ゲスト・ノベルズ。 

 女 養 護 教 諭
 安 芸 原 素 子 ( 特 別 編 )

作:☆ 咲 耶 /構成:J I N

 1

 急いで帰ろうとして、かえって失敗してしまったようだ。

 都心での研修会議は午前中で終わり、高速を飛ばして保健室に戻ればもうひと仕事で

きる、と珍しく勤労意欲なんか持ったのがまちがいだった。

 私のインテグラは何キロも続く渋滞にすっかり飲み込まれ、今さらぬけだそうにも車

線変更もままならない。これだから四輪はきらいなんだ、やっぱりバイクで出かけりゃ

よかったと悪態ついても聞いてくれる同乗者もいない。

学校に帰りついたら、「会議の時くらいスカートはいていけ」と半ば命令した校長に思

いきり嫌みをいってやる。

 校長が帰宅してしまう前に帰りつけたら、の話だが。たぶん無理だろう。

 外気を通さずにエアコンをまわしていても、西日が容赦なく車内に侵入してくる。も

うそんな時間になってしまっているのだ。

 先行車のへたくそなブレーキ操作をいらいらと見ていた時、何かが視野の端をかすめ

てきらりと光った。

 はっとして顔をあげる。高速道路は現地点でゆるやかにカーブしているので、私のめ

ざす近郊住宅地は車の左前方、ちょうど今なにかが光った方向にぼんやりかすんで見え

ている。

 背筋にぞくりと悪寒が走った。何の根拠もなく、光源が私の勤務する高校にあるよう

な気がしたのだ。もともと予感だの虫の知らせだの全然縁の無い人間のはずだったのに、

変な男子生徒とか猫っぽい女子生徒とか人間っぽい猫なんかとかかわっている間に体質

が変化してしまったらしい。

 唐突に、高校の保健室のことがひどく気になってきた。部屋には施錠してきたから、

出入りができるのは猫のナベシマくらいのはずなのだが、今、あの部屋のあたりでとん

でもないことが起きているのではないかと、ふと思う。

 これではまるで自分が霊感でも持っているみたいじゃないか。とんでもない。巫女兼

務の養護教諭なんて漫画のネタにしても古すぎる。

 先行車がずるずると前進したので、頭を振ってアクセルを踏んだ。その時また、同じ

方向から光が見えた。今度は色まではっきりわかった。気味の悪い赤色だ。一酸化炭素

中毒患者の血のような。おまけに、猫の鳴き声まで聞こえた。最悪だ。渋滞のストレス

で神経がいかれかかったいるのか、そうでなければ私はまた、ナベシマとシンクロしか

かっているのかもしれない。

 この身動きとれない状況で、いったいどうしろというのだ。

 2

 目をあけたまま夢をみている気分だった。前方をとろとろ動くワゴンRに二重露光の

フィルムのように重なって、古ぼけた部室の情景がみえる。先行車の運転席には、助手

席の女の子に気を使いながら慣れないハンドルを握っている学生がいて、その同じあた

りに見なれない制服の男子生徒が三人、こっちを向いてわめいている。私のすぐ横、助

手席においた書類かばんをつきぬけるかたちで、ごつごつした男子生徒が背中を向けて

立っている。私もどうやらふつうに部室にいることになっているようで、歩いたりしゃ

べったりしているのがちゃんとわかる。目をつぶってしまえば、雑音が消えて「あっち

側」に何の違和感もなく同調できるのだろう。

 しかし、私の両手両足の感覚は、ハンドルを離すな、ブレーキペダルを踏みはずすな、

と警告してきていた。いくら渋滞中でも白日夢にひたっていては事故をおこしてしまう。

両脇を大型トレーラーと4WDに挟まれて身動きとれないのは相変わらずだが、すぐ後

ろにいる派手なペインティングのスカイラインは、いらいらとエンジンの空ふかしを続

けている。自分が思うように前へ進めないのはすぐ前をふさいでいるインテグラ(=私)

だけのせいだと信じ込んでいる単細胞だ。

 後続車を刺激しないよう、ゆるゆると前進しているあいだにも、部室では男子生徒の

大立ち回りが続いていた。不思議なことに、連続パンチや俊敏な足技がスローモーショ

ンビデオを見るように楽々と目で追える。猫の動態視力を借りているせいかもしれない。

実体のある動きだけではない、「あっち側」で私の1/Oとなっているモノには、部屋に

満ちた邪悪なニオイも見えていた。気味の悪い人形から発せられるニオイは、さっき視

界を横切った光と同じ、いやな色をしていた。ねっとりとからみつくような邪気が男子

生徒の蹴りで一瞬け散らされた。そのすきに「あっち側」の私は生徒達を結界からひっ

ぱりだそうとした。が、次の瞬間には邪気は勢いをとりもどし、最後に残った男子生徒

にからみついた。

 「……くん!」思わず大声で叫んだその時、いきなり赤いかたまりがサイドミラー

につっこんできた。「こっち側」だ。私の右後方、少し前に進んだ4WDとのわずかな

隙間に無理矢理つっこんできたスカイライン。右車線の後続車が叫ぶようななブレーキ

音をたてて近づいてきた。
 3

 ゆっくりした事故だった。無茶な車線変更をこころみたスカイラインは、鼻先が私の

インテグラにつかえてもがいている。4WDの後ろにいたミキサー車はすでに前進を始

めていたから、いきなりブレーキをかけても停まれるわけがない。慣性の法則に従って、

巨大な質量がずん、とスカイラインに喰いこむ。ギリギリといやな音をたてて、変型し

た赤い鉄のかたまりがインテグラの脇腹に押しつけられてきた。いくらゆっくりした動

きでも逃げ場は無い。前も左側も他の車が立ちふさがっているのだ。トレーラーと鉄く

ずに挟まれて、もうひとつ人間いりの鉄くずが増えるだけだ。

 腹をくくって、アクセルを踏み込んだ。先行ワゴンRの後部座席は空だ。リアにちょ

っとだけこちらの頭をつっこめばプレスをまぬがれるかもしれない。しかし、状況を飲

み込めていない先行車のドライバーは、泡をくって急に前進した。これ以上あおったら

玉突き衝突をおこしかねない。しかたなくブレーキを踏み、助手席に体をずらしてかた

く目をつぶった。

 その時、次元がくるりと裏がえった。

 紙袋を裏返したように、時間と空間がくるりといれかわった感覚がして、私は紙袋の

底にこぼれたパンくずのように外側へほうり出された。

 すぐそばに汗臭い男子生徒と猫の姿をした少女の気配がした。少女がちらとこちらを

見てうなずいた気がした。また、がれきの山の上で声をはりあげている自分に完全にシ

ンクロした気もした。けれど、どちらも一瞬のことで、気がつくと私はまた別の紙袋に

とらえられ、元のとほとんど変わらない時空に吸い込まれていた。

 高速道路の真下の空き地に立っていた。頭上ではクラクションと怒号がうるさいくら

いにあふれている。「オンナガキエタ」とかいう声も聞こえたような気がする。サイレ

ンが近づいてくる。今度の私は手ぶらだったが服は身につけていた。けがもしていなか

った。バッグは中身の財布や免許証と一緒に車の中だろう。その程度のこと、命が助か

ったのに比べればどうということはない。

 見上げるとすでに日は沈み、そろりと風が吹き始めていた。なんだか、車やバッグと

一緒に昼間のイライラも放っぽってきたようなすっきりした気分になって、私はスーツ

の上着を脱ぎ、口笛をふきながら歩き出した。

 明日の朝、警察に行って車の盗難届けをだそう。会議中にキーを抜き忘れたちょっと

したすきに、荷物ごともってかれたとか何とか言ってやろう。

説明に少々無理があっても困ることはない、私には学校にいたという完璧なアリバイが

あり、何人もの証人がいるのだから。

 霊感原人やらバケネコとつきあうのも悪くはない。妙な世界に片足つっこんでしまっ

た以上、これを利用して楽しまない手はないだろう。
 
 行く先々でトラブるのが私の人生なのだから。
                                  ...おしまい

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 こちらの「特別編」は「紅い瞳の人形」のサイドストーリー的な意味合いで書いて頂いた作品です

(ちゃんと足代くんらしきものも出てくるし)。リレー小説のパラレル性を逆手にとった小気味良い

傑作です。


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