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武川村にある『真原桜並木』(さねはらさくらなみき)は、同じく武川村の樹齢何百年の大樹『神代桜』より 2キロほど北へ上ったところにある、山の中にあるすてきな桜並木です。 死をテーマにした人気ドラマ[僕が生きる道]のロケ地。 SMAP草gさんが主演でしたね。 ほかにも韮崎駅や長坂町のオオムラサキ館などもロケ地として使われました。
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2003/10/12より韮崎駅に、念願のエレベーターと車椅子用トイレが完成!(^_;)やっと出来た! エレベーターは私の関知するところでは峡北地域の駅で初設置だ! うん('_')......ン?待てよ。 ひょっとすると、山梨県初だよ?! めでたいやら、呆れるやら、でもめでたい! |
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甲府第一高校の毎年恒例行事、強行遠足が昨日から今日10/4〜5にかけ 行われました。 作業所の帰り、車窓から歩道をみると、ジャージに学ランを重ね着した 高校生らしき男の子がぞろぞろと歩いていた。 集団登校にしては変だし(?_?)作業所の職員さんに聞くと 「あれは一高の強行遠足だよ。」と教えてくれた。 一高の強行遠足と言ったら有名なんだそうで、何でも、男子は丸一日かけて 甲府〜長野間100km以上の道のりを夜も眠らず歩くそうだ。 私はそれを聞いた瞬間ギョッとした。ひえ〜(O.O;)(o,o;)絶対まねできない! 眠らずになんて歩けないし、今の時期だと夜はかなり冷え込む、 歩けば歩くほど冷え込みは厳しくなる。 過酷だ。 茶髪の子もロン毛の子もみんな真剣に自分のペースで歩いていた。 女子は次の日、小海町までの47,4kmの道のりを制限時間内に歩く。 これも過酷だが、隠れイベントがあった。 女子は男子の出発を見送るとき男子に、お守りを渡す。 もちろん手縫いで義理と本命があり,中身は、あめやばんそこうなどで 本命はそれに+α入れるそうだ。 そして強行遠足終了後、本命の彼からお返しにりんごをもらえれば、 その恋はかなうんだそうだ。 う〜ん。ヽ(´'`)ノ 青春だなぁ〜。 |
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今日は甲州民話の一つ、「除福伝説」を少しご紹介します。 山梨県富士吉田市に「福源寺」というお寺の境内に鶴塚があり、 江戸時代、その場所に1羽の鶴が迷い込み、そこで息絶えたのを看取った、 当時の住職が供養の意味でたてたそうで、その鶴は除福の生まれ変わりと 言い伝えられているそうな。 今から2200年ぐらい前、いまの中国に万里の長城を築き、 勢力をのばしていた始皇帝は、富士山のふもとに不老不死の薬があると知り、 家来の除福に取ってくるよう命ずる。 さっそく除福は沢山の下部を従え、海を渡り富士山のふもとの村へたどり着き、 村人に薬のことを話すと「それは森にあるコケモモだ。」という。 除福はすぐさま森へ入り、険しい道をかき分けかき分け、やっと見つけだした コケモモの真っ赤な色は、まさに不老不死を思わせる色だった。 しかし、時すでに遅く、除福が忠誠を誓った始皇帝は他界してしまった。 悲しみにくれた除福は、祖国には戻らず、そのままとどまり、余生を送る。 除福は村人たちに、中国伝来の機織りを教え、その機織りは、織ればお札や 鶴が出ると言われ、村人たちに慕われ除福は静かにその生涯を閉じた。 その数年後、1羽の鶴となって除福は村人たちにお礼を言いにその村を訪れたそうな。 |
写真はうちの近所のぶどう畑で、 袋をかぶる寸前の葡萄です。 6月中旬に撮影しました。 袋付けの真っ最中です。 小さいぶどうのつぶつぶが見えるでしょうか? 見た目も堅そうです。 さすがの私でも食べられませんでした。 次に見るときは立派なおいしいぶどうになっていることでしょう。 この時期、桃も走りが収穫間近で、 4月、ピンク一色だった桃畑が桃の実を付け、 ほのかに甘い香りを漂わせておいしさ一色に変わりました。 畑のあっちこっちに「もも。直売!発送!」という 色とりどりの旗が立てられてテントを張って即売場もできています。 そして桃の木の下、一面には銀色の反射シートが敷き詰められて、 照り返しの厳しい中、黙々と作業する、農園の人達の姿は胸を打たれます。 やはり太陽の光をいっぱい浴びた桃は、あま〜いんだそうです。 桃の一番おいしい時期は7月下旬ですって。 値段も、東京のスーパーの値段の半値ぐらいで買えちゃう安さで、 その場でもいだ桃をおまけしてくれます。 うちの隣町の新府桃市場には、朝早く行くと 傷物の桃が段ボール1個、1000円ぐらいで買えるようで、 全国各地から買いに来る人も少なくないとか。 雨上がりなどは、桃がポトポト落ちていて、もらいたいぐらいです。 うちのお母さんも「お中元に良いわ。」とおいしそうな桃を注文していました。 お次はぶどうの時期だ!。 |
![]() こいのぼり |
![]() 武者のぼり |
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鯉のぼりの写真。これ2枚になってますが、一軒の家のもので近所ではこういった立派な 鯉のぼりが、競り合うように優雅に泳いでます。 これを見て私は、小さいとき横浜の根岸で見た鯉のぼりを思い出しました。 うちの斜め向かいの材木屋さんの鯉のぼりが、このくらいの大きさで、立派な鯉のぼりは その当たりでは、その家のしかなくて、よく見せてもらってたっけ。 でもその家も、私が小学校3・4年のころ、大きいマンションに建て替えちゃって、 鯉のぼりもあげなくなってしまったのです。 それからごぶさただったから、久々に見てしかも立派なものがあっちこっちたくさんで びっくりしました。 そして隣にあるのが「武者のぼり」です。 山梨はなんと言っても、武田信玄ですから武田の家紋が大きく記してあり下の方には、 信玄の勇ましい武者姿が描かれています。 やはりこの地方の強者の男の子、と言う象徴は武田信玄のようです。 しかも大きい家は自分の家ののぼりもあげています。この写真は守屋という家です。 よく見ると見えると思います。 あと、山梨は節句の飾りに鎧と甲以外に信玄のお面を飾るそうです。 由来はやはり信玄のような男子になるようにと、願いを込めて飾るそうです。 お面は手作りで、作れる人は県内にもうたった一人になってしまったようです。 伝統を続けさせるのは、大変なことですね。でもなくならないといいなぁ。 今日は晴天、鯉のぼりも気持ちよさそう・・・。 | |
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お赤飯が甘い〜!とびっくりされる方も多いかと思いますが、山梨では当たり前の ことだそうです。 横浜育ちの私もこれに遭遇したときは。(O.O;)(o,o;)ひいてしまいした。 一瞬、砂糖と塩をい入れ違えたか!?とお店に問い合わせるところでした。 (;^_^A アセアセ…) さすがの私でも食べられませんでした。 しかし地元の方はおいしいと言って皆、塩味のお赤飯を私が食べるように食べて いました。 なんでも、甘ければ甘いほど上等だそうです。 何で、山梨のお赤飯は甘いのでしょう? まずは、そのルーツを探ると、(TVでみたんですが)甘いお赤飯は、他県にもあり、 しかも甘いお赤飯には、甘納豆で甘くするのと小豆を砂糖で煮る作り方と、 2種類あるようです。 山梨県は後者の方が正当な作り方だそうで、他は東北地方、特に青森県と北海道の 札幌あたりが多いようで、北海道は食紅でご飯を赤くし、それに甘納豆を加える 作り方を、十数年前に主婦が考案、それをローカルTVで紹介したのが きっかけだそうです。 なんと青森県は、山梨と一緒なんです。 なぜ、離れた県同士が同じ習慣なのかというと、戦国時代に遡ります。 武田信玄の時代、山梨がまだ甲斐の国だった頃、武田の家臣が東北征伐で今の 青森県へ渡り、そこで甘いお赤飯を作らせて広まったそうです。 と言うことで、甘いお赤飯のルーツは山梨県とわかったですが、では、なぜ甘い 煮小豆のお赤飯になったんでしょう? それは、山梨独自の書食べ物、「ほうとう」にありました。 私は、一度食べましたが、見た目はきしめんをもっと幅広にした感じで、食感は もちもちして、白玉ぐらいでしょうか。 それを肉や野菜を入れてみそ仕立てで煮込むと、ほうとうがトロッとして、 めっちゃ!おいしいんです。(‥?) 話がそれました。ゴッホン(^0_0^) 戦国時代、米不足でこの一体では、「ほうとう」が主食でおめでたい日には、 「ほうとう」に小豆を入れて甘く煮て、お汁粉のように食べていたのが、 時代と共に国も豊かになり、米が主食に変わったのが要因だと言うことです。 それが代々受け継がれているのです。 まー。お赤飯で武田信玄の時代まで遡るとは思ってもいませんでしたわ。(^^) |