お帰りなさい〜皆生トライアスロン(2001年7月31日)
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7月28日〜鳥取へ
27日に相模原から滋賀に移動し、28日早朝に滋賀を出た。西宮付近の渋滞はあったが、概ね順調。12時過ぎに米子に到着。そのまま受け付け会場に直行。しかし会場に着く直前に忘れ物に気付いた。なんとしたことかヘルメットである。いくつかのショップが出ているだろうと思い、受け付け会場に着いたら、まずはヘルメット探し。運良く見つけることが出来た。そのまま受け付け/検車を済まして、バイクコースの一部を車で走ってみた。一番の難所だけは確認しておきたかった。それからホテルへ。二日かかりで移動距離は約800km。さすがに疲れた。夕方、スイム会場付近で軽く泳いだ。視界は2mぐらいといったところ。水温はウェット無しでも問題なかった。ホテルに戻って、レースの準備を済ませて、早めに就寝。
7月29日〜レース当日
受け付けが5時30分からなの朝食は4時30分から。それに合わせて起床は4時。長い一日の始まり。
朝食の弁当を食べ、受け付け会場へ。ナンバリング、バイクのセット、トランジションバックのセットをして、スイムのスタート地点へ移動。その移動のためにサンダルを借りるのだが、スタート地点がトランジションエリアに近ければ必要のないことだと思う。が、これも地形やコースの制限もあり、選手のためのものであるので感謝しないといけない。
ウェットスーツを着るときにいつもはワセリンを使うのだが、今回はDicton SPORTSという保護クリームを使ってみた。某スポーツ店で前身水着を買った際、こういうのをつけると着易いと言われていたので使ってみたのだが、これが後々影響したのである。確かにウェットスーツは着易かった。
スイム スタート
そうこうしているうちに7時のスタート。700人のスタートなのでなるべく混雑を避けたい。最初のコーナーまで遠い場所からスタートすることにした。スタートは予想通りの混雑。これも最初のコーナーまでと思っていたら大間違い。コーナーを回っても混雑状態は変わらず。しかも困ったことにペースの遅い集団に捕まってしまった。右手はブイ&ロープ、前と左は選手の壁。ラチに包まれた馬と同じである。ここで慌てても仕方ない。折り返しまでは潮は向かい気味なのでこの集団で楽をすることに決め、ゆっくりと泳ぐことにした。それでも前の選手に何度もぶつかりそうになる。我慢を続けてようやくスイムの折り返し(1650m)。そこからマイペースと思っていたが、そこでもまだ周りは遅い選手ばかり。さすがにイライラしてきた。特に前の選手の力強いバタ足には驚いた。危なくて近付けない。仕方なく間を空けていると後ろから背中を叩く奴がいた。普通1回でわかるものだが2,3回叩いてきた。こういう選手に包まれないようにするのもトライアスロンのテクニックだということが身にしみてわかった。我慢を続けて、最後のコーナーを回ってラストスパート。これもままならなかった。なぜか横の選手の腕が私の顔面に入ったのである。ゴーグルが外れなくて良かった。腹も立ったが、それよりも変な泳ぎをしている選手と併走(泳)しているのかと情けないなという気持ちの方が強かった。バトルを避けていればあと3分、いや5分は速かっただろう。不本意なスイムを上がってトランジションエリアへ。ペースの違う選手に包まれたことを書いたが、自分のペースをわきまえていない選手が多いことも事実である。あのような状態では恐らく、バトルに巻き込まれてスイムでリタイヤした人も多かったのではないかと思う。
バイク
着替えている間にふと時計を見ると43分。予想は55分。これに前述の不手際を加えて60分を予想していたので驚いた。周りの選手もバトルはすごかったと言ってました。それでもタイムは速いと同様に言っていたので時計の押し間違いでもなさそうである。バイクはお気に入りのパンターニのジャージ、メルカトーネウノのピンクのジャージ。バイクもピンクなのでマッチしている。速さで目立てない分、こういうところで目立つ作戦。10kmも走らないうちに報道車が後ろから来た。最初は自分を追い抜いた選手をカメラが追っていたが、カメラマンの横からあの高石ともやさんが顔を出して、私のほうに「よっ、メルカトーネウノ、頑張れ」と声援を送ってくれたのである。軽く会釈をしていたら、カメラも自分を撮り出した。しばらく撮っているので、軽く手を振ってみた。あとにダイジェストとかに残ったらいいのだが、果たしてどうだろう。ピンクのメルカトーネウノのジャージが映っていたら間違い無く自分である。
バイクは大山までの昇りが最大の難所だと思っていた。その難所を過ぎ、バイクコースの半分近くのエイドステーションで一休み。今までのハーフまでのレースではバイクで休むことはしなかったが、今回はロング。最大の難所を過ぎ、バイクも半分を過ぎたこともあって、安心したところもあった。そこに落とし穴があった。70km付近の坂で左の大腿四頭筋がピクっときた。それまで踏み込むばかりのペダリングばかりをしていたつけがきたのである。そこから引き足重視のペダリングに変え、なんとか痙攣まではいかずに済んだ。途中何度かヒヤっとする箇所があった。大きく2つあった。1つは後方確認をせずに前を横切った選手。自分を追い越した時にパンクに気付き、自分の前を斜めに横切ったのである。自分も予想できたので接触せずに済んだ。一つ間違えば大事故になっていたと思う。高速道路で急な割り込みに相当するものである。もう一つは追い抜くときに間隔をあけていない選手がいることである。ハンドルが30センチも空いていない選手が何人もいた。もしも自分が何かを避けようと50センチ横に言ったら衝突している。基本的なテクニックを身に付けていない選手が多いのには驚いたのも事実である。皆生ぐらいだったら、テクニックのある選手ばかりだと思っていたので、予想外に低レベルであった。記録の遅い選手の負け惜しみに聞こえるかもしれないが、ルール以前のテクニックというものもあると思う。
話を戻そう。100km標識に間違って90km標識がかかっていたのには正直焦ったメータでは98km。アップダウンでいくら蛇行したといっても1割増はあり得ない。でもそれが110km地点には正しい標識になっていた。これはホッとした。しかしコースは最後までアップダウンが多く、きつかった。スプロケットを13-23にしていたのは間違いで、八ヶ岳用の13-27にすべきでした。それでもラスト10kmからは若干の追い風だったようで35km/hで飛ばすことが出来た。レース前の予想ではバイク終了時点で7時間。見事に誤差の範囲でランのスタートに入った。
ラン
ランはほとんどが歩道を走るコース。信号は止まるというのがローカルルール。これが面白い。トップの選手は運も必要になろう。自分が5kmも走らないうちにトップの藤原選手とすれ違った。速すぎる。自分はまだ35kmもあるというのに。
ランのエイドステーションは3km置きに17箇所。全てのエイドで立ち止まり、水を頭からぶっかけてもらいました。ランのスタートが午後2時。この時間で普通に走ったら途中で切れるのは明らか。最初からジョグとウォークの繰り返し。5分歩いて5分走るような感じ。加えて、信号待ちとエイドの補給&休憩で歩き続けているのと同じペースだったかもしれません。5kmのぺースは40〜50分だったのでほぼ歩いているのと同じですね。7時を過ぎて日が暮れてくると楽になってきました。それでもペースは同じ。35km通過が12時間26分。残り時間2時間4分。歩いてでもゴールできます。それでも応援やボランティアの人達に支えられ、ペースは変えません。スピードは変わりませんがジョグをしている時間がゴールに近付くにつれて増えてきます。「お帰りなさい」という声援は身にしみます。「ただいま」という気持ちなんですが、ここからの1km、1kmが長いのです。最後のエイドでも恒例の水をかぶせてもらい、最後まで走ります。40km通過が13時間19分。このころ同じ関東ゼッケンの2選手と合流しました。(皆生は都道府県別のゼッケンで出身が判るようになっています。)ラスト1km付近で併走の方の息子さんが迎えに来てました。最後の交差点でも恒例の信号待ち。10回以上は止まったと思いますが、時間に余裕もあるので関係ありません。ライトアップされたゴールテープを切る前に出迎えてくれた方や関係者の方々にお礼をする意味で振り返って一礼してからゴールテープを切りました。
| Swim(3km) | 0:42:16 | 103位 |
| Bike(140km) | 6:15:47 | 484位 |
| Run(42.195km) | 6:40:34 | 568位 |
| Total | 13:38:37 | 526位 |
レースで成功、失敗はつきものですが、自分なりに記録しておきます。よかったのは腰に巻いたバンド。前日にヘルメット同様に購入したものですが、ファイテン(株)製のRAKUWA(楽輪)アスリートバージョン。バイク以降装着していました。レース中も楽でしたし、レースの後のだるさも少なく効果はあったと思います。いつもは足にキネシオテープを使っていましたが、腰の疲れにはかなりの違いがあります。逆に効き目が少なかったのがディクトンスポーツ。ウェットスーツの擦れ防止には効果は少なかったです。やはりワセリンがいいと思いました。
来年はもう少し練習してレースに臨んでみたいと思っています。
なにより今年は完走できてよかったです。「ただいま〜」