氷の封印

 


 

「憎みあうことしかできないの? わたしたちにできるのは、ほんとうにそれだけなの?」
薄い水色の瞳に涙を浮かべて彼女は言った。
どれだけの思いが込められていたのか、知らないわけではなかったけれど。
それに返す言葉はひとつだけだった。

 

空中を漂う小さな蒼い光が無数に集まり、その部屋を隅々まで照らしていた。
広大な空間に嵌めこまれた数本の白い柱に高い天井。
もとは礼拝の場だったが、今では祭壇も、儀式に使う諸々の小道具も置かれていない。ただ、壁の一面に巨大な氷でできた柱がそびえているだけだった。
外界とその部屋を繋ぐ唯一つの扉から中に入ったアークデイルは、懐かしげに目を細め四方を見まわした。
幼い頃から通い詰めた部屋はあまりにも様変わりし、当時の面影を少しも残していなかったが、それでも粛然とした空気は変わっていなかった。
遊び場でもあり避難所でもあったここを訪れるのは、一体何年ぶりだろう。
記憶の糸を手繰り、遠く過ぎ去った過去を振り返る。
最後に足を踏み入れたのは、祭壇が取り除かれ、氷の柱ができた日だった。
それ以来この部屋は彼の手によって封じられ、すべての人々の目から隠された。
アークデイル自身もここには近づこうとしなかった。その存在を忘れたかのように振舞った。実際は一日たりとも忘れたことなどなかったが。
小さな光によって乱反射を繰り返す氷の柱に近づき、アークデイルは透明な結晶の中に浮かぶ人影を見上げた。
それは女性だった。二十代も半ばのころの美しい容姿をした女が、両腕を胸の上で交差させた姿で深い眠りについていた。
「・・・・ミルディアーナ」
その姿を見るのも、その名を口にするのも久しぶりだった。
記憶の中の最後の姿、彼を置いて行ってしまったときのままの姿で彼女はそこにいた。
痛みが胸を射す。
ミルディアーナが眠りにつくとわかった時、アークデイルは彼女を止めることができなかった。
王たる自身の権限で無理矢理彼女を引き止めることは可能だったと思うが、そうすることには躊躇いがあった。
なぜなら、彼女を絶望の闇に追いこみ、この世界から去らせる決心をさせた原因が少なからず彼にあったからだ。
「久しぶり・・・。今日は、君にどうしても話しておきたいことがあって来た」
答えを返すはずもない相手にむかい語りかける。
「次代の『水』が生まれたよ。じきに『火』も生まれる。それから・・・」
彼の後を継ぐべき者も。
運命の歯車は廻りはじめた。終幕に向かって。
「もし君がいてくれたら・・・」
その後に続く言葉を、アークは必死の思いでのみこんだ。
自分を止めてくれるはずの存在。彼を諌め、ときには導き、そうして共にあるはずだった者たち。
一人は命を落とし、一人は彼のもとを離れ、そして最後の一人は氷のなかに自らを封じた。
ただ一人残された彼は、長い長い年月を孤独のなかで過ごしてきた。
だがそれも間もなく終わる。
「始めるよ。最後の戦いを。どちらが・・・誰が生き残るかはわからないけど」
生き残りを賭けた最後の決戦。それに勝つためには、どんな卑劣な手段でも使うつもりだった。
それによって彼自身がどんな謗りを受けようともかまわなかった。
もう、形振りかまっている暇はないのだ。
時間はあまりにも少なく、そして敵は彼らにそれを与えてくれるほど優しくはなかった。
このままなにもしなければ、間違いなくすべてが破壊されてしまう。
大人しく滅びを待つことなどできるわけがなかった。
アークはきつく拳を握り締めた。
「君が望んだ世界は創れなかった。美しく緑溢れる土地。人々が安心して眠れる街。争いのない安らいだ世界・・・。君が夢見た世界は、どうやっても望めない・・・っ」
ミルディアーナが永遠の眠りにつく前に、彼に懇願を繰り返した姿がまざまざと思い出される。
(お願いよ、アーク。道はあるはずだわ。わたしと彼がそうだったように、理解しあえるかもしれない。殺し殺されるだけの関係以外にもなれるかもしれないわ。だから・・・)
血が流れるのを誰よりも厭い、ただ平和と和解を欲しがっていた女性。
その純粋な願いを叶えてやれればよかったのだけれど。
(無理だよ。ミルディアーナ)
あの頃も今もそれは絵空事でしかなかったから。
「この地にあるのは、闘いだけだ」
自分に言い聞かせるように呟き、アークデイルは暗い翳りに満ちた瞳を伏せた。
「・・・・・・・さよなら、ミルディアーナ」
記憶の底に眠る、彼女の慈愛の眼差し。その微笑みを思い出すことは二度とないだろう。
そっと氷柱から離れると、アークは最愛の女性に背を向けて歩き出した。

 

氷の封印 完