◎◎◎◎◎ 出たとこ勝負の宿取り方 ◎◎◎◎◎◎
                
                ●   序   ●

 えーかげんな旅行者でも極々自然な親切さで受け入れてくれたシルクロード
の西の端の国え東の端の国から、感謝と敬意を込めて。

 イスタンブール空港の入国ロビーでトルコ語のおさらいをしてみる。「あり
がとうはテシュケリデリムだろ よし、はいは えっと エヴィットだな じ
ゃ いいえは・・・・あれ。」まあ いいっか。


●4月29日 イスタンブール

 イスタンブール空港に着いたのは夜中の12時過ぎ。 280ドルを換金し
て37618000トルコリラを手に入れる すげー! インフォメーション
をさがしてみる、空港はさほど広くないのですぐに見つかる、しか もやって
いる、英語でホテルのことをたずねると、少々無愛想な女の人がロビーの隅を
指差してくれた。

 そこにはHOTELなんとかかんとかと書いてあるコーナーが有るではない
か、つまりすなわち旅館案内所だな、よしよしすぐに行ってみる。
 初めての国に降り立ったばかりで、まだ周りのトルコ人がみんなドロボウと
か強盗とかに見えている俺を英語で出際よくさばいてくれた。 中級ぐらいの
ホテルをライトバンの送迎付きで50ドル。 (ホテルはドル払いが多かっ
た)英語は堪能なので部屋の写真などを見ながらすぐに話はまとまったのだ。

 まあこんな具合である。
「イエス・・・ワンパーソンオンリートナイト・・イエス・・イエス・・・
・・・・イエスプリーズ・・・イエス・・・・イエス・・・・・イエ ス・
・・オーライサンキュウ。」

 かくしてトルコに降り立ってから1時間もしないうちにホテルのベットでく
つろ ぐことが出来たのでありました。


●4月30日 アンカラ 

 昨日の空港よりもずっとでかいバスターミナルに着いたのは夜中の11時過
ぎアメリカの長距離バスよりもずっと快適で切符の取り易いベンツ製のバスか
らおどおどしながら降り立った。
 
 首都のターミナルビルとはいえこんな時間ではさすがに人もまばら、インフ
ォメーションも閉まっている。「頼りは、地球の歩き方の小さい地図だけかそ
れも後で分かったのだがこのターミナル最近立て替えたらしく地図の位置より
2,3キロずれていたのである。
 小雨振る異郷の街でいきなり迷子になってしまった、地図とコンパスを片手
に首をかしげながら2,30分あたりを歩いてみる、わからん どーしてもわ
からん。大都市でも12時を過ぎるとホテルでもフロントの交代要員を確保出
来ない所は 閉めてしまうので部屋が取りづらくなる。いたしかたない、 自
分の好みとはいささか外れてしまうが、あの手を使うかと決心する。    
 タクシーの運ちゃんに宿を教えてもらうのである、 しかしさすがに流して
いるタクシーを止めて英語や日本語で嫌がる運ちゃんを押しとどめながら自分
の状況を 理解させるなんて気が引けるしおっくでもあるタクシー屋でヒマし
てる人を捕まえよう。 タクシー屋は探す必要が無い、なぜならこの事はタク
シー屋の前で決心したのだ。

 道路の脇にプレハブのような箱を置きその脇にタクシーが4,5台置いてあ
るだけの簡単な作りだ。 扉を開けると60歳近長老のような人と、一番若く
ても30半ばの男が4人、 テレビを見ながら雑談でもしていた様子、「メル
ハバー(こんにちは)」あいさつをすると、 2番目に年かさの有りそうな気
の良さそうなおじちゃんが話かけてきた。もとより聞き取れるはずが無い。
「オテル、オテル(ホテル、ホテル)」俺が言えるトルコ語ったらこれで全て
である、でも 「あの、 言葉も分からなくて申し分けないんですけど、この
傍に宿が有ったら教えてもらいたいんですけどーー。 」という気持ちを込め
て言う。

するとすぐにこの5人のおじちゃん達は対策会議を開いてくれるのであった、
 まがりなりにも外国人旅行者なのでりっぱなホテルに連れて行かれる事もあ
りえる、それだけは避けたいので”地球の歩き方”のトルコ語会話のページを
開き 「もうすこし、 安い部屋は有りませんか。 」と言うところを指差し
てみせる。これで必要なことは全て伝えた、もう思い残すことはない。
 さあ、大変なのはおじちゃん達だ。
 
 「まあ 最高級ホテルはないとしてもだ、この人の言う安いホテルってどれ
  ぐらいのホテルだ?。 」
 「安宿は有るけど、どうもそこまで粗末なとこじゃあ喜ばなそうだな、中級
  ぐらいでいいんじゃないか?」
 「観光地から離れたとこじゃかわいそうだし な。」

 ”地球の歩き方”の地図のあちこちを指差しながら俺が考えていた事よりず
ーーっと高レベルの検討がなされているようすである。

 5分ほどの会議が終わり最初に話し掛けてくれたNO2のおじちゃんが意を
決したと言うように立ち上がる。 「テシュケリデリム」後に残った4人のお
じちゃん起達にお礼を言って車に乗り込む。 繁華街を通り抜けトルコ語で案
内をしてくれながら15分ほどでちょうど良さそうなホテルの前まで連れてい
ってもらう、
 
 「気に入らなかったり、部屋が無かったりしたら他を回るから。」

 のような事を言ったのだろう、一言俺に話し掛けNO2のおじちゃんはいっ
しょにフロントまで着いてきてくれた、昨日のホテルより少し良い建物で40
ドルの部屋が有ったのですぐに、決める。
 おじちゃんに何度もお礼をいって握手をかわす、おじちゃんは俺よりも喜ん
でいるように見えた、よかった、よかった、と言うように握った手を振ってい
た、時計はまだ12時を回っていなかった。

●5月1日 ネヴシール(カッパドキア)

 アンカラから400キロほど南,なにも無い丘陵地帯を長距離バスで走り抜
けこの小さな田舎町に着いたのは夜中の10時過ぎ。トルコの見所をあげるな
らば1にイスタンブールとして、2番目がここカッパドキアになる。イスラム
圏のこの地で隠れキリシタンがグランドキャニオンの様な渓谷地帯に岩(と、
言うには少々柔らか目だ)をくり貫いて、住居だの教会だのを作って隠れ住ん
だ跡が、風雪に侵食された不思議な風景に神秘さを付け加えている所。この雰
囲気は独特すぎて他にたとえるものが無い。

 ここを、観たくてトルコに来たのだけれどどうも「五泊六日日本一周バスの
旅」位の計画で旅行を始めてしまった為、ここをジックリ観ている時間が無い、
そこでせめてもの時間稼とアンカラでもう1泊することをやめて、約300キ
ロ南にバスで移動してこの街までやって来たのだが、またまた到着が夜中にな
ってしまった。

 多少の覚悟はしていたが観光地とはいえ田舎街、バス停の周りはみごとに真
暗だ野球グランドの内野位の広さの駐車場にコンビニストアを一回り大きくし
たほどの大きさの建物と照明灯が2つだけ、出発したのは国際空港並みの大き
さのアンカラのバスターミナルだったのに成田空港を離陸したボーイング74
7が南大東島のセブンイレブンの駐車場に着陸したようなものだ、かなり心細
くなって来た。

 長距離バスでここまででいしょに乗ってきた乗客は近くの村々に向かう小型
バス(このバスだけの為にきている様だ)に乗り変えたりバス停の周りの闇の
中に消えたりと、「いつものことですから」といった風情だ。
 好きこのんでいつもと違うめに会うためにはるばるとやって来たのだけれど、
いまはこの人達がめちゃくちゃうらやましい。
 「いっしょにつれてってー」と小型バスに乗り込みたくなるのを思い止まる
のが大変だ。「ここは、この地方最大の都市なのだ、ここならホテルもあるは
ずだ、仕事で利用される事も多いホテルなら遅い時間でも入ることが出来る。
 近くの村々は観光地だから宿は有るだろう。でも、観光客のみ相手にしてい
る旅館やペンションでは客を見るし、普通宿の人は遅い時間は寝てしまうもの
だ。

 「だからね、いい子だからこのバスに乗っちゃだめだよーー・・・・あっ、
 そーだ、そこの建物に入ってみたらどうかな、きっと宿の案内とか食事とか
 するとこが有るよーーねっねっ。」
 
 本当に思い止まるのに苦労する。しょうがないので、その石作りのコンビニ
風の建物に入ってみる。なにもやっていない。
 いくつかカウンターは有るが人はなくガラーンとしたホールに薄暗い電灯が
ともっているだけだ。

 「もう、助からないかもしれない・・・いやあきらめちゃだめだ!」
  どこかに「木村屋旅館」だとか「ビジネスホテルニューグランド」とかの
  看板みたいなものが有るはずだそれを探そう。

 一回あたりを見回せばそんなもの有りそうに無いことは分かるのだけれど、
冷静な判断力回路はこの時点で機能が30%まで下がってしまっている。
 早い話がトホーに暮れてウロウロしていると1人の少年が入ってきて、俺を
見るなり1言2言英語で何かを話しかけサッサと奥の部屋に入ってしまった。
話の内容をヨウヤクすると

 「ホテル? 鯖鰯鯛鰯鯱 まっすぐ 鯔鱸鮭鰹鮹 左 烏賊河豚 左 鱚」

 少年は一瞬にして俺の情けない状況に気が付き助けてくれたようだもはや少
年が「まっすぐ。」と言ったときに指さした方向に歩き出す他にすることがな
い。「もういいや、どうなっても。」かなり投げやりな心がまえで、闇のなか
に突入するのでありました。

「まだ見ぬ貴方はどんなお方か惚れて漕がれて行くわいな。」

 題名は「この街のホテルに捧げる唄」さすがに心細くなってきて歌でも歌い
たくなってきたが歌う歌が思いつかず適当な歌詞を小唄のような節回しで小声
で歌いながら歩いた。
 最初まっくら闇に見えた(見えなかった)所にはちゃんと道があり団地やら、
軍隊の駐屯地やら、工場とかが続いていて人が住んでいる事は間違いないらし
い。その事が解ると、小唄も歌っていることだし、だいぶんと余裕が出てきた。
そこで歌の節を色々と変えてみながら試してみる、ふむふむ、節はおもいっき
りひぱったほうが、かんじがでるなぁ口は尖がらせてうたうとらしくなる、よ
しいいぞぉトルコだの宿だのの事はもうどうでもよい事である今はこの唄の完
成度をどこまで上げられるかが問題なのだ どうせあたりは暗くてよく見えな
いのだ。

 20回近く思考錯誤が続けられたころ緩やかに右に曲がった道の先に灯がみ
えた、店がやっている・・・・街が有る。バス停の人本当の事教えてくれてん
だ、見た目はワルガキ風だったので、どうせテキトーな事教えたんだろうなー
などと思っていなのだけれど、これならホテルもきっとある。昨日のタクシー
の運チャンのそうだったしトルコの人はどんな人でも偉い、きちんとしていて、
親切なのだ。この人たちに見放されたらきっと旅行を続けられなくなるだろう
なトルコ語ぜんぜんしゃべれないし、ありがたやありがたや。

 どうやら俺はまっすぐに街の中心部に向かっていたらしいライトアップされ
た館が頂上に有る小高い山を背後に置いて3,4階建の建物が10〜20分で
歩き抜けられる範囲に軒を並べている。
 もうすぐ11時になるがお店のほうは今がそろそろ店閉まいの時間らしい、
まだ半分くらいは開いていてはいるけどさすがに客はなく店の人はテレビを観
たり世間話をしたり、かたずけをしている、この国はそうとうな宵っぱりのよ
うだ。

 そして惚れてこがれたホテルは街の入り口近くにに確かにあった。
 しかし飲食街の雑居ビルみたいにケバケバしていたので振ってしまったので
ある。
 もう少し歩いたら観光地帯だけにホテルはけっこう沢山有ったので山の麓の
モスクの側のすこし古ぼけた感じのところを選んだ。
 
「だってーうち派手な人好かんねん。」

 ちょっとでも余裕が出るとすぐこれなのだ女心、を少し理解できた晩で有り
ました。


●5月2日 ギョレメ−イズミール 車中泊 

 カッパドキアの核心部ギョレメの街から1000km近くも離れた地中海沿
岸最大の都市イズミールまでの長距離夜行バスに乗る。今夜は車中泊になるの
で宿探しの必要は無い、と言う事で今日はバス旅の話。
 実はこの国鉄道網が貧弱でなので、皆にあまりあてにされていないどれぐら
いあてにされていないかと言うと首都アンカラ駅の場合

   切符売り場の窓口約10
   売店1
   ジュースの自動販売機1
   待ち合い室は50人ほど座れる所が1
   小包発送窓口1
   自動体重計1

 石作りの駅舎は何処から何処まで行くにも1分以内の大きさで、駅の周りに
は、トラックターミナルと公園、店とか人家は無く、駅にいる人は多めにみて
も200人にはならないという具合。

 それで、その代わりがバス。量、質共にこれだけ充実した長距離バス網は世
界的に見てもトップクラスだ。
 まあ、日本には13対2で圧勝、以前アメリカのロサンジェルスからニュー
ヨークまで長距離バスを乗り継いで旅した事が有るけれどそのアメリカとも8
対3で楽勝なので向かう所敵無し状態と言ってよい。

・・・もう少しちゃんとした説明をするならばまずその量はと言うと、首都ア
ンカラの場合バスターミナルに並んだバス会社のカウンターは80を超えしか
も一つのカウンターが3−5個のバス会社の看板を付けていた、つまり多く見
れば400位いのバス路線が営業していることになる、そして40以上有る搭
乗ゲートは常に満杯、それどころかその後ろで順番を待つバスが午後4時頃で
100台近くも連なっていた。

 そして質に関してはと言えばまず使っている車両のほとんどがベンツ の新
型ハイデッカーで、長距離路線の場合途中最低1度は洗車をするほどきれいに
使っている。もちろん乗りごこちは大変よろしい。

 添乗員は皆頭がよく気が効いていて親切だしドライバーはベンツの最新型デ
ィーゼルエンジンの性能を片側1車線道路で100%発揮させスピードの乗っ
た車体を軽くさばいてセンターラインオーバーの追い抜きをかけまくる為ほと
んど一般道を走っているのだけれど遅さを感じさせてくれない(少し怖かった
けど)そしてテレビと飲み物のサービス、変わったところではコロン(床屋さ
んで顔にパッパと振りかけられるあれ)のサービスまであるのである。どーだ
まいったか!

 とは言うもののやはりバスは寝る所ではない、ギョレメを夕方の5時頃出発
し、イズミールには翌朝の9時すぎに到着、寝不足でフラフラとバスを降り立
った。
 トルコで3番目に大きな都市だけあってさすがにバスターミナルも大きい敷
地内に雑然と立ち並んだ建物や車庫そしてバスの間を多くの人に混じって表通
りに向かうとりあえず街の中心に向かおうと思うのだがバスの長旅で疲れてし
まって考えるのがめんどくさい、地図とコンパスでおよその見当を付けてその
方向に向かっている市内用のマイクロバスにエイヤッと跳び乗った。
 しかし見事に方向を間違えてしまっていた為、 目ざとく俺の状況に気付い
た運転手は50mも行かないうちにバスを路肩に止めて、このトンチンカンの
外国人をどう希望の行先に行かせるかについての会議を乗客と始めてしまうの
でありました。トルコのバスさんほんとうにどうもすみませんでした。そして
ありがとうございました。

●5月3日 チャナカッレ

 イズミールではいきなりバスを乗り間違えてズッコケてしまったが気を取り直し
てベルガマと言う街に向かいギリシャ時代に作られた地方都市文化センター風の 遺
跡を見る。

 小高い山の頂に大理石で作られた劇場やら図書館やらが瓦礫の3 歩位手前の状態
で石の間に草などを茂らせながら「私こそが遺跡である」とかなり 威張った感じで
立ち並んでいる。全部観て歩くのに小一時間かかる大きな物で十 分にヒタれる所だ
 さて、今まできつい毎日だったので。今日は早めに宿を取っ てゆっくりしようと
思い、あれやらこれやら観て歩くのを昼過ぎに終わらせた。
 ここからスタンブールの間で「地球の歩き方の地図では比較的大きな丸がグリグ
リと 付いていた海辺の街チャナカッレで宿を取る事に決めバスにのる。
 ベルガマ からは200kmほど離れてはいたが出発が早かったので、到着も4時
頃と今回の 旅行で初めて日の有るうちに目的地に降り立つ事が出来た。
 この時間なら宿取りは 取れるか取れないかと言うせっぱつまった問題ではなく、
自分好みの宿が見つかる かどうかに変わってくる、アッラーの御加護もトルコの人
の助けも無しで寝ると ころを自分で決められるのはやはり嬉しい。

「ヨシヨシ、こうなったらすげーい いとこ見つけてやるぜ」

 と少しムキにさえなってきた。さっそくあてずっぽで港の 方に歩き出す、この街
はトルコの北側を覆っている黒海と南西側に広がるエーゲ 海を繋いでいるボスポラ
ス海峡のエーゲ海側の入り口に有る。
 この海峡は又ヨ ーロッパとの境界にもなっているそうでアジアの果ての街とも言
えなくもない。
 ここからはそのヨーロッパ側に渡るフェリーが出ていて地中海地方からイスタン
ブー ルに向かう場合ここを渡ると若干距離的に有利になるため長距離バスでも利用
される事が多い様だ。早い話がここはターミナルなのである。
 さらに言うとはここ から3,40kmの所にトロイと言う観光地が有る、あの木
馬がどうのこうのし たお話のトロイだ、ここはそこに行く為の足ががかりになる街
でもあるらしい、この様な所でフェリーターミナルに向かっているのだから当てず
っぽにしてもかな り手堅い。
 実際、港までの10分程の間に2件のホテルの前を通り過ぎた。

 「ま あ、一通り観てからゆっくり決めよう。」

 とそのまま海に向かう。出たところは フェリーボートの発着場の真前だ、2艘の
フェリーが停泊している、自動車20 〜30台載める位の大きさだ、その内の1艘
は出港前の様で人や車が整然にと言 うほどキチンとしてなくて雑然と言うほどあわ
ただしくもなく、日常茶飯の自然 さで船に乗り込んでいる。
 その向こうにはエーゲ海と言うにはあまりにどんより と暗い海と意外に近く向こ
う岸のヨーロッパが見えている。
 発着場の隣には漁船 が2、30艘舫われそのの道は広く作られていて、たくさん
の人が通勤と言うよ り散歩の様な足どりで俺の周りを行き来している。
道に面して3、4階建ての赤 茶た年代物のの建物が軒を並べその1階はパブやレス
トランにしていたりするホテルも何軒か混じっているそしてこの街並みは海までせ
りだした山に貼りつくよう に少し霞がかるほど遠くまで続いておりもうそろそろ夕
暮れで傾いた太陽は午後から多くなってきた雲を明るく浮きあがらせて、それとは
対象にそれらの景 色を暗く沈ませている。

 モノトーンの古い映画に出てくるような異国の港街ぶりだ。
 薄暗くなるまでその雑踏に混じって歩きまわり赤いネオンの字が幾つか欠けた、
古くて立派なホテルを選んだ。
 真鍮製の取っ手の付いたガラス戸を開けどっしりとした木で作られたカウンタ 
ー越に歳かさの有るフロントと部屋の交渉をする、ずっしりと重い部屋の鍵を受け
取りエレベーターに向かおうとすると俺の前にフロントと話をしていた、 大きな
黒い瞳の若い女の人が思い詰めた顔つきで話しかけてきた。・・と言うのはウソ。


●5月4日 イスタンブール
 
 早くも最終日になってしまった。明日乗る帰りの飛行機ははなんとイスタンブー
ルから朝の6時何分かの出発だ、今回取れた飛行機のきっぷは行きも帰りも時間が
ムチャクチャだなーでも乗り遅れるわけにもいかないし、3時過ぎには起きないと
いけないかー。乗り遅れは心配だし、早起きはゆーつだし,今日の宿取りのテー マ
はどんな時間でも確実にモーニングコールを入れてくれる信頼の宿探しに決まった。
 チャナカッレを午前9時頃のフェリーで出発、今回の旅行で初めて日本人の団体
と同乗となった。人数は多いしやかましいし目立つ事目立つ事、こういう時いつも
恥ずかしくなってしまい「俺関係有りませんから」と隅の方で小さくなってしまう
 もし話しかけても警戒されるだけなのだ。

 対岸に着くと長距離バスの発着所を探しイイスタンブール行きのキップを買う。
ここらへん大分と手際が良くなって来たが残念ながらこれが最後だ、約6時間の道
のりの後イスタンブールには午後2時頃到着。
 やっと戻った、もう大丈夫よっぽどの事が無い限り帰りの飛行機に乗り遅れる事
はないだろう。・・・・・・・・あっ朝3時に起きれなかったら乗り遅れてしまう
のだ。
 気合を入れて宿を探さねば、でもまずは市内観光にしよう、どちらにしても街中
を歩きまわる事には違いが無い、良さそうな宿が有ればその場でチェックインして
しまえば良いのだ時間は十分に有るんだから。

 アクサリーと言う所で地下鉄を降りる、東京ならば銀座か浅草に当たる繁華街で
旧市街の中心地になる。ガイドブックに載っている観光地はほとんどここから歩い
て行ける距離に有る、となればホテルも多いだろう、しかも夜中の3時にきちんと
モーニングコールをかけてくれそうな中級以上のが主流であるはずだ、最初の日に
この界隈を5時間ほど歩き回っているから土地感もある、などと場所決めだけは色
々考える、明日帰れるかどうかが懸かっているのだから今日も手堅い場所を選んだ
そして後は成り行きまかせの自由行動時間になる。
 イスタンブール城と説明すれば早いのだが名前はトプカプ宮殿と言う所があるこ
の街の観光の目玉だ、いくら俺だってここは観たい、しかしながらこう言う所は世
界共通で4時か5時頃には閉まってしまうので時間があまり無い、まずはそこに行
く事に決めるが、10分も行かないうちに早くもホテルがまとまって建っていそう
な一角を発見するどうしようかーよし宿を探そう、「1度決めた事は最後までやり
なさい。」と子供のころよく言われた様な気がするがいつもの事なので全々気にな
らないよっと。

 衣類問屋街の様な所を歩きまわる予想通りホテルは何軒でもッ見つかるのだが良
さそうなところがなかなか無い。俺にも一応良い宿を探す基準が有る、三言で言う
ならば「古くて、きれいで、地味な宿。」となる。
 その心はといいますと

 1、 長い間この仕事を続けてきた実力と実績が有るから古い。
 2、今現在もきちんとした仕事をして収益があるからきれい。
 3、一等地に派手な建物は、金が懸かっているので借金が多く利益優先主義が多
   いが、そうでないからこそ地味。

 半分は俺が古いもの好きからだけれど、この基準で探すと安くて良い宿が取れる
確立が高い、とは言うもののこの様な店は意外にすくない「古くて、きたなくて、
地味。」ではいやなので歩き回るはめになってしまう。
 20分近くも洋服やらホテルを眺めながらウロウロした末にようやくほぼ三拍子
そろった店を探し出せた、入ってみるとワイン1本サービス付きで20ドル、「な
んだー安すぎるぞ大丈夫かー?」少し不安になったがそのままチェックイン、今回
の旅行最後の宿も取れ路頭で寝ることもなく今回の旅行を終わることが出来ました。


● その後のこと ●

 当てずっぽでトプカプ宮殿を見て歩き、たまたま見かけたトルコ風呂(サウ ナの
銭湯だよ誤解しないように)に入り市内観光も「もういいや。」と思えるぐら いに
歩き回れたので早めにホテルに帰りサービスのワインも飲まずに寝てしまう。

 モーニングコールを頼んではみたがやはり不安で自力で起きることにしたのだ夜
中の3時少し前目覚し時計も無いのに目が覚めた、不思議なことも有るもんだ、モ
ーニングコールは3時に頼んでいたのだが起きてしまったので出発の準備に取り掛
かるすると3時5分に電話は鳴ったのだ。
 下に降りるとフロントがもうこれ以上眠い顔は有りませんといった顔をして待っ
ていてくれた後もう1人ルームサービスの人がいてすぐに俺の部屋の確認に上がっ
て行った、外を見るとタクシーの前でこれま た眠そうな運ちゃんが待っている。
 俺一人の為に大の男が3人真夜中に動きまわってくれているのだ。

 仕事とは言え20ドルしか払っていない客によくそこまでしてくれるもんだ、ト
ルコの人達には最後の最後まで世話のかけっぱなしだ、申し訳なさ過ぎるけどどの
人もごく普通になんの恩着せがましさもなく助けてくれて来た、全く大したものだ.
 普通帰りの飛行場では早く家に帰りたくなっているのだけれど今回はこの国を離
れてしまうのがすごく残念でしょうがなかった。とるこの皆さん本当にありがとう
ございました。           


(完)