「ね、手をこんな風に伸ばしてみて」
寝転がったまま太陽に左手を翳してみる。
「透けて見えるのよね。小さい頃はおもしろくてよくやってたけど、すっかり忘れてたわ」
「ほんとだ。なにこれ、おもしれーっ」
初めて知った、と目を丸くしたリュオネスが、腕を伸ばしたり縮めたりして、どこでも同じなのかと試している。
「リュオンは昔から遊ぶよりも修行してる時間のが多かったものね。あら、でもよく抜け出してきてなかった?」
「あれは息抜きでおまえに会いに行ってただけじゃん。それだってすぐに見つかって連れ戻されてたし」
当時を思い出したのか、リュオネスは唇を歪めた。
「三日に一回、しかもほんの数刻さぼったって別にいいと思わん? それをあのクソ親父が毎回毎回律儀に探しにくるし」
「それを承知で、毎回毎回同じことするリュオンもリュオンだと思うけど。たまには大人しくしようなんて考えなかったの?」
ぬけ出せばそれなりの罰が与えられるとわかっていたのに、性懲りもなく繰り返したのはなぜだったのか。ずっと疑問に思ってたことを口にすると、リュオネスは一瞬傷ついた顔をしてアルゼイアを振り返った。
なにかを言いかけて、すぐにあきらめるように息を吐き出すと身体を起こす。
「・・・・言うこと素直に聞いてたってしょうがないだろう。それにどっちみち修行はさせられるんだ。だったら、息抜きするほうを選ぶさ」
本音を押し殺して、憮然とした口調で父親の所業を語りだす。
「アルも知ってるだろう。まるっきり手加減なんてされなかったからな。身体中傷だらけだったし、すこしは休まなきゃ続かなかったさ」
「そういえばそうだったわね。いっつも痣をつくってた」
打ち身や切り傷だらけの身体を癒したのは、まだ拙い能力しかもたないアルゼイアだった。
衣服についた草を払い落としながら起き上がる。
リュオネスの両親は、故国でも屈指の実力を誇る魔導師だった。
己にも他者にもあらゆる点で厳しい人達だったが、それは幼い息子に対しても同じだった。
なぜあんなにも小さな頃から、過酷ともいえる修行をさせられていたのか。今なら分かりすぎるほどにわかる。
すべては、彼らと───あの妖どもとの闘いのため。それに打ち勝つために行われていたものだったのだと。
「しかもそんなにまでして覚えたのに、魔道も万能じゃないしな」
僅かに声を落としたリュオネスの指が、アルゼイアの赤い傷跡にそっと触れた。
「傷跡、残っちまったな」
一瞬痛ましそうに目を細める。
「守ってやるなんて大層なこと言っといて、この様だからな」
二ヶ月前のあの時。
たまたま二人は別行動をとっていた。
立ち寄った街の有力者に請われて、小さな妖を屠る為リュオネスが出払っていたのだ。
そこを狙われた。
異変に気付いたリュオネスが駆け戻ったときには、すでにアルゼイアは重傷を負っていた。
自分を責める従兄に向かって、わざと明るい声をだす。
「リュオンのせいじゃないわよ。側にいなかった時のことまで責任を感じなくてもいいんだから」
「・・・それはそうだけどな。肝心な時に側にいてやれないんじゃ、な」
深い悔恨の念。
離れていたのは不可抗力だったのに、それはリュオネスにとって言い訳でしかないのだろう。
だったら自分にできるのは、彼を慰めることじゃない。
「じゃあね、次はちゃんと守ってもらうわよ。約束ね」
「ああ、約束する。二度と傷つけさせない」
揺るぎのない眼差しをした青年が、かつては白く細かったアルゼイアの腕にそっと唇を寄せる。
誓約の証のように。
「リュオ・・・」
息を呑んだアルゼイアに、もう一度強く誓う。
「絶対にだ」
逸らされない視線にこめられた万感の想い。
それを敏感に感じとったアルゼイアが、戸惑うように伏せた瞳を再びあげると、変わらない笑顔がそこにあった。
たったそれだけで、乾いた心に水が染み込むように癒されてゆく。満たされている自分を感じることができる。
だからこそ彼にとって自身もそんな存在でいられたらと願う。
「風が、でてきたな」
「そろそろ帰ったほうがいいかしら。ダストたちも心配してるかもしれないし」
煽られる紫銀の髪を抑えて、アルゼイアが砦を振り返る。岩盤を利用した天然の要塞の上部に、見張りと思しき人影が動いているのが小さく見えた。
「そうだな。そうしたほうがいいかもな・・・」
ふっと、リュオネスが彼方を指差した。
「嵐がくるぞ」
「え?」
慌てて視線を転じる。リュオネスが示した方角には、一見なにもないような風景がひろがっている。が、よく目を凝らせば、真っ青な空の彼方に一点だけぽつんと黒い染みのようなものがあった。
「あれは・・・黒雲?」
だがあんな雲があるだろうか。
晴れ渡った空の真ん中に忽然と姿を見せた暗雲は、見る間に周囲に広がっていく。
その動きからも自然に湧きあがったものでないのは、一目瞭然だった。
「・・・ライディアス!!」
息をのんだアルゼイアの背をリュオネスがとんっと押した。
「アル、先に戻ってろ」
「え? リュオンは? どこに行くの?」
「結界を強化してくる。今のままでも大丈夫だとは思うけど、念のためにな」
軽い口調とは裏腹に、微かに緊張しているのが伝わってくる。
(そんなに強い相手なの?)
不安が顔にでたのだろう。アルゼイアの肩を青年が優しく抱きしめた。
「心配しなくていい。用心するだけだから。同じ轍は踏みたくないしな」
守ろうとしてくれる優しい心遣いが嬉しくて、アルゼイアは素直に頷いた。
「分かったわ。戻って皆に話してくる」
見せかけとはいえ平穏な日々を送っている仲間に、また闘いの日々が始まるかもしれないと宣告するのは、正直気が進まない。
けれどこれは誰にもまかせられない、自分の役目だった。
砦に戻りながら、一度だけリュオネスを振り返る。
結界の内側に新たな結界を作りだそうと光の糸を操る姿に、頼もしさと愛おしさを感じる。
この感情があるなら・・・。
まだ大丈夫。彼がいるから、まだ闘える。
不安を決意に変えてアルゼイアは歩き出した。
彼がいるなら、この世界を変えられる。変えてみせる。
かつて幾千の人々が願い、果たせなかった夢を───。

 

けれど。
翌朝の空は、すべての希望を打ち崩す鉛色だった。

 

前夜 完