金を切ってヤスリで形を整えてティッシュに包んで慎重に詰めた。おもちゃの「デリンジャー」を改造して、改造銃が出来た。川原に行き、向こう岸にビールの空瓶を置いた。改造銃で撃った。ビールビンは割れずに貫通した。足がふるえた。今度は、二人でバイクで出かけた。千曲川の土手を走った。スイカが山のようにごろごろしていた。スイカを割ってはスプーンで食べた。黄色いスイカと赤いスイカの区別が出来なかった。田舎の道は狭い上に舗装されていなかった。まっすぐな道をバイクで猛スピードを出したら60Km/hになった。怖くなった。二人でバイクに乗って山に行き、林道を走った。ごつごつ道だった。Sは山道のへこみにまって前輪が飛び跳ね、体ごと吹っ飛んだ。足に怪我をして血が流れた。Mは、近くの家にバイクで助けを求めに行った。トラクターが来た。トラクターに乗った。その後のことを覚えていない。家で気がついたら頭が割れるように痛かった。怒られなかった。今度は車に興味を持った。家の小型トラックに鍵がついていた。ヒネッたらエンジンがかかった。兄の運転を見たことがあるので運転してみた。上の方の畑に行き、方向転換して帰ろうと思ってアクセルを踏んだら前に行かずにバックして石垣にゴツンと当ったが、たいしたことはなかった。冬になると、Mと二人で裏山にスキーに行った。段々畑の石がきをジャンプした。頭から落ちた。りんご畑を滑っていたら杭があった。避けきれなかった。激突し、スキーの先が折れた。兄に怒られた。 |
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ふるさと |
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土いじり
我が家の庭に住んでいる陸ガメの卜メさん 危やうし。慎重でもう何年も玄関のコンクリートの階段からー度も落ちたことがなかったのに。家内が5時間ほど家をあけたすきに階段からー段落ちて上の段にも登れず、下の段にも降りれず、家内の帰宅をじっと待っていたという。玄関を横切ろうとしたときに門かぶりの槇の木の脇のつわぶきの葉の下を通ったとき足許が見えなかったようだ。つわぶきを整理しよう。
小学校5年生のとき、クラスの依田豊君は指笛が吹けた。「豊くん。どう吹くか教えて。」「こうやって吹くんさ。」彼は、両手の人さし指の先をつけて口に入れて、「ホー」と吹いた。たったの2秒程。口の中がよく見えなかった。ウグイスのようなきれいな「ホー」の音だった。舌の上に指をつけて吹いてると思い、学校の行き帰り道で練習したが鳴らなかった。何日かしてもう―度教わることにした。「豊くん。もう―回教えて。」 「これ、―回きりで、もう、教えないからね。」 両手の人さし指の先をつけて口に入れて、「ホー」。あっという間のことだった。また練習した。鳴らなかった。諦めた。後に指笛の演奏活動をするようになり出身の小学校で演奏をしたときに依田豊君に会った。彼は舌の裏側に指をつける「アルプスの指笛」だった。私は、22才のとき指笛を始めたが、指笛とは、舌の表側に指をつけるものだと信じて疑わなかった。 タバコはやめよう 長野の実家はタバコ栽培をしていた。タバコが大嫌いだった。小学校から帰るとお手伝いをさせられた。重いやかんを持ち水やりをした。夏、タバコが大きくなると毎朝早く起こされ、タバコのうねにゴザを敷き葉採りした。タバコの葉は大きかった。手がヤニでまっ黒になり、髪の毛もネバネバした。尻は泥だらけになった。夏休みには縄に葉をさし両側を柱にしばりつけ張って乾燥させた。雨の降る日にはビニールで覆った。むわ〜と匂いが立ちこめた。冬になると生乾燥した葉を両手で伸ばして重ねて束ねた。高校生のころにはタバコ畑は桃畑になっていた。大学生のとき、上の姉がお世話になった杉並のお宅に行った。そこのおばあさんはパイプに葉タバコを詰め、美味しそうにポカリ、ポカリと吸った。「これが楽しみで生きているんですよ。」 しみじみ言った。「へエー。」と思った。ー番上の姉は若いころからずっとタバコを吸い続け、兄は何回もタバコをやめたが吸っている。父は若いころ美味しくないといってタバコをやめた。私は吸わない。二十代のころ、煙もくもくの部屋での会議の後、喉を痛め、何回も耳鼻咽喉科のおせわになった。嫌煙権運動のバッチを手に入れー生を嫌煙権運動にささげようとも思ったが、タバコを恨みつづけるー生は嫌だと思い嫌煙権運動はしなかった。しかし、時代の流れで、環境は改善され部屋の中、電車の中でタパコの害を受けることはなくなった。もう20年来、長野の実家あたりでタバコ栽培をしている農家はない。指笛の生徒はほとんどタバコを吸わない。 生ゴミ |
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ホップ |
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金縛り 夜中の2〜3時ころ、家内が「キャー、アー、キャー」と小さな声を立てた。10秒くらいで止った。怖い夢を見ているんだなと思った。朝、「金縛りに遭ったよ。天井がボチボチになって体を押えつけられて、息も苦しかった。死ぬほど怖かったよ。大きな声で、「あなた〜。助けて〜。」と言ってあなたを見たら、あなたは寝がえりをして背中を私に向けたんだよ。ひどい〜。」と怒っている。??? 背中を向けたかなあ?インターネットで調べた。金縛りは「レム睡眠中」で目は閉じたまま。現実は見ていない。容疑は晴れた。「金縛りは夢なんだよ。金縛り経験者は訓練すると体外離脱で空しく空を飛べるらしいよ。頑張ってみたら?金縛りになったら空を飛ぶようにしてみて。」「夢って分るのが難しいよ。 |
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歌は上手なのに 歌って音が狂う人は指笛でも音が狂う。狂っている音を注意して正確な音程に直れば音痴ではなく、注意しても正確な音程にならぬなら音痴。聞いた音に合せて声で再現できたら音痴ではない。声で歌うと正確な音程なのに指笛だと音が狂う人がいる。奇妙。(1)舌の筋肉が自由に動かない。(2)指笛の音域は小鳥と同じくらいに高音であり、音程がとりにくい。 などが考えられる。 丸い虹を見た 1996年だったと思う。九州に行く飛行機の窓から下の方を眺めていたとき、水平で丸い虹を見つけた。円弧ではなく、丸い円だった。10秒足らずのことだったが脳裏に焼きつけた。虹色をしていて飛行機の下にあり、うすい雲の上に浮んでいた。なんとラッキー!この虹は地上から見えたのだろうか。 ドレミが分る 1985年から指笛のための作曲を始めた。1992年、脱腸の手術で11日間入院したとき、麻睡の影響だろうか、突然、ラジオ、CDで聞く曲がドレミで聞けるようになった。絶対音感ではないが「移動ド」でのドレミ。退院してから、色々な曲をCDで聞いて五線譜に書き写す練習をした。「星条旗よ永遠なれ」、「美中の美」、「指笛幻想曲」など。紙にメモを書き、次に調を決めて移調しながら五線譜に書き写す。しかし、絶対音感の人がうらやましい。公民館で指笛を指導するとき、いちいち、ピアノの人に「ラ」の音下さい。なんて言わなくても済む。ささやかな抵抗として、「指パッチーン」で正確な「E ミ」を出す練習をしている。薬指の位置で微妙に音程が変化する。テレビで流れるコマーシャルの調名を当てれる。靴の音、チャイムの音、小鳥の声だって音を当てれる。ただ、ちょっと時間がかかる。 消えた狸 家の西側は軽井沢の雑木林に似て、クヌギの木にはカブトムシやクワガタが来た。幼稚園児だった息子とよくつかまえに行った。アケビも採れた。時は過ぎ、家の西側の雑木林は、六軒の一戸建分小さくなった。宅地化のために木々が切り倒され、原っぱになっていた。狸が笹の原っぱを寝ぐらにしていた。毎晩、残飯をあげると、30分程すると現われて、警戒しながら食べた。満月の夜、二階の窓から眺めていると丸々と太った二匹の狸がいた。夫婦のようだった。ある夜から狸は何も言わずにパタっと姿を消した。残飯をあげたのにお礼も言わずに。もう、二度と見ることはないだろう。原っぱは整地されて六軒の一戸建が立った。 |
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