リアルタイム旅行記 冬の東北 ■12月27日 13:00 新宿発成田行きリムジンバス■■■■■■■■ 持ち物については色々と考えたが、結局防寒用に衣類を少し多目にスタッフ バック(巾着袋?)に押し込んで、いつもの黄色いガイドブックと洗面具を後 から詰めて、そのまま出てきてしまった。 なんだか、寝袋の袋を一つぶら下げて空港に行くみたいなものでかなり変で ある。これで数時間後には、札幌並の気温の大連に降りたち、明日の午後には −30度のハルビンいるはずだ。防寒対策がうまく行くのかどうか・・まぁ たかが1週間街をうろつくだけだし、寒けりゃ、買いたせばいいしとタカをく くってしまった感じだ。 冬の旅行は荷物が多くなって、身動きがとれなくなる事が多い、だから今回は その逆で行ってみようと考えたわけだ。 服装と荷物をあげてみると 【荷物】 □風邪薬(その他の薬少々) □爪きり □洗面具(コンビにで売っている歯磨きセット) □タオル(わすれた!) □地球の歩き方(東北編) □コンパス(これもわすれた!!) □航空券 □パスポート □デジカメ(耐寒性と軽量化のためリチユム電池使用) □PC(モバイルギア WINCEver1.0機 一番遅くて軽いやつ) □パンツ(クロロプレン繊維製)4枚 内1枚はロング、1枚は着用 □Tシャツ(クロロプレン繊維製)4枚半袖 、一枚は着用 □靴下(クロロプレン繊維製)3足厚 □フリース上厚手、下薄手 □手袋(厚手) □手袋(薄手) 【服装】 上記下着に加え □耳宛て付き防寒帽 □ダウンパーカー □綿シャツ □ジーンズ □靴下薄手 □12月27日 15:50 成田空港第2ターミナル□□□□□□□□□□ 今年の夏は離陸3時間前の航空券を東京で受け取ってから家にもどって準備 をして、部屋の片付けをしてから出発したのだが、さすがに時間がなくなり新 宿から成田までタクシーと言う暴挙をやらかしてしまった。 その事が気になってか今回は少し早めに家を出てきたのだが、17時の出発 になるので16時30分までにGATEに来て下さいと14:30分に言われ て、こんな事をして、時間をつぶす他しょうがなくなってしまっている。 テレビのニュースでは、この休み中に成田は60万人の人出になると言って いたが、ロビーのベンチは半分も使われていない。 外国人も少ないし、ツアーの団体客も少ない、静かなものだ。 外国旅行を一世一代の晴舞台なんて考える人はもういないのでロビーの色あい もジミだ、不況なので、きんきらきんの人も一人もいない。 □12月27日 14:30 CA952便 C84GATE□□□□□□□ 最初に言った様な変なかっこうなのでボディチェックの所で思いっきり怪し まれてしまった、特にこのPCのあつかいはどう扱って良いか分からずに回り が一瞬緊張した空気に包まれてしまった。 それにしても担当のオネエサンの高飛車さといったら、以前の中国みったい だ。すでに一部的にはサービスの質が中国と日本で逆転している様な気がして いる。今は何でも良ければええやんか的中国と、ルール通りにしないと足をす くわれる日本、官の体質の立場はひっくりかえっているのではないだろうか ・・・・。 □12月27日 19:10 中華民空CA592便□□□□□□□□□□□ 大連経由北京行き、乗客は6〜7割程度、大連までの飛行距離は1900K m飛行時間は2時間40分・・・・・・・かなり暇っだ。 □12月27日 22:20 保朕大酒店(大連駅のそばのホテル)□□□□ 大連空港のロービーに出て出口の脇に立っていた何かの係り員の様な制服を 着た人にバス停の場所をたずねたら、白タク兼ホテルの客引きだった。気が付 いた時にはすでにおそかった。 さっそく駅までの価格交渉、ちゃんとしたタクシーを使えば普通にメーター を使っているのでこんな事する必要はないのに・・・・ 50元と言って来るのを30元にしようと粘るが結局ん40元になってしま った。ホテルの方は大連飯店に予約しているとウソをついて断った。 空港を出ると植木や枠組みに無数の電球を飾り付けたイルミネーションが続 く道に出る,センスが良くてすごく奇麗だ、少し前までは中国のこの手の飾り はゴッツイ色付き電球をが使われていたが、これは今日本や、西欧で使われて いるのと同じもので、電球の一つ一つがすごく小さい。見とれているとさっそ く昔会社入社したての頃色々教えてくれた竹田さんに良く似たタクシーのおに いさんはホテルの再説得にとりかかって来た。 実は、この手の客引きには今までも、何度か世話になっている。以前夜中の 3時に南京で列車から降りたときにも働き者が一人いたおかげできれいな部屋 で寝る事が出来たし、そこまでは遅くなくても目的地到着が9時10時はめず らしくないので、たしょうボラれても渡りに船だと思っている、彼らは数軒の ホテルと交渉して、連れてきた客に応じて歩合を取っている。又、宿の人が直 接客引きに来る場合もある。 さて、ああだ、こうだと言い合った末160元のホテルと言うことで大連駅 の側のホテルに決めてしまった。が、そこは外国人は泊まれないホテルで結局 その隣の230元の保朕大酒店が最初の宿となった。 しかし、私の中国語の語学力は先日やっと準4級の検定試験に合格した程度、 パンフレットにはあいさつを卒業したレベルとあるが、こう言うときは自分で も驚くほど話し出す、火事場の大力的中国語会話だ。 ■12月28日 9:00 大連空港国内線ロビー■■■■■■■■■■■■ 大連は北の香港をめざしている。と聞いた事があるがその事が納得出来る。 駅前の高層ビル街、そのあか抜け方は北京や上海より上かもしれない、中国の 街特有の臭いも少なく日本の街に近い印象を受けるのはやはり、昔日本の領土 だった時期があったからだろうか・・・・この街のセンスと規模にたちうち、 出来る日本の東北の街と言えば、札幌がわずかに勝っている程度だ。 気になっていた気温は3度。息は白くなるが東京で着ていたかっこうでその ま歩きまわれる程度、雪はまったくない。 しかし、乗る予定のハルビン行きX2229便は現地天候不順の為、9:5 0分の出発は見合わせ、出発便を表示するモニターはこの便の出発時刻を消し てしまった。一緒に待つ人達もいくぶん着ぶくれしている。ハルビンはここの 様には行かないか。 □9:40□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□ 暇で、心配だ。・・・しかしこちらの人の着ているものは、来るたびにあか 抜けて行く。特に、女性は化粧も着ているものも近代化は完全に完了してしま ったと言える。 暇だけど、まぁいいか。 □10:40□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□ 出発時刻の表示は依然として消えたまま、時々中国語と英語でアナウンスが あるが、どちらも分かった様な分からない様な聞こえ方で大事な事を聞き逃し ていないか、気になっている、同じホールで待っている乗客は30〜40人し かいない。他の人もかなりジレているようだ。外は霧が濃く天候不順はこの空 港のことかもしれない。 売店にUCCの缶コーヒーが売っていたので、一口ヨウカンと一緒に買って 食べる、コーヒー5元ヨウカンは1元どちらも日本と同じ味だが、お茶味だと おもった緑色のヨウカンはメロン味だった。 □11:00□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□ 広島行きの便のアナウンスが日本語で有ったので、天候不順はこの空港の霧 のことだと分かった。列車でハルビンを目指すと19時間の工程である。何時 間か待ったとしても飛んでしまえばおつりがくる。 しかし、霧で待機はハルビン行きの便からだ、間がわるい!。 □11:30□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□ 滑走路の反対側の景色が見えてきた、出発便の案内が始まったが次に出発す る国際便(東京行き)が優先されてしまった。 いつ又霧が濃くなるかしれないのに。・・・・・丁寧すぎる日本語のアナウン スが始まる。 「お急ぎのところ申し訳有りませんが身の回り品に気お付けてx番ゲートに おこし下さいませ・・・・・ありがとうございました、お気を付けて行ってら っしゃいませ、楽しいご旅行で有る事をお祈り申し上げます。」 くそーお金持ちの日本人めーいまにみていろーー。 □12月28日 13:20 大連発ハルビン行き229便□□□□□□□□ ゲートは12:30分に開き12:50分には離陸してしまった。滑走路で 一時停止もしないで気楽な飛びあがり方だった。機種はボーイング737乗客 は40〜50人座席の半分以上は空いている。はしゃぐ旅行者もいず静かな物 だ、飛行距離は8百何十キロ、(聞き取れませんでした。)飛行時間は1時間 10分。機内のBGMはアメリカンポップスで今はエリック・クラプトンのア ンプラグドを聞きながらこの文を書いている、軽食といっしょに出されたコー ヒーが日本のインスタントコーヒーと同じ味で落ち着けるひとときだ。さっき までのイライラはもう直ってしまった。 今さっきこの旅行の予定を決めてしまった。 時間が有れば小さい街も見て 歩きたいところだが大都市をゆっくり見て歩くことにした。 ハルビン、長春、瀋陽、大連を1月3日までみて歩く。 □12月28日 14:30 ハルビン駅行きバス□□□□□□□□□□□□ 飛行機は14時にハルビンの空港に着陸した雪が降っているが積る様子はな く粉砂糖をバラバラっと降りかけた様に地面に雪が乗っている感じだ。気温が 低い為かいつまでも粉のままで、風に舞いあがったりしている、雪かきは大き な帚を使っている。 14:20分にはバスは満員で空港を出発した。馬車やろば車が多い、ロシ ア人の様な黒い毛皮の帽子をかぶる人、上着のフードを真深にかぶるひと肉屋 は外に肉を並べて切り売りしている!、オートリキシャの客席は箱状の密閉型 になっている客を待つ運転手は吹きさらしの中じっと我慢の表情だ、ずっとこ の仕事をしているはずなのに、慣れてしまえる様な寒さではないようだ、今の 時期平均気温はー21度、最低気温は−30度まで下がると聞いた。バスの中 は暖房か利いていて快適だが、窓のくもりを手で拭いながらこの様子を見 ているうちに気分はすっかり尻ごみ状態になってしまった。▼▼ ■12月29日 7:00 銀海賓館312号室 ベットの中■■■■■■■ ▼▼昨日の続き バスは約1時間ほどでバスはハルビン駅前でバスを降りた。準備した格好で 寒さはひどくは感じないが吹きつけて来る雪で視界が悪い。 【着ている物】 【上】Tシャツ、綿シャツ、フリース、ダウンパーカー 【下】ロングパンツ、薄手のフリース、ジーンズ、薄手靴下、厚手靴下、革靴 【その他】薄手手袋、防寒帽(野球帽に耳当てを付けただけの物) 上着は紺色、その他は灰色や茶色系で一見工事現場の人にしか見えないだろ うその人が,中の物をほとんど着こんでっしまった為、スーパーやコンビにで くれる小さい方の袋ほどになった。グレーのスタッフサック、(口の所に紐が 通してあって、キュッと締められる布袋。バックの中の荷物の整理様に登山用 品店で売っていたもの。)一つぶら下げて歩いている。 バスターミナルの中に地下への入り口が有ったので降りてみる、階段は普通 より1階分下まで降りて行く、降りきった所に扉が有って開けるとショッピン グセンターになっていた。 1時間ほどこの回りの駅やバスターミナルの様子を見てまわる、どちらもダ イヤは充実している。出発するときは直接切符を買おうとしてもなんとかなり そうだ。次の街長春までは特快(特急の事)で4時間たいした距離ではない。 その後、兆麟公園に向かう、今回の旅行の目玉 氷祭り の会場だ勝手がが 分らずかなり遠回りしてしまいまっすぐ行けば半時間の道のりを1時間以上か けてしまった。しかし、なんと人と車の多い街なのだろうか、完全に都会だ物 も豊かで、活気も有る。こんな所にこんな街が有るなんて!!。中国のスケー ルに又驚かされた。 兆麟公園では、すでに氷祭りはおこなわれていた。本当は1月5日から開催 なので客はまばらだけども、準備の方は9割以上出来あがっていて氷の彫刻の 中に仕込まれた、無数の色付きの蛍光灯や電球が会場を幻想的な明かりで満た していた。一通り見て歩くのに1時間以上かかる規模の大きなもので。一見工 事現場のおじさんですらこどものようにわくわくしてしまい夢中で会場を歩き 回ってしまった。 ハルビンに着いてから6時間以上も歩きまわっている、会場を出て気が付く と冷えこみも厳しくなっていて。体も冷えてきた、しかしお家はまだ無いのだ。 マッチ売りの少女のお話を思い浮かべながらさらに30分ほど歩きまわり大安 街の突き当たりでこのホテルを見つける。外国人は泊まれないホテルだったが、 へたをするとマッチ売りの少女なので、頼みこんで泊めてもらった、日本のビ ジネスホテルサイズのシングルが100元。お湯がたっぷり出るバス付きで設 備もビジネスホテル並、けっこう快適だ。 ■12月29日 14:00 ハルビン発北京行き438次 新空調普快■■ 12時20分発が10分ほど遅れて発車乗客は8割ほど、今「扶余」と言う駅 で15分ほど停車している。特急の通過待ちらしい、ここまで来ると雪はだいぶん とまばらになって来た。切符は簡単に取れた。硬座であるが席は有るし、暖房 も程よく利いて快適である。座席を取り合っている様な、譲り合っている様な、 隣り合った人との話もまずませて、この独特な呼吸はまだつかめていないが、 けっこう気に行っている。 中国人の旅に対する思いいれは、今の日本人のとはだいぶんちがうのだろう。列車 は北京まで行くが私は長春までだ。特快だと4時間の道のりだが、今乗ってい るのは普快到着がいつにかは知らない。 □列車に乗りこむまでの事□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□ 8時過ぎにホテルを出る。外は晴だ昨日は雪の日の夕方、(5時前には日が 暮れてしまったので3時でも薄暗かった。)からだったので、印象はかなり違 う、雪が有るので いっそう明るいが気温は昨日よりり下がっている様だ。 仕事に向かう人や車でかなりの混雑している、さすがに少ないが 自転車も ちゃんと走っている。みちは激しいく凍結しているので、ころんでいるところ を時々見かける。少し歩いて中央街に出てみる。ここはロシアが支配していた 時の建物が多く残っている所で氷祭りが無ければここが、ハルビンの観光の目 玉といった所だ、兆麟公園からも近いので昨日の晩に何度か通ったが、暗かっ たので気が付かなかったが。出てみると8割方が洋風の建物で、晩飯を食べた ケンタッキーフライドチキンもそんな建物に入っていたのには驚いた、そのほ とんどが商店として現役だった為に気が付かなかったのだこの道の両脇にも氷 の彫刻をたくさん並べる予定で今職人の人が電気ノコギリで氷を切ったりして いた。 一番にぎやかなあたりにロッテリアが有ったので、入ってみるがハンバーガー にはあり付けなかった。中国料理のファーストフードショップだ。そこでサラ ダとギョウザと黒い粥を食べる。1人旅だと中国の飯屋は難しい。味もそうだ が、問題は量。一人分の盛付をしてくれないのだ。交渉したが、20個以上載 ったギョウザの皿、と山盛りサラダ、粥だけは、一人前だ、日本で言うと一人 で焼肉屋に入ってしまう不自然さに似ているかもしれない。無理して食べられ るレベルではないのでいつも残してしまう。 とりあえず、松花江をめざす、この街を流れる大きな川で日本ではあまり知 られていないが見た感じ新潟市を流れる信濃川の河口や徳島市を流れる吉野川 の河口と同じ位かやや大きい、ここはまだこの川の上流域なので、河口ではさ らに広くなるのだろう。しかし驚いたのは大きさ出はなく、その川が完全に氷 付いている事だ。岸から100mほど離れた所に氷で城を作っている近づくと 城壁の高さはビルの2〜3階位の高さがある大きなものだ。その中に色々な氷 の彫刻を展示してある、それ以外にもスキーのジャンプ台の様なものが作って あったりで川の氷かたのすごさが分かる。昨日氷祭りの会場でみた透明度の高 い氷の彫刻は全て、この川から切り出した氷で作っているそうだ。その後デパ ートやロシアが作った聖ソフィア教会を見て、駅に向かう。 ■12月30日 7:30 吉星賓館(長春駅の傍)304号室 ベットの中 昨日列車の中でこの文を書いている内隣の人に「それはなんだ。」と話かけ られ、話しているうち自分が日本人だと言うと、私のいた座席のBOXと通路 をはさんで反対の座席の人達がいっせいに興味をしめし質問責めにされてしま った。 「そのコンピュータはいくらするのか?」 「なんで、ここに来たのか。」 「航空券はいくらしたか」 「どんな、会社でどういう仕事をして、賃金はいくらか。」 「かみさんはいるのか。こどもはいるのか」 「父親は、母親は」 「中国語は、どこで習ったのか」・・・・・・・・・・ 回りにたまたま居あわせた人達は、スーツにネクタイをしたビジネスマン風の 人、見識が有りそうなおじさん、労働者風のひと、若者、老人、などさまざま、 私の下手な中国語をなんとか聞き取ろうと身をよせてくる。答えるたびにいち いち驚いたり笑ったりしていたが、「最近自分の会社が中国に工場を作った」 ことを話すと、少し表情を曇らせ中国人同士で議論を始めた。日本と言う言葉 が盛んに出てくる、そのうち台湾、やイラク、満州、の言葉も聞こえる様にな る。今有ったばかりの仕事も身分もさまざまな人達が対等で真剣な議論をして いる、内容は聞き取れるはずも無いが。こんな所に中国の底力の強さを感ぜず にはいられない。しかし こんな議論もされて当然なのかもしれない目指して いる長春は昔新京と呼ばれ、13年間に渡り満州の首都であった所、ここで有 った事を歴史の教科書からでなく、自分の親や祖父、祖母から、自分や、知り 合いが実際遭遇した経験として聞かされて来た人達なのだから・・・議論して いた人の多くは私と一緒に長春で降りて行った。 誤解の無い様付け加えておくが、話している人達に私に対する恨みや敵意は は感じられなかった。議論はこの日本の資本などが再び入って来ている現状を どう受けとめるかと言うところにあった様に思えた。▼▼ ■12月30日 8:30 長春 金融濱館(人民広場の側)■■■■■■■ 旅行も忙しくなって来て、これを書くのも追いつかない。今金融濱館と言う 恐ろしい名前のホテルの12階の豪華な部屋(220元)でこれを書いている。 近くにスーパーマーケットが有ったのでそこで、サッポロビール、スプライト、 マシュマロ、イチゴのスナック、を買いこんで来ので今それらをつまんでいる。 スーパーはカゴに商品を入れレジで清算する、売っているいる物も、シャンプ ー洗濯石鹸、文房具、菓子、食料品など、日本の物と変わりが無い、 7:00すぎと言えばこの街にとっては遅い時間だが、大変な盛況ぶりだった。 中国はこんな店初めて見た。しかしこの繁華街(この周辺が長春で一番賑やか な様だ)を少しはずれれば、昔ながら?の露天の市場がまだまだ主流だ。しか し何の交渉もせず黙って商品を選んでいる中国人の表情はなんだか日本人じみ ていた。 ▼▼12月29日に長春に付いてからのこと 長春着は16:30、ハルビンから4時間ほどの工程だった。表に出て振り返 ると駅舎は巨大なコンクリート造りでモニュメント風の大きな駅名の看板がそ っけない印象になる所を救っている。 道路は相変わらず氷付いているが、ハルビンに比べるといくぶん暖かく? 感じる。とは言っても、耳を覆わずに歩いているとすぐに痛くなって来るので 急いで帽子の耳当てを下ろした。 ハルビンに似ている駅前地下商店街や駅周辺を見て回るうちにすぐ薄暗くな って来た。その時気が付いたのだがこの街には街灯が無いのだ、商店もあまり 多く無いので暗くなり方が違う。地下商店街も5時半で終わってしまった。 駅前にホテルは何件か有ったが、気にいたのが無かったので、少し歩く事にす る。比較的明るい駅前から左手に伸びる道を行くとまもなく丸い広場に出た。 道路はロータリーになっていてそこから6方向に伸びている。地図を見ると幾 つかの丸い広場や公園を中心に放射状に道が付けられていてそれらが不規則に 絡みあって、真直ぐに、ずっと歩いて行ける道がほとんど無い、十字路ならば、 方向の見当も付けやすいが、ここでは、どちらに行けば良いのか見当が付けら れず途方に暮れてしまう。とにかく少しでも明るい方向に歩いて行くと、突然 ハルビンで見たような氷祭りの会場の前に出てしまった。勝利公園と言う所に ハルビンのに比べるとだいぶんこじんまりしてはいるが、色付きの蛍光灯や電球を 仕込んだ氷の彫刻はハルビンのと同じ造りだ。どうしようかと、少し考えたが、 宿探しは一時中止して、氷祭りを見学する。20分ほどで見て回れる規模で、 昨日の今日でなければもっと楽しめたのだろうが。すぐにもういいやと言う気 になってしまう。公園を出て又少しでも明るい方向を目指していると。駅にも どってしまった。完全に迷子だ。しょうがないので一番地味なホテル。吉星濱 館で部屋をとる。(130元) □12月30日□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□ 8:30頃ホテルを出る、まずは映画ラストエンペラーの後半の舞台にな った、清朝最後の皇帝溥儀の宮廷を訪れようとしたが完全に道に迷い、なんと かたどり着いたのは12時。長春の道は嫌いだ。 回りは工業地帯、自分の出来る職種を書いた札をぶら下げた、日雇いの職工が 街かどに大勢たっていて仕事を待っている。この宮廷、木造2階建、部屋数1 2位の私でも頑張ればもててしまうほどのおおきさでしかない、そこに2人の 妃と暮らしていたとは。北京の故宮を見た事があるがそこの物置小屋でもここ よりもずっと広い、ずいぶんとおざなりに扱われた物だ。付随してあと2棟の 建物があり、石造りの宮殿も有るには有るが、実際には使われず。規模もさほ ど大きくない。アパートや工場の建物に隠れ見つけられなかったのもうなずけ る。人に聞けば良かったのだけど、ちょっと気が引けてほとんど聞けなかった。 その後タクシーで長春市の中心と言える人民広場に出て満州時代の官庁街8大 部を見に行く。大きな広場に満州時代にはついに完成しなかった宮殿が置かれ ていた。さきほど見たのとは段違いのスケールでこちらは宮殿と呼ぶのにふさ わしい。 こういうのもちゃんと作っていたのだ。凧好きな中国人はここでもちゃんと凧 あげをしていた、満州の国家議事堂にあたる国務院に訪れるここを含む8大部 のほとんどと、今みた宮殿は今は長春の医科大学の校舎として使われている。 そこの日本語学科?の生徒である小姐がガイド似ついてくれた。日本語を勉強 して7ヶ月目と言う彼女の日本語は、同じだけ勉強した私の中国語より格段に 上で、たどたどしい所はあるが普通に会話ができるレベルになっていた。 ■12月31日 14:42 瀋陽 行き 普快602次■■■■■■■■■ 長春を11:20分定刻通りに出発今回も席にありつけた。 出発後2時間ほどは雪原が続き、窓は氷付いていたが、今は外の景色にほんど 雪もなく窓の氷も溶けた。まだまだ、氷点下だろうが。ハルビンからここまで 来ると、まるで春のおとずれの様に感じる。 大きな街に付いたので瀋陽かと、隣の人にたずねたら、「鉄嶺」とここの地名 を手のひらにボールペンで書いて教えてくれた。▼▼ ■1月1日 5:20 瀋陽 東方之珠大酒店(瀋陽駅の側)■■■■■■■ ▼▼昨日の続き 瀋陽駅に付いたのは4:30約5時間の道のりだった。道に氷はほとん ど無く、寒さも−30度のハルビンなどに比べると暖かく感じる、とは言って も−15度までは冷えこむ街だ、冷凍室の中にいる事には変わりはない。 瀋陽には主要駅が2つ有る新しい建物の北駅と古い建物の南駅。瀋陽駅までの 切符を買うと、南駅の事になる。北駅で降りようとすると、先ほど手に駅名を 書いてくれたおじさんが押しとどめてくれて、無事南駅に降りられた。煉瓦造 りの大きな駅舎は日本統治時代からございますとても言いたげな、いかめしや かな風情の大きなたてものだ、あるいはロシア人の手によるものかもしれない 駅周辺の建物も同じ様な煉瓦造りが多く中国の駅前としてはかなり異色の雰囲 気だ、あたりを見回していると、瀋陽東芝と書いた大きな看板が目に付いた今 でも日本企業は頑張っているようだ。瀋陽と言えば、満州事変が起こった所、 物の本には、日本が経営していた満州鉄道を日本自ら爆破し、それを中国がや ったといいがかりを付けて、侵略を始めてしまった事件とある。この事を忘れ ない為にこの事件の博物館まで有る街で、よく工場が経営出来るものだ感心し てしまう。 今、中国人の生活水準はすごいスピードで向上していて、人々はテレビなどで 見る事が出来るようになった、外国の暮らしの様なさらに良い生活を望んでい る、それを実現させる為に日本を含む外国の資本や技術が必要不可欠ならば ・・・・・。といったとこではないかと私は読むんでいる。 新年なのでちょっと真面目になってしまった。話を駅前にもどします。 あたりは、すでに薄暗くなって来ている。電車の長旅で疲れたし、なんだかん だ言ってもやっぱり寒いし、すっかり宿を取りたくなってしまった。 夏場であれば、中国であっても8時9時まで行動して、それから宿を探しだす 様なパターンなのだけれど。寒い時期に寒い所を旅すると旅行が目減りしてし まった様でもったいない感じがする。 この駅前にも地下商店が有るのでとりあえず降りてみる。 入り口は広く厚さが5mmほども有る短冊状のビニール?で作られたかき分け て中に入る。ハルビンや長春では入り口は狭くして、今言ったカーテンの上に さらに薄での綿入りカーテンが必ず付いていた、こんなところにも環境の違い を感じる。中はさほど広くなく出来たばかりの様で、入っている店舗も少なく 寒々としていたので、すぐにそこをで周辺をうろついて見るホテルがやたらと 多い、観光地なのだろうか?工業も盛んな様なので、ビジネスホテルも必要な のだろう、あるホテルの1階に焼肉屋が有ったので思わず入ってしまった。朝 鮮風の日本で言うあの焼肉屋だ。うまい!ご飯とビールを追加して満腹状態で 店を出る。あぁこれで中国に中華料理屋が有ればもうしぶん無いのだけれどな ー。その後何軒かホテルを回って値段と設備の手頃なこのホテルに決める。シ ングル150元、日本のビジネスホテルのシングルと同じ設備かやや上。 カウンターで手続きをしている時、1番安いシングルでいいと言ったら担当 の小姐が支配人にこんな部屋に外国人を泊めていいのかと尋ねた、すると「こ の人、中国人とかわらないからかまわないさ。」と答える。それを聞いた小姐 はキャハハハハ!だって。 コラコラ聞こえてるって! ■1月2日 6:40 瀋陽 盛京飯店(一番の繁華街 中街)■■■■■■ 爆竹の音で良く眠れなかった、ここで売っている爆竹は少し変わっていて40 〜50Cmの紐に導火線の役割をする火薬を塗りその中に破裂する火薬をいく つも仕込んだもので、一見太めのただの紐か、色が線香の緑なので、紐状の線 香?に見える。これの束を持って道を歩きながら3本1元で売っている人が何 人もいる。 通りかかった人はこれを買って、ライターやたばこ、や爆発中の爆竹で火を付 ける。するとやや軽い音の爆発が20〜30秒続く、最初のうちは手で持って いるが、紐全体が爆竹になっている為、火が手元に来る前に、なげ上げたり、 道にほうり出したりする。 遊んでいる人は親に火を付けてもらっている、幼児から年配の人までさまざま、 友達や恋人同士で火を付けた爆竹を持って、おいかけまわし合ったり、ひとし きり遊んでから、また歩きがら遊んで通りすぎる。時々本格的な爆竹の音やハ ッとするほど大きな爆発音、ロケット花火の音がまじる。ただでさえ明るい表 情を持つ中国人がこの時さらに顔を輝かせて、見ているだけで良い気分になっ て来る。 しかし、まさにこの一番賑やかな所に宿を取っていた。7:30頃部屋に入 ってしばらくしてもまったくなり止む様子は無い。 1日じゅう歩き回って、かなり疲れていたので、早々に寝ようとしたが、うる さくて眠れない、結局10時頃までほとんど途切れることなくこの音は続き、 それからようやく下火になっていった。 これは、正月のイベントなのだろうか・・・一年中だったらこのホテルに泊ま る客いなくなるだろうに・・・・・。 □朝からの事□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□ この街の観光の目玉は清朝の祖ヌルハチが住んでいた宮殿、瀋陽故宮であ ろう。ホテルを出てとりあえずそちらに向かって歩き出す。 ホテルから故宮までは3〜4Kmほど有る、全部歩くつもりは無いが 街の様 子も見たいのでしばらく歩く事にした。 通勤の自転車が行き来している。長春までは、氷の上を自転車走る人は流 石に少なかったがここの道には氷はほとんど無い、話によると。氷の除去を市 民に義務付けられているそうと聞く。 おかげで散歩も楽だ、しばらく行くと人民広場と言う所に出る。又嫌いなまあ るいロータリーだ。真回りの建物は西洋風の石造りの物が多くどれもかなり古 い。中央には大きな毛沢東の銅像が有り、その回りにも老若男女のさまざまな 職業の人が、一致団結し戦いに望むの群像が作られていて、かなりの入魂の出 来映だ。 しばらく、見とれていたがそろそろタクシーを捕まえて故宮に向かう事にする 。道路を走る車の7割近くがタクシーではないかと思う位多いのですぐに載り こむ事が出来た。最初行先を言ってみたが、聞きとってもらえなかったので、 あらかじめ用意しておいた行き先を書いた紙を見せる、「ア、グゥゴン ボー ウーユィン ナ(あぁ故宮博物院ですか)」と理解してくれて車を出発させた。 自分ではそう言っているつもりなのに通じない時はいくら言っても通じない。 故宮に行くみちすがら見た街の建物は洋風の古い建物が多く凝った装飾が、そ れらが作られた当時のこの街繁栄ぶりをしのばせている。公共の施設や官庁、 など大きな建物が、そうである街は知っているが、民家や普通の商店までそう である街はめずらしい。 まもなく車は故宮の前に付いた。明代か清代なのか、古い街を摸した土産物や が並び昔の中国映画風の風景だ、写真を撮ろうとして電池が切れているいる事 に気が付いた。もって来たデジタルカメラは単三、四本で動く、中国の規格で は「AA」と呼んでいるらしい、手近なカメラ屋で買ってセットするが動かな い?しばらく考えて気が付いたアルカリ電池でしか動かない贅沢者のカメラな のかも知れない。とするとそこいらで探すのも面倒だ、すこし戻った所に電気 デパートの様な所を見つけていたのでそこまで戻って買う事にする。中に入る と関東ならば秋葉原、関西ならば日本橋に有るようなテナント式のオーディオ 街になっていた。日本のメーカー品も少し有ったが、ほとんどは中国せいらし い。デザインは今一あか抜けないが、音の方はなかなかよろしい。この様な技 術の差は圧倒的に日本が上だと思っていたが中国は意外にも追い付いて来てい る感じだ。もしも品質的に同等のレベルまで来たら、日本のメーカーはとても 立ち打ち出来ないだろう何故ならば、そこで売られている、ビデオデッキやオ ーディオアンプは1000〜2000元(15000円〜20000円)で売 られているのだ。 しかし、こういった所で電池を探すのはかえって難しい。3階のパーツショ ップでやっと見つけてカメラに入れようやく作動、観光旅行に戻る事が出来た。 おととい見た、長春の溥儀は清朝最後皇帝だが、今度のヌルハチは最初だ、 最初も、最後も、北京の故宮に比べるとだいぶんと質素な造りだ。結果的に ・・・。 元々騎馬民族の皇帝なので、政務を行うところ、居住区、など最低限で無駄 の無い造りになっている。 政務の領域では、広場の奥に皇帝の殿が有りその広場の両脇に5棟づつ、中 は7〜8畳一間の大きさの軍団長の政務殿が並んでいる所、モンゴルのパオの 集落を思わせる(見た事ないけど)。 居住区は部屋のなかで寝食全てが出来る様かまどまで作られていて、各家族 大きめの2DKで全て。これも又騎馬民族的そっけなさだ。茶髪の小姐が部屋 の説明をしていた。 そこを見終わると、後の事は考えていなかった。とりあえずぶらぶらと歩き 出す。大きな城門の様な所が有ったのでそこまで行くと食料品のアーケード街 が有ったので見物を決めこむ、東北は素食で食材は少ないとガイドブックに出 ていたが、私にとって食えもしない食材が豊富に有る所よりよほど有り難い。 野菜、牛、鳥、ブタ肉、魚は鯉の様に見える、大変な混雑で小姐やおばさん が、客と景気のよいやり取りをしては、扇の様な形の包丁で肉を切り分けてい たりしていた。 アーケード街を出てから又しばらく歩いているうちに中街に出た、しめた、 ガイドブックによると瀋陽一の繁華街である。流石に大勢の人で賑わっている 基本的には昔の建物を改修しながら使っている店が多いのだが、ここ一、二 年で出来た様な真新しいデパートも2軒あった、内一軒などはいきなり連れて 来られて西武系のデパートです、と言われたら信じてしまうほどにセンスが良 い、ただし未だテナントが半分以上埋まっていないでいる。 さて、店を覗いて回るのも飽きてきたが、何をしたら良いか分からない、瀋 陽の案内板を見てみると張氏帥府と言う所が意外と近いところに有るのに気が 付く、ここは張 作霖と言う中華民国陸海軍大元帥の邸宅であるそうだが、関 東軍と中国軍の間を上手く渡って、一財を築き上げたが。最後は関東軍の計略 で爆殺されてしまうと言うなんだかすごい人だそうだ。建物は軍人らしくシン プルな外観の洋館だが、内装はなかなか豪華である。今となっては中国人には あまり人気は無い人のようで、訪れる人は少なく各部屋に一人いる監視の小姐 の方が客よりずっと多い。 まだ4時前だ、このまま終わるのはもったいない気がするするので、ガイドブ ックを眺め、北稜公園と言う所に行くことにする、ヌルハチの次ぎの皇帝にな るのだろうか、ホンタイジの墓のある公園だ、時間がもったいないのでタクシ ーで向かう、中国のタクシーは街ごとに料金が異なる。ここは初乗り4kmま で7元、やや高めだが4kmであれば市内観光は何処に行くにもたいがい足り る。しかしこの公園に行く為には市街地のほぼ中心から17元かかってしまっ た、街の北のはずれまだ。途中巨大な煙突の有る工場を見たが製鉄所だろうか、 街の北側は整備された工業地帯になっている。 北稜公園はかなり広い、時間的にもぎりぎりで有るので中央に付けられた参 道的な広い道でホンタイジの墓へ向かうが公園の入り口から10分以上かかっ てしまった。途中の完全に凍った幾つもの池がスケート、ソリ場になっていた り犬ぞり場や乗馬場になっている。雪はほとんど無いのだがその雪を集めて雪 祭りの様な、雪の彫刻が作りかけて有る、何かのイベントの準備なのだろがそ の彫刻以外に雪は全くないのでちゃんと開催出来るのか、人ごとながら心配に なってしまう。 薄暗くなってきて人もまばらな時刻の北稜の中は、高い壁の内側に幾つも動 物の石像や山門などが配置され京都の寺社に近い風情が有る。静けさが非常に 似合う場所だ。 5時もすぎ暗くなってしまったので、そろそろ宿探しモードに入ることにす る。作戦は新しい北駅周辺のホテルで探してみるとした。 タクシーで北駅に向かったが、着いた所はたしかに近代的で整備された広い 駅前なのだが、東京で言うと丸の内の様なオフィース街の様な寒々とした所な のでとても泊まる気にはなれない。 宿探しと夜の街見物のつもりで路線バスを幾つか乗り継いでいるうち、中街 の前に出たので、ここで宿を取る事に決める。 □1月2日 16:13 瀋陽発大連行き 高速バス□□□□□□□□□ 瀋陽北駅で大連行きの切符を買ったら、席無しの切符だった、席の有る列 車はいつになるか尋ねたが、なんと答えたか聞き取れなかったので、あてずっ ぽうで、その切符をもらったら4日の12:40発と書いてあった。大連まで は4〜5時間の工程、他に方法が無ければ我慢するしか無いが、ここから大連 行きの高速バスが出ているとガイドブックに有ったのを思いだし、乗り場に行 ってみると、あっさりと12:30分発の切符を買う事が出来た。中国製では 有るがベンツあたりのOEMと思われるハイデッカーバスはビデオ付きで日本 の高速バス(普通の)と同じ物と思っていい。軽食と新聞のサービスをスチュ ワーデスの様な制服を着た小姐がしてくれてなかなか快適だ。 1日8本ほどの運行で料金は97元!さっき買った大連行きの列車の切符は 28元。切符が簡単にてにはいるはずだ。これは大金持ちの乗るもので、乗る 人は少ないのだろう。とは言っても50ほどの座席は満員で走っている。 この高速バスは本当に高速道路を走っている。道自体は日本の物とは変わら ないが。中国の自動車ほこの道路に対応しているものがまだ少ない様で、車は まばらだ。たまに走っている車も一般道路並(最高でも時速50〜60Km程 度たぶんそれ以上出ないのだろう)と言うのも少なく無く、速度制限110K mで走っているこのバスは時々追突しそうになり急ブレーキをかけるのでかな り恐ろしい。 ■1月3日 3:30 大連 大連飯店(大連市の中心中山広場の側)■■■ 4:30大連着、 バスを降りるとかなり蒸し暑く汗が出てきた、着ている 物が多すぎる様だ。1月の平均気温−5度とガイドブックには有ったが、今着 ている服は−30度のハルビンで着ていたのと同じ物だ。瀋陽まではこの格好 でないと凍えてしまいそうだったのだが。大連の気候はは東北の他の街とはか なり異なっている様だ。 人から教えてもらった、大連飯店におよその見当で向かう、ここらへんだ と言う所に来ても、看板が見当たらない、ガイドブックの地図をたよりにさら に歩くが鉄道の橋のたもとに出てしまった。すると、この橋が勝利橋だ、満州 鉄道の基点、昔は日本橋と呼ばれていた橋だ。かなり凝った装飾が施された石 造りの橋でかなり痛んではいるがまだ現役で車や人を渡している。その向こう には、ロシア人街の洋風の民家街が見える。 さて、ここに出たと言う事は道が違う、戻って注意深く探すと、最初にこ こだと思った所が、大連飯店の前だった。1階の部分が食料品店にっていたの で気が付かなかった。建物を回りこむと立派な入り口が有った。 ここは昔遼東ホテルと呼ばれ、満州時代に作られた由緒有る所だと言う事だ。 厚い木製の部屋の扉や立派な家具、天井の意匠などが当時をしのばせてくれる。 今大連はホテルが有りすぎて、ダンピング価格になってしまっているそう だ、オフシーズンでも有るので、このホテルもシングル1泊180元!位置的 にも申し分無く、とくした気分だ。 部屋で着重ねたした服を脱いで、下はパンツにズボン、上は、Tシャツ 、綿シャツと上着に着る物を減らす、もう帽子も必要ない。 ホテルを出て、勝利橋と反対方向に歩いてみる。すぐに中山広場にでた、嫌い な巨大ロータリー的円形広場だ、これは今まで歩いてきた街の幾つものロータ リーの中で一番大きい、日本統治時代は「大広場」と呼ばれ、当時の主要な建 物がここに集められていた、そしてそれらは、今もほとんどが残っている。古 い石造りの洋風の建物は当時は堂々としたものに見えたろうが今は背後に巨大 な高層ビル群がそびえ立っているので、こじんまりとした印象を受ける。 この広場の一角に大連濱館と言うホテルが有る。昔は「大和ホテル」と呼ば れていた所で、ここも建物がそのまま残っている。外観は古びているが、風格 の有り落ち着いた感じがする。ちょっと覗くつもりで中に入ると。「日本料理 紅葉」と言う看板が目についた。 ここで中を眺めていると怪しまれてしまうとも思ったので、看板の有る通路 に入ってみた、豪華なシャンデリアの有るフランスあたりの宮殿の様な部屋の 前をいくつか通りすぎて、紅葉の前に付く、「飲みほうだい食いほうだい20 0元」と言う貼り紙の前で少し考えていると、小姐が出てきて日本語でさそっ てきたのでそのまま店に入ると、中は炉端焼きの店の様な造りになっていた。 フランスの宮殿と炉端焼きはなんとも奇妙な組み合わせだが、そのままカツ丼 とキリンビールをたのんですっかりなごんでしまった。 大連の常駐日本人は3000人いるそうで、後で気が付いたが、日本料理 屋やその広告は他にもかなり目に付いた。 良識有る人はいつまでも地域社会に溶けこめないのは良くないと言うかもしれ ないが、大連で自分の国の様な街を作った気持ちが分からなくも無いとカツ丼 を食べながら考えた。 ロータリーを回る車の合間を抜けて中山広場の中心に出る。中国は信号も横 断歩道も歩道橋もほとんど無い、みんな絶妙な呼吸で走っている車の間を歩き 抜けている。車のほうも人を引き殺さない程度にコースとスピードを調節する。 あまりスピードを出すと、人をよけきれなくなるので、日本に比べ車の流は遅 めだが無駄が無い為か、車の多さの割に渋滞が少ない。 最初この横断にはどぎまぎさせられていたが。ここまで来れば慣れたもの だ。 真ん中の広場はかなり広く、だれそれの銅像とかも無い、そこで大勢の若者 が蹴まりの様な遊で夢中になっている、羽子板のを大きくした様な羽を、蹴り 上げては次の人に回している、足のトウやインサイド、アウトサイドを巧みに 使い分けて、羽を操っている、友達同士のグループ、や恋人同士、親子で。何 百人の人が、楽しんでいる様子は見ていて壮観だ、またまた良い気分になって くる、これだから中国は止められない。 □1月5日 自宅にて□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□ 1月3日はうりずんさんと夜中の12時過ぎまで飲み歩いてしまい翌日も 朝は二日酔いぎみでこの日の記録をなまけてしまったのでこの日の事は自宅で 書き足しています。 大連飯店が気に入ってしまったので連泊する事に決めてしまう、手続きをし てホテルを出る、まずは昨日迷ったロシア人街の方に向かう、結果的にとなる のだけれど、中国は本当に物もちがいい国だ、最近景気が良くなってきて新し いものに立て替えられてきているのだけれど、大多数は今だは昔のものを使え るだけ使ってしまうと言う姿勢のようだ。中国の人には申し訳ないのだけれど おかげで旅行者は百年も昔の興味深い風景を散歩がてらに見て歩ける。 日本でもときたまそう言う建物をみるがここは街全体がほぼそのまま残って いる、あまりきれいには使われていないが人もしっかり生活しているので、当 時のことに思いをはせる必要もない、この洋館の街は当時のままだ。 次は近代的な高層ビル街の脇を抜け日本統治時代の街「七七街」を見て回る 意外にもここも洋館の街だ、当時すでに日本人は西洋風の方が良いと言う考え が定着していたのだろうか、探してみたが瓦屋根をのせた家はとうとう見つか らなかった。日本が日露戦争に勝ったのは1905年江戸時代が終わった大政 奉還は1867年わずか50年の間に急激に行われた近代化は、早い話が西洋 化と言うことらしい、この古い街からも見える高層ビルを見ていると、中国も 同じ事をしているのかと思えてくる、なんだか少し悔しい気もするが、まあし ょうがないよねと慰め合いたい気分になってしまった。 「七七街」は港に向かってのびている街なので、成り行きで大連港を見。、 ここからは天津を含む渤海沿岸の港や島それに上海までの旅客船が発着してい る便数はかなり多い。船は最近の日本の長距離フェリーと同じ様な綺麗な船を 使っている。これなら船旅も良いかと言う気になるが、勤め人がはそんな事を したらそれだけで休みが終わってしまう。やはりそんな優雅な旅は出来そうに ない今日もまだまだ歩くつもりだ。 その後デパートや商店をあちこち覗いてから人民広場、労働公園、星海湾海 水浴場、大連自然公園などを見て回った。大連は本当に木が多い街だ、夏場に 来ればさぞやさわやかな感じの街になると思う、それから近代的なビル、デパ ート、洋館に、海水浴場、180元で泊まれてしまう良いホテル、日本円で考 えればショッピングは割安にもほどがある的値段で出来てしまう。 休みはグァムやサイパンでなんて言う人もそろそろ目を付けてきているので はないだろうか、中国なのに大連はそんな感じにさせられる街だ。 ★★ うりずんさんとのミニオフ報告 ★★★★★★★★★★★★★★★★★ 今回の旅行についてNIFTYの会議室で現地の話を聞いてみたところ、ハルビン や瀋陽、大連に住んでいる人達から情報をもらうことが出来た、その中で大連 に住んでいるうりずんさんとこのひに会う約束をしていた。 会議室での打ち合わせ通り当日5:00に民航大厦一階ロビーでお会いする事 が出来ました。 先生の仕事でこちらに約2年住んでいるとかで、中国語は普通に会話が出来 るほど上手くて、なにをやるにもしどろもどろな私にとってはもううらやまし くもあこがれてしまう人でありました(特にもてるところが・・・(^_^;)) まず中国のしゃぶしゃぶ(こんな物が有るなんてそれまで知りませんでし た)の店に連れていってもらう。うまい!聞けば本当に中国料理だそうで、や っと巡り会えた本当においしい中国料理に初めて出会えた記念すべき日であり ました。なにせそれまで一番うまいと思っていたのは炒花生米(落花生を砂糖 をからめて炒めた物)だったんですから。 しかし、何故かうりずんさんはウェイトレスの小姐に盛んに話しかけられて 会話が弾んでおりました。 次に連れていってもらったのは、足マッサージと言う不思議な店、本当に足 を30〜40分ほどかけて徹底的に揉みほぐしてくれる店でした。 この旅行中酷使していた足なのでこういう店に入りたいと昼間から思っていた のですが、聞けばこの手の店は、マッサージが上手くないおねーさんが出て来 る店の方が多いとかで、おねーさんの方はともかくも一人旅で身ぐるみはがさ れてしまうと困るので、やはり一人で入らなくて良かったよーな・・・・悪か ったよーな・・・・ しかしここのマッサージの小姐とも、うりずんさんは会話をはずませており ました。 そして最後は待ち合わせた民航大厦のすぐ裏手にある不思議な一角。日本語 のネオンを付けた数件の飲屋街であります。そこの一軒のクラブに入るとこれ が見事なほどに日本の普通のクラブです。カラオケが有ってさきイカのつまみ が出ておねーさんが付いて・・・と言うことでカラオケとうりずんさんが持ち 込んだ失楽園のソフトで夜中までさわいでしまいました。(中国版なので内容 が半分近く無くなっていたようでしたけれど小姐達は異様は盛り上がりをみせ ておりました) ここでうりずんさんがもてたかどうかはもうあえて言いません。 と言うことでこのミニオフは中国支社に赴任して来た人の歓迎会の様なもの になってしまったのでありました。 ★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★ ■1月4日 12:45 大連空港 国際便待ち合い室■■■■■■■■■■ こないだハルビン行きの便をさしおいて定刻通りに出発した東京行きの便 はなんと今日は、12:00の出発時間を遅らせて今だ出発のめどがたってい ない。 大連空港に恨みをかった覚えはないのだが・・・・・・・。 待ち合い室で待っている人を眺めて日本人か中国人かを当てて暇をつぶしてい るが、決定的な違いが分からないでいる。 出来るだけどの場の事をその場で書いて思っていたが、もはや周回遅れと 言った感じだ、家に着く前に書き終える事が出来るかどうか・・・・。 □12月4日 6:00(まだ中国時間) 成田行きCA951便□□□□ 12:00発の予定が結局15:50頃の離陸になった、天候不順で出発 を遅らせただけあって、かなり揺れる。シートベルトのサインは付きっぱなし だ、飛行機に乗っていると「もうダメだ。」と思う事がしょっちゅう有る、実 は今もそう言う気分だ。こんな乗り物に乗らないと中国に行けないなんて・ ・・・・・これが無ければ毎月でも中国に行ってもいいと思うのに。 話が前後しすぎて分かりづらくなってしまったので、前の日の事は、その 日の所に書き足している。無事戻れれば、これを発進する事も出来るのだが ・・・・・。 □1月4日 7:30(日本時間) 新宿行き リムジンバス□□□□□□□ 無事着陸した時は、晴れ晴れしいフルオーケストラBGMが頭の中でなり響い ていた。よかったーー!! しかし旅はこれで終わりだ。 バスの切符を買う時も、トラの子のトラベラーズチェックを換金する時も、一 言しゃべって後はうなずくだけで事が足りる。 しようとする事あっけないし、日本人は中国人に比べるとぜんぜん元気が無 い、日本に帰った直後はこの国がなんとも薄味にかんじてしまう。 さて、清算してみたらこの旅行、飛行機代を除くと出費は約3000 (約 ¥40000)だった。まだまだ中国旅行は安くていい。 しかし機内放送で東京の温度は4度と言っていたが、大連の時の格好で今汗 だくになっている。暑くてしょうがない。 ハルビンよりも30度以上暑い所に来たのだから当然の様な気もするが、普 通寒くて凍えている温度なのに、不思議な気分だ。 旅行の間にこの次は四川省に決めてしまった、それまでにもっと中国語を勉 強しなくては、それから仕事ですよねやっぱり。 ガンバロー・オー! ■目次 ■地図 ■表紙 |