子宮筋腫摘出手術体験記
手術までの経緯
2番目の子どもを出産する時だったかに、子宮筋腫がありますね、と言われたことがある。
生理時の出血は酷いし、「さもありなん」だったが、出産には影響なし、その後もたいして気にはしていなかった。
4年前に盲腸の手術をした時に、子宮筋腫は7cm大と言われ、定期的に検査する必要ありと忠告される。
1年後に検査に行ったところ、まだ大きさは変わらず。
その後、忙しさにかまけて検査にも行かなかったのだが、なんとなくお腹が出て来て朝など下腹に触れると何か異物感があり、さすがにこりゃちょっと変だということで去年の暮れに近くの産婦人科を訪ねる。
その時に筋腫の大きさは「小児頭大」で、手術するかしないかのボーダーだと言われた。
かかりつけの病院の先生にそのことを話すと、国立の大学病院の婦人科に信頼できる同期の医者が居るということで紹介状を書いてくださる。
そこで調べたところ、子宮筋腫はかなり大きかったが、女性ホルモン値も高いので今後益々成長する可能性が高い。ホルモン注射による治療は、更年期障害の症状が出る上に効果はさほど望めないという説明に、「切っちゃってください」とその場で即決断。入院の申し込みを行う。
ただし、ベッドの空きはすぐにはないらしく、2ヵ月くらい待つことに。

入院とその日のうちの外泊許可
6月2日(金)、いよいよ入院当日である。
前日に病院から確認の電話があり、朝9時半までには入院手続きをするように言われていた。
友人二人から荷物持ちで着いて来てくれると言ってもらい、なんだか仰々しい感じもしたのだが有り難く好意に甘える。

地下2階の入退院受付窓口で手続きを済ますと、8階の婦人科病棟へ。
8階はエレベーターをはさみA棟とB棟に別れ、B棟が産婦人科病棟になっている。
ナースステーションで書類を提出し、病室に案内された。
ナースステーションの前には、デイルームと呼ばれる患者さん達が食事を採ったり、面会の人達と談笑したりする部屋がある。
挟まれた廊下のつきあたりが処置室になっていて、そこを左に曲がると長い廊下が続いており、右側が婦人科の病室になっていた。
廊下の左側の壁には明るいデザイン調の絵が飾られていて、新しい建物ということもあり、非常に明るい印象だった。

私の案内された部屋はずっと奥の方で、四人部屋の左の窓側。
そこでパジャマに着替えてからまたナースステーションに戻り、身長・体重・熱・血圧・脈を計り、一通りの説明やら簡単な質問などに答え、看護婦さんに病棟を案内してもらう。
その時に看護婦さんの方から「週末は何か予定はないの?」と聞かれ、「下の子どもの運動会が日曜にあるんですけど」と答えると、「なら、外泊許可とれば」と言われる。
どうせ手術は6日なのだし、週末は外泊できればいいのだけれどそんなことは無理なんだろうなぁと思っていたのに、いとも簡単に許可が下りそうなのでちょっと拍子抜けしてしまった。
午後の教授回診が終わったら帰っても良いとのことだった。

病棟での担当の先生方が3人紹介される。
うわ〜、若い、しかも女性ばかり。
内診するにしても一々一人一人が診るので、一度では済まない。
ああ、これが大学病院というものか…。

病室に戻ってあまり経たないうちに、教授回診がキャンセルになったということですぐに帰れることになった。
一体今日は何をしに行ったのだろうと思いつつ、帰ってみるとテレビで同病院の医療ミスのニュースが流れていて驚いてしまった。
それで教授回診もなくなったのかなぁ。
しかし、手術前の身としてはかなり不安を煽られるニュースではあった。

手術前日/やること一杯
日曜に次男の運動会を見て、子ども達にも病院までの道のりを覚えてもらうために家族皆で病院まで行き、近くで夕食をとって駅前で別れた。
「じゃあね」と言って子ども達の後ろ姿を見送ったのだが、なんだかあらためてそんな風に別れるととても寂しい感じがしてしまった。

ベッドが窓側で喜んでいたものの、実際に寝てみるとこれが東側で朝は4時前から明るくなり、5時ともなると眩しい日の光がブラインドの隙間から入り込んできて参った。
こりゃ良い子に早寝しなきゃ。

6月5日(月)、手術前日には色々やることがある。
午前中に下剤を飲む。
下剤の粉を200ccの水で溶いて飲むのだが、これが甘酸っぱくて200ccくらいはなんということはなく飲めた。
しかし一向に効き目が表れず、その間に手術後に必要なT字帯やらパット等が入っている『婦人科セット』なるものを買いに1階の売店まで買いに行く。
その後、弾性包帯(?)も必要だと言われ、また買いに。
途中で下剤の効き目が表れたらどうしようかと思ってハラハラものだったが、結局下剤が効いたのは夕方近くになってからだった。

麻酔科から先生がいらして色々な質問事項に答たり、麻酔についての説明を受ける。
その時に手術前日は眠れないと困るので、一応入眠剤をお願いした。
それから、看護婦さんとサラシを折って腹帯の用意をし、当日分と次の日に必要な物一式をまとめる。
そして剃毛をしてもらったのだが、これが実に入念。背中とお腹まで「よく見ないとわかんないですよね」などと言いながら剃ってくれた。
その後でトイレに行ったら、なんだか綺麗に剃られた後が可笑しいような悲しいような、「いよいよなんだな」という気持ちで複雑だった。

金曜日に行われるはずだった教授の入院診察なるものがあり、処置室の方に呼び出される。
私の他にもう一人椅子に座って退院診察を待っている人が居たが、ひどく緊張している様子だった。
大学病院では「教授」という存在は、絶対的なものらしい。
私にはまだ彼女の緊張の意味がよくわからなかった。

6時頃、旦那が手術の説明を聞く為にやってきた。
そこに仕事で知り合った人達が見舞いに来てくれて、デイルームに行ってしばらく話をする。
そうこうしているうちに外来担当だったT先生がいらしたらしく、「説明がありますから」と診察室の方に呼ばれた。
私の方はもう一通り聞いた話ではあったが、ちょっと緊張したのかフッと気が遠くなりそうな感じがしてしまった。
旦那の方は、「子宮をとったからといって女性らしさがなくなることはありません」との先生の言葉に、「元々私の方が女性らしいくらいですから全く心配してません」と相変わらずだった。

夜には浣腸をされたのだが、これが診察室でやってくれたものだから、一番こちら側の角を曲がったところにあるトイレまで行くのが大変。
お尻にティッシュを挟み、手で抑えながらそろそろと歩いて行かねばならないのだが、長い廊下がなんと恨めしかったことか。

ようやく一段落したところへT先生がいらして、少し話をする。
他の科だったが、投薬ミスが話題になった直後だっただけにちょっと不安になって入眠剤について尋ねたら、先生は中身を確認して、「これは一般的に用いられているものですよ。体重の軽い人なら半分でもいいんですけどね」とおっしゃった。
その言葉に安心して、早々にその薬を飲んで眠ることにした。
目覚めたらすぐに手術の準備なんだよなぁ。

手術当日/眠れぬ夜
6月6日(火)、入眠剤のおかげで早く眠れたので気分は上々。
朝一でまた浣腸をされたのだが、今回の看護婦さんは車椅子で入れる大きめのトイレの中でやってくれたので前日のような醜態を晒すこともなく助かった。
手術着に着替え、足に弾性包帯を巻いてもらい(血栓が出来るのを防ぐためだそうだ)、ストレッチャーの上に横になる。
筋肉注射をされて、時を待つ。
この筋肉注射には、2つの薬剤が併用されているそうで、一つは鎮静剤で手術前の緊張を和らげるもの。もう一つは唾液の分泌を抑えるものだそうだ。

いよいよだ。
看護婦さんがストレッチャーを押して手術室に向かう。
天井の景色がどんどん流れて行く。
エレベーターのところで旦那とはお別れ。
5階の手術室に入ると、まるで給食の食器を渡すような感じで窓口の手術スタッフの方に引き渡されるのだが、ここの患者は全員手首に病棟と名前が書かれたビニールのバンドをしている。
それを確認しつつ、なお「名前を言ってください」と言われる。
この状況は後で他の人達とも話したのだが、このままラップかけられて値段つけられそうだったよね、なんてなんだかちょっと笑えた。

手術室に入ると、手際良くあれこれとコトが進められて、背中への麻酔も痛み止めの注入の後打たれたのでほとんど痛みはなく、左手に管を入れられて「冷たい感じがしますよ」と言われた直後、スーッと血管の中を冷たい液が流れていく感じがしたと思った瞬間意識がなくなった。
私はこれが麻酔薬なのだと思っていたが、事前に渡された麻酔の説明書によると鎮静剤だそうで、これによって眠ったところで、喉の奥の気管にチューブを入れ、そのチューブを通じて酸素と一緒に麻酔ガスを送り込むのだそうだ。

さて、意識がなくなった次の瞬間「終わりましたよ」の言葉で目を開いた。
喉の管を外すのが「おえっ」となって辛かったが、でもとにかく終わったんだ。
そう思ったらほっとした。

病室のベッドに戻された時には腹が酷く痛かったが、「少しずつ背中から麻酔が入りますから痛みは軽くなりますよ」と言われ、その通り手術の後の痛みそのものはその後あまりたいしたことはなかった。
それよりも同じ体勢でいたせいか背中が痛くて、横を向きたかった。
側には旦那が居て、その後すぐに長男も来てくれていたのだが、麻酔が完全に切れていないせいかウトウトしていたし、話すことはできなかったが何か安心感があった。

T先生からは、出血が酷かったけれども輸血はせずに済んだ、尿もよく出ているし綺麗なので問題ない、明日はできればベッドに腰掛けられれば良い、歩ければなお良い。ガスは早ければ明日の夕方には出る、ガスが出れば食事が始まります、などのお話があった。

旦那が、摘出した筋腫を見せてもらいながら説明を受けた時の話では、筋腫を切ると中は白く、ほとんどが脂肪だということらしかった。
何もこんなところに脂肪をため込まなくてもいいのに…。

辛かったのはその夜だった。
止血剤の点滴のせいで、吐き気が酷く眠ることが出来ない。
吐き気止めを点滴の中に入れてもらうが全く効き目がなかった。
いつ吐いてもよいように空豆型の容器に左側の顔をつけて吐き気と戦った時間は、とにかく果てしなく長かった。
それから麻酔の管を気管に入れていたせいか、たんがやたら出て気持ち悪かったし、それを出すのも一苦労。
あーそうか、手術が終わればそこでおしまいなのではなくて、ここからがスタートなんだな…。

術後1日/眠れない
6月7日(水)、窓の外が白々としてようやく止血剤の点滴が終わり、吐き気が止まったが、眠ることは出来なかった。
他の人に聞いたら、手術の晩は麻酔が抜けきらないせいかウトウトと眠ってしまうものらしいから、止血剤などを点滴されなければそれほどのことはないのだろう。

朝、看護婦さんが来てベッドの頭の方を上げたのだが、それだけで頭がくらくらして目を開けることも出来なかった。
しばらく後でまた違う看護婦さんが来て、体を拭いてくれて着替えをさせてくれる。
4年前にやった盲腸の時よりも、傷そのものの痛みはなく、体もスムーズに動かせる。
「体がよく動きますね」と看護婦さんに誉められる。
なんのこれしき。

体を動かすのに苦労はしなかったが、前の晩あれほど眠れなかったのに昼間も何故か眠れないのには参った。
昼過ぎ頃、突然左側の下腹が熱いような感じに襲われてかなり焦り、パニックに陥りそうになる。
どうやら背中に注入している麻酔が切れたらしかった。

普通はこの日もう一人でトイレに行かされるのだそうだが、私の場合は貧血が酷いということでとにかく無理をしないようにとのことだった。
何もしないのもなんだか悔しいので看護婦さんにお願いして、病室の入り口まで歩いてみた。
やはりふらふらだった。
後で聞いたのだが、手術時の出血は1000cc、直後のヘモグロビン値は8.5ということだった。

熱はかなり高めだが、これは吸収熱といって術後には出るものらしく、3日もすれば下がると説明される。
夜にはようやく眠れたのだが、自分の枕の辺りから得体の知れない植物のようなものが生えてくる夢を見たりして目が覚めた。
その夜はなんだか変な夢ばかり見ていた。

術後2日/一人で歩けた
6月8日(木)、今日こそ何が何でもトイレまで行くぞっと目覚めた時に心に誓う。
いつまでも尿管が入っているのは気持ちが良いものではないし、膀胱炎にもなりやすいとも聞く。
朝、看護婦さんに着いて来てもらい、何とかトイレまで頑張って歩いた。
やったー、これで尿管を外してもらえる。
それにしてもトイレに近い部屋で良かった。
これがトイレから遠い部屋だったら大変なことだったろう。

腸は活発に動いていて、もの凄く空腹感もあるのにガスが出ない。
盲腸の時は、別に何もせずにスーッという感じで出たのでそういうものだと思い込んでいたのだが、看護婦さん曰く、どうやら多少お腹に力を入れないとそう易々と出るものではないらしい。
そうだったのかぁ…。待っているだけではダメなのね。
「一人でトイレ」の次の目標は「ガスを出す」だ。

点滴は朝晩2回の抗生剤と、後は見慣れた栄養剤とか。
書かれている患者名とか、点滴液の名前とかいちいち確認してしまう私だった。
黒っぽい色の液が持って来られた時はびっくりしたが、鉄剤だそうだ。

ようやく多少の余裕も出て来て、傷が何針なのかを尋ねてみたりした。
「ホチキスで22。縫った場合だと12針くらいの長さかなぁ」と言われた。
手術前には「臍の上まで切ることになるかもしれない」と言われていたのだが、それを免れたのを確認できた時にはとても嬉しかった。

窓はとても広かったが、隣りのホテルの建物の上部が見える他は全面空である。
雲がどんどん形を変えて流れていく様は、見ていて飽きなかった。
やはり窓際でよかったな、と思う。

術後3日/ガスが出た
6月9日(金)、朝4時頃トイレで頑張ってガスを出す。
ようやく昼から食事が始まった。昼は重湯、夕食は3分粥だった。
何にせよ、食べられることは嬉しい。

隣りのベッドの人が予定よりも1週間遅れて退院となる。
とりあえずほっ。というのも、とにかくイビキが凄かったもので…。

すぐに二人部屋の方から、人が移されて来た。
とても感じの良い人で、すぐに打ち解け、それから入院生活も楽しくなっていった。

そうそう、大学病院ならではの教授回診について少し触れておこう。
とにかく教授回診の直前には、病棟全体がぴりぴりしている感じがする。
看護婦さんが回って来て、ベッドの頭の方が上がっていると下げてくださいねとか、何かと注文をつけたり整えたりしていくのだ。
教授がたくさんの人を引き連れての回診の様は、昔テレビでやっていた「白い巨塔」そのままで、まるでBGMが聞こえてきそうな雰囲気だった。
一人一人のベッドの脇に教授が来て、担当の医師が緊張の面持ちで経過報告を読み上げる。
これが、教授が居なくて助教授の回診となると、ぐっとみんなの緊張感が弱まるのがなんだか妙に可笑しかった。

術後4日/食事がうまい
6月10日(土)、久々にイビキに悩まされることなく、よく眠れた。
食事は5分粥、7分粥、全粥とどんどん進む。
食事はデイルームの前に運ばれて来るので、歩ける人は各自が取りに行く。
私の部屋からはトイレは近いが、デイルームまではかなり距離がある。
往復で160歩ほどにもなるので、結構良い運動にはなるが、最初のうちは大変だった。
朝食ははりきってデイルームで同室のおばあさんととったのだが、人に気を使いながら食べるのはちょっと脂汗ものだったので、しばらくは自分のベッドの所で食べることにする。

午後からは旦那と次男の他にも、お見舞いの人達が何組か来てくれた。
窓辺には綺麗な花がいくつも並んでいた。
有り難いことだと思う。
ネットで知り合ったサッカー好き(城ファン)の若い娘達が、いつも見ている掲示板等をたくさんプリント出力してもってきてくれたのも嬉しかった。
とにかくみんなに感謝。

術後5日/点滴が終わった
6月11日(日)、夜には鬱陶しかった点滴がようやく終わり、針を抜いてもらう。
点滴が終わった後、血液が凝固しない液を注入して管を腕に止めておくのも、点滴を再開するのもその日その日で違う若い先生がしてくださるのだが、これがなんとなく頼りなくて怖いのだ。
ベテランの看護婦さんが横で指導していたりして、これも大学病院ならではなんだろうな、と思ったりする。

T先生が夜にいらした時に、後は鉄剤だけだから注射で入れればいいから点滴の針は抜いてしまいましょう、とおっしゃったのでほっとした。
点滴の針の先の方の血管が固く腫れているのも気になっていた。

術後6日/ヒマだ〜
6月12日(月)、鉄剤を注射で血管に注入してもらう。
「鉄剤ってカラメルみたいな色なんだよ」と言ったら、隣りの人がそんな色のものを注射するところが見たいと言う。
若い先生は「緊張する」などと言いながらやっていたのだが、本当に緊張したのか見事に漏らしてくれた…。
結局、違う腕にもう一度。
ということで、一人前の医者になるには練習が必要なのよね。
国立は費用が安いと聞いたけど、練習台になっているんだから、多少はその分差し引いてもらわないと(笑)。

さて点滴からも開放されたので、シャンプー台に行って頭を洗った。
久々にさっぱりした。

他にやることもなく、終日お隣さんと「ヒマだね〜」を連発していた。
しかし「暇だ」なんて言えるほど体も楽になったということで、人間の回復力は凄いんだな。

術後7日/ホチキスを外す
6月13日(火)、手術から1週間。
1週間経ったということで、どうやら無事だっんだという実感がこみあげてきた。
私の母親が6月8日に亡くなっているので、そんなことがやけに気になっていたのだった。
母もやはり子宮筋腫で手術ということになったのだが、その時には腎臓の病気が悪化していてとても手術などできる状態ではなかったのだ。
まぁ、これで母親を超えてあげられたな、と…。
ちょっと変な言い方ではあるけど、そんな思いに浸っていた。

傷を止めていたホチキスを外す。
傷は早くから綺麗についていたようで、ホチキスを外すのもたいして痛みはなかった。
痛みが少なかったのは脂肪がついてるせいかな…。
痩せている人は「結構痛かった」って言ってたんだけどな。

術後8日・9日/予定なし
6月14日(水)、ホチキスを取った後の様子を見てシャワーの許可が出る。
喜び勇んでシャワー室へ。
今まで、横になった状態でしかお腹を見たことがなかったが、この時初めて立った状態で手術の後を見る。
ううむ、あれだけの大きさの物が取れたら、どんなにお腹がぺちゃんこになるのだろうかと期待していたのだが、やはり脂肪もそれなりについていたようで、たいした変化もなくかなりショック。
まぁなんにせよ、久々のシャワーは気持ちが良かったけど。

点滴の針の後固かった血管の周りが赤く腫れて、夜中ズキズキするほどになってしまった。
治るには1ヵ月くらいはかかり、あまり酷いようならステロイド剤を使用することになる、と言われたのだが、とりあえずアイスノンをもらって冷やしていたら、腫れは引いてくれた。

前日の夕方に次の日の予定が看護婦さんから知らされる。
「山本さん、明日は予定ありません」という日が続いた。

病院の中はとにかく広い。
万歩計をつけていたのだが、とにかく「よく歩いた方が治りも早い」という言葉を信じて、下の売店に行ったり廊下を行ったり来たりして一日3000〜4500歩位歩いていた。
手術の後で、盲腸の時の癒着が見られました、と言われたのだが、術後歩くことにより癒着を防ぐことができるのだそうだ。
盲腸の時にはそんなこと言われなかったもんなー。病院も狭かったし…。
それに比べて今回は非常によく歩いた。
そのせいか、貧血以外は非常に順調に回復したようだ。

術後10日/退院診察
6月16日(金)、何故か2時から目が覚めてしまって眠れなかった。
いいかげん病院のリズムに慣れてもいいのに、だいたい2時間おきくらいに目が覚める。
たいして尿がたまっているわけでもないのに、トイレにすぐに行きたくなる、というのもあって、長い時間ぐっすりと眠るということがあまりなかった。

「今日は昼寝をしよう」などと思っていたら、面会時間前に神奈川から友人が何年ぶりかで会いに来てくれた。
わざわざ遠くから来てくれたのがとても嬉しくて、たくさんお喋りをする。
その後も、見舞いの人が来て結局昼間も寝られなかった。
ちょっと寝不足は辛かったが、もう少しの辛抱だ。

いよいよ教授の退院診察である。
この病院では、いくら病棟の医師が「もう大丈夫でしょう」と言っても、教授がOKを出さないと患者は退院することができない。
教授の診察は月曜と金曜にしかない。
この日がダメなら月曜にまた診てもらうことになるが、月曜がダメとなると次は金曜なのだ。
入院診察の時の、あの退院診察を待つ人の緊張した気持ちが少しわかった。
隣りに座って退院診察を待っていた人も「退院審査なんて言って看護婦さんに笑われちゃった」と言っていた。

診察はあっという間に終わった。
やったー。退院だ〜。

術後11日/いよいよ退院
6月17日(土)。
退院時の薬ということで、鉄剤が2週間分出される。

旦那は9時には来るということで、朝からせっせと荷物の整理などをする。
最後の食事をデイルームでとって、知り合った人達に挨拶をして、ナースステーションでお礼を言おうと思ったが、土曜で人が少なく皆忙しそうにしていたので何も言わずに出てきてしまった。
こういうところも大病院ならではなのかな。

帰りはタクシーで、と思っていたが、結局タクシーに乗るにはJRの駅前まで行くことになるので電車で近くの駅まで乗って、そこからタクシーに乗って我が家へ。
たった2週間ちょっとのことなのに、やけに懐かしい思いがした。

しかし、懐かしい我が家は台所はさすがに料理好きの旦那だけあってピカピカに磨かれていたのだが、部屋の方はかなり酷いことになっていて、見るに見かねて帰るなり掃除などしてしまった。

家に戻ってから
病院であれだけ歩いていたのだからと、結構自信を持って帰ってきたのだが、病院に居た時のようにちょこちょこと歩数を稼ぐのとは違い、家から出てスーパーに行くなどというのは何日か経ってからもかなりしんどかった。
ふらふら感はやはり貧血のせいなのだろう。

19日からの1週間はひたすら眠ってしまった。
やはり病院に居た時とは違い、リラックスできているらしい。
寝ても寝ても眠れてしまうのだが、体がそう欲しているのだと思い、自然に任せた。

次の週からはかなりしっかりとしてきて、体力もついてきた感じがする。
かかりつけの病院で鉄剤のことを話すと、術後は胃腸の働きが弱っているのでそれによって下痢してしまっては何にもならないから、週に2度血液に鉄剤を注入してくれることになり、無理に鉄剤を飲まなくても良いと言われた。
実際、下痢が続いていて困っていたところだったのだ。

家に戻ってから、帯下に黒っぽい血が混じっていることがあり、気になって病院に問い合わせてみたのだが、次の診察の時に話してくれればよい、ということでさして気にすることでもないようだった。
今はとにかく、栄養のバランスを考えてよく食べる、無理をせずごろごろする、に徹している。

7月10日に術後診察に行くのだが、その時に組織検査の結果が出て、それで異常がなければこの話はこれで終わりになる。
とりあえず、ここでアップしてしまおう。
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