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『 仄 暗 い 森 で 』 前 編 |
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/構成・文:J I N/挿絵:nirvana様 |
1
何時からそこに居たのだろう・・・。
気付いた時には、彼女はその暗鬱とした森の中に独り、佇んでいた。
仰いでも、空は見えない。枝葉が覆い尽くしているのか、闇が全てを呑み込んでしまっている。
昼か、夜か。いやはたしてその区別もあるのかどうか判らぬまま、彼女は己が身体を、温もりを
奪うが如くまとわり付く薄霧の中に漂わせていた。
小動物の気配もなく、鳥のさえずりも、虫達の鳴き声さえ聞こえない。
抜けるような白い肌に露で黒髪が張り付いてくる。蔦の如くからまるそれに少しだけ苛立ち、
彼女はしなやかな指ではらった。一瞬、腰をも覆う漆黒の髪は大きく広がり、黒曜石のような光
を振りまいた。
美しく整った顔にもひと房の髪が掛かり、その奥の伏せがちの黒い瞳と相まって彼女をより神秘
的に見せていた。
肩のはだけた薄紫の麻布の衣は均整のとれた肢体を包み、金のセルクルが鈍く輝いている。
彼女の名はヘレナ=ヴォード。
ついさっきまで、ヘレナは神秘の谷で彼女を慕う少女と時を過ごしていた。そんな朧げな記憶が
あった。しかし、そのどれもが、思い出そうとすればするほど頼りなく、不確かなものに変わっ
てしまう。
あれは、あの少女との穏やかな日々は幻だったのか。それとも今いるこの暗い世界が。染み付く
汚れのように消せぬ忌わしい過去。それこそがこの森だとしたら。
ヘレナには判らなかった。
信じられるのはここにある己の身体、それのみ。
彼女は歩き出す。ゆっくりと、森の中を、ぬかるむ地を。
意思とは別に、何かが、まるで身体自身が自らの存在の答えを見い出そうといているかのように。
そして。
それを見つめる影がひとつ。仄暗い森に紛れていった。
2
凛。
空気が震え、暗い森の奥で僅かだが生きるものの気配がする。ヘレナが振り向くとその気配
は闇の中に吸い込まれるように消える。何かの意思、であろうか。彼女は心を静め、目で追う
ことをやめた。
「・・・。」
暗闇に、間違い無く意思は存在する。それは徐々に形を成し、小さな音を、微かな笑い声をあ
げ始めた。
「・・ふふふ。見つかっちゃった? お姉ちゃん」
まだあどけない少年の声だ。
「ここだよ。」
声は、果てなく見えたこの森の、壁にも値する巨木から聞こえた。おそらくは最も老いた大樹
であろう。闇と霧に遮られ、幅も、高さも確認は出来ない。どれほど歩いたか。どうやらこの
巨大な老木がこの森の中心らしいと、彼女の勘が告げていた。
その7〜8メートルの高さにある枝-おそらくは一番低い-に少年は腰掛けていた。蝋で出来て
いるかのような病的に白い肌。それを覆っているのは薄絹一枚で作られた衣だけである。色の
薄い亜麻色の髪は肩で切りそろえられ、幼さこそ残るものの、端正な顔だちは少女の人形を思
わせた。
二人の視線が絡み合う。
(あの、瞳は・・・。)
一瞬。ヘレナは少年の漆黒の瞳の奥に、何故か懐かしいものを感じた。同時に生じる違和感。
それが何なのか、朦朧とする意識では掴むことすら出来ない。
ゆっくりと、美しい人形の唇が開いた・・・・。
3
「お姉ちゃんは何が欲しいの? 何処へ行くつもりだい?」
高く、澄んだ声が枝の上から届く。どこか、揶揄するような響きがある。
「あ、あなたは・・・。だれ? 何処って・・ここが何処なのか、あなたは知っているの?」
漸く、声を出せた。
「僕が誰かって? ふふ、だれだろう。そんなこと、僕にも判らない。お姉ちゃんだって自分
が誰だか、判らないんじゃない? ・・・この森では、どうでもいいこと。お姉ちゃんは、僕
に会う為、ここに来たんだ。それだけだよ。」
くすくすと笑い、少年は枝から飛び下りた。音は無い。足下も汚れた様子はない。
「さあ、おいでよ」
少年の言葉を否定する気が起こらない。ヘレナが自分から歩いたのか、気が付けば彼は目の前
に立っていた。
彼女の肩ほどしかない少年がすい、と背をのばす。美しく、冷酷な顔が息が掛かるほどに近付
く。目を背けることなどとうに出来なくなっていた。
「ふふふ、さあ・・・。」
「ん・・・」
冷たい唇がヘレナの唇に触れる。それは甘く優しく、そして邪悪な味がした。
「僕、欲しいんだ。お姉ちゃんを。お姉ちゃんの力、魂、命、お姉ちゃんの『すべて』を。」
かすれた声が耳もとで囁く。
近くで聞こえるその声は幼さは感じない。逆に老獪で醜悪な『何か』の不協和音のようだ。
触れる指先から、唇から、ヘレナは体温を奪われていくのを感じた。否、それは少年の言葉ど
おり、己の存在すべてをむしり取られるような感覚。
(どうしたんだろう・・・。思考が定まらない・・この、瞳のせい?・・駄・目・・。)
辺りの仄暗さは、明確な悪意の闇へと姿を変えていった。
4
へレナの首筋に添えられていた少年の細い指が頭部のセルクルに触れた、その刹那。
蛮!
「がああぁっ!」
雷鳴の如き光が瞬き、少年は中空に弾き飛ばされた。
同時に、へレナの意識も急速に覚醒していく。
「私は・・・。どうしてたんだ? ドグルの兵に追われ、ああ、アストリア様。お守り出来な
かった・・。エルモア内務大臣が裏切るなんて! 保身の為に秘密の通路を案内して・・・よ
くも、よくも!」
己が内と外の霞は鮮やかに晴れていった。沸き出す記憶の泉。だがそれは恐怖と苦渋と罪悪感
しか彼女にもたらさなかった。
「刃向かった私と・・・ラノーヴ軍務大臣が斬り付けられて・・・。占い婆のドーラ? 父上
と共に一度会ったことが・・・彼女の術で助けてもらったんだわ。そう、彼女が、このセルク
ルを・・・なに?」
いまだ鈍く光るセルクルを外すとそれはしなやかに伸び、一振りのレイピア(細剣)に姿を変
えた。戦士としての記憶が無意識の内に彼女にそれを構えさせる。対峙するかりそめの天使は、
まだ宙に在る。
「ぐぬううぅ・・・その金冠は・・おのれ、よくも『我ら』が呪縛を・・!」
呪詛を吐く声は嗄れ、ひきつれ醜く歪んだ顔は悪鬼のそれであった。
「私には、まだ戦わなければならない業があるというのか・・・。」
へレナは呟いた。黒き瞳には淀みはない。意を決し、異形と化した少年をねめつける。
否、それより先の何かを。
5
「思い出したわ・・・私はヘレナ。王宮警護に携わるヴォード家の娘、アストリア様の侍女、
セプティオ皇子の乳姉弟。そして、敗退したアビスの戦士。・・記憶をなくしたんじゃない。
思い出したくなかっただけ、だったのね。マーシャ様の厚意に甘えて。
あなたも、いえ『あなたたち』も判るわ。亜麻色の髪、白い肌、その『力』。フィーレンに
所縁在る者ね。でも、もっと強大な。もっと禍々しい・・・。」
己の惨い境遇を語る顔にも迷いや後悔はない。逆に彼女を飲み込もうとした少年の顔に苦渋
と焦燥の色が滲む。
「ふっ、『我ら』が判る、だと? 愚かしい! お前のような小娘に我ら『選ばれし一族』の
何が判るというのだ!」野太い声が吠える。
「選ばれし、一族・・・」
噛みしめるように、へレナが呟く。
「そうよ」
けけ、と老いさばらえた声で少年が笑った。
「わしら一族はお前なんぞの知らぬ時代、知らぬ世界に・・・そうとも、何故知ることが出来
よう! 知らぬ次元に生を営んでおった。」
「私達はその次元で他の種族にはない、素晴らしい『力』を持ち、独自の文化を培い、孤高な
れども世の栄華を誇っていたわ」
「まっこと、素晴らしいちからじゃぞえ」声色は二転、三転していく。
「手を使わずとも岩を持ち上げ、砕き、口を使わずとも言葉を交わせるのじゃ。ある者は瞬時
にして万里を走り、ある者は過去や未来をも垣間見ることさえできたわい」
陶酔した表情で言葉を紡ぐ。もはやそれはへレナに話しているのではない。それでも彼女は聞
かずにはいられなかった。
闇が闇を呼び、集う。それ以上、闇が深まることはないというのに。
あとがきの前払い。
またまたどもです。
数少ない貴重な読者様のリクエストにお応えして書き始めた、『幼き反逆者外伝2』です。今回はヘレナが出
ずっぱり。彼女は本編の最初と最後に出てしかも転職までしてるという不遇なキャラ。この後はどうなるか?
掲示板に少し続きがありますので、まとまったらまたアップします。
挿絵はnirvana様から頂きました。実は描き直しまでして頂いてる素晴らしい絵があるのですが、こちらは後
編で使わせて頂きます。感想御指摘など頂ければ幸いです。どぞ、よろしく(^^)。
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