調べるといっても、なにから手をつけていいのか。
悩んだ末、ティエウがよく行っていたという食堂から当たってみることにしたが、芳しい結果は得られなかった。
愛想のカケラもない従業員も、その上の雀荘に出入りしているヤクザ者達も、ティエウのことは知っていたが、個人的な話をしたことはほとんどなかったらしい。
兄と二人暮しをしているといったあたりさわりのないことだけは皆も知っていたが、それ以上につっこんだ、たとえば生い立ちみたいなことはティエウも話そうとはしなかったようだった。
当たり前といえば当たり前なのだが、これっぽっちも手がかりになりそうなことが得られなかったのが、腹立たしくってしかたがない。
壁にやつあたりをくらわせながら、他にティエウが立ち寄っていたと思われる場所に足を向ける。
だかそこでも結果は同じだった。そしてその次も。何度か同じことを繰り返して、ようやく電気屋はティエウが暮らしていたマンションに向かった。
ティエウとリアムが住んでいた部屋は、いまだ閉鎖されたままだった。
世間では、リアムは猟奇殺人の被害者で、ティエウも姿がないことからその犠牲になったのだろうといわれていた。まさか幼い少年がそれをしたとは、犯罪多発地域を管轄にしている新宿警察の人間も思わなかったらしい。
だが電気屋は犯人がティエウだということは知っていたし、マンションの住人たちも薄々気づいているようだった。電気屋はともかく住人たちが警察に知らせないのは、単に保身のためだろうと想像がつく。あるいは、自身も後暗いところがあるせいかもしれなかった。
針金でドアの鍵をこじあけると、するりと身をくぐらせる。部屋の中は澱んだ空気が充満していて、すぐに気分が悪くなりそうだった。
早めに退散したほうがよさそうだ。
どうせここも、手がかりになるようなものはないだろうからと、おざなりに中を検分する。めぼしい物は警察が持っていってしまっているのだろう。生活用品以外には、ほとんどなにも残っていなかった。
キッチンからリビング、バスルームまで見てまわって、なにも収穫がないとすると、残ったのは寝室だけだ。
リアムの死体があった部屋。そしてもうひとつのものが。
その部屋の存在を意識しただけで、最悪に気分が悪くなった。
ほんの一瞬、このまま回れ右して帰ってしまおうかとも思ったが、それではここに来た意味がなくなってしまう。 
覚悟をきめてそこに通じるドアを開ける。
惨劇から日がたっているせいか、想像していたような血臭はしなかった。ただおびただしい量の血痕は、拭い去られることなくそのまま残っていた。
それから、壁に描かれたヘクサグラムも。
ここに来るのがイヤだったのは、死体を思い出すからだけではなかった。この欠けた、不完全な六芒星を見たくなかったからだ。
わけもなく不安がこみ上げてくる。あるいは焦燥感か。それが幻覚に起因しているのはわかっていた。幻覚の中の自分が感じていた感情が、六芒星を見たことで呼び覚まされただけなのだ。
これは現実の自分が感じているものではないと、無理矢理自身を納得させる。
「俺には関係ない。俺は、あんな男のことなんか知らない」
声にだして言うと、不安は幾分遠のいたような気がした。
そうだ、自分には関係ない。
会ったこともない男がなにをしようと、どうなろうともまるっきり関係ないはずだ。
壁に背を向けたとき、ずきりと頭の芯が痛んだ。
ここ数週間でお馴染みになった原因不明の頭痛に、チッと舌打ちをする。
なにもこんな場所でなることはないだろう。
悪態をつく間もなく目の前が一瞬暗くなり、知らないはずの映像が脳裏に浮かんだ。
フラッシュバックだ。
意識が幻覚のなかの自分と重なる。そして感情までも。
丹宮にそっくりな男が、背を向けて歩き出す。その先にあるのは扉だ。開けたら最後、二度と戻って来れない異界に続くドア。
男はためらいもせずに扉を開ける。
行くなと叫ぶ声は届かない。
男の背を呑みこんで扉が閉まる。
「・・・・・・・っ!!」
恐怖に心が震えた。
会えない。もう二度と。永遠にその姿を見ることは叶わない。
「冰史!」

 

幻覚が消えると、電気屋は信じられないものを見たように首を振った。冷や汗が首筋を伝わっている。掌もじっとりと汗ばんでいるのが感じられた。
「冰史だって…?」
何度も、それこそいやというほど見てきた幻だったが、男の名を呼んだのはこれが初めてだった。今までなんとなくだが、男に名前なんかあるとは思っていなかったのだ。
「なんなんだよ、一体。ただの幻覚なんだろう?」
それとも違うっていうのか。
ふとあげた視線が、壁に描かれた血色の絵図を見とめた。
冰史はどこかにある六芒星を壊しに行ったのだ。そして……。
それ以上は知りたくもないことを「思い出しそう」で、電気屋は考えるのをやめた。

 

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