ざざっと音をたてて梢が鳴る。目前を風に散らされた花びらが舞っていった。それをなんとはなしに目で追っていった柴霞の視界に、人影が映った。
見なれぬ顔立ちの十歳前後の少女が、こちらに向かって歩いてくる。足取りが幾分おぼつかないのは、両手にかかえた荷物のせいだろう。黒い布地が小さな手の中からのぞいていた。
下働きの子供が、頼まれた荷を運んでいるのだろうと、単純な考えが浮かんだ。べつだん珍しくもないことだったため、柴霞の思考はすぐに幼馴染の男のことにもどった。
秦峨を失ったことが痛手になり、柴霞からまともな観察眼と思考力、そして判断力まで奪っていた。
でなければすぐに気がついたはずだ。少女の歩いてくる方向は垣根に阻まれた行き止まりになっており、子供といえど通れる隙間はないことに。そして、先ほどまでそこには誰もいなかったことに。
あるいは見たかもしれなかった。なにもない空間に、突然少女が現れたところを。
だが柴霞はその瞬間を見なかったし、ましてやこの少女がつい先刻、城下から王宮を見上げていたことなど知るよしもなかった。
「柴霞さま?」
柴霞のまえで足をとめた少女が小首をかしげて問う。
鈴のような声音に、柴霞ははっとして少女を見下ろした。
肩先にまっすぐに落ちる黒髪と同色の瞳。口元にわずかに微笑をうかべた少女は、柴霞が何用か尋ねるまえに、手にした布地を差し出した。
「どうぞ、お受け取りを」
突然の申し出に訝しげな表情になった柴霞は、次にでた言葉に愕然とした。
「秦峨さまからです」
反射的にのばした手が黒い布地の先に触れた。
そのとたん、あたりが闇に包まれた。
いきなりなにも見えない暗い空間に放りだされた柴霞は、ぎょっとして目を瞬かせた。何度か繰り返してなにも変わらないことを確かめると、あわてて左右を見まわした。
いくら夜が近い時間だったとはいえ、こんなにいきなり暗くなるわけがなかった。庭園の様子どころか、目の前にかざした自分の腕ですらはっきりと見ることができない。
(そんな、ばかな・・・)
息をのんだ柴霞は、そばにいた少女のことを思いだした。
「君・・・!?」
呼びかけに答える声はなく、それだけでなく人のいる気配も感じられなかった。
もう一度声をだしたとき、耳元でささやくものがいた。
(柴霞・・・さま・・・)
聞き間違えるはずのない声。だが、二度と聞くことの叶わないはずの声だった。
「秦峨!?」
振り向いた先にはもちろん求める人影はなく、暗闇がひろがるばかりだった。
幻聴だったのだと、柴霞はうなだれた。
あたりまえなのだ。あまりに彼のことばかり考えていたから、聞こえるはずのない声が聞こえた気がしただけなのだ。
軽く頭を振って、秦峨のことを頭から追い出そうとする。今はどうしてこんな不可思議な場所にいるのか、その理由を突き止めるのが先だった。
だが、その行動を阻むように、今度ははっきりと聞こえた。
(柴霞さま・・・なぜですか?)
目を見開いた柴霞の鼓膜に突き刺さるように、その言葉は響いた。まぎれもない呪詛の様相をおびて。
(なぜ、助けてくれなかったのですか?)