昔、NHKが戦後50年に「その時、日本は」という一連のドキュメンタリーを放映したことがありました。その第4回目が「チッソ・水俣工場技術者たちの告白」という水俣に関する内容だったのですが、これは、当時、チッソに勤めていた技術者たちが、何を考え、何を選択してきたのかが、彼ら自身の口から語られたものでした。
作品の出来については言及しませんが、この番組を見て私が感じたのは、「なぜ、水俣の悲劇が止められなかったのか」ということでした。水俣病の原因が、チッソの工場廃液にあるということは、病気発生の当初から、技術者たちにも感じられてはいたのです。それが、何度も何度も立証されそうになりながら時期を失い、チッソという企業を始めとして、それを否定したい人々の強い気持ちに押しつぶされて、有機水銀は流され続けました。
どうして、なぜもっと早く真実を立証できなかったのか、と言ってしまうのは簡単ですが、私は彼らの証言を聞きながら考えていました。
はたして、自分だったらどうしただろうか?
たった一人で、工場や上司や同僚、近隣の人々、家族の安全、社会全体の希望や時代の流れにも逆らって、声をあげることができただろうか?
もちろん、こう言ったからと言って、技術者たちをかばうつもりはありません。声を上げた人もいたのです。また、声をあげざるを得なかった、命を危険に曝された漁民たちがいました。それを考えれば、真実に迫っていた科学者たちの立場と責任は、擁護できるものではないでしょう。
それでも私は、自分に立ち返るのです。私はきっと、あの時代、あの場にいたら、一人で声をあげることはできなかったのではないのか。間違いなく声をあげることができた、と言い切る自信は私にはありません。たとえ、何度か声をあげてみるくらいはできたとしても、人々を説得できるところまで持続できたかどうか。
水俣病、薬害エイズ、イラク爆撃、たくさんの「人の手による悲劇」があります。そして、それを喰い止められるターニングポイント、ここで止めなければ、という時点も、歴史の中には数限りなくあります。人の手による悲劇であれば、どこかに止められる方法もあるはずなのですから。その時、どうして止められなかったのか。どうやれば止められたのか。それを検証した時、それは一人一人の気持ちに帰結するのだ、と私は思ったのです。
王様が裸だ、と最初に声に出して言うのは、勇気のいることです。人間は弱い生き物です。それでも、声をあげなければならない時は、必ずある。誰だって、人の命を奪いたくなどなかったはず、進んで罪人になりたい人などいなかったはずです。それでも、選択を誤ってしまうことがある。それは、ただ一人だけの罪なのでしょうか? 私には、どうしても、そうは思えません。誰か一人だけが孤立するのではなく、本当の意味での隣人とのパートナーシップを築いていくことだけが、この問題を本当に解決する道なのではないでしょうか。
水俣病が発生した当時、時代は高度経済成長に向かって邁進していて、それに逆らうのは罪悪のように言われていました。今はどうでしょう? 時代が何かに向かって押し流され始めているという思いが、私には拭いきれません。この流れを止めるために、今、何をしなければいけないのか、真剣に考えなければならないと思っています。
工場排水の有害性についての隠ぺいを行なったチッソ本社や水俣工場、チッソ技術者たちの罪と責任は歴然としていますが、私は思うのです。彼らは、私の鏡である、と。真実から目を背けて、時代と共に「楽」に流れていこうとする時、私は彼らになっているかも知れません。