自然に潜む妖怪と市井に住む妖怪
(2001.7.21補筆訂正)
日本に住む妖怪というものは、その多くが自然と一体化しております。
もともと、土着信仰の対象であった精霊や土地神などが信仰を失い妖怪に変化したケースなどは、自然と密接に関係しているからと解説できます。
その他にも、文明が稚拙であった時代の闇への畏怖などが、妖怪の原点であると考えれば、妖怪が自然と一体化するのは当然のようにも思えます。
人間の見えないものへの恐怖心が結実した物が、妖怪であると考えれば、この説明は素直に頷いていただけるのではないでしょうか。
しかし、都市にも妖怪伝承は多数あると言う現実は、どう受け止めればいいのでしょう。
古の都大路には百鬼夜行が練り歩きました。当時の大都会です。
近代では口裂け女が、夜の路地裏を闊歩しました。まさに人間の生活圏の只中ですね。
そして、妖怪の爛熟期とでも言うべき江戸時代には、風呂場や軒下に妖怪が潜み、人々の暮らしに密着しておりました。
こう言った妖怪たちは、人の心の闇の部分、恐怖渇望が生んだ妖怪たちと考えれば、その素性がわかりやすいでしょう。
ある意味、光が生んだ闇といえるかもしれません。そう、光は必ず闇を生むことを忘れてはいけません。
原始には自然と闇は一体でした。
ところが、文明が灯りを産み、その灯りが新たな闇を生活空間の中に作ったのですから、人間は自分で闇を恐れるあまり、新しい闇を出現させてしまった様なものですね。
そして、その新しい闇に、新しい妖怪たちを創造していったのです。人工の闇に潜む妖怪だから、都市空間に生息しているわけです。
かくなる理由で、前述の妖怪たちは、人間の生活に寄生していたのです。
一方、古来から自然に住まう妖怪は、名前を幾度か変えることはあっても、基本的に伝承、伝説という形で人々の意識の中に生き続けました。
新たに創造された妖怪と違い、これらの妖怪は、かつては信仰の対象でもあったものが殆どです。
冒頭で触れたとおり、これが零落して妖怪化した古代の神なのです。
柳田國男先生の論でも御馴染みのシチュエーションですね。
こう言った側面を踏まえておくと、妖怪も多岐にわたって存在している事実に気付きます。
その代表が、寺社仏閣城郭などに住まう妖怪です。
日本の妖怪の多様性を論じるのにとっても重要な役目を果たす妖怪たちです。
妖怪は、恐れるだけの存在ではなく、実はその存在を信じることが、民族の大きなストレス浄化に役立っていたかもしれないという推論を導き出すのです。
ちょっと考えてみましょう。
信仰や力の象徴である場所に、妖怪変化が住まう。これは、日本人の感性が、実は権力的な存在に対し、常に内面的反抗心を抱きつづけたことの証左かも知れないのです。
かつて、宗教は国家権力にとって重要な存在でした、民衆の心理的操作に、宗教が最適なのは現在でも変わりありません。
その反面、そう言った宗教と権力の癒着は人心に大きな不満を生みます。
これを、妖怪という一種のガス抜き弁を使って、嘲笑するという感覚が、古くから日本の民衆には存在したのかもしれませんね。
江戸期に大流行した浮世絵の妖怪画、そこに描かれていたのは、体制批判であり、金満政治への揶揄でした。
案外、現代でも、政治家を妖怪にたとえるあたりに、この歴史的心理システムが生き残っているのかもしれませんね。
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