1
奇跡は起きた。
ティアの意識が消えた途端、天に黒雲が広がり間髪置かずに雷鳴が轟いた。
慌てふためく妖魔達の足下を電撃が大地を走り、その軌跡を追うように地割れが起こる。激しい雷雨と共に雹が降
り、風が吹き荒れる。
「何事だ…!」
カイムが呻いた。流石に魔王とて動揺の色は隠せない。すかさず身の周りに防御壁を張り巡らせたが、さしたる効
果はなかったようだ。
それはまさに天変地異の凄まじさであった。
「こ、これはいったい…よもや天使に手をかけた儂への怒りか…?」
ジェガンもまた天を仰いで唸りを上げたが、しかし地割れはもちろん雷さえも彼を襲いはしなかった。朽ちかけた
魔界樹の根がティアの遺骸共々護っていたからだ。失いつつある意識の中で、ジェガンは柔らかな光が周辺を包み、
そして…酷薄なる新王が何者かと対峙する様を見た、気がした。
地割れに落ち、雷に身を打たれて、妖魔達が断末魔の悲鳴を上げる。
まさに世界の終焉だった。
2
何処をどう彷徨ったのか。傷つき、老いさばらえ、異形と変わり果ててなお、ジェガンは無意識のうちに離宮へ、
最愛の人を失った塔へと足を運んでいた。何かしらの牙を生やした骨が軽い音をたて崩れる。生きる者はもはやな
い。大地は割れ、暗雲が立ち込める…。
天界、魔界とも混沌の世界へと変貌を遂げた。
狡猾な策略で魔界を、ひいては天界をも支配しようとした魔界の新王カイム。その手に運命を弄ばれた義弟ゼルと
聖天使ティア。その悲恋が死をもって幕を下ろした時、大崩壊は始まったのである。
二人の亡骸はどうしたのだろう。記憶が定かでない。逡巡のうちに塔は、足元に転がり、ジェガンを迎入れた。堅
固な城や魔法に守られたはずのその場所さえ、大崩壊を逃れることは適わなかった。至る所石柱は崩れ、煙が立ち
昇る。既に官吏も侍女も、妖魔の姿さえない。
「マヤ…様…。」
寝室に飾られたマヤ姫の肖像画。そこがジェガンの目指した場所だった。終に適わなかった姫への想い。そして彼
女の唯一の子、ゼルとゼルの思い人ティアを守れなかった慙愧の念。すべてを抱え朽ちていこうとしたのだ。
辿り着いた寝室で、奇跡的に肖像画は戦禍を免れていた。崩れた壁にもたれ、少女のような魔王の寵姫が寂しそう
に微笑んでいた。憔悴したジェガンの手が額に触れる。
(愚かな…なぜ真実を貫こうとした者だけが逝き、偽りと罪にまみれた私だけが生き残るのか…)
油絵の上層がはらはらと剥がれると、マヤ姫の肖像画はまったく別の姿を見せた。
「…な、にぃっ!」
その翼は漆黒から純白へと変わった。
「どういうことだ!? まさかマヤ様が天使だったと? それでは先王は…ゼル様に先んじて、禁を破っていた、
というのか? 魔族と、天使が、愛し合っていたと…?」
一筋の光が、ジェガンとマヤの肖像を照らした。
霞む目を凝らし、天を仰ぐ。意識を失う前に目にしたのと同じ光。
はたしてそこには雄々しい白翼を携えた天使長、ミカエルの姿が、あった。そして、もうひとり。ジェガンが生涯
唯一愛した女性が佇んでいた。
「あ、あ…あなたは…。また、御会い出来るとは…」
彼女は微笑んでいる。
(ジェガン)
そしてまばゆき白翼を持つ者は、言葉を使わず黒翼の老兵に語りかけた。
「ええ、…判ります。今となってはじめて…。私如き呪われし者でも、宜しければお供いたしますぞ…」
ジェガンもまた光に包まれる。老兵の顔から、初めて苦渋の痕が消えた。
最終話「楽園の扉」 へ続く
2003.5.18(日) UP
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