「なんだ電気屋。ずいぶん男前なツラになって」
戻ってきた電気屋のくたびれた格好を目にした威が、おもしろそうににやにや笑いながら問いかけてきた。
「さては可愛い子ちゃんに引っ掻かれたか?」
「あったりー。可愛い山猫ちゃんとそのお供ちゃんとで、ものすごーくエキサイティングなお遊びをしてきましたー」
疲れきって帰ってきたところに、威のくだらないセリフを聞かされた電気屋が、投げやりに言葉を返す。
泥と埃で汚れた衣服と、引っ掻き傷とは明らかに違う頬の傷から、なにがあったのかなど容易に想像がつくはずなのに、どうしてそんな言葉がでてくるのかまったく理解できない。
女の子に対するみたいに心配してほしいとは思わないが、もう少し労わってくれてもバチはあたらないと思う。
だが威は電気屋の思いなど意に介さないようで、自分用にとティーを注ぎ始めた。
「その可愛い子ちゃんの名前はティエウか?」
「わかってるじゃんか。ついでに言うならお供の名前は式神ちゃんだぞ」
「ふん? なるほどな。やっぱり出てきたか・・・」
頷く威に、電気屋は不信そうな顔をした。
今の言い方だと、襲われるのが予めわかっていたみたいじゃないか。
「やっぱり? 威、今やっぱりって言ったか!?」
問い詰めると、威はカップをとろうとした手を止めた。
「言ったが、なにをそんなに驚いてる? 自分の正体を隠そうとしてるやつらなら、近辺を探られればなにか仕掛けてくるっていうのは定石だろう。まさかそんなことも考えてなかったとか言うんじゃないだろうな?」
反対に問われて、電気屋は曖昧に言葉を濁した。
「あ、いや。まぁ、そんなとこだろうとは思ってたんだけどね。でもこんな簡単にティエウの方から接触してくれるなんて、上手くいきすぎた気もするけど」
何気なさを装って話を合わせながらも、頭の中はフル回転だった。
えーと、なんだ?
ティエウの周囲を嗅ぎまわれば、本人が現れるだろうって? しかもうろちょろしてるのが、殺したいほど憎んでいる電気屋だったとしたら・・・・・・。
それって、つまり餌だったということじゃないか!
何枚も皮を被っているような威の性格を考えれば、電気屋を囮に使うなどいとも簡単にしてしまうだろうに。そこまで考えつかなかった自分に、激しく自己嫌悪してしまう。
「それでどうだった? まさかただ遊ばれてきたわけじゃあるまい?」
そんな風に言われて、いいようにあしらわれてきましたとは、口が裂けても言えるはずがない。
「そりゃあ、もちろん。頭脳派のボクちゃんに相応しく、この黄色のバンダナを使って、ものの一分で撃退してみせましたのことよ?」
得意げに胸を張ってみせたが、威にはもちろん通じなかった。
ちらりとうろんな視線を投げてよこすと、大仰なため息をついてみせる。
「いかんなー、電気屋。そのナリで言っても、誰も本当だとは思わないぞ? 嘘をつくならもう少しましなことを考えないと」
諭すような口調に、ついつい憮然としてしまう。
「わかってて聞くなんて、意地が悪いぞ、威。傀儡なんか相手にして、勝てるわけがないだろが。不意をついて、動きを止めるのが精一杯だよ」
「それならそれで、はじめからそう言えばいいだろう。そうすれば、余計なことも言われずにすむんだし」
「ハイハイ、俺が悪ぅござんした」
これ以上威の正論をくどくど聞かされるのはごめんだと手を振って、どっかりと椅子に腰掛ける。
その精彩を欠いた横顔に、やりすぎたかと少し反省した威がティーカップを差し出した。ハーブの香りが電気屋の鼻腔をくすぐる。
カップを受け取った電気屋を横目で見ながら、威は話を戻した。
「それより、その様子だとなにも手がかりになりそうなものは見つからなかったんだな?」
「ああ、そう。マンションもその近所の人間もなにも知らないみたいだった。ティエウも、話しあいなんかする気もなかったしな」
ティエウと遭遇したのは僥倖だったかもしれないが、それでなにかわかったかと言えば、結局なにもわかっていないのだ。ティエウの正体も、敵がどういった輩なのかも。
ふっ、と欠けた六芒星の絵が浮かぶ。あの意味もわからないのだ。それから……。
あの幻覚。あれは、もしかしたらただのフラッシュバックではないのかもといった、漠然とした思いが浮かぶ。
そう、例えば忘れてしまった自分の記憶かもしれないと。そんなバカなと思うが、どうしてもその可能性が捨てきれない。
黙り込んでしまった電気屋に、威が不信そうな目を向ける。
「どうした、電気屋。疲れたのか」
「……いや」
頭に浮かんだ疑問を話そうかどうか迷う。
威はもぐりとはいえ、大学病院の外科医にも引けを取らないくらいの腕をもつ、優秀な医者だ。もしかしたら、記憶を失っていること自体忘れている、そんな症例を知っているかもしれない。
何でも見透かすような深い黒曜石の瞳を見返しながら、けれど、結局電気屋は口にすることができなかった。
その考えは、あまりにも馬鹿げているとしか思えなかったし、なにより自分の記憶に途切れている時間などないことを、自身が一番よくわかっていたからだった。
頭を振って、妄想にも似た疑念を振り払う。
それでも、一度浮かんだ考えは、電気屋の心に棘のように残った。
「・・・なあ、威。ティエウのやつ、また仕掛けてくるよな」
「ああ、だろうな。どうしたら丹宮ちゃんから遠ざけられるか、考えなくちゃならんな」
「そうだな、どうしようか」
気にかかることは山ほどある。それでも、今は丹宮をどう守るかが最優先だ。
ティエウは諦めていない。何度でも邪魔になる電気屋を狙ってくるだろう。それを防ぐためにも。
決意に、電気屋の拳がきつく握り締められた。

 

 

今はまだ疑問は疑問のままで。
近いうちに、思い出すだろうから。
すべての「記憶」を。

 

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