2003/11/07

仕事に流されて行く私……だぞ 

 今週は、ちょっと大きな仕事の締め切りだった。地図図版6点なのだが、見開きページだったり状況を2枚で表したりするため、計8枚の地図を描いたことになる。(実際には、没にしている試し描きもあるので、12点ぐらいは描いているが……。)ほとんどの地図の場所はトラック諸島。
 南洋の島というのは、最近ではダイバースポットになっており、しかも、沈船情報等も喜ばれる為、(浅瀬に限られるが)どこに何という艦船が沈んでいるかまで判るような資料も多い。その意味では、資料に事欠かないように見えるし、実際、量も多い。が、決定的に観光地図は、観光地に篤くそれ以外に薄い。小さな島が寄せ集まって出来ているような群島部では、そこそこの地図帳でも、全部の島名は載っていないのが常だ。これは、一枚ものの拡大図でも同じ。その上、本文中に出てくる地名は、当時の日本人が南洋の委任統治領に片っ端から付けた和名である事が多く、現代のどの地名にあたるかを確認するのは、なかなかホネの折れる作業だ。

 一番弱るのは、細かく資料を調べ込むタイプの作家さんに多い、文献に書いてある地名だから使っちゃいましたパターン。この仕事ではなく、ずいぶん昔の仕事だが、筋立て上の要地になっている地名がさっぱり判らず、作家に直接聞いてみた所、「○○と△△の間で、史実でも戦車戦があったらしいんです」てなことを言われた。そりゃ、作家さんは、文献読んでそれっぽく聞こえる地名があったら使うんでしょうがね。それが○○から△△方面に向かって、何割ぐらい言った所なのということには、得てして触れられてないものなんです。○○東方15キロの山の麓の集落××とか書いてあればいいんでしょうが、なかなかそうはいかずに、単に××とだけ地名が書かれている。都市の名前なら確実、村の名とかでもまだ、なんとかしようも在るんですが、家5〜6軒のちっちゃな集落名だったり、へたをすると「ここらへんは、なんて言うんだ?」と聞いたら地元の人が「あ〜ここは、『西の畑』だぁ」とか教えてくれたからというものもあるんだと思う。この、『西の畑』とか『北の林』とか『アメンボ池』とかの、村内でしか通用しない地名が、部隊指揮官の記録に書かれたりして、後々になって戦記作家達が、『西の畑戦車戦』とか『北の林蹂躙作戦』とか『アメンボ池掃討戦』なんて名前をつけたらもう終わり。それは、どこにある場所かもよく判らないまま、有名な場所という事になってしまう。
 また、日本語に訳す時にもとの綴りが判らなくなることも多い。普通使っているのは日本のものか、アメリカかイギリスの地図だが、これらの中には、地名を、英語読みに綴りを置き換えたり、英語地名にしていたりするものがかなり在る。さらにそれを日本語にしていたら、もうお手上げだ。
 更に、植民地として取り合いになった地域は、歴代宗主国流の読み方があって、その上、為政者が変わるタイミングで都市の名が全く変わっていたり、元に戻っていたりするので、これは複雑怪奇な世界だ。歴史の節目で名前が変わる事も在る。ベトナム戦争の集結でサイゴンがホーチミンに変わった事や、ロシア革命以降、レニングラードになっていた地名が、ソ連崩壊でサンクトペテルブルグに戻った程度の事は、自分の生きている間に体験した事だから覚えているが、細かくなって来ると手が付けられなくなる。
 また、フランス外人部隊が、オランと呼ぶアフリカの街は、フランス海軍がメール・エル・ケビールと呼ぶ地中海に面した軍港と、大雑把に言って同じ町だ。ほとんどの地図では、オランと云う地名は出ていても、軍港の名は出ていない。
 こんな知識をいくつもいくつも溜め込む、トリビアな暮し。それが、地図描きの日常だ。

2003/11/05

新宿のカレーとレッズ優勝だぞ 

カレー
 2003年11月3日、ニフコンから帰って来て丸一日ゴロゴロしたら、なんとなく外に出てみたくなったので、どこかに飯を食いに行くことにする。とはいえ、近所のよくいく店に特にトキメキを感じなかったので、遠出を決意。先日買って来た、ぴあの『最新!最強!究極のマジうま食べ放題 首都圏版』で、なんか無いかなぁと探す。と、カレーのコーナーに新宿中村屋本店4階のラコンテが上がっている。それも、ランキング一位。何度か行った店が一位というのも嬉しいもので、これはいかねばと決意。女房を引っ張りだし、小雨の中を出かける。
 どうせ、都内まで出るのだからと、きっと欠食児童の、真庭くんと古市くんを誘うことにする。しかし、古市くんは仕事中みたいで連絡取れず。ちょうど家に居た真庭くんに連絡を取って、引っ張り出す。
 ウィークデーのランチタイムは込むそうだが、休日は意外と空いているのがラコンテの良い所。ゆったり座って、好きなカレーを自由に食べられるのがいい。食べていると、ケータイが……。あわてて取ると古市くん。
「いま、やっとバイトの休憩タイムなんです。お電話いただいたみたいで……」
「いや〜、すまんなぁ、飯食おうと思って誘ったけど居なかったから、真庭だけ誘ってもう食ってるトコ」
「そ、そんなこといわれても、仕事中ですし……」
真庭くんに替わる。
「やー、おいしいカレーですよ。はいはい、じゃ、お土産にカレーパン買ってってあげますから」
馬庭くん強気……。

レッズ
 かくして、僕たちが暖かく気持ちいいラコンテでおきらくごくらくにおいしいカレーを食べていた頃、近くの国立競技場では悪天候の中、我が家のご近所さんチーム、浦和レッズが、鹿島アントラーズ相手に、2003Jリーグヤマザキナビスコカップ最後の死闘を行っていた。試合は、4-0という一方的な点差で、レッズの勝ち。ついに無冠の王者が至高の冠を戴いた瞬間であった。おめでとうレッズ&サポーター。
 さて、カレーを食い終えてのほほんと帰途についた我々は、埼京線に乗ろうとした所で、興奮覚めやらぬまま、声を限りに歌い続けながら行進して来る赤い人の帯に遭遇。この帯は、コンコースの向こうに霞んで消えるまで途切れること無く繋がっていた。普通のチームのサポーターなら、これは勝った時の反応だと判るが、レッズサポーターは、そんな生易しいものではない。昨年、勝ったアントラーズ側を完璧に圧倒する勢いで「We are Reds!」と選手を励ますシュプレヒコールを上げ続けた実績がある。疲れ果てながらも喜んでいるのか、悔しさを元気で押し返しているのか、歩いてくる人たちの表情からでは、試合結果を窺い知ることが出来ない。いや、試合結果はまだいい。レッズユニフォームで真っ赤に染まった埼京線は、すごい密度で、ちょっと乗れそうにない。
 しかたなく、我々は、総武線、秋葉原経由京浜東北線で帰途につくことにした。
しかし、よかったよかった。おめでとうレッズ&サポーター。

2003/11/03

言葉の壁だぞ 

皆のための自由な特徴
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 何があるか知りたい。 含まれていました。 ?


 う〜〜ん。上は、BLOGGERの書き込み主のためのトップページに書かれた、開発元からの新着情報。翻訳者は、インフォシークマルチ翻訳さん。この意味、理解できます? 僕には解りません。
 日本語が問題(状況不明の結構文字化けするので根気よくリトライが必要)を抱えつつもまあ通るだけマシなサービスではあるのだけれど、なんか、新しくいい機能がついたらしいが、何がそうなのかよく判らないという置いてけぼり感覚は辛い。ほんと、なにがあるか知りたいぞ。

 この点、PathFinederのココアテック社のページは親切だ。なんといっても、「日本語」というタブがあり、その中に上がってくる情報は、ちゃんと日本語の解るスタッフが担当していてくれるので、絶対解りやすい。また、メール窓口も、日本語専用の窓口で、専任担当者を置いている。

 ブロガーの提供する機能にはそこそこ満足しているけど、言葉の壁の面だけ、ココアテック社を見倣って、日本人にも優しくなってくれないかなぁ。
 
 

ニフコンで旧交を温めたぞ 

 アットニフティ・コンベンション通称ニフコンに行って来た。缶バッチマシンを担ぎ、シール企画用の機材を用意して。場所は、鬼怒川温泉ホテルニュー岡部。言わずと知れた岡部グループの巨大温泉ホテルの一つだ。

 11月1日、我々は、恵比寿駅ガーデンプレイス口に集合。神北と安達くん、竹内くんだ。今回はこのメンバーの他に、電車組で辻堂くんがいる。
 とりあえず出発。首都高に乗ってぐーるぐる振り回され、気がついたら東北道。なんか、どれだけ経っても、なんとなく頭に入ってきたりしない道路網だな、首都高って。特に、自分で能動的に走り回らない区間は全く解らない。知らないうちに増える新線がそれに輪をかけて経路を難解にしている。
 安達くんは、二日前に、アメリカ西海岸二泊三日出張強行軍の旅から帰って来たばかり。神北は、企画用の素材を徹夜で作り続けていて、一睡もしていない。毎度、コンベンション前というのはろくでもない状態なのである。
 渋滞に悩まされつつ、一路今市インターへ。今市市、知識としては、足利銀行の本支店リストでいつも眺めていた今市支店があることぐらいか。日光街道から、鬼怒川へ折れて行く道すがらだ。今市の市内は、三連休にあるらしいそば祭りの準備や、当日の迂回路を示す看板で、ちょっと賑やかになっている。しかし、なんだか、あまり駐車場が整っていそうな店がない。しかたなく市街を抜けて郊外に出ると、少しずつ駐車場を広く取った郊外型の外食産業。ラーメン屋やレストランとかが出てくる。ハンバーグ系の店が見つかったが、道の向こう。「しかたない、もちぃと走って何もなかったら引き合えしてあそこだ」と、最悪を想定した目星を付けて、少し前に進む。と、見つかりましたよ、ステーキのリーゼ。小さいながら味で客を集めているという風情のステーキハウスだ。ちっとも気取った店ではなく、どちらかと言うとステーキハウスというよりも、街道沿いの喫茶店の印象がある。
 神北と安達くんは、リーゼステーキのB(大きい方)、竹内くんはヒレカツ定食。ミディアムというには、若干まだ赤い部分が多く見えたが、安達くんのレアと比べると、神北のミディアムが確実に火の通りが良いのが見て取れる。しかし、安達くんのも、けして生焼けではなく、ちゃんと火が通ったレアステーキだったそうだ。竹内くんのヒレカツも、コートレット(カツレツ)と呼ぶべきではないかというぐらい、ちゃんとしており、シェフが真面目な上に、いいウデをしていることが、我々クラスの経験でもヒシヒシと感じられる。ぐぐってみたが、特に、載っているページはないけれど、かなり当たりの店だった。今市ICから鬼怒川に向かって走る道の左側。ぜひ通りかかったら寄ってみて欲しい。
 さて、腹ごしらえをした我々は鬼怒川温泉街のホテルを目指した。ホテルニュー岡部。我々が夏に日本SF大会T-con 2003を開催した時の会場、ホテルニュー塩原と同じく、岡部グルーブに属するホテルだ。今回は全く使わなかったので、新館の様子はよく解らないが、本館は、ニュー塩原の西館に酷似。同時期に、同一設計事務所の設計で、同じ工務店が施工にあたったのではなかろうか。初めてのホテルであるのに関わらず。古巣に帰って来たような安心感。
 受付に行くと、FMAUG(Macintoshアップル・ユーザー・グルーブ)の松木ゼネラルマネージャーがいる。別働隊の辻堂くんも来ている。パパっと登録を済ませ、部屋に荷物を入れる。部屋の作りは、一部畳敷き+ベッドが二つ。ニュー塩原の西館に酷似。その後、メインの企画会場『きぬ(鬼怒)』を視察。かなり広めの部屋で、ニュー塩原で言えば『梅1-3』みたいな感じかな。三分の二を畳敷き大広間にし、残りの一部を下足履きの絨毯仕様にして使っている。
 メイン会場のすぐ隣が大浴場なので、当然、入る。まず笑ったのが、大浴槽の半円形の作り。ニュー塩原の西館に酷似。ただし、ニュー塩原の西館の大浴場は完全に地下だったが、ここの風呂は、一階なので、日が差す。明るいイメージも気持ちいい。
 その後で松木さんに教えてもらった本部を訪ねると、ニフコンの中核になって動いているアクティブなフォーラムマネージャーたちが、わんさと居る。クマゾーこと諫山くんに「ぬわにぃぃ〜、俺達が機能から準備に入っていてまだ一度も行ってない風呂に、もう入ったダトぉー!」とのお言葉をちょうだいする。だって温泉旅館なんだもん! ここに居るのは殆どが、その昔、神北がニフティFSF(SFファンタジー・フォーラム)でフォーラムマネージャーをしていた頃からの仲間と、その後、ニフコンの立ち上げ期にスタッフとして走り回っていた時に知り合った人たち。みなさん、自分のフォーラムを率いて、人の輪の中心に居る人たちだ。こういう社交性がコンベンションのスタッフに向いているのかもしれない。中には、山本“酔うぞ”さんのように、第二回大会TOKONから参加して居ると言う、旧い古いSFファンも混じっている。
 そして、一番、会いたかった人が居た。最初の熱海ニューフジヤホテルのニフコン以来、ずーっとニフコンと会場の橋渡しをしていただいている、そして、T-con 2003でも大変お世話になった、日本旅行の森川さんだ。
 気持ちよく仕事に入れそうな雰囲気。とりあえず、機材を運び、シール屋の準備をする。シール企画と、平行して、缶バッヂマシーンもセッティング。ところがおおっと。大会以降、マトモに使っていなかった女房のバイオが、やたらと新しいパッチを要求。そういや、Winって夏以降、嫌ってほど゜ウィルス喰らって、大変だったんだよなぁ。しかたが無いので、全部やらせる。その間にメシだ。

 ニフコンの夕食と言えば、立食パーティ。我々は、パーティ会場の舞台から遠い方に場所を取る。森川さんもそこに来る。前は当然、脇も、一応何人かのスタッフがいるようなので、司会者から一番遠い所ですぐ動けるように場所を取る。(と同時に、体を常に空けておく為に、つまらん用をヒョイと言いつけられない位置に身を置くのだ。)
 いつものように長い長い、何をしにここに集まっているのか忘れてしまうほど長い、富士通・ニフティ関係者の挨拶があり、実行委員長(といっても、伝統的に事務局長が実動部隊のトップをとるニフコンでは、日本SF大会の名誉実行委員長や、ゲスト・オブ・オナーの意味合いに近い)の西尾さんの音頭で、乾杯。
 わりと量があり、刺身、中華、しゃぶしゃぶ、ステーキ、等々、等々。バリエーションもかなりある。そう言う所で、酒のつまみ的に取らずに、まず、ご飯とみそ汁を確保してから、おかずを取って回る我々の食し方もどうかと思うが……。
 さすがに、徹夜明けのままでずっと動いているので、おなかの皮が突っ張ると眠くてかなわん。腹がクチたところで、パーティーを早抜けし、一度部屋に寝に行く。が、寝ずに何となく話をしてしまう。
 結局、不眠のまま仕事を開始。とはいえ、夏のSF大会の時のようなちゃんとした台紙は無いし、実行委員会もシール企画を強く進めていなかったので、客側に、交換をするシールという感覚がない。何をやっているのやら、周りからではよく判らない。
 しかたないので、マワリのイベントを見ては、そこ向きのシールを作り渡して行く、コレクターズフォーラムのトマト味の炭酸ドリンクを飲んだ人のシールとか、缶コーヒー呑み比べ企画のシールとかを、竹内くんがいろいろ作る。
 神北は、Illustratorを立ち上げ、追加用の缶バッチのデザインを作る。『デンキネコ』の中村犬蔵さんにも、デンキネコ缶バッチを作って貰う。デンキネコも、『デンキネコ 日本列島改造計画』を経て、ファンムービーの枠を超えようとしている。が、犬蔵さんは、ちっとも変わらず、気さくで、面白いこと大好きなデザイナーというポジションを崩さない。いい人だ。
 竹内くんが、我々秘蔵のデータ集の中から引っ張りだした岡部グループのマークをシールに。これは、ニュー岡部の副支配人に差し上げた。
 そうこうしているうちに、神北は、『きぬ』の間の入り口の柱の陰に、星飛雄馬を見守る明子姉ちゃんのように佇む人影を発見!飯沼さんだ!
わーっと駆け寄るT-con 2003スタッフ残党。走りよる人影にビビる飯沼さんを一瞬にして包囲。こういう時の行動は、速い。
 「いやー、森川さんを通して入ったコンベンションということで、誰か来てるかもと思って、東京から塩原に戻る途中で、チョっと寄ったんですよ……」読んでますねあなた。我々の行動を。しかし、鬼怒川って、東京から塩原への移動中にチョット寄れる所じゃあない。わざわざ何十キロという遠回りのコースを回っていただいたのだ。有り難いなぁ。
 ネット上に上がった夏のSF大会の数々の私的レポートの中で、男泣きに泣き崩れる飯沼さんの写真があちこちにあるのが親戚に知られて、何やってるんだと聞かれたとか、いろいろと、いい話を聞く。また、来年のGコンの参加も考えておられるようで、こっちも楽しみ。
 この後、23時頃になってイベント自体がまったりタイムに突入し、ほとんどの常設企画が開店休業状態に陥ると、ドライバーの安達くんが、まっ先にダウンした。コンピュータの前を離れても良くなった神北と竹内くんは、隣で始まったFPDA(PDAフォーラム)のPDAよろず相談オフに出て、約三人の有志が持って来た20台を上回るPDAを眺めつつ、あーでもないこーでもない。これの使用感がどうだ、アレの使用感がどうだという話をする。やはり、誰も、リナザウのPIMは面倒くさいのでまともに使っていないらしいということが解り、ホッとする。
 夜半過ぎに、まあ、いいだろうということで、とりあえず撤収。その後、デンキネコ上映会へ。
 しかし、さすがに36時間以上動いていて、もうタマラんくなってきた。新作デンキネコが見たかったが、あきらめて部屋へ。
 バタンキューで寝入ったっきり、朝、六時ぐらいまで熟睡、いや爆睡。ハッと目が覚めると、山を朝日が照らし始めている。同じ栃木県内で、山自体が地質的に似ているせいなのかも知れないが、この景色もニュー塩原の西館に酷似。朝食までにはまだ間があるので、まずは朝風呂。西尾実行委員長といっしょになる。夜中にも一度風呂に来たと言う。露天に出ると、寒くはないがいい頃加減の風で気持ちいい。
 朝食はなんと座敷。その向こうの方でオークションも開催されている。のほーっとした、まったり感がいい。
 部屋に戻り、少し休憩してから荷造り。実行委員会本部に顔を出して、挨拶。森川さんとは、今月あるT-con 2003塩原打ち上げでまた会いましょうと約して、帰途についた。
 かくして、我々のニフコンは終わりを告げた。次があったら、またみなさんにお会いしたいものだが、今やコミュニティー文化の中心は、ニフティー内のフォーラムではなく、完全にその外にあるBBS等に移っている。ただ、会員を限定しないこうしたBBSでは、こういう濃い仲間意識は育ちにくいと思われる。次のニフコンはどうなのだろうか……。

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