金子勝20111214064217Nhk1Amビジネス展望東京電力への公的資金注入の問題点(無主物にも言及) Audio10m54s1279kB東京新聞20120414木嶋被告死刑 裁判員「難しかった」
「わずか六カ月で、非道な殺人を三回も繰り返した」-。木嶋佳苗被告(37)に死刑判決を言い渡したさいたま地裁での裁判員裁判。男女六人の裁判員は、在任期間が過去最長の百日間となった上、直接証拠がない中での事実認定という難しい判断を迫られた。判決後、記者会見した裁判員二人は「難しかった」「負担も感じた」と重圧に耐えた公判を振り返った。
「率直に言って、難しかった。状況証拠がほとんどだったが、いくつかの物証も示された中で、パズルの組み合わせという形での判断だった」
裁判員の林太一さん(27)は会見で三人殺害の事実を認めた経緯をこう説明した。公判では木嶋被告と三人の不審死を結びつける直接証拠は示されず、被告の弁護側は「推定無罪」の原則を繰り返し主張していた。もう一人の裁判員の男性(25)も「難しかった」と口をそろえた。
報道陣から「死刑の判断に迷いはなかったか」と問われると、林さんは「長い道筋でみんなで話し合って決めた」と慎重に答えた。男性は「気持ち的には感じていない」と言う一方、「人の命にかかわるので負担に感じなかった訳ではない。だけど決めなくてはいけないことだった」と複雑な心境も吐露した。
公判で印象に残ったこととして、二人とも被害者遺族の言葉を挙げた。林さんは「(遺族が出した)文章も読ませてもらい、喪失感と無念さを感じた」と語り、男性も「感情的に入り込んだ」と述べた。
裁判員の選任から判決まで百日間に及び、日常生活や仕事への影響が心配された。林さんは「支障はなかった」としたが、男性のほうは「(仕事の)調整に負担がなかったと言えばうそになる。職場がいかに柔軟かが重要だ」とした。
今回は事件ごとに裁判員を選ぶ「区分審理」ではなく、同じ裁判員が全ての事件を担当する「一括審理」だった。公判は長期化したが林さんは「(犯行の)手口などが同じだった。長い時間をかけたことに意味があった」と評価。男性も「全体を見られて分かりやすかった」と振り返った。
つまり、状況証拠から類推出来る蓋然性によって白黒付けています。「疑わしきは罰せず」という言葉がありますが、どの時点で犯人かそうでないかを、不確かな蓋然性で判断してはいけません。犯行にあたっての論理的で科学的な説明が出来ないのであれば、被疑者は「白」です。さもないとあらゆる「蓋然性」で容疑者を犯人であると理由付けできることになります。
論理的で科学的に立証できた案件のみを、裁判所でその量刑を法律に基づいて決定するのが良いでしょう。法理を理解しない一般人が裁判員として参加する裁判員制度に問題があるのは確かですが、カレー事件でもそうでしたが、「蓋然性が高い」ということで立証したとみなす現行の法曹界は非常識です。裁判員のインタビューで「長い道筋でみんなで話し合って決めた」と答えた方がいますが、全く論理的な判断ではありませんね。そして、「被害者遺族の言葉」は有罪か無罪かを判断するには無関係です。
なお、「伊原吉之助20030104/20080222増補可能性と蓋然性の混同」というタイトルの小論説が「21世紀日本アジア協会」のサイトに掲載されていましたので、コメントしておきます。論説では、「可能性=possible」「蓋然性=probable」と規定しています。英語のワードを日本語に逐語的に翻訳できるかというと実はそうではないことが多いのです。ニュアンスが微妙に異なったりします。日本語でいう「可能性」については英語では「=possible + capable」の2語となります。前者は確率的な意味合いですし、後者は伊原氏の言説を借りるとするなら、専守防衛に徹するが攻撃を受けた場合には、迎え撃つ十分な戦力があり、有事には躊躇せずに反撃しますよという意思表示です。不戦条約の文言を拝借したのが日本国憲法の第9条1項ですから、自衛戦争を実行する妨げとならないというのは、実は自民党独自の特異な解釈ではなく憲法学者や歴史学者が普遍的に認めるところだと思いますが、戦力放棄の2項と相矛盾するところがあり、それが為「解釈改憲」といった言葉も生まれてくるわけです。私としては、自衛戦争もハッキリ放棄すると9条で謳うべきであり、枝葉末節は要らないという立場です。
蓋然性は=probableで大方良いと思います。「あいつならやりかねない」と周囲に思わせる状況なら蓋然性=probabilityが高いということです。「あいつは金があるから犯行実行能力はあるだろうが、ヤツの社会的地位と秤に掛けて、まずできんだろう」というなら、capabilityは高いが、probabilityは低いとなります。20mSvの低線量被爆で発癌し死亡に至る確率をICRP(米国放射線防護委員会)は 0.1% と提示していますが、それは、例えば、福島県児童生徒30万人の全員が20mSv被爆したと仮定した場合、30万人のうち300人が癌を発症して死亡する推定人数のことです。この場合はpossibilityです。
なお、昨日のNHKラジオで面白い作品を朗読していました。松本清張の「証言」という作品で、冤罪が作られていくひとつの可能性が主題となっています。冤罪を捏造することもある検察側の姿勢が描かれていないので物足りないのですが、40分ほどの番組です。お時間のあるときにでも聞いて見て下さい。
野田総理大臣は、24日、東京都内で講演し、消費税率を引き上げるための法案について「政治生命をかけ、命をかけて、今の国会中に成立させる意気込みで頑張っていく」と述べました。
この中で野田総理大臣は、消費税率を引き上げるための法案について「今年度内にこの法案を提出しなければ、国会の審議で与野党で向き合い『決勝』を行う前に、『準決勝敗退』であり、あってはならない。万万が一にも、ちゃぶ台返しをして後退させる議論はないと思う」と述べ、今月中に民主党の了承を得たうえで閣議決定し、国会に提出する方針に変わりはないという考えを強調しました。
そのうえで野田総理大臣は「ここで決断し、政治を前進させることができなければ、野田内閣の存在意義はない。不退転の決意で、政治生命をかけ、命をかけて、この国会中に成立させる意気込みで頑張っていく」と述べました。
さらに、野田総理大臣は、TPP=環太平洋パートナーシップ協定について「TPPはビートルズにたとえると、日本はポール・マッカートニーだ。ポールのいないビートルズはありえない。アメリカはジョン・レノンで、2人がきちっとハーモニーをしなければならない」と述べ、交渉参加に意欲を示しました。
国家主義に歩み寄るつもりは毛頭ありませんが、野田首相の発言は「国益」を大きく損ねることになるでしょう。(一朗)
非戦いぶりが主催した韓教授を招いての講演会(1月28日)に出席しましたので、私の考えを説明します。この条約は米国が発案しました。さて、そうであるなら、米国の国益が優先されているに違いないと穿った見方をするのが妥当です。採り上げたいのが、「ISD条項:Investor State Dispute settlement=投資家対国家間の紛争解決条項」と「ラチェット規定(自由化不可逆規定)」です。
昨年11月11日の国会審議中、佐藤ゆかり自民党議員の質問で、野田首相はISD条項を理解していないことが暴露されてしまいました。野田首相の任期中の役割が、どうやら「税と社会保障の一体改革」と「TPP参加」のふたつのようですが、TPPのカナメであるISD条項を認識していなかったことは、彼が米国のローカルエリート(傀儡政治家)であることを如実に物語っています。米国内にある世界銀行傘下の国際投資紛争センターで、紛争解決の裁定が密室裏に一方的に取り決められ、訴える企業が相手国政府に損害賠償を請求出来るという奇妙奇天烈な条項が核にあるのです。つまりあらゆる非関税障壁が損害賠償請求の根拠になり、理不尽な要求を一方的に提訴でき、その裁定結果は合議に程遠いモノとなります。
日本の司法制度は判例主義を採っています。最高裁での判決結果がその後の同様な訴訟に適用されるという「主義」です。司法の無謬性を自負する権威主義的な発想に基づきます。TPP協定で、そのISD条項を補強するのがラチェット規定です。それは判例主義に似たような発想ですが、経済自由化を進める方向での裁定結果は尊重し、保護主義または社会主義的な方向付けを排除するという規定ですので、タチが悪いと云わざるを得ません。
野田首相は「交渉のテーブルにつく」のであって「参加を決めたわけではない」と公言していますが、これは無意味です。米国側はとりあえずの譲歩を示すことで、野田首相のメンツを保ちつつ日本のTPP参加を促すことでしょうが、カナメであるISD条項とラチェット規定に手をつける気配はありません。いずれ日本国内の非関税障壁を根拠に、米国籍あるいは多国籍企業が訴訟に持ち込み、米国の論理で裁定が下り、当初、取り付けたかに見える譲歩案は有意性を失います。各国各地域独特の商慣行は、歴史の流れの中で培われた民族の集団的合意のもとに形成されてきたはずですから、各地域民族の自治独立形態の多様性は民族自決権として認めるべき物であり、最大限の経済効率を駆使して勝ち抜いた「国際社会」の奪える物ではないはずです。
日本国内では、今のところ全農(全国農業者協同組合連合会=農協の上部組織)はTPPに反対し、輸出産業が主体の経団連(日本経済団体連合会)はTPP参加賛成の意向を示しています。この際、気をつけなければならない点は経団連の意向が、実は、そこに働く労働者の利益と共通の物ではないことです。TPP協定の中で「消費者の保護に留意する」という但し書きがあるようですが、「経済弱者に留意する」というならまだしも、「消費者」というカテゴリーは的外れです。消費者に対峙する言葉は生産者ですが、実は、生産者も消費者であることから、真の対義概念ではありません。さらに、資本家や有産階級も消費者ですし、もちろん、労働者や経済弱者も消費者です。人間誰しも空気を吸って水を飲み、食べものを食べる、そういった行為が経済社会に組み込まれているという意味で、なべて「消費者」なのです。
イギリスのサッチャリズム(1978-)と、続く米国でのレーガノミックス(1981-)は、新自由主義の黎明でしたが、日本でもバブル経済が収縮してゆく1990年代半ばから「国際社会」の潮流であるがのごとくに経済強者優先の政策を採り始めました。その結果が「産業の空洞化」であり、産業が地場に無いことからくる「技術の空洞化」と呼ばれる技術者不毛の時代を迎えるに至ったのです。マスコミは「技術立国日本」を称える宣伝をすることに臆することがないようですが、大学生の数学レベル低下が著しいこともニュースで伝えられています。論理学や哲学に至っては、政治家の発言ひとつを聞いても危機的と言わざるを得ません。「資本主義」とはその様な「論理不存在」で「情緒過多」であっても自転車のペダルをこぎ続けることが宿命づけられているようなシステムと云えるようです。
前原外務大臣は日米外相会談の前に講演し、TPP=環太平洋経済協定について「日本の農業が打撃を受けたとしても、参加を進めるべきだ」と強調しました。
前原外務大臣:「日本の強みを生かすための自由な貿易体制を目指し、日本再生の起爆剤にしていく」
菅政権が参加を検討しているTPPをめぐっては、「農林水産業に深刻な打撃を与える」と反対の声も上がっています。しかし、前原大臣は「国が守ってきたはずの農業は疲弊が進んでいる」と述べ、「結局、先細りするなら、大胆な農業改革をやると同時に、より自由な貿易体制を目指すべきだ」と訴えました。そのうえで、「日本とアメリカという経済大国が参加した枠組みが実現すれば、その意義は大きい」と述べました。
「私はTPPを日米関係強化の一環として位置づけている」(前原誠司外務大臣)
ワシントンのシンクタンクで講演した前原大臣はこのように述べ、経済的なメリットのみならず、日米関係強化という観点からもTPP(環太平洋パートナーシップ協定)への参加が重要だとの認識を示しました。さらに講演後のやり取りで、現在、農業など第一次産業のGDP比率は全体の1.5%で、「農業が先細りになっていく」と指摘、「(農業以外の)98.5%に目を向けて」TPPに参加すべきと訴えました。
一方、前原大臣は、アメリカで建設が予定される高速鉄道システムに日本の新幹線が導入されれば「日米同盟のシンボルとして残る」と述べ、新幹線の売り込みに意欲を示しました。(07日04:53)
壮瞥町弁景にある町の宿泊研修施設です。自炊になりますが、プロ仕様の厨房設備を使えます。1泊の料金は大人1300円、高校生以下800円です。冬はスキー場のロッジになります。ゼミ合宿やサークルの合宿地として最適です。町のサイトはこちらです。
ぺぺの子猫たち(生後56日目:6月7日生まれ、8月1日撮影)
東京新聞20060101異端の肖像2006「怒り」なき時代に
平和なときに「戦争反対」とは誰でも言えます
この戦争は 国際貢献 協力せぬもの 卑怯もの この戦争は 正義の防衛 反対するもの 非国民 戦争は悲惨だからやっちゃいけない と 気が付けば だれも 言えなくなっている 曲名:止められない 英語バージョン:War
祖国の過ちを 歴史の中に見つめることは 他国の過ちに 目をつぶることではない 悲しい思いを 愛する誰にも させないで この国が好きですか 世界の人が好きですか 曲名:愛国心の歌 英語バージョン:Patriotism
若き兵士たちよ おまえは誰に銃口を向けているのか? おまえが向けている銃口は 同時に おまえの良心にも向けられているのだ
奪いあえば足りない、の図。「奪いあえば足りない、分けあえば余る(山田征)」
付け加えるならば、余らないように分けた方が良い。(一朗20070615)