痔瘻手術体験記
痔にも色々ある
痔は、痔核(直腸肛門部の血行が悪くなり、血管の一部がふくれあがる)、裂肛(硬い便によって肛門上皮が裂けるもの)、肛門周囲膿瘍・痔瘻(細菌感染が原因で膿が出る)に大きく分けられる。
内痔核は痛覚のない粘膜に出来るので痛みがなく、外痔核は痛覚のある皮膚の部分にでるため痛みを伴う。

私の場合は、とにかくズキズキンと痛みが酷くなり、我慢出来ずに肛門科を訪ねた。
初診の時に、先生は診察するなり「膿んでいますね、切りましょう」と言い、こちらは何も考える余裕もなく、局部麻酔を打たれ、切って膿を出す応急処置を施された。
目茶苦茶痛かったが、とにかく痛みは日に日に軽減して楽になっていった。
一週間後に診察に行ったところ、結局手術することに。
インターネットで調べたら、痔瘻というのは手術以外に治療法はないということだったので、既に自分の中で覚悟は決まっていた。
この病院は、肛門科ではかなり有名な病院で、以前には手術の予約は随分待たされたと聞いていたのだが、意外にも2週間後の予約を取ることができた。

酷く痛んだのは、まだ膿が出る道がなかったためで、この道が出来てしまうとさほどの痛みがなくなってしまい、病院に行きそびれてしまう人も多いようだ。
現に私より一日前に入院した人で、20年も我慢していたという人が居た。
結局、その人が何故手術をすることになったのかというと、本人ポリープをイボ痔と思い込んで診察を受けたということらしい。

痔瘻に限らず、何となく騙し騙し過ごせてしまったり、場所が場所だけにどうしても病院に行くのが遅れてしまう傾向があるようだ。
しかし、痔瘻の場合などは放っておくと痔瘻癌になることもあるということで、「痔では死なない」とは言えないらしいのだ。

とにかく私の場合、なまじ膿の出口が出来て痛みが無くなってしまわなくてよかった、ということか。

「あなたにあの痛みが我慢できるかな?」
さて、入院前日。病院から確認の電話があり、準備万端「今日は早く寝よう」などと考えていたのだが、突然夕方になり「担当の先生の都合で明後日の手術が不可能になりました」との連絡が入る。
「そりゃないぜ」と思ったが、無理なものは仕方がない。
担当の先生が変わるのも嫌なので、一週間予定をずらしてもらうことにした。
おかげですっかり気が抜けて、その一週間は何もする気が起きず…。

実は、私の連れ合いも何年か前に痔の手術をしている。
その時は、今回の病院で予約が3ヶ月先と言われたために近所の外科にしたのだが、彼の場合は外痔核だった。
その時の話を聞いてみたら、手術そのものはたいしたことなく、先生と世間話をしながら終わってしまったというのだが、とにかく術後の排便の際の痛みが物凄く、私にはとても我慢できないのじゃないか?と言うのだった。
そんなに痛いものなのかぁと、いささか気分暗めに。
そんな不安げな私を見て、連れ合い何だか楽しそう…。

そんなこんなでようやく入院の日。
午前中に入院し、昼食から病院の食事をとる。
この時からご飯はおかゆだった。
看護婦さんから、その日同じ病棟に入院した人達と3人で入院生活についての説明を受ける。
術後はとにかく、「座浴」が良いということでやり方を教わる。
口の広い洗面器にお湯を入れ、様式の便座を上げ、便器にはめ込み、そこにお尻がお湯に浸るように座ってお尻をガーゼで叩くように洗い、同時によく暖めるのだ。
血行がよくなると痛みが和らぐということだった。

その後は、簡単に肛門の周りにカミソリをあて剃毛し、座薬の下剤を入れて排便して手術前日にやることは終わり。
さすがに入院慣れしたのか、夜は周囲がガタガタしていたが案外良く眠れた。

手術はあっという間
朝一で座薬の下剤を入れる。
前日の昼食からおかゆのせいか、起きた時からもうお腹はぺこぺこ。
手術の順番が何番目かも知らなくて、空腹を抱えながらベッドでひたすらお呼びがかかるのを待つ。
当然先週キャンセルくらった身としてはトップなのだと思っていたのだが、どうやら最後の方だったらしい…。

10時をだいぶ過ぎてからようやく順番が回ってきた。
部屋の人達に「がんばって」と声をかけられ、少々不安ながら「行ってきま〜す」と一応笑顔で看護婦さんに連れられて部屋を出る。
3階の手術室前の部屋で手術着に着替え、手術室の入り口で履き物を履き替える。そこで病棟の担当の看護婦さんとはお別れ。

入ってすぐの部屋で、看護婦さんが「左手に血圧計をつけて、右手に点滴します」と言いながら、さっさと右手に血圧計をつけてくれた。
点滴の針を入れる時になって「えっと、右手に…」と言って間違いに気づき、2人で苦笑い。
前日手術だった人が「点滴を失敗されてもう痛くて」と言っていのが頭をよぎったが、何の苦もなく一発でうまく行った。

その日は手術が多かったらしく、私で7人目だということだった。
用意されていた点滴が私の後にまだ4つ並んでいた。
室内を見渡しながら、ちょっと緊張。いや、かなり不安かも。
そうこうしているうちにいよいよ手術台の所に連れて行かれる。
まずは麻酔。
脊椎麻酔も3回目ともなるとかなり慣れたという感じ。
看護婦さんが足と頭を抱えてくれていたのだが、最初の一刺しで下になっていた右足にピリッと電流のような痛みが走った。
思わず「痛っ」と言ったら、すぐに針を抜いてもう一度刺し直し…。

麻酔の注射が終わると、そのままうつ伏せで万歳をするような格好になる。
その時にはもうお尻のあたりが暖かくなって、麻酔が効いてきていた。
けれども手術が始まると、まだ左側は痛みを感じたので「痛いです」と訴える。
「ただ引っ張られる感じがするんじゃないの?」と言われたが、本当に痛かったのだ。
それでも少し時間が経つと、完全に痛みを感じなくなった。
「大丈夫ですよ」「すぐ終わりますよ」と先生が何度か声をかけてくださる。
と、本当にあっという間に終わってしまって、そのまま右側に置かれたストレッチャーにゴロンと仰向けになるように移動した。

廊下を移動している時に看護婦さんに「早かったですねぇ」と言われた。
正確な時間を聞かなかったが、たぶん麻酔から10分もかからなかったのではないかと思う。
あまりに早く終わりすぎたために、次の手術の患者さんもまだ呼んできていなくて大急ぎで看護婦さんが呼びに走って行った。
私自身もすぐには病室には戻れずにしばらく最初に血圧計と点滴をつけられた部屋にいて、何度か血圧を計ったりしていた。

トイレに行きたい
ようやく病棟の看護婦さんが迎えに来てくれて病室のベッドに戻る。
その時には麻酔の効きめは最高潮で、下半身全く動かず。
2時間後の2時45分までははじっとしているよう、5時間経ったら起き上がってトイレへ看護婦さんが着いていってくれるということだった。
お腹は空いているし、そのうち背中が痛くなってきて、とにかく早く時が過ぎてくれないかなぁとそればかり。
眠れてしまえればいいのだろうが、何故かそういう時に限ってって眠れないのが悔しい。
2時間経って、茹で卵とビスケットとりんごジュースがベッドの上に運ばれてきた。
トイレが心配だったが、とにかくお腹が空いていたので、全部奇麗に平らげてしまった。

そうしたら術後4時間あたりから猛烈にトイレに行きたくなってしまい、仕方なくうつ伏せになって便器を下に置いてもらう。
しかし、いくら尿意があってもこういう状況で出るものではないのは、4年前の盲腸の時に既に経験済み。
もう少しもう少しと40分近くも頑張ってはみたがどうしても排尿することはできず、諦めてナースコールをして便器を外してもらった。
その時に看護婦さんが「ちょっと早いけど、行ってみましょうか」と言ってくれて、トイレに行けることに。
あ〜助かったぁ。
よっぽど溜まっていたのかと思いきや、実際にトイレに行ってみたらさほどでもなくて拍子抜け。
まぁ、ここまでくれば後は傷の回復を待つだけだ。

座薬の痛み止めが効いているらしく、麻酔が切れてもすぐには痛いということはなかった。
手術当日は、とにかくあまり起き上がって動いたりしてはいけないらしい。
その時は良くても後で麻酔の後遺症が出たりするらしいのだ。
それでも食事は運んで来てくれたものをベッドに座ってとった。
美味しかった。

さすがに夜中に痛みで目が覚めた。
痛み止めはかなり強力なものらしく出来るだけ胃のためにも飲みたくないとは思っていたが、手術した直後なのだから痛いのは当たり前なんだよなと思いつつ、飲んだら20分くらいで効いてきてまた眠りに落ちた。

「こんなもんなの?」と「もうイヤッ」
薬は腫れと痛みを抑える薬と一緒に飲む胃薬、化膿止めの抗生物質の他に、整腸剤に便を柔らかくする酸化マグネシウムが1週間分出された。
とにかく、便の硬さを調整するのに皆神経を使うのだ。

術後の排便はかなり勇気がいるものなのだ。
向かいのベッドのお2人は手術の次の日には便が出ずに苦労していたのだが、私は次の日の午前中には難なく排便も出来、さほどの痛みもなかった。
これも6月の子宮筋腫の手術でだいぶ慣れもあったのかもしれないが、とにかく順調である。

私の真向かいのベッドのKさんは内痔の手術だったが、前にも書いたように内痔というのは痛覚のない粘膜に出来ているので痛みを感じないのだそうで、それこそ「こんなんもんなのかなぁという感じ」と何度も言っていた。
それに対し外痔はそれうもう痛いらしい。
外痔の手術を終えたMさんは、麻酔が切れる頃から「痛い」「死にそう」を連発し、真夜中にも痛み止めの注射を打ってもらい、術後初めての排便の際はあまりの痛さに貧血を起こし、看護婦さんに抱きかかえられて部屋に戻ってきたくらいだった。

私の場合は、痛みはそこそこ。どちらかといえば脅かされていただけに、「こんなもん?」という方だったかもしれない。
連れ合いが術後2日目の日曜に来た時に、「別に排便も平気だよ」と言ったら「なあんだ」ちょっとがっかりした様子だった。
何期待してたんだか…。

肛門狭窄の手術はもっと簡単らしく、一緒に入院した人は5日目くらいで早々に退院していった。

ヒマだけど楽しい日々
手術の次の日ともなると、別に体の具合が悪いわけでもないので、途端に暇になった。
病院の中に喫煙室を作るくらいなら、ゲームとかカラオケが出来る娯楽室もあればいいのに、などと思ってしまった。
本を読んだり、ラジオを聞いたり、テレビを見たり、うとうとしたり、そんな風にしているうちに食事の時間になる。
食事は美味しかったし、その時間が実に待ち遠しかった。

3日もするとすっかり病院生活にも慣れてきて、同室のKさん、Mさんと協力して誰かが朝一のお風呂の順番を皆の分確保して、10時の検診の前に入ってさっぱりするようになった。

本当に今回も人との出会いにはとても恵まれて、楽しい入院生活を送ることができた。
こんなにケラケラ笑っていていいのかと思うほど、よく笑った。
一週間入院が延びて良かったのかも。
その分、一人、また一人と退院していってしまうのは少々寂しくもあった。
Mさんは私よりも一日前に入院したのに、退院の日が一日ずれて私と同じになってしまい、彼女にしたらどうだったかわからないが私にとっては気分的にほっとしたのは確かだった。

そうそう、この病院はどの看護婦さんも皆とても親切で感じが良かった。
それも居心地の良い一つの要因だった。

ああ勘違い
前に書いた私より一日前に入院した痔瘻とポリープの手術をした人が明日退院するという日。
お隣の病室の人だったのだが、廊下を元気に腕を振り振りウオーキングしている所を私たちの部屋に引き込んで、皆で手術の内容の紙を見せ合ったりして色々話した。

そこで、彼女が「座浴する時に液体を入れるじゃない?」と言い出した。
「座浴はお湯で」と言われていたので、皆「何のこと?」と聞いたら、どうも洗面器の消毒の為に置いてある何種類かある液体のうちのどれかのことらしい。
一同目が点になった後、大爆笑。
使用した洗面器を返す時に消毒するために入れるというのを、どう勘違いしたのか座浴の際に使うと思い込んでいたらしい。
しかもご丁寧に2杯分用意して両方にキャップ一杯ずつの液体を混ぜていたらしい。
それで、座浴をするとその後「痛い」と言っていたのだ。

さもありなん。「そりゃあ、沁みて痛いでしょ〜」と、もうこんなに涙が出るほど笑ったのは何年ぶり?ってくらいに私とMさん、Kさんは笑い転げた。
それでも本人は納得していなかったのか、液体の容器に書いてある説明を読んで来て「やっぱりあれでいいんだよ〜」と言い張っていた。
結局彼女が使っていたのは逆性石鹸の濃縮液だったのだが、看護婦さんに言ったら看護婦さんも「まぁステキ!」と爆笑していた。
看護婦さんが爆笑してくれるくらいの勘違いでよかったというべきか…。

勘違いといえば、私も部屋を間違えるというドジをしでかした。
病棟の作りのせいもあるのだが、もう夜のことで皆カーテンを閉めていたので一つ手前の部屋に入ったのに気がつかなかった。
自分のベッドのカーテンもしっかり閉まっていて、「あれ、こんなにちゃんと閉めたかなぁ」と思いつつ、それ以上は疑うことなく「シャッ」とカーテンを勢いよく開けたのだった。
そしたら、そこには若い男女のびっくりした顔が…。
後で聞いたら、恋人同士で見舞いに来ていた彼氏の方は中国人とかで、愛情表現が日本よりもずっとオープンらしく、いつもカーテンを閉めて「チュッチュッ」とキスする音が聞こえていたという。
そんなとこのカーテンをいきなり開けた私って…。
それからしばらくは一々部屋番号を確認する私だった。

隣のベッドのおばあちゃん
私の隣のベッドには90歳を超えたお婆さんが入院していた。
骨折したとかで一カ月ほど前から入院しているらしく、まだ退院のメドは立っていないらしい。
耳が遠くて補聴器なしでは人の話が聞こえない。
言葉もはっきりしていないので、慣れないと何を言っているのかよくわからなかった。
自分では起き上がれないので、とにかく何かにつけて看護婦さんのお世話になっていた。

子宮筋腫で入院していて「お婆ちゃん」とよく声をかけていた人が退院した時に、このお婆ちゃんは寂しくなってしまったのか、その晩泣きが入ってしまった。
Mさんも痛い足をさすってあげたり、手を暖めてあげたり、それはもう優しく接していた。
明日退院という日には、ベッドが片づけられて広くなったスペースで車椅子に座ったお婆ちゃんを、Mさんと隣の病室のSさんと私で囲んでお茶会をした。
お婆ちゃんは、いつもすぐに横になってしまうのに、その日は体調が良かったのかニコニコしてずっと車椅子に座っていた。

私とMさんが退院する日、お婆ちゃんはまたとても寂しそうだった。
特に、Mさんが居なくなるのは辛かっただろうと思う。
そしてきっとMさんもそうだったろうが、何となく後ろ髪を引かれる思いで私は病室を後にした。

私がハタで見ている分には、どの看護婦さんも優しくてよくやっているなぁと思ったのだが、泣きが入った時のお婆ちゃんは「看護婦さんは自分をバカにしてる」と私に訴えたのだった。
「そんなことないよ。皆優しいよ」と言ったものの、気持ちは複雑だった。
人は誰でも年を取っていく。
自分で動けなくなったとしても、人は人として生きたいに決まっているのだ。
どんなに体が不自由だろうが、対等の大人の人間として扱って欲しいのだろう。

ちょっと一服
とにかく、病院の南側から見える新宿方面の夜景は絶品だった。
私の部屋がある北側から見えるものといったら隣のマンションだけで、南側の部屋が羨ましくて仕方がなかった。
談話室は南側にあり、最後の夜は消灯後もソファーに座ってしばらく夜景を眺めた。

Mさんはたばこを吸いに日に何度も1階の喫煙所に行く。
最後の日ばかりは、そのちょっと一服につきあって喫煙所にも行った。
点滴をいくつもぶら下げた人や、見るからに顔色が悪くて病人らしい人が煙草を吸う様は見ていて妙だった。

まぁそれとは別に、何だか最後の夜を惜しむ様に、Mさんの一服の後に暗いロビーで二人で延々とおしゃべりをしたのだった。
Mさんの主治医は若くてイイ男だとか、医者と患者で付き合い始める時ってどういう風に誘うんだろね、でも肛門科はそういうことはきっとないよね〜、とか他愛もない話。

Mさんからは後日連絡があった。
まだ痛みが酷いらしく、痛み止めが欠かせないらしかった。
それでも相変わらず一服はしているのだろうな。

人で溢れかえる肛門科
先日術後2回目の診察に行ってきた。
フライングしてジョギングなんぞしてしまい、傷口がちょっと開いてしまったこともあったのだが、一応これで終わりらしい。
それにしても、とにかく最初の時にも驚いたのだが、肛門科は老若男女で溢れかえっている。
それだけ痔で悩んでいる人は多いのだろう。

何でもそうだろうが、早期に治療すればそれだけ治りは早い。
20年も痔瘻を抱えていた人の話では、術後指が入るくらいの穴が開いていると言っていた。
それが徐々に塞がっていくのだろうが、やはり時間は相当かかるだろう。
痔核も、内痔のうちに手術すれば痛みもほとんどないのだが、それが外に出るまで育ててしまうと本当に大変だというのを目の当たりにした。

これでもう痔とは永久におさらばというわけではないので、今度もし何かあったらすぐに診察を受けに行こうと思う今日この頃なのだった。
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