ドイツ語の歌でお馴染みのといえば、第九、魔王、野ばら、菩提樹…… 或るときは叫び、彼の時は怒り、また或るときは優しくささやく。クラシック音楽ゆえ、共通するのは その格調高い雰囲気。
そんな私の印象を覆したのが戦前ドイツの映画音楽。
ドイツ語の四角張った感触そのままの発音を、音楽の調べにのせると、その巻き舌の発声が耳に心地よく響く。フランス語の歌(シャンソン)を聴くのとは違った魅力がある。
さて、「また恋したのよ」である。
なんというムード、なんという迫力。マレーネ・ディートリッヒの歌声の語るが如き味わい。伴奏も、場末の楽団の雰囲気がうれしい。一部、その歌詞をみてみよう……
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Ich bin von Kopf bis Fuss auf Liebe eingestellt,
Denn das meine Welt und sonst gar nichts.
Das ist , was soll ich machen , meine
Natur.
Ich kann halt lieben nur und sonst
gar nichts.
Manner umschwirrn mich wie Motten um das
Licht ,
Und wenn sie verbrennen , ja , dafur
kann
ich nichts.
Ich bin von Kopf bis Fuss auf Liebe
eingestellt
Ich kann halt lieben nur und sonst
gar nichts.
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私の心は 恋こそすべて
私の世界は他にはないの
どうにもならないわたしの性(さが)に
できるのは ただ恋 ほかはダメなの
焔(ほのお)に群がる 男は羽虫
火傷をしたって わたしは知らない
私の心は 恋こそすべて
できるのは ただ恋 ほかはダメなの
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| 対訳;保坂和夫氏(オリジナル盤による戦前欧羅巴映画主題歌集より)) |
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この歌詞は映画『嘆きの天使』のテーマと大きく関係している。映画そのものといってもよいだろう。
ディートリッヒ演じるローラの存在のなんたるかが歌われているのだ。意図せずして男を惑わす存在感を歌って説得的であった。
また、メロディーもけだるく物憂げなムードいっぱいで、映像美とともにこの映画を評する際に「退廃」の二字を以って表現される所以であろう。
この歌はレコードにおさめられ、日本でも大ヒットした。ロマンティックで、どちらかというと流麗に彼女が唄うレコードのバージョンよりも、映画の彼女の歌の方が個人的には気に入っている。
椅子にまたがって客席に向かい、不敵な、しかし魅力的な笑みを浮かべるディートリッヒ。客席のタバコの煙に画質の悪さも手伝って、全体的にぼやけた画面の中央にデンと腰掛けて唄う彼女は、まさに焔に飛び込む虫の如く男性を夢中にさせる美しさだ。
肘をついたり、足を組替えるたびに、その妖艶、その退廃が銀幕から香りたつ。
ディートリッヒといえば、“リリー・マルレーン”と相場が決まっているようだが、私にとっては、ディートリッヒといえば何といっても“また恋したのよ”なのである。
この映画はもともと、ドイツ映画の名優 エミール・ヤニングスのトーキー第一作として企画されたそうだが、ヤニングスの名演もかすむほど、ディートリッヒ、ディートリッヒ、ディートリッヒ…
で包まれた伝説の一作となったのである。
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