Vol.15 【ペルー・プーノ&タキーレ島】
晩婚の男性多し 編物が男の仕事という島

 

国境越え前の最後の仕事

 ボリビアのラパスを出てから、国境の町コパカバーナに一泊し、ペルーのプーノに入った。「インカの初代皇帝マンコ・カバックが、その妹ママ・オクリヨとともに降り立った」という伝説の残る神秘的な湖《チチカカ湖》を右手に見ながら行くこのメジャーな国境越えルートは、前にもふたりで来たことがある。
 コパカバーナからプーノヘのバスは、一時半発ということだったのに、二十分も前の一時十分に、私たちが食事をしていたレストランにバスの兄さんが呼びに来た。
「エーッ、もう行くの?」
「どうしよう、まだ国境越え前の《仕事》残ってるじゃん」
 ボリビアで使いきれなかった小銭の処理である。ペルーに入る前に、すべて「お菓子」に替えておきたい。
 兄さんは、もうみんな揃っているんだから、いますぐ出発すると言って譲らない。私たちの荷物を引ったくって、いっしょにバスまで走ろうとする。仕事熱心な兄さんにつられ、思わず走り出したが、でもやっぱり小銭を使い切っておかないと、ポリビアから出たくない。元来のケチ性である。
「ナゲキ、あとは頼む!」
 そう言うと、露店へ向けて逆走した。
 ふたり分あわせた三ボリビアーノ・六十円ぐらいが、チョコレートやアメなどの両手いっぱいのお菓子に変身した。ここで使わないと、価値なくなっちゃうからね。
 五分後、いたく満足してバスのシートに収まった。
「『ニッタは具合が悪いから、薬屋に行った』って言っといたよ」
 さすが相棒。ふたりでお菓子を山分けしつつ、五カ月ぶりのペルー、そして五年ぶりのプーノヘ乗り込んだ。

リャマとアルパカの見分け方極意

 着いてすぐ、「ああ、ここはペルーだ」と思う。道端にカンビオ(両替屋)がたむろっていて便利だし、学生の音楽隊が、ピーヒャラヒャラ〜と好き勝手にフエ・タイコを鳴らして(おせじにもうまいとは言えない)町を練り歩いている。中華料理のメニューも目立つ。久々に中華を食べたくなった。ボリビアに続き、ペルーも食事には苦労しない。
 ここでは、トルーチャというチチカカ湖で捕れるマスのような魚(身がピンク色をしたものが多いので、私には鮭に見える)が美味だ。南米で魚を食べれる機会はめったにない、今日は塩焼き・蒸したもの、次はニンニク風味・フライ&タルタルソースがけと、毎日飴きることなく食べ続けていた。
 プーノは、汽船が航行する世界最高所(三千八百メートル)にある湖・チチカカ湖畔の典型的なアンデスの町だ。インディヘナ色が濃
く、市場や道端の露天は、アンデスチックな色とりどりの民族衣装をまとったオバチャン・オジサン・子供たちであふれかえっている。
 少し町を離れれば、アルティプラーノという、背の低い緑草で覆われた高原地帯が果てしなく続き、茶色いアドベ(日干しレンガ)造りの家の周りに、牛・馬・ブタ・ヒツジ・アルパカ・リャマが散らばっている。
 アンデス地方で見られる、このアルパカ・リャマは、小型の馬にヒツジの毛を生やしたようなラクダ科の動物だ。両者の毛糸の質には断然の差があり、私がボリビアのラパスで買った激安のリャマ一〇〇%のセーター(三〇〇円程)は、ゴワゴワしていてちっとも暖かくなかった。アルパカのセーターは暖かいハズ。彼らは外見的によく似ていて、最初、同じ種類の動物としか見えなかったのだが、私たちはアンデス生活が長くなるにつれ、一目で彼らを見分けることができるようになった。その判別方法は、リャマの方がちょっと身体が大きくて不細工。よーく見てカワイイ顔をしている方がアルパカである。ちなみに彼らよりちょっと小さめで、同じく良質の毛がとれるビクーニャという動物もいる。

公園のベンチで昼寝はご法度

 こんな動物たちのまどろむまったりした風景を見ていると、町が多少変化しても、このあたりは永久にこのままあり続けるのでは、と思えてくる。
 五年前、プーノはクスコに負けるとも劣らず、治安の悪い町ということだったので、日々ビクビクしながら歩き回っていた。実際夕方になると、店や家は、門を鎖でグルグル巻きにし、太い錠前をいくつもかけて、厳重に戸締まりしていた。「なんか怖そうな町だな」と緊張を強いられたものだ。いまは、そんなにピリピリした雰囲気はない。
 町の中心は、噴水や歩道などすっかりきれいに整って、外国人観光客や若者たちでにぎわい、気軽に歩き回れる感じだ。かといって、のんきすぎる行動は禁物らしい。ナゲキさんが、天気のいい日、ひとりで広場のベンチでウトウトと昼寝をしていたら、「危ないから、ここで寝てはいけない。なぜ、ホテルに帰って寝ないのか」
と、身なり正しきおじさんに注意されたという。

夢ふくらむ、素朴な島民と語り合う夕べ

 私は、プーノに来たら絶対に行くと断言しているところがあった。チチカカ湖をボートで四時間あまり行ったところにある《タキーレ島》だ。いまだに昔ながらの生活を続けるケチュア民族の島で、彼らの作る独特の模様の編み物と織物で有名である。
 五年前にも一度行っているのだが、日帰りだったので、島を十分散策できなかった。編物なども欲しかったのに、悩むばかりで時間がなくなり、結局何も買わないまま、島をあとにしたのである。
 だから、今度は泊まってゆっくりしたい。以前の話では、島には水道も電気もホテルもなく、泊まる人には民家を斡旋してくれるということだった。素朴で親切な家族の家にお世話になり、いっしょにご飯を食べ、夜はロウソクの火の下に語り合い、編み物・織物の模様の意味などについて教えてもらって、できれば作業風景も見せてもらう。きっと南米での忘れられない思い出になるにちがいない。
 ツアーを申し込むと高くつくので、桟橋で船主と直接交渉しようと行ってみたら、前とは、すっかり様子が変わっていた。この桟橋は、ツーリスト専用になっていて、ツアー船がウジャウジャ停泊している。船の料金も一律だった。これなら、ツアー会社でチケットを買っても同じことだ。
 桟橋で忙しく働いているツアー会社の人たちに、「ペルーも変わったねー」と話しかけたら、「フジモリのおかげだよ」とみんな喜んでいた。

商売気モリモリオヤジにガッカリ

 翌日七時半出発。チチカカ湖は、プーノの港の近くは藻だらけだが、そこを抜ければ青緑色のきれいな湖となる。
 お昼ごろタキーレ島に着いた。船着き場から三〇分ほどかけてヒーヒー言いつつ急な石段を登り切り(高度四〇〇〇メートル近いから、これがキツイ)、アーチ状の門をくぐると、海のようなチチカカ湖が広がっているのが見える。島は、その辺に転がっている石を積んで作った道、アドベ造りの素朴な家々、放牧されたヒツジとそれを追う子どもの姿と、一瞬のどかな風景だ。
 とりあえず、中心の広場に向かってみた。観光船はみな同じ時間帯に着くので、大量に日帰り観光客が押し寄せていて、狭い石畳の一本道をすれ違う。ふむ、紅葉時の京都を思い出す。
 ちょっと心配していたのだが、やはり島は観光ナイズされていた。レストラン・ホテルが目立つ。水道はまだないようだが、電気のきている家はチラホラ見られる。変わっていなくて安心したのは、島の人たちの衣装だ。これがウリだから、当然だけど。
 彼らはいまでも、美しい伝統的民族衣装を着ている。男性は、耳当てのついた赤い編み込み模様の帽子に、白シャツ、黒のベスト、黒のズボン、赤と白を貴重にした模様を織り込んだ帯、それに革のサンダルをはき、手織のポシェットを下げている。帽子の先が白なら独身、最後まで模様が入っていれば既婚者、ということなのだが、「エーッ、ウソでしょ」と思うほど、かなり年配で、それも結構大勢の男性たちが、白い帽子をかぶっていたことが、気にかかる。余計なお世話であるが。
 女性は、ショッキングピンクの薄手のセーターに、ひざが隠れるくらいの黒い広がるスカート、それにカラフルな毛糸のふち取りをした黒い布を頭からかぶっている。
 これらの伝統的な手作りの衣装について、島の人にいろいろ話を聞きたかったのだが、私たちが斡旋された宿は、商売気モリモリオヤジが仕切っていて、とてもそんな雰囲気にはならなかった。モリモリオヤジは、こちらの質問は全然聞いてなくて、スキあらば、自分の編んだ帽子を高値で売りつけようとする。汲んでもらったタライの水で顔を洗っていると、横でじっと見ていて、洗顔石鹸・化粧水・乳液、すべて「これくれないか」という。また「今度来るときは、ラジオを持ってきてくれ」とも言われた。オヤジと交わす会話は、いつもこんなことばかりだったので、「素朴な家族と語り合うタベ」という私の一方的な夢は、はかなく消え去った。

海外旅行経験豊富な、モリモリオヤジの親戚おじさん

 二日目、モリモリオヤジの親戚というおじさんが訪ねてきて、帽子を編んでいるのを見つけ、少し話を聞くことができたのが、せめてもの救いだ。この島では農業のほかに、男性は編み物、女性は織物が仕事である。おじさんはかなりいい腕前をしていた。とても細かい編み棒(一号針くらい)で、白・赤・青などの糸を使い、動物・風車のような記号など、カラフルな編み込み模様を入れている。ここまでくると、編み物というより、布のように目の込んだすばらしい仕上がりだ。いま編んでいるような目の細かいものは、すべて化学繊維で、自分たちのためのものであり、売り物ではないという。観光客用には、彼らが好むため、ウールで目の粗い物を作るそうだ。私はいま彼が編んでいるものの方が好きなのに。
 おじさんはテレ屋で、はじめは無愛想だったが、じーっと見ているとだんだんと打ち解けてくれるようになった。なんと、アメリカとメキシコに行ったことがあるという。各地で開かれるフォルクローレショーに招待されたそうだ。また、この翌日には、おじさんの家にフランスのテレビ取材が来ると言っていた。「村の実力者」ってところなのかもしれない。

用足しの音響き渡るのどかな島

 タキーレ島は、観光化されたといいつつも、やはりまだ田舎でのどかな島であることには変わりない。島の人たちも親切で、すれ違うと声をかけてくれる。女性は本来しゃべってはいけないらしいのだが、それでも口元を押さえ、小さい声であいさつを返してくれる。
 たいていの観光客は日帰りしてしまうので、プーノ行きの船が出る午後二時を過ぎると、さっきまでの喧嗅がうそのように、島は本当にシーンとする。トイレが少なく、あっても機能していないことが多いので、どこか物陰で用を足していると、その音がことのほか響いて、毎回ヒヤヒヤした。
 島にただ一軒だけあるおみやげ売場も閉まる。客の来る見込みのないレストランも閉まってしまうので、宿以外で夕食をとろうと思ったら、昼間のうちに予約を入れておかなくてはならない。
 タキーレ島に滞在した三日間は、この島の雰囲気にあわせて、何をするでもなく静かに過ごしていた。ふたりとも、好きなだけ寝て、散歩して、手紙を書く――。たぶん、宿が《アタリ》だったら、もっと快く過ごせたと思う。移ることもできたのだけど、こんな小さな島の狭い人間関係のコミュニティの中で、私たちが宿を移ってしまったら、モリモリオヤジに何か不都合が起こるのでは、とヘンに気を回していたのであった。
 結局私は、手織の帯を二つ買い求め、五年前の心残りをなくして、プーノヘ戻ることができた。
 
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