2004/02/13
秋葉原にまた……だぞ。
うーむ。メイドさんカフェとかこういうのがあるのは知っていたが、小悪魔の宴LittleBSDという、新しいオタク向け居酒屋の告知に、クラクラ。
従業員を、おネェさん=小悪魔、ボーイさん=魔法使いの弟子、と呼んでいるのが笑える。ちなみに、自分でコスプレ衣装を持って行くと、時給が100円UPするそうな。
しかし、そこに需要があるからと言って、こういう世間様がオタクに向かって営業してくるというのも、いかがなものか。
オタクなんてものは、世間様の方向と自分の趣味との齟齬に、悩み、打ちのめされ、育たないといかんのではないか。情報が溢れていて、テレビにはオタク向け情報番組がいくつかあり、情報誌も10や20は出ており、玩具屋や本屋・映画ショップの片隅でホソボソと自分の趣向にあった物を探さずともビル1つアニメショップなぁんてものがダカダカ立ち並ぶこんな時代、ちゃんとした根性のあるオタクは絶滅してしまうのではないか。
あの『宇宙戦艦ヤマト』映画化決定以前の、『機動戦士ガンダム』本放映時の、『テクノポリス21C』や『クラッシャージョウ』劇場版公開時の「ここで俺たちが支えないと」という感覚を共有・経験して来た世代としては、溢れ出して来るようなオタク文化の洪水にどうもなじめない物を感じてしまう。
今、一週間に放映される新作アニメ・特撮等は、合わせて108本だそうな。その昔、30本を超えた所で『もう全部を追いかけられない』という声が、あったが、そんなものではない。1本30分として、週七日間休み無しに毎日まいにち8時間は見て行かないと追いつかない換算だ。アンパンマンのような幼児向けの物から順に削ったとしてもまあ、4〜5時間は、見ないと追いつけない。
しかし、この『追いつく』という感覚すら古く、今の受け手や、送り出している側には無いのかもしれない。かつては、全放映作品を見てこそ、はじめて始められる感覚があったが、いまは、洪水の中で、自分の取り入れる物と流してしまう物を瞬時に取捨選択してゆく事が要求されているのだ。
まさに拡散と浸透。まさに百花繚乱。
しかしこんな時代にこそ必要な、良い物を見つけ粗悪な物を排する取捨選択の目を持った、かつての月刊outやアニメックのような、独自に面白い物を見つけてプッシュしてくれる羅針盤が、今のオタク周りには存在しない。
アニメ誌と言うと、取捨選択を諦めてどのアニメも横並びにページを割いてゆくのが、今のスタンダードだ。読者からの反応の大きさで前の方の広いページに特集される事はあるが、基本的になんでも扱い並べてしまう。
しかし、専門誌というのは、別に総合誌でなくても良い。今こそ、俺の本は俺の好き嫌いで記事を決めて行くぞという方針を前面に立てた、何之何某責任編集雑誌が、必要なのだ。
小悪魔居酒屋の広告サイトから、そんなことを思う今日この頃……。
従業員を、おネェさん=小悪魔、ボーイさん=魔法使いの弟子、と呼んでいるのが笑える。ちなみに、自分でコスプレ衣装を持って行くと、時給が100円UPするそうな。
しかし、そこに需要があるからと言って、こういう世間様がオタクに向かって営業してくるというのも、いかがなものか。
オタクなんてものは、世間様の方向と自分の趣味との齟齬に、悩み、打ちのめされ、育たないといかんのではないか。情報が溢れていて、テレビにはオタク向け情報番組がいくつかあり、情報誌も10や20は出ており、玩具屋や本屋・映画ショップの片隅でホソボソと自分の趣向にあった物を探さずともビル1つアニメショップなぁんてものがダカダカ立ち並ぶこんな時代、ちゃんとした根性のあるオタクは絶滅してしまうのではないか。
あの『宇宙戦艦ヤマト』映画化決定以前の、『機動戦士ガンダム』本放映時の、『テクノポリス21C』や『クラッシャージョウ』劇場版公開時の「ここで俺たちが支えないと」という感覚を共有・経験して来た世代としては、溢れ出して来るようなオタク文化の洪水にどうもなじめない物を感じてしまう。
今、一週間に放映される新作アニメ・特撮等は、合わせて108本だそうな。その昔、30本を超えた所で『もう全部を追いかけられない』という声が、あったが、そんなものではない。1本30分として、週七日間休み無しに毎日まいにち8時間は見て行かないと追いつかない換算だ。アンパンマンのような幼児向けの物から順に削ったとしてもまあ、4〜5時間は、見ないと追いつけない。
しかし、この『追いつく』という感覚すら古く、今の受け手や、送り出している側には無いのかもしれない。かつては、全放映作品を見てこそ、はじめて始められる感覚があったが、いまは、洪水の中で、自分の取り入れる物と流してしまう物を瞬時に取捨選択してゆく事が要求されているのだ。
まさに拡散と浸透。まさに百花繚乱。
しかしこんな時代にこそ必要な、良い物を見つけ粗悪な物を排する取捨選択の目を持った、かつての月刊outやアニメックのような、独自に面白い物を見つけてプッシュしてくれる羅針盤が、今のオタク周りには存在しない。
アニメ誌と言うと、取捨選択を諦めてどのアニメも横並びにページを割いてゆくのが、今のスタンダードだ。読者からの反応の大きさで前の方の広いページに特集される事はあるが、基本的になんでも扱い並べてしまう。
しかし、専門誌というのは、別に総合誌でなくても良い。今こそ、俺の本は俺の好き嫌いで記事を決めて行くぞという方針を前面に立てた、何之何某責任編集雑誌が、必要なのだ。
小悪魔居酒屋の広告サイトから、そんなことを思う今日この頃……。
2004/02/11
青春の思い出を噛み締めたぞ
ついに来てしまった。吉野家のメニューから牛丼が消える。……ということで、当然のように、火曜日の晩ご飯は吉野家に。
吉野家という店を、名前だけにせよはじめて知ったのは、中学生か高校生の頃だったか。自分の生活圏には無いチェーンなので、CMも流れないが、マンガかなんかに「やったねパパ。明日はホームランだ」というフレーズを見たのが最初だろう。やがて、東海地方にも吉野家チェーンは展開を開始し、牛丼という聞き慣れない食べ物の名前と共に吉野家のCMが流れるようになった。
今の若い人には判らないかもしれないが、1970年代までの日本人には牛丼を食うなんて風習は、わりと希薄だった。尤も、すき焼きの翌日になべの残りをご飯にかける事は普通にしていたけど。とはいえ、我が家のすき焼きは、割り下なんテェ物を使う関東風とは異なり、酒と醤油と砂糖で味付けするモノだったから、甘くて、野菜と言えばネギや白菜で、肉なんてチョンと残っていたら大ごちそうで、半分は前の晩の美味しかった記憶を反芻するための食い物だった。
そんな神北の持っていたイメージを一新したのが、吉野家の存在だった。最初に喰ったのは大学に入ってからだった。名古屋で学生生活を送っていたので、杁中(いりなか)の店だったか上前津(かみまえづ)だったか。とにかくびっくりした。甘いすき焼き丼を予想していたので、吉野家の牛丼は異様だったのだ。タマネギ入っているし。もちろん、当時からキャッチコピーのフレーズは美味い安い速いだったけど、当然、食い物の値段も昔は高かったから、文庫本一冊と比べた値段比は今の2〜3倍以上したと思う。SFやマンガに財布を圧迫され続けていたから体感価格はその何倍にも当たる。上前津の古書街で本を買ってしまって、残った金で吉野家の白飯とみそ汁だけ喰った事なんか、思い出すと泣ける。(マヌケさに……)
そのころ、吉野家は一度倒産の危機を迎え、自分の生活圏には1つも店舗がないので名前以外は全く知らないダイエーというスーパーが買い取るなんて話が出たり消えたりした。まあ、その時はまだ、食えなくなって困る食い物ではなかったんだけど。
最初は、あまり好きな味じゃなかった牛丼だが、慣れて来て違和感がなくなると、普通にチョイスするメニューの1つになって来る。まあ、同じだけ腹を満たそうとするとマクドナルドでは1.5倍は費用がかかった時代だ。マクドナルドと吉野家が安さのデッドヒートを繰り広げる今となっては考えられない話だが……。
しかし、就職した途端に困った事になった。ひと月の研修を経て任地となった栃木県は宇都宮市に赴任してみると、たった数年で生活に無くてはならなくなっている牛丼屋がないのだ。オレンジ色の看板がどこにも無い。もちろん松屋もない。うっわぁ。どんな田舎だよここはっ! しかし、牛丼文化果つる地、宇都宮にも、牛丼が喰える店が1つだけあったんですよ。今は知らないが、居酒屋の養老乃瀧には、牛丼というメニューがあった。かつて、吉野家が全国展開した頃に、同様に全国展開していて牛丼を食わせるライバル店として紹介している無責任な雑誌記事を読んだ事があったのだ。まあ、その記者の感覚としては吉野家の牛丼は酒を飲んだ後のシメに食う物で、吉野家で喰っても居酒屋で喰っても、同じだったんだろうなぁ。しかし、そんな変な記事でも、神北の腹と舌を救った事は間違いない。酒の全く呑めない身で、どうしても我慢できない時に何度か居酒屋に通いましたともさ。
てなわけで住んでいる所はほとんど牛丼未踏地といって良かったから、その時期に最も良く使ったのは、都内の牛丼屋だった。宇宙軍とクリコンの例会に顔を出し、企画集団TDFの東京例会も主催していたから、月に3回ぐらいは東京に出ていた。そして、せっかく出た日は、土曜の夜にオールナイトで映画を見るのが常だった。最近では普通に昼間と同じ映画を流すところが殆どだが、当時、いくつかの映画館では、土曜の夜になると、「恋愛映画名作4本立て」だの「角川三人娘大会」だの、「恐怖映画特集」だの「怪獣映画3本立て」だのと、いろんな切り口で特別興業を打っていた。ぴあ片手に作戦を練りつつ、夜10時か11時にどこかでメシを喰って映画館に入る。早朝、4時か5時に映画がハネてぞろぞろと出て来ると、電車が動き出す前にまず開いている店で腹を満たす。もちろん、予算は潤沢とは言い難いから、安くて早くて美味い物を食いたい。そうなるとやはり牛丼だ。フラフラになって出て来ると、メシを食いつつ時間をつぶし、山手線の始発に乗り込む。当時は本当に良く映画を見に行った頃で、次に映画館が開く10時か11時までチョイと一休み。これが神北の東京の廻るベッド。まあ、無茶をした物だ。その無茶に常に付いて回る思い出が吉野家の牛丼だった。松屋ではついつい定食メニューに走り牛丼を喰わなかったから、牛丼と言えば吉野家。
しかし、その吉野家から牛丼が消えてしまう。まさか、こんな事になろうとは、誰が思おうか。
肉の備蓄がなくなるまでということで上手く行けば後2〜3日はメニューが残る場所もあるようなので、機会はもう一度ぐらいあるかもしれないが、その一杯が、慣れ親しんだ味の最後の一食かと思うと、万感こみ上げるものがある。店に入るまで半分冗談のつもりでいたのだが、なんだか本気て悲しくなって来る。親友が遠くに旅立つような寂しさだ。
はやく帰って来いよ。オレは待ってるぞ。
吉野家という店を、名前だけにせよはじめて知ったのは、中学生か高校生の頃だったか。自分の生活圏には無いチェーンなので、CMも流れないが、マンガかなんかに「やったねパパ。明日はホームランだ」というフレーズを見たのが最初だろう。やがて、東海地方にも吉野家チェーンは展開を開始し、牛丼という聞き慣れない食べ物の名前と共に吉野家のCMが流れるようになった。
今の若い人には判らないかもしれないが、1970年代までの日本人には牛丼を食うなんて風習は、わりと希薄だった。尤も、すき焼きの翌日になべの残りをご飯にかける事は普通にしていたけど。とはいえ、我が家のすき焼きは、割り下なんテェ物を使う関東風とは異なり、酒と醤油と砂糖で味付けするモノだったから、甘くて、野菜と言えばネギや白菜で、肉なんてチョンと残っていたら大ごちそうで、半分は前の晩の美味しかった記憶を反芻するための食い物だった。
そんな神北の持っていたイメージを一新したのが、吉野家の存在だった。最初に喰ったのは大学に入ってからだった。名古屋で学生生活を送っていたので、杁中(いりなか)の店だったか上前津(かみまえづ)だったか。とにかくびっくりした。甘いすき焼き丼を予想していたので、吉野家の牛丼は異様だったのだ。タマネギ入っているし。もちろん、当時からキャッチコピーのフレーズは美味い安い速いだったけど、当然、食い物の値段も昔は高かったから、文庫本一冊と比べた値段比は今の2〜3倍以上したと思う。SFやマンガに財布を圧迫され続けていたから体感価格はその何倍にも当たる。上前津の古書街で本を買ってしまって、残った金で吉野家の白飯とみそ汁だけ喰った事なんか、思い出すと泣ける。(マヌケさに……)
そのころ、吉野家は一度倒産の危機を迎え、自分の生活圏には1つも店舗がないので名前以外は全く知らないダイエーというスーパーが買い取るなんて話が出たり消えたりした。まあ、その時はまだ、食えなくなって困る食い物ではなかったんだけど。
最初は、あまり好きな味じゃなかった牛丼だが、慣れて来て違和感がなくなると、普通にチョイスするメニューの1つになって来る。まあ、同じだけ腹を満たそうとするとマクドナルドでは1.5倍は費用がかかった時代だ。マクドナルドと吉野家が安さのデッドヒートを繰り広げる今となっては考えられない話だが……。
しかし、就職した途端に困った事になった。ひと月の研修を経て任地となった栃木県は宇都宮市に赴任してみると、たった数年で生活に無くてはならなくなっている牛丼屋がないのだ。オレンジ色の看板がどこにも無い。もちろん松屋もない。うっわぁ。どんな田舎だよここはっ! しかし、牛丼文化果つる地、宇都宮にも、牛丼が喰える店が1つだけあったんですよ。今は知らないが、居酒屋の養老乃瀧には、牛丼というメニューがあった。かつて、吉野家が全国展開した頃に、同様に全国展開していて牛丼を食わせるライバル店として紹介している無責任な雑誌記事を読んだ事があったのだ。まあ、その記者の感覚としては吉野家の牛丼は酒を飲んだ後のシメに食う物で、吉野家で喰っても居酒屋で喰っても、同じだったんだろうなぁ。しかし、そんな変な記事でも、神北の腹と舌を救った事は間違いない。酒の全く呑めない身で、どうしても我慢できない時に何度か居酒屋に通いましたともさ。
てなわけで住んでいる所はほとんど牛丼未踏地といって良かったから、その時期に最も良く使ったのは、都内の牛丼屋だった。宇宙軍とクリコンの例会に顔を出し、企画集団TDFの東京例会も主催していたから、月に3回ぐらいは東京に出ていた。そして、せっかく出た日は、土曜の夜にオールナイトで映画を見るのが常だった。最近では普通に昼間と同じ映画を流すところが殆どだが、当時、いくつかの映画館では、土曜の夜になると、「恋愛映画名作4本立て」だの「角川三人娘大会」だの、「恐怖映画特集」だの「怪獣映画3本立て」だのと、いろんな切り口で特別興業を打っていた。ぴあ片手に作戦を練りつつ、夜10時か11時にどこかでメシを喰って映画館に入る。早朝、4時か5時に映画がハネてぞろぞろと出て来ると、電車が動き出す前にまず開いている店で腹を満たす。もちろん、予算は潤沢とは言い難いから、安くて早くて美味い物を食いたい。そうなるとやはり牛丼だ。フラフラになって出て来ると、メシを食いつつ時間をつぶし、山手線の始発に乗り込む。当時は本当に良く映画を見に行った頃で、次に映画館が開く10時か11時までチョイと一休み。これが神北の東京の廻るベッド。まあ、無茶をした物だ。その無茶に常に付いて回る思い出が吉野家の牛丼だった。松屋ではついつい定食メニューに走り牛丼を喰わなかったから、牛丼と言えば吉野家。
しかし、その吉野家から牛丼が消えてしまう。まさか、こんな事になろうとは、誰が思おうか。
肉の備蓄がなくなるまでということで上手く行けば後2〜3日はメニューが残る場所もあるようなので、機会はもう一度ぐらいあるかもしれないが、その一杯が、慣れ親しんだ味の最後の一食かと思うと、万感こみ上げるものがある。店に入るまで半分冗談のつもりでいたのだが、なんだか本気て悲しくなって来る。親友が遠くに旅立つような寂しさだ。
はやく帰って来いよ。オレは待ってるぞ。
2004/02/08
新年会だぞ
今頃と思われる方も多いだろうが、2月7日(土)は、 T-con 2003 スタッフの有志の新年会だった。大会で苦労を共にした仲間の一人、牛丼仮面氏が、彼の近しい仲間に声をかけて、結構な人間が集まって、ワイワイと大騒ぎをした。
宴会は、牛丼仮面氏のマンションの共用施設の一つ、パーティールームを借り切って行われた。何人かの、料理を作りたい人間が先行して集まり、何種類かの鍋や様々な料理を作るという、すっかり定着したいつものスタイル。料理の腕を振るいたい人は昼過ぎに集合。特に料理を作らない人は三時間遅れぐらいで集合。ただキッチンが家庭用の物と同じサイズで、そう何人も厨房に立てる状況ではないため、今回神北家では、作る方に回るよりはすぐに喰える差し入れでも持ってゆくのが良いと判断。女房と二人で出かけて、デザートの洋菓子でもと思って、途中の新宿駅でデパ地下へ。
結局、新宿小田急のデパ地下をしばらく彷徨った後、ま、来週会えない連中もいるということで、チョコレートを買ってゆく事に。うちの女房が前々から一度買ってみたかったという、神戸のフランツという会社が作っているチョコレートに決める。神北自身もここのチョコはずいぶん気になっていたのだ。女房からみんなへの、ちょっと気の早いバレンタインということで、工具セットと、単品のボルトとナットを選択。ベルギー産のチョコレートを、イタリア製の工具の形に仕上げた物だそうで、写実的なのが美しい。これが、またよく出来ている。さすがにペンチこそ開け閉め出来たりはしないが、ボルトとナットは、ちゃんと回るのだ。
会場に着くと、既に15人か20人の人が。みんな見慣れた顔ばかり。主に、牛丼タワーで共に作業をしたメンバーなので、非常に気心が知れている。今回集まったメンバーの殆どが、去年の5月中旬から7月頭まで、SF大会のオープニングを飾る自主アニメを作った、スタッフ内の有志なのだ。
去年の作業で中核になったのは、経験者ということで、アニメの専門学校に行っていた二人。それに、同人誌で漫画を書いている人が何人か。それ以外は、普通に暮らしていて絵を描く事も稀という人ばかり。しかも、猶予期間は2ヶ月余り。無い無い尽くしで始まった作業だが、だんだんと大きくなって行った。この時の作業は、全面的にコンピュータによるアニメ制作を取り入れ、現在日本の多くのプロダクションで使用されているアニメ作成ソフト「レタス」のライト版を中核に置いていた。しかし、いくらライト版とはいえ、「レタス・ライト」を人数分揃える費用は勿論無い。様々な手段で、レタス上での作業を軽減した。まず、原画・動画は、動画用紙を使い、アナログに作成。これのスキャニングは普通に Win 機に繋がったスキャナから行われて、どんどんと蓄えられてゆく。コンピュータに強い奴が、 Win 上で動くフリーソフトの GIMPを導入し、そのスキャンした生データを加工する事を教えた。境界線の繋がりを明確にして、そこに色を流し込んでゆく。これで、いわゆる「彩色済みセル」の段階まで、1つも「レタス」に頼る事無く、ほぼマシン台数だけを限界に平行作業を可能とした。次に、それを「レタス」で撮影する。セルを組み合わせ、背景と重ね合わせて行うのだ。この後、纏めて映像化されたデータは、 PRIMERE による編集で、音と絵、そして細かなタイミングを調整されて、アニメになってゆく。
その作業の人海戦術を乗り切るために、スタッフの家で空いているセカンド機・サード機がかき集められ、牛丼仮面氏のマンションに運び込まれた。その機械は毎週末、牛丼仮面氏の部屋からマンションの低層階にある共用施設の会議室に運び込まれ、有志の持ち込んだサーバ機を中心にLANが張られ、十人・二十人という人が集まっては、朝から晩まで作業に没頭した。集まったスタッフの労力も凄いが、これだけの人数の昼飯を毎回、一人何百円かのカンパだけで、作り続けてくれた牛丼仮面氏の努力が無ければ、この作業は頓挫していたと思う。
結局、二ヶ月の作業期間を経て、全くの素人が寄り集まって作った三分ほどのオープニングアニメはなんとか完成し、SF大会当日のオープニングを飾った。しかし、作業が終わった後も、苦労を共にしたメンバーの結束はかなり固く。大会以降も、牛丼仮面氏の呼びかけで、度々こうして集まる。
今回は、冬ということもあり、主力は鍋。あと、面白いからということで、注文して、狩猟ものの肉を用意してくれた人がいる。鹿肉と兎肉だ。他にも、自分の焼いたお菓子を持って来てくれた人、料理を持って来てくれた人。いろんな人がいろんな物を持ち寄り、ワイワイ食べては話す。
鹿肉は知っての通り、牛をちょっとあっさりさせたような肉。そう、たとえるならば牛と鯨の間ぐらいのさっぱりした風味で、癖が無い。兎肉にはびっくりした。これまで、イタめし屋とかで出て来る兎肉の料理と言うと、真っ黒の肉が出て来たので、兎の肉とは元々そういう色をした物であろうと思っていたのだが、鶏肉のような薄ピンクの奇麗な肉だった。あっさりしていて鶏肉のようでもあるが、流石に鳥ではない。ちゃんと獣肉なので、ブタとかほどではないが、かなりしっかりしている。そういうものを喰いながら、いろいろな話をする。今年のアニメはどうだとか、最近のネットで話題になった話とか、牛丼がなくなったら牛丼仮面の名前はどうなるんだとか、最近どうしているとか、「週刊私のお兄ちゃん」がどうだとか、ありとあらゆる話題を話し込む。数時間なんて瞬く間に経ってしまう。
なんにせよ、こうやって大会の終わった後に、スタッフが何度も何度も集まってワイワイ騒げるというのは楽しい。この面白い場を用意してくれた牛丼仮面氏と、料理チームの面々に感謝である。
宴会は、牛丼仮面氏のマンションの共用施設の一つ、パーティールームを借り切って行われた。何人かの、料理を作りたい人間が先行して集まり、何種類かの鍋や様々な料理を作るという、すっかり定着したいつものスタイル。料理の腕を振るいたい人は昼過ぎに集合。特に料理を作らない人は三時間遅れぐらいで集合。ただキッチンが家庭用の物と同じサイズで、そう何人も厨房に立てる状況ではないため、今回神北家では、作る方に回るよりはすぐに喰える差し入れでも持ってゆくのが良いと判断。女房と二人で出かけて、デザートの洋菓子でもと思って、途中の新宿駅でデパ地下へ。
結局、新宿小田急のデパ地下をしばらく彷徨った後、ま、来週会えない連中もいるということで、チョコレートを買ってゆく事に。うちの女房が前々から一度買ってみたかったという、神戸のフランツという会社が作っているチョコレートに決める。神北自身もここのチョコはずいぶん気になっていたのだ。女房からみんなへの、ちょっと気の早いバレンタインということで、工具セットと、単品のボルトとナットを選択。ベルギー産のチョコレートを、イタリア製の工具の形に仕上げた物だそうで、写実的なのが美しい。これが、またよく出来ている。さすがにペンチこそ開け閉め出来たりはしないが、ボルトとナットは、ちゃんと回るのだ。
会場に着くと、既に15人か20人の人が。みんな見慣れた顔ばかり。主に、牛丼タワーで共に作業をしたメンバーなので、非常に気心が知れている。今回集まったメンバーの殆どが、去年の5月中旬から7月頭まで、SF大会のオープニングを飾る自主アニメを作った、スタッフ内の有志なのだ。
去年の作業で中核になったのは、経験者ということで、アニメの専門学校に行っていた二人。それに、同人誌で漫画を書いている人が何人か。それ以外は、普通に暮らしていて絵を描く事も稀という人ばかり。しかも、猶予期間は2ヶ月余り。無い無い尽くしで始まった作業だが、だんだんと大きくなって行った。この時の作業は、全面的にコンピュータによるアニメ制作を取り入れ、現在日本の多くのプロダクションで使用されているアニメ作成ソフト「レタス」のライト版を中核に置いていた。しかし、いくらライト版とはいえ、「レタス・ライト」を人数分揃える費用は勿論無い。様々な手段で、レタス上での作業を軽減した。まず、原画・動画は、動画用紙を使い、アナログに作成。これのスキャニングは普通に Win 機に繋がったスキャナから行われて、どんどんと蓄えられてゆく。コンピュータに強い奴が、 Win 上で動くフリーソフトの GIMPを導入し、そのスキャンした生データを加工する事を教えた。境界線の繋がりを明確にして、そこに色を流し込んでゆく。これで、いわゆる「彩色済みセル」の段階まで、1つも「レタス」に頼る事無く、ほぼマシン台数だけを限界に平行作業を可能とした。次に、それを「レタス」で撮影する。セルを組み合わせ、背景と重ね合わせて行うのだ。この後、纏めて映像化されたデータは、 PRIMERE による編集で、音と絵、そして細かなタイミングを調整されて、アニメになってゆく。
その作業の人海戦術を乗り切るために、スタッフの家で空いているセカンド機・サード機がかき集められ、牛丼仮面氏のマンションに運び込まれた。その機械は毎週末、牛丼仮面氏の部屋からマンションの低層階にある共用施設の会議室に運び込まれ、有志の持ち込んだサーバ機を中心にLANが張られ、十人・二十人という人が集まっては、朝から晩まで作業に没頭した。集まったスタッフの労力も凄いが、これだけの人数の昼飯を毎回、一人何百円かのカンパだけで、作り続けてくれた牛丼仮面氏の努力が無ければ、この作業は頓挫していたと思う。
結局、二ヶ月の作業期間を経て、全くの素人が寄り集まって作った三分ほどのオープニングアニメはなんとか完成し、SF大会当日のオープニングを飾った。しかし、作業が終わった後も、苦労を共にしたメンバーの結束はかなり固く。大会以降も、牛丼仮面氏の呼びかけで、度々こうして集まる。
今回は、冬ということもあり、主力は鍋。あと、面白いからということで、注文して、狩猟ものの肉を用意してくれた人がいる。鹿肉と兎肉だ。他にも、自分の焼いたお菓子を持って来てくれた人、料理を持って来てくれた人。いろんな人がいろんな物を持ち寄り、ワイワイ食べては話す。
鹿肉は知っての通り、牛をちょっとあっさりさせたような肉。そう、たとえるならば牛と鯨の間ぐらいのさっぱりした風味で、癖が無い。兎肉にはびっくりした。これまで、イタめし屋とかで出て来る兎肉の料理と言うと、真っ黒の肉が出て来たので、兎の肉とは元々そういう色をした物であろうと思っていたのだが、鶏肉のような薄ピンクの奇麗な肉だった。あっさりしていて鶏肉のようでもあるが、流石に鳥ではない。ちゃんと獣肉なので、ブタとかほどではないが、かなりしっかりしている。そういうものを喰いながら、いろいろな話をする。今年のアニメはどうだとか、最近のネットで話題になった話とか、牛丼がなくなったら牛丼仮面の名前はどうなるんだとか、最近どうしているとか、「週刊私のお兄ちゃん」がどうだとか、ありとあらゆる話題を話し込む。数時間なんて瞬く間に経ってしまう。
なんにせよ、こうやって大会の終わった後に、スタッフが何度も何度も集まってワイワイ騒げるというのは楽しい。この面白い場を用意してくれた牛丼仮面氏と、料理チームの面々に感謝である。