FISM リハーサル

O.M.  001 田代 茂


  静岡県清水市のマジック・ホールにて、まもなくリスボンで開催されるFISMのコンテストに出演予定のマジシャンが集まり、リハーサルをしようぢゃあないか、という話しになったらしい。出演者は出演順に、藤本明義さん(マニピュレーション部門)、江沢ゆう子さん(ゼネラル部門)、瞳ナナさん(ゼネラル部門)、ゆみさん(マニピュレーション部門)、峯村健二さん(マニピュレーション部門)。司会はナポレオンズ、ゲストはマギー司郎さん。

  FISMのコンテストに日本から参加されるのはその他に、小林浩平さんと、ブラック嶋田さんがいらっしゃるが(クロースアップマジックを除く。)、ご都合がつかないようで欠席された。出演者にこのリハーサルの企画が伝えられたのが約2週間前のことであり、これでは都合がつかない方がいても無理はない。

  また、お客さんの方も地元のマジッククラブの皆さんが招待されたのみで、時間的な問題もあって、直前になってからちょっと告知されるにとどまった。もとも6月5日(月)の午後5時開演では、前もって知らされたとしてもなかなか応援に行けるものではない。

  私は開演直後、ナポレオンズのお二人が司会をされているところで会場に入ることが出来た。座席の方は私が思うような席を山盛くんが気を利かせてとっておいてくれたので、取り乱すことなくすました顔をしてそこに座った。目の前はカズ・カタヤマさんらが陣取っておられた。そのカタヤマさんらが着席しておられる座席、すなわち一番前の2列の席には白い座席カバーがかけられていた。映画館で言えば特別鑑賞席である。

  マジックを鑑賞するのにはどこに着席するのがいいかという議論があった。私はなんといっても一番前が絶対的によいと主張し譲らなかったが、多くの方々は会場の中央中程前よりの席がよいとおっしゃるのでおやおやと思ったことがある(一番前では見にくいのだそうだ。)。従って私は、その白い座席カバー付き座席に座っている方がうらやましかったのだが、「プレス席」との表示もあり、私たちが着席することはまかりならぬのだからやむを得ない。山盛くんがあてがってくれた席に大いに感謝した。

  司会によると、もしも今度のFISM大会のコンテストで日本人が総合優勝すると、NHKが当日の7時のニュースでそれを報道することになっているのだそうだ。考えてみればピアノの世界選手権などではこれまでもそのような報道があったのだから、マジックでもグランプリをとっても同等な取り扱いをされてしかるべきではある。それが現実のこととなればいいがと思うばかりである。

  演技は、皆さん素晴らしかった。たいがいの皆さんの演技は以前にも見ているのだが、その後の努力の後もあり、以前の演技にもまして気迫がこもり、ベストを尽くせばどなたが賞をとられても不思議ではないという印象をもった。今は微妙な時期なのであまり立ち入ったコメントはしない方がいいだろうが、一言ずつよかった点のみ指摘したい。(1)藤本さん:表情と創意工夫、(2)江沢さん:インパクトと独自性、(3)瞳さん:安定感ある演技と明るさ、(4)ゆみさん:色彩美と独特な世界の創造、(5)峯村さん:不思議さとリズム感。

  ついでに、今回出演されなかった、(6)小林さん:モノトーンの独自世界の提示と物質の変化、(7)嶋田さん:おかしみ・笑いと安心感ある手技、ということになるでしょう。私は本大会も行って参ります。全ての結果がでましたら、詳しいレポートや評論をしたいと思います。

  ショーの後はお楽しみの、"FISM 2000 Lisbon" Farewell Party である。マジック・ホールがあるエスパルスドリームプラザ内のビアレストランZAC ZACで行われた。ウエルカムドリンクのフランス産ワインが注がれたグラスを高く上げ、小野坂東さんの音頭で乾杯をした。白ワインのフルーティーな香りが会場にたちこめ、誰もが少しだけ幸せになる瞬間であった。その後、静岡のマジッククラブの方や、フィル・ケラー夫妻らと談笑しあっという間に帰らなければならない時間となった。

  帰りの新幹線では、私の他に例の山盛くんら4名で、マジック談義が始まった。特に面白かったのは、マジックは何かを表現できるのか、というテーマであった。現に、私が最近お話したマジシャンの何名かが、その「表現」というものを目指しており、自称「表現派」とおっしゃる方もあった。私は、マジックで自然の神秘や人生の素晴らしさが表現できてたまるか、と思うのだが、山盛くんは大まじめで私のそういう考えを否定した。

  マジックで何かを表現することは勝手だけれど、そういうアイディアに無批判で飛びつくことはよくないだろう。「マジックは表現の手段だ」と言えばかっこいい感じは確かにするのだが、何も考えずにそれだけで飛びついてはいけないだろう。また、これに関連してマジックの「ストーリー性」ということも問題になった。マジックに洒落た会話の用意が必要であることに異論はないけれど、「ストーリーが必要か」ということになると、話は別である。この辺りの議論はまた稿を改めて論じてみたい。

  

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