なぜ、いま「水俣・川崎展」なのか


 公害病の原点といわれる水俣病が、生命豊かな南九州の片隅で発見されたのは、経済白書が「もはや戦後ではない」と謳った1956年のことでした。その後、被害当事者の運動や様々な裁判、調査・研究によって、水俣病事件の全貌が少しずつ明らかにされてきました。高度経済成長を支えてきた日本型産業社会のあり方、近代における科学技術信仰、環境破壊や公害問題、地域の人間関係を分断し、人間の疎外を生み出す人権問題、そして今、水俣で進められる環境再生、地域再生の試みなど、それらのいくつかのメッセージは、直接の被害者でも加害者でもない、いまを生きる私たちにとっても、これからの社会を考える上で、たいへん示唆に富むものとなっています。

 ここ川崎の地も、水俣と同じく京浜工業地帯や大規模幹線道路をいくつも抱えた「公害のまち」でありました。公害への苦しみは、水俣と共通の体験であると同時に、異なる展開へつながりつつあります。幸区在住の水俣病患者・大村トミエさんは、患者さんの当事者としての運動に熱心に関わってきた方です。また、チッソの朝鮮進出と京浜工業地帯への強制連行という在日・韓国朝鮮人の歴史も重なるものもあります。そして、水俣を題材とした作品をいくつも残している画家・中村正義ゆかりの地でもあり、麻生区には中村正義美術館もあります。

 この水俣病事件についての貴重な資料や映像、講演会などをよって構成された「水俣展」は、1996年に東京で開催されて以来、全国各地で開催され、たいへん大きな反響を呼んでいます。環境ホルモンやダイオキシンなどによる新たな汚染や地球環境問題が深刻化している中、こうした川崎らしい固有の資源を活かしつつ、水俣病事件という貴重な体験を鏡として、あらためて私たちの暮らしを見つめ直し、これからを考えるために、ここ川崎の地で「水俣展」を開催します。

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