2000年6月27日 天理中学での講演内容

皆さん、こんにちは。
見ての通り、読んでくれた方は(事前に自己紹介のプリントを配布している)分かると思いますが、脳性マヒという障害を持って生まれてきました。
そのために手と足と口と背中と、と言うか全身が自由が効きません。
不随意運動と言って、常に動いていますのでちょっと目障りかもしれませんがご了承下さい。
口も聞いて分かるとおりマヒがあるので、聞き取りにくい部分もあると思うのですが、その時はどんどん聞き返して下さい。
今日は30分間お時間を頂いているのですが、軽く私の方からの話を聞いてもらって、その後、皆さんからの質問に答えたいと思います。

私は昭和52年に東京で生まれました。
お母さんのお腹にいる間は全然健康で、10ヶ月育ちました。
赤ちゃんは、中学生だから勉強していると思いますが、保健体育でね、お腹の中で羊水というお水の水玉に入って育っているんですね、浮いて。
生まれる時はそれを破って、お母さんの産道という道を通って生まれてくるんですが、その過程の中で失敗しちゃった、ドジっちゃったんですね。
なかなか出ることが出来なくて、普通、陣痛と言ってお母さんのお腹が縮んで痛くなるんですね。
めちゃくちゃ痛いそうなんですが、なんか鼻の穴からスイカをを入れたような痛みだとか言う人もいるんですが、とにかく痛みがくるんですね。
だいたいその痛みがきて早い人は2、3時間、まぁ5、6時間で生まれるんですね。
でも私はその陣痛が弱くって、丸一日お母さんは苦しんで、出そうなのに出ない感覚でずっと苦しんでたんですよ。
その間に私はお腹の中の途中で弱ってきて、間違えてその水を飲んでしまったんですね。
その水が肺に入ってしまって、呼吸困難を起こして、肺炎を起こして自分で出てくる力がなくなってしまって、鉗子と言って大きい鉄のハサミですか、切れないのだけれど、物を挟むヤツで、頭を引っ張って出して、で、やっと出てきたんですよ。
出てきても仮死状態、私、息していないんですね。
6分間ぐらい、お医者さんが私のことをバンバン殴ったんです。
それでやっと産声を上げてすぐ保育器に入れられて、一命は取り留めたんですが、6分間も息をしていなかったので、人間は酸素で生きいますよね、特に細胞は、酸素がないと死んでしまいます。
6分間、酸素がなかったので、頭の運動機能の細胞が死んでしまったか?マヒしてしまったんですね。
それでこういう体で生まれてきました。

でも、おうちもお教会でしたし、お母さんのおばさん、おばあちゃん、前会長さんが いらしたんですが、大好きな、すごく良い会長さんで、私のことをすごく可愛がってくれて、すくすく大きくなって、姉妹も二人いるんですが、障害があるとか関係なく姉妹ケンカも派手にやっていましたし、取っ組み合いのケンカもやっていました。
すごい、全然そんな、普通に暮らしてきました。
小学校も中学校も、今はちょっと車椅子に乗っていますが、歩けるんですよ、私、少し。
歩けましたんで、小学校も中学校も普通の皆さんと同じクラスの一人として、学校に通いました。
最初は階段も昇れなかったんですよ。
昇れないと教室に行けないので、最初はお尻で昇ったり降りたりしてました。
いつも服が、お尻が真っ黒で、お母さんに「どうしたの、これ?」と言われて「階段昇っているから、階段を拭いているの」と冗談ばかり言って、だんだん中学生になって体が成長してきてしっかり、おかげさまで歩けるようになったんです。
自分でもうちょっと歩いてみようかなと思って中学校は歩いて15分なんですね、普通の人で、私だとゆっくり歩いて30分かかるんですけれど、その道のりを歩いて通おうと思って、先生にカバンを、中学校ではカバンが決まっているでしょう?私はそのカバンだと持てなかったので、リュックに替えてほしいと先生にお願いをして、許可を頂いて歩いて通うようになったらもっと体が丈夫になって、最初は学校に通うだけで疲れてしまって、授業中は死んでたんですが、体が慣れてくるとだんだん、通っても授業もちゃんと受けられるようになって、体も丈夫になっていきました。

まあ、でも残念なことに小、中学校はいじめに遭いましてね、お友達を残念ながら作 れませんでした。
小学校1年生から中学校3年生までずーっといじめが9年間続きました。
だんだんいじめられてくると私の方が暗くなってしまうんですね、いじめはよくある無視とか、バイ菌扱いとかあらゆることをやられましたが、言葉の暴力はしょっちゅ うでしたね。
言葉の暴力というのは、手で暴力を振るうのも傷を負いますが、言葉の暴力というのはすごい後を引いて一生消えませんね、あれは。
ケガをして手を切ったと言ってもだいたい1ヶ月もすればきれいに消えちゃいますよ ね。
消えちゃえば自分も忘れちゃいますけど、心の傷というのはいくら時間が経ってもとれません。
そのぐらい、言葉って、怖いものだし大事なもの。
悪く使えばすごく怖いものになるし、よく使えばとても素晴らしいものだと思います。
先生にほめられたり、友達に勇気づけられたりすることがあって、やっぱり、自分の中に一生残りますよね、何回も思い出して『ああ、頑張ろうかな』って思うと思います。
でもやっぱり人間ですから時としてちょっとしたことでケンカもあって、その時は何でもなくても、ちょっとした一言でその人を傷つけてしまうこともあります。
言っている方は結構忘れているんですけれど、言われた方は本当に忘れられないんですね。
ことあるごとに出てきて、その言葉と自分が葛藤しなければならない。
私なんかも小学校、中学校とひどいことを言われて、その時はもう悲しくて悲しくて耐えられなかった、今思うとよく言えるなあということを言われました。
今、私23ですけれど、今でもハッキリ覚えています。
何かやろうとする時に一回は出てきますね。
最初は出てきても気にしないと言うか、あんまり差し支えなくなってはいますが、それが原因となって自分のやりたいことをチュウチョしてしまうことがあります。
特に、中学生ぐらいの出来事は人間生きている間で一番思い出に残る時です。学生時代というのはね。
言葉っていうのはすごく大事だと思います。
今もいじめが原因で亡くなっている方もいます、事件を起こしている方もいます。
たぶん辛かったんだなあと見て思ったりしています。

私はこの間、読んだことあるかもしれませんが、【だからあなたも生きて】という本があります。
大江さんという方が書いた本で、この人は今、女弁護士さんですが、いじめが原因で割腹自殺を図って、それが未遂に終わって今度はグレちゃって、極道の妻になって背中に入れ墨をして、ずっと20代後半までグレた生活を送っていたんです。
まあ、いじめが発端ですが、親が理解してくれなかった、自分がいじめられても親があんまり世間体を気にしちゃって、自分をかばってくれなかったという理由もあるんですが、まあ、そんなこんなでずっとグレていたんですが、ある時、一人の男性が救ってくれるんです。
その言葉で『確かにあなたは悲劇かもしれないけど、立ち直れないということを人のせいにばかりしてないか、自分で立ち直ろうとしてないんじゃないか』と言ったんです、彼女に男の人が。
彼女はその言葉にうたれたんですね。
自分が今までグレてたのは親のせい、人のせい、「お前が私のことを分かってくれないから私はこうなったんだ、お前が悪い、あんたが悪い。」そういうことをずっと思ってたんですね。
自分も責任があってそういうぐちゃぐちゃな非行に走ってしまったのに、全部親のせいにする、親が理解してくれない、親が分かってくれない、気持ちも分かりますよ、私も親子ケンカするんで、しょっちゅう親とケンカしてね、親と意見が合わないんですが、自分のことを分かってほしいというのは大切なことですが、相手が分かってくれないからって、それを理由にイライラしたりいじめてみたりするというのはやっぱり良くない。
自分にも良くないんですね、何かすねた感じでね。
私はいじめられた時はそういう感情もありましたよ。
何でいじめられなきゃいけないんだろう。
別に好きでこんな体で生まれてきたわけではないし、誰のせいでもないし、ましてや親のせいとは思ってません。
こんな体イヤだなあと思ったこともあります。
死んだら楽になるかなあと思った時もあります。
でも死んだからといって、次に生まれ変わった時に健康な体で生まれるとは分からないし、どこに生まれ変わるかも分からないし、ましてや死んでしまったら、私という人間は抹消されてしまう。
死んでしまったら終わりですから、誰も覚えていてくれません。
たぶんいじめてた人だっていじめられた人は覚えているのですが、いじめてた人はたぶん、いじめていた相手を覚えているわけがないんですよ。
だって、いじめってけっこう、私はいじめられっ子だったからいじめる子達の気持ちはちょっと分からないんですが、きっと、いじめる子達もけっこう悩みがあって、それを自分の中で整理できないから、そういう、いじめやすい子に八つ当たりしているだけなんだ、と私は思います。
そうであるならば、やっぱりいじめている子は誰でも良いんですよ、相手は。
だから、いちいち、いじめている子の顔とか名前とか自分がいじめた事なんて覚えてないんですよ。
だから余計、罪の意識もないんですよね。
でもいじめられている子はすごい傷ついているから、もう毎日毎日言われること、やられること覚えているし、それが一生引きずっていかなければならない。
でも私は思うんですが、そうやって、いじめられたことによって、すごい悲しみとかね、悲しい言葉とか、全部体験するわけですから、それをね、自分で忘れないで、良い方にもっていくように。
私はそうもっていきたいと思っている。
今日は「おもいやり」という題名をつけさせてもらいましたが、私はもう、自分がね、そうされてきたことがすごい悲しいことだし、嫌なことだったから、絶対他人にはそういうことはさせたくない、味わせたくないし、逆にそうされている子の気持ちは少しは分かるから、やっぱりそういう子達は助けてあげたい、助けるって言うのもおおげさですけどね。
分かってあげたい、と思います。
それが「おもいやり」だと思うし、「おもいやり」っていうのは、けっこう学校でも習っていると思うんですけれど、難しい事じゃないんですよ。
ちょっとお母さんがえらそうだな、大丈夫かな、それだけで「おもいやり」だし、あそこの歩いているおばあちゃん、ちょっと荷物が重そうだな、ああちょっと大変そうだな、って思ったこと自体で「おもいやり」。
それがまた、あ、かわいそうだからって言うか、大変そうだから荷物を持ってあげる。
実行に移す、それはもっとすごいことですが、なかなか実行に移せないのが今のところですが。

今日もね、あの、さっき校長先生が24日の日に、私はあの、本当はお母さんと二人でここまで山梨県から来る予定だったんですけど、ちょっと遠いんですよ。
山梨から天理までね、7時間強かかるんです。
電車を乗り継いで乗り継いで、いい加減、私も疲れてしまいましてね。
えーと、前は横浜にいたんですね。
横浜は電車、交通機関が進んでいますから、あのう、何本も来るんですよ、1時間に。
でも山梨は、まだまだで1時間1本とかで、だから1本逃したら1時間待たなくちゃいけない、それでね、時間がかかってしまうんですね。
でもね、あのう、いまのJRさんはとっても親切で、車椅子の方が乗る場合は全部駅員さんが手伝ってくれる。
あの、最初乗る駅に一旦電話をして、「何時何分の電車に乗りたいんですが、介助お願いします」と電話をします。
で、駅に行くと駅員さんが一人付いてくれるんですね。
で、ちゃんと、駅の、あのう、階段がある所は駅の裏道を通って、エレベーターに乗っけてちゃんとホームまで送ってくれて、電車に乗っけてくれるんです。
で、えーと、「何か困ったことがあったら言って下さい」と言って、電車の中では車掌さんがいつも気にかけてくれて。
特に私なんか手が悪いんですよ、手の方が悪くって、まずご飯が一人で食べれません。
あのう、手が震えてしまうんですね。
一応練習もしてますが、もう、口の中に入れる前にこぼれてしまいましてね。
パンなんか、握った瞬間に、あのう、こっぱみじんにボロボロになってしまうんですね。
とても食事を摂れないんですよ。
そうなると摂るとしても、すごい疲れてしまって、ねえ、普通の人間なら食べることは一番の楽しいことなんですが、私にとっては苦しいことなんですね、皮肉なことに。
まあ、当然ご飯も食べれませんから、財布からお金を出したり、財布をカバンから出したり、あらゆること。
人間の手ってね、すごい役割果たしているんだなってね、ちょっと思ったことあるんですが、ほとんど手ですよね。
顔を掻いたり、頭掻いてみたり、汗拭いたり、そういうのが出来ないんですね、楽に。
まあ、今の車掌さんはいい人でね、「何かあったらいつでも言って下さい」と言って、全部やってもらってきました。

天理に着くまでに何人の人にお世話になったか、と言うぐらい、私は結構しゃべれるので、養護学校に行ってから結構明るくなったんですけどね、自分で、もう、小・中学校はすごい暗い子でしたよ。
こんな人前でしゃべれるような人間じゃなかったんですよ。
健常の方が怖くてね、何か言ったら何か言われるんじゃないかという恐怖がすごくあって、おはようございますも言えない。
「しゃべるな」とか「笑うな」とか言われてたんですよ。
「笑うと気持ち悪いから笑うな」とかね。
「しゃべると変な声だからやめろ」とかね。
今考えると何でこんなこと言われなきゃならないんだ、という感じなんですが、その当時は、一人対集団でしたからね。
とうてい勝てないんですよ。
すごい卑怯ですよね、やり方が。
集団でやってきますからね。
それがね、先生にも言いましたけれど、やっぱり、先生っていうのはその場限りで、先生方がいらっしゃるので悪いんですが、注意はして下さいますけど、子ども達っていうのは言われると「またお前、チクリやがったな」って言って、いじめが増すんですね。
それがまた先生がいない時にやるもんですから、先生は知らないし、言ってもそこまでないだろうと言う先生もいますし、やっぱり結局自分自身の闘いですよね。
で、すごくやっぱり、しゃべるのがおっくうになってしまって、結構しゃべらない、もう学校では一言もしゃべれなかった。
しゃべる相手もいなかったし。
だから、暗い、暗い女の子でしたよ。
中学校の後半からね、『何で自分がいじめられるんだろう、これは体の障害だけではないな、性格だ な』でもね、中学校時代はあんまり急には変われなかったです。
で、高校入学と同時に自分で変わろうと思って、友達も欲しいし、もっと自分の、自分らしいことをね、表に出そうと思ったんですよ。
体はね、もう変えられないけど、心はいくらでも変えられるんです、自分自身で、自分次第で。
結構大変なことだけどね。
障害があるない、背が低い背が高い、いろいろ顔が違ったり、それぞれ皆さんもコンプレックスをお持ちだと思います。
女の子なんか特にスタイルが良いとか悪いとかね、体重があるとか胸があるとかないとか、いろいろあると思うんですが、違って当たり前というのに気付いたのが養護学校に入ってから。

今いるぎんが工房という授産施設ですか、に通って、ここに織物がありますが、こういうのを織って仕事をしています。
写真を見た方はいるかな、写真を見た人、手を挙げて下さい。
いないかな、いますね。
写真を見た方は分かると思うんですが、一応ね、わざとという、ありがとう、手を下げて下さい、わざとねあの重度の子の写真も持ってきました。
パンを作っている時に、女の子、あれ女の子なんですよ、寝たままでパンをおしている写真があります。
あの子はね、もう寝たきりでしゃべることも出来ません。
でも、頭はちゃんとしていて、こちらの言うことは全部分かっています。
で、そういう子達がいっぱいいます、世の中には。
残念なことに、こういう、今の日本の社会では、学校制度では交流がないので、なかなかそういう重度の子達を見る機会、会う機会がないですね、今の学校では。
学校同士で養護学校と交流をしていますけど、ここもねやられてますけど、やっぱりこの学校に来る子達というのは限られてきますよね。
私とか、ここに来るエリちゃんとかみたいに、車椅子で自分で座れる子じゃないと駄目ですよね。
寝たきりの子はね、体も弱いです。
ごはんも食べれません。
みんな、ハンバーグやらカレーやら好きな物を口から食べてますが、口から食べれないんですよ、食べ物が。
どうやって食べているのかというと、鼻から管を入れてね、胃に回して、宇宙食みたいな液体があるんです。
一応、においはついているんですよ、バニラとかチョコとか。
あれじゃない、胃の検査でバリウムってありますよね、あんな感じ。
あれが食事なんです。
でも一生懸命、生きているんですよ。
私は最初、養護学校に入ってそういう友達が出来た時に、ああ、自分はまあ、一応普通の健常者の中では障害が重いけど、そういう友達と比べたら全然恵まれているな、ごはんは食べれるし、自分で好きなことは言えるし、テレビも見れるし、行きたい所には行けますしね。
今は社会が進んできて、バリアフリーという言葉を聞いたことあると思うんですが、街の中がね、だんだんバリアフリーになってきて、車椅子の方でも行きたい所に行けて、映画も観に行ったり、バスも乗れたりね。
でも、その子達は出来ないんですよ、やりたくても。
そうすることがえらくて。
毎日起きて、目が覚めて、ごはん食べて、排泄をして、ゆっくり横になって、それだけで精一杯。
本当に生きるだけ、精一杯なんです。
でもね、すごく私達の言葉とか聞いてくれていて、すごいなあって。
いつも、あの写真の子はミワちゃんと言うけど、「ミワちゃーん」といつも呼ぶとケラケラ笑ってくれるんですよ。
全身の力を使って返事をしてくれるんです。
そういう友達がいると、もう私は何でも出来るなと思うんですよ。
どんなに辛いことがあったって耐えられるなって。
やっぱり、そういう子達を知って欲しいし、人間ですから親とケンカしてムシャクシャして、こんなのヤダと思うこともあるんですよ。いっぱい。
勉強もヤダったけど。でも、そんなの、小さいことなんですよ。
そういう子に会っちゃうと、今まで自分が一生懸命やっていると思ってたことが、全部崩されて、全然やってないなって、全然頑張ってないじゃんって。
その子は言わないですよ。もう言われているみたいで恥ずかしかったですよ。
だから、私ができることは、そういう子達がいるんだよっていうことを多くの人に伝えること、そして、その子達も同じ人間で、みんな体の形も違って、顔も違うように、みんな考え方も違って当たり前なんです。
で、相手を思いやって生きていくと言うことは、すごい素晴らしいことで、さっき言った駅員さんとか、見ず知らずの若いお姉ちゃんとか、おじさんとか、おにいちゃんがいっぱい、手伝ってくれました、私のことを。
手伝うときも、すごく親切なんです。
まるで自分の妹や子供をね、扱うように。丁寧に、丁寧に。
「大丈夫?他にやることはない?」とかね。
全然知らない人ですよ。道端で歩いていた人ですよ。
そんな人が親身になって手伝ってくれるんです。
今ね、日本の社会はニュースでね、悲しい事件があって、ちょっと日本人って冷たいのかなって思った人も多いし、私も思ってましたけど、全然、今の日本人の方、まだいい人いっぱいいるんですよ。
ていうか、みんないい人なんですけど、なかなかね、自分からお手伝いしましょうか?っていう手が出せない、でもね、心の中では思っているんですよね、8割の方。
2割の方はもしかして気持ち悪いなとか思っているかもしれませんが、8割の方は「あら大変だわ。何かしてあげようかしら、でもどうしていいかわからないし」とか、迷っているんだと思いますよ。
だから私は結構自分からお願いしたりするんですが、もしね、皆さんもね、街でそういう困っている方がいたら、ちょっとでもね、そう思ったのなら手を差しのべて下さい。
分かんなくても良いんですよ。
「どうしましたか?お手伝いしましょうか?」と言ってあげるだけで私達はすっごく嬉しいし、すっごく勇気をもらえるんですよ。
こういう子達がいるんだったら私達はどんどん外に出て行けるな、社会に出ていけるなって。
今まで障害者の方、いっぱいいたんですけど、家から出て来れなかったんです。
出れる状態じゃなかったんです。
みんなに白い目で見られてしまう、一歩出たら。
珍しいから見るんですけどね。
悪い人は「何だコイツ」「わーい、ヘンなのが来た」って言いますよね。
そういうことを言われると、もう出れないんですよね、辛くて。
自分がそうだと考えたら分かると思う。
思いやりって言うのは、相手の立場に立って考えることだと私は思っているので、寝たきりの友達と喋る時も自分が寝たきりだったらどうしたいかな、自分が寝たきりのミワちゃんと同じ状態だったらどうしたいかなって思って、いつも喋っているんですが、だいたい、そういう姿勢で接するようにしています。
皆さんもそういう考え方を持つと、もっと人付き合いが楽になると思います。
ちょっと長くなったんですが、こんな感じで。(拍手)

≪質問タイム≫

生徒「困っている時に人から手を差しのべられた時、どう思いますか?」
「すごい嬉しいですね。その人が神様にみえます。大げさかと思うけど、本当に。さっきも話したけど、一人で来たんだけど、お母さん、一日来なかったんですよ、用事で。まぁ、一応、お母さん、すごく心配してくれたんだけど、私が大丈夫だって言って来たんですね。ごはんが食べれないんですよね、なんでか。夕飯はなんとかおにぎりとか買ってね、口で、猫食いで、ちょっとお見せ出来ないんですが。部屋で誰も見てないから、それで済ませたんですが、朝食が問題で、朝から買いに行けないので、誰か食べさせてくれないかなって、探していたんですよ。そうしたら、玄関に、ちょっと歩いていたらいつもの北海道の教会の奥さん、結構70ぐらいかな、人なんですけれどね、『みっちゃん、どうしたの?』って声を掛けてくれて、実は、って話したらね、『なんだぁ、じゃあ、私で良かったらね、やってあげるから』って言ってくれたんですよ。その時は本当嬉しかったですね。本当、困っている時って、本当に切羽詰まった状態、ごはんなんか特に生死に関わる、大げさですけれど。私、食いしん坊なのね、一食抜くなんて考えられないので。 」

生徒「今までで一番苦しかった事は何ですか?」
「病気をして、死にかけたことです。そんな特別なことではなく、やっぱ、みんなと同じですね。死にかけまして、もう、苦しかったですね。」

生徒「小学校、中学校といじめに合っていたそうですが、それでも、学校に通い続けられたのは何故ですか?」
やっぱり、意地でしょうね。いじめられまくって辛いけど、もちろん家族の支えが一番ですけれど、休んでしまったらもう負けじゃないですか。いじめに反撃出来ないけど、一応通ってやるぞという・・・。そういう負けん気と家族と両親と、あと、おばあちゃんのサポート。精神的なサポートが大きかったと思います。」

生徒「織物をして苦労したことは何ですか?」
「先程も言いましたけど、手が悪いので、時間がかかります。気持ちはすごくやりたいんですけれど、体がついていかないんですね。でも結構、夢中になっちゃって、気が付くともう、いつも腰と背中と肩がもう万年コリです。それが悩みの種です。」

生徒「好きな食べ物、嫌いな食べ物は何ですか?電動車椅子は何キロくらいのスピードが出るのですか?」
「好きな食べ物は、ほとんど好きですが、一番好き、あえて言うなら、ヨーグルトですね。嫌いなのはゴマのペーストです。電動車椅子のスピードは車椅子によって違うんです。でも、これは一応、9q/時、最高出ます。」