靖国神社奉納手品の思いで

O.M.  001 田代 茂


  児玉岩治先生に連れられて初めて靖国神社の能舞台に立ったのは私が9歳の頃であった。春夏秋の大祭には、芸能を奉納するということで、能や神楽が参賀者の前で演じられるのである。そのプログラムの1つにマジックが入っており当時は児玉先生が中心となってこれに協力しておられた。能舞台であるから、どん帳もなければ照明もない。舞台の両端には柱が立っており、背景には松の絵が描かれていた。子供心にもおやおやと思うような物々しさがあった。

  その能舞台は本殿に向かってすぐ右脇にあるので、行くときは地下鉄の九段下で降りて、大きなお鳥居をくぐったら、玉砂利を本殿に向かって歩いて行くことになる。当時、その両側には様々な屋台や見世物小屋が出ていた。帰りには、児玉先生と御一緒だったと思うが、そういうところを冷やかしていくのが楽しかった。児玉先生もいつも御機嫌であったので、きっとそういうものがお好きだったのだろう。

  あるとき、児玉先生がいつもとは違い険しい表情をされていることがあった。「『めくり』にね、『奇術・・・児玉岩治社中』と書いてあったんだよ。民謡やってるわけじゃあないんだからねえ。係りに抗議しておいたよ。」そのとき、「社中」という言葉の意味とその用法をはじめて知った。

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  ショーのオープニングは先生の後見の女性のマジックだったように思う。4枚のシルクをあらため、紐で束ねると4枚のシルクがつながり大きな市松模様のシルクになる。それを大きなフラワーチューブに入れて花にする、というものだった。今は、同様な手品でも、ブレンドシルクなど新原理のものが主流であるので今から思うと懐かしい。ただ、彼女はいつでもこれだけをやっていたので、ひょっとしたら、他の手品は出来なかったのかもしれない。

  次に先生である。紐切りをやっておられた。途中お客さんに2本の紐の長さを揃えてもらうが、なかなか揃わないというのをやられた。お客さんにハサミを渡すが、そのハサミがどうしてもひらかない。「おかしいですね。」とお客さんからハサミを取り上げて試してみると、ハサミは難なくひらく。今度はその状態でお客さんにハサミを渡す。お客さんは紐の端が揃うように狙って、今度は握りを握って切ろうとするのだが、力を入れてもハサミは閉じない。そうこうするうちにハサミがこわれてしまう。

  このハサミが海外のディーラーズアイテムだと知らされたのはそれから少したってからであった。小岩の奇術クラブの発表会でやはり児玉先生がやられたときに、私が会場からステージに上がって紐の端を揃える役をした。あとで先生は苦い顔をして、「坊やがステージに上がったら、サクラだと思われちゃうよ。」ちなみにそのとき高木重朗先生は予言の手品をされた。(4人のお客さんに色々の質問をする。前もって予言を紙に書き、1〜4の番号の書かれた板にとめていく。4人目のお客さんはこれからとるカードを予言する。最後に全て予言が当たるというもの。この道具はその後、日本奇術会主催の熱海大会のおみやげにもなった。)

  その高木先生の道具も海外のものだと聞かされ、海外には自分の及びもつかないすごいマジックの世界があるのだろうと、想像しては興奮するばかりであった。また、当時はインターネットもなく、海外旅行もまだまだ一般的ではなかった。その時代に海外の情報に通じ、道具をふんだんに使っていらっしゃる児玉先生や高木先生がとても羨ましく思ったものだった。当時のハングリー精神が現在の私の基礎を作っているのかも知れない。

  児玉先生は、紐切りの際、「もう一度やってみますよ」、といった思い入れで左の人差し指を1本たてて見せたものだ。その指の位置が先生のお口の前なので、「しー静かに!」という意味にも取れる。それがどうにもおかしくて知らず知らずのうちにその仕草を私も真似をするようになってしまった。紐切りをするときはどうかすると今でも、「しーっ!」をやってしまう。当時の憧れが、今尚私の心の深い部分で生き続けているのだろう。我ながらはっとすることがある。

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  紐切りが終わるとBGMが止まり、おしゃべりが始まる。縦縞のシルクが一瞬にして横縞になってしまう。現在はプロのコメディーマジシャンがやっておられるが、児玉先生のは一度も手を離すことなく、両手でシルクを広げて示した状態のままである。あっ、と思うともう模様が変わっているのである。お客さん相手にそれを何度でもやって見せておられた。その後、マイクスタンドの向こうにシルクを回し、両端を左右の手で分けて持つ。これも一瞬にしてシルクはマイクスタンドを貫通してするりと抜けてしまうように見えるのである。何度も繰り返しやって見せるのだが、仕掛けはちっともわからない。非常に不思議に思ったものだ。

  その後しばらくして、やはり日本奇術会主催の熱海大会で「リール」と縞模様のハンカチがお土産になった。その時の児玉先生のレクチャーではじめて秘密がわかり、大いに感心したものだった。そのときのリールはストッパーボタンつきであり、また指にひっかける突起のようなものまでついていた。現在また私はリールの手品を勉強しているので特に懐かしく思う。

  最後は紙玉の復活。「最後に皆さんがおうちに帰られてからできるような手品をお教えしましょう」と言って始める。タネの紙玉は上着の右の襟の裏に挟んでおく、というのである。紙を千切って見せるときに、左手に千切った紙をもち高く差し上げ、それを指差すかっこうで右手を襟のところにおくのである。その格好が馬鹿馬鹿しくってお客さんに大いにうける。この "sucker trick" には色々な見せ方や方法があるだろう。その中では児玉先生の方法は大変お客さんに喜ばれる。

  テクニックに頼ってすごいことをするのも、もちろんよいけれど、児玉先生の紙玉の復活は、ごくごく単純な手品でもそれが「芸」になれば何度見ても楽しめるのだというよい例ではないだろうか。

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  児玉先生は最後に私を紹介して下がられる。私がはじめてやったのはタンバリンであり、これが私の初舞台でもあった。後見は私の母であり、新聞を広げてもってもらいそこにタンバリンの筒をタガで取りつけるのである。ネタは母の衣装から取るように教えられ、そのためのネタのフォルダーも父に作ってもらった記憶がある。子供の私にも本式の "strategy" (戦略)を伝授して下さった児玉先生に今でも感謝している。

  タンバリン用の紙テープというのは現在ではマジックショップで売られていて簡単に手に入るけれど、私は自分で作るように先生に命じられた。当時紙テープは文房具屋で1本30円であった。3本で1回分のテープが巻けるので、まとめて10回分、20回分のテープを作ったものだ。京王線の柴崎駅の線路の脇の文房具屋であったけれど、どんな気持ちで私に大量の紙テープを売っていたのだろうかとふと思うことがある。

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  私が演技を終えると、いよいよトリである。たいてい上手な方がやられた。萩山さんという神奈川の方がいらっしゃるが、今でもお元気のようである。何か事業をやっておられる方らしくて、衣装も道具もそれは見事なものであった。和風・洋風・中華風と、3つのルーティンを見たのを覚えている。その手品のみならず、ショーの後、ステージで使っていたワゴンにカバーをかけるとそれがそのままカバンに早い変わりして、その中に道具をつめて颯爽とお帰りになるところあたりも大いに影響を受けた。一緒に帰りましょうというと、私はこれを転がして帰るので、裏の出口からアスファルトの道に出て帰ります、とおっしゃって澄ましておられた。

  私もその後父にねだってワゴン式カバンを製作してもらい、得意になってあちこちに持って回った。子供のことだったので、ずいぶん乱暴に扱ったのだろう。そのうちキャスターが取れてしまった。玉砂利の参道を避けアスファルトの道を選択された萩山さんのことを思い出し、自分の浅はかさに嫌気がさすような気になり、それきりあまりそのワゴン式カバンを使わなくなってしまった。

  萩山さんの和妻では、最後は夫婦引出しから傘につなげるのだが、なによりも驚いたのは千切った紙を扇の上で弾ませていると、それが次第に卵になる手品である。最後にはそれを取り上げて割ってみせるのである。これは、その後「奇術研究」に和妻の特集があり解説されていた。タネの作り方はわかったが、そんなことで出来るものなのかいまだにわからない。最後は本物と交換するのだけれど、袴の左の腰のあたりにネタ場があり、弾ませている間にスチールするのである。その絶妙なタイミングに手品の面白さを見た気がして、その興奮は今でもはっきり呼び起こすことができる。

  洋風マジックは鳩をやっておられたように思う。また、中華風マジックでは中華セイロをやられた。最初に2色の紙を破って帽子にするのだが、自分でもそれを作ってみようと試行錯誤を繰り返した。しかしついに帽子は完成しなかった。チューリップハットなら、易しい。しかし、耳の上あたりにだらしない「花」がくっついているのがどうしても西洋乞食を連想させられて好きにはなれなかった。やはり中国帽子のてっぺんの「ポンポン」の方が自然に見える。

  そういえばいつだったか、高木先生が白と黒の紙をやぶったら、シルクハット(平面的)になる。シルクハットは袋状になっており、中をさぐるとウサギが出てくる、というのをレクチャーされた。袋の中にタネを処理してしまうのだと思った。これも、子供さんには大変うけた。パンティーにするというような下品なことは決してしないことです。

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  私はもちろん今でも靖国神社とその周辺は大好きなエリアで、初詣で参拝したり、桜や新緑の季節に散歩をしたり、縁が切れることはない。ただ、あの能舞台だけは最後の奉納手品をして以来訪れたことはない。もちろん、とても懐かしい場所には違いない。しかし、その場所は見ないでおきたいと、どうしても思う。特に、木々の葉が雨に濡れて益々輝き薫り立つ今の季節には、ふとした折りにもあの能舞台は九段下の空気の香りとともに色も鮮やかに克明に胸中に蘇ることがあるので、見ないでも全く差し支えないのである。