|
ゲスト・ |
女 養 護 教 諭 |
|
作:☆ 咲 耶 / 構成:J I N |
|
1
目当ての中華料理店は臨時休業だった。しかたなく入ったファミレスでは焼きビーフ
ンを頼んだだけなのに他の客が一回転する間待たされた。勘定を払うために財布を取り
だした頃には、フォークでかきまわしたコーヒーゼリーみたいな気分になっていた。う
かつだったが、ここで初めてバッグの中身がおかしいのにはっとした。
自宅の鍵がなくなっている。手をつっこんで探りまわされた気配だが、持ち出された
のは鍵だけか。バッグをロッカーから出したあと保健室を退出するまでの間にかと考え
始めて、教頭や天羽を疑っていることに気がついた。
自分が情けなかった。スペアキーは用意してあったが、ともかく保健室に戻って捜そ
う。盗みを疑うのはその後でいい。
店を出てみると、すっかり暗くなってしまっているうえにぽつぽつ雨まで降りだして
いた。かまわずタクトを走らせたが、雨足はどんどん強くなりそうな雲行きだった。
保健室へは裏門に続く通用口からならすぐだが、正門にまわって守衛室に寄って行っ
たのではかなり大回りだ。鍵のかかった校舎を通りぬけられなければ、校庭を横ぎる間
にずぶ濡れになってしまう。少し躊躇したが、結局裏門の側にバイクを停め、鉄製の門
扉をよじのぼって内側に飛び降りた。
ポケットにつっこんでいた仕事用の鍵束をとりだし、通用口を開けた。意外なほど大
きく耳ざわりな音がしたが、それにかぶさって鋭い女の悲鳴が聞こえた。近い。廊下が
あるはずの暗闇に飛びこみ、声のしたあたりに腕をのばして振りまわす。細い竿のよう
なものに手が触れたので、そのままつかんで引きよせた。女の手首だ。
「誰なの?」
「先生。安芸原先生!」
制服の少女がしがみついてきた。
「篠崎さん?こんな時間に何を…」
「怖いの。追って来るの。誰かわからないの。保健室出てからずっと見はられてるの。」
「お家の人は。」
「家、きょう、誰もいない。」
通用口からわずかにさしこむ光に少女の顔が照らされた。こんな場所でひとり泣いて
いたというのか。
2
篠崎まりんの肩をだき、廊下の奥を見渡した。人影らしきものは見あたらなかった。
声を低くして問いかけた。
「あなた、何をしたの?」
「ぬいぐるみを持ってきただけ。教室にちょんと置いてあったの。かわいかったし、
誰も見てないからいいや、と思って。」
そういうのはれっきとした犯罪だと言ってやりたかった。ともかく、暗い廊下で立っ
たまま聞ける話ではない。普段の習慣で、はじから二番目にある保健室のドアにむかう。
ドアノブに手をかけてどきりとした。鍵がかかっていない。
いきなりノブが内側からぐるっと回され、ドアが私をはじくように開いた。部屋から
つき出された手が、まりんの制服をつかみ、中へひきずりこむ。
廊下に悲鳴がひびいた。
「何すんのさ!」
追いすがってバッグを振り上げ、相手の腕にがんがん打ちつけた。マグネット式のふ
たが開いて財布や携帯電話がばらばらこぼれ落ちた。軽くなったバッグを投げ捨ててま
りんの体を抱きよせ、同時にパンプスのヒールを前に向けてまっすぐに蹴った。鈍い手
ごたえがあって、情けない声があがった。
「おめぇが、なんで来るんだよぉ。」
ほんの数時間前に聞いた声だ。部屋の天井灯がぱっとともった。一瞬目がくらんだが、
すぐにあたりの惨状が見分けられるようになった。
はじめは保健室が空き巣ねらいに荒らされたのかと思った。戸棚という戸棚、引出し
という引出しが開けっぱなしで、中身は床一面にぶちまけられている。ベッドのリネン
さえぶすぶすと刃物をつきたてられたらしく、はみだした綿が臓腑のようにだらりとた
れさがっていた。
空き巣の仕業でないことはすぐにわかった。犯人とおぼしき男達が部屋にいて、全員
が私とまりんをみつめている。全部で四人。目の前で腹を押さえてかがみこんでいる海
賊旗、織田。背後で電灯のスイッチを押したトサカ頭、木下。ドアを開けたのもこいつ
だろう。三人めはデスクの脇に立っていた。この学校の制服を着てサングラスをかけて
いるのがどうにも不釣りあいだ。
生徒にしては見慣れない顔。年齢も二十歳近いのではないか。
サングラスの少し前、私の事務用いすに四人めが腰かけていた。生成の麻スーツに紫
紺のシャツ、濃い紅色のネクタイ。いすの上で組んだ長い足の先には黒い革靴がつやや
かな光沢を放っている。ムースをつけて無造作にかきあげた栗色の髪がひとすじ額にか
かっている。まりんの口から場違いなため息がもれた。めったに見かけぬ美青年だ。一
度会えば忘れようがない。
サングラスが私達の後ろに向かってあごをしゃくった。木下があわててドアを閉めた。
通用口からもれ聞こえていた強い雨の音がふいに消えた。
スーツの美青年が口角をきゅっとあげて笑った。目だけは瞬きもせず、私の顔をひた
と見すえていた。背中に冷たい汗が流れて肌が粟だつのがわかった。
「どこかでお見かけした方ですなあ。さて、どちらでしたか。」
「ひょっとしたら、飛賀 瞬平くんかしら。大きくなったわね。」
耳触りな嘲笑があがった。
「こんどの秋で二十です。まだしばらくは少年Aってことで。」
「高校はちゃんと卒業できたの。」
「三年の夏頃からいろいろありましてねえ。あの辺の監察に妙に仕事熱心な女医さん
がいたでしょ。傷ひとつない仏さんの腹わざわざかっさばいて知らんでもいいことを知
りたがる、はた迷惑な話ですわ。おかげで私もクニに居り辛うなってしまった。」
「自業自得よ。」
「相変わらず口の減らんことや。会いたかったでぇ、ドクター安芸原。」
飛賀の作り笑顔が消えて、両眼の奥から蛇の本性がのぞいた。
3
ちっとも嬉しくない再会のあいさつをかわしながら、私はまりんを背中にまわして
じりじりと後退した。右手に木下と出入口。左手に織田。その奥に飛賀とサングラス。
ベッド、ブラインドのおりた窓、他に出口は無し。
さっきからひとつの疑問が頭を離れない。目の前にいる奴は歳は若くても本物の人殺
しだ。その気になってから躊躇するような手合ではない。私を恨んで仕組んだ罠だとし
たら、部屋に飛びこんだ時点で始末されちまったはずではないのか。それとも。
「お仕事、うまくいってるの。部下が無能だから大変そうね。」
カマをかけてみた。案の定、織田と木下がびくっとして、不安そうに飛賀の様子をう
かがった。飛賀自身は顔色をかえなかったが、デスクにころがっていた身体測定用の巻
き尺を拾い上げ、紐部分の強度を試すように引っ張ってぴしっと音をさせた。
「余裕のおせっかいやの、この状況で。バックがついとる思ってなめとんのか。」
ああ、そういうことか。事態はこいつの計画通りにころんだわけでもないのだ。頭の
中でいくつかの情報がリンクした。
飛賀はおそらくここの生徒を使って以前と同じ稼業を始めていたのだろう。学校を隠れ
蓑にした闇ルートの運び屋だ。
今朝、熊のぬいぐるみをまりんが教室で取り込んだ。ぬいぐるみには受け渡しされる
はずのモノが隠してあった。
仕事の邪魔をされた織田たちは、まりんを追いかけた。
まりんが保健室に逃げこみ、私がかばったことで飛賀にマークされた。
校門の外で真悟と話していたのも、たぶん見られていたのだろう。飛賀は私が真悟の
指示で動いていると疑った。
織田たちは同級のまりんの家が今晩留守なのを知っていた。そこで真悟や私を出しぬ
くつもりで、まりんを学校に閉じこめ今夜のうちにけりをつけようとしたのだろう。
私が戻ってきたのは彼らにとって誤算だったのだ。だからとっさの判断を迷い、今は
私の目的を探ろうとして凄んでみせているのだ。
それならハッタリをとおしてやればいい。私は背筋をのばして立ち、のんびりした風
情で微笑んでみせた。
「そんなにカリカリしなくても、今すぐ誰かが押し入って来るわけじゃないのよ。」
今すぐどころか、一晩待っても真悟は来ない。足がかりをはずしたのはこの私だ。そ
んなことはもちろん、おくびにも出さない。
「でも、早く捜しモノをみつけてトンズラしなきゃまずいかもねぇ。商品をなくして
ゴメンナサイですむようなお客ならいいけどねぇ。」
思わせぶりなせりふに雑魚二人がそわそわし始めた。飛賀は足元に落ちていた私の携
帯電話を蹴飛ばした。電話機は横方向にころがって、ピンク色のゴミにぶつかって止ま
った。ゴミにみえたのは切り刻まれた熊のぬいぐるみだった。
「悪いわね。熊さんの持ち物は私がこの子から預かってるの。」
まりんが身じろぎした。大丈夫まかせて、と言う代わりに指でOKのサインを作って
ちょっと振ってみせた。
「もっとも、私達をタマネギみたいに剥いてもなんにも出てこないんだけどね。」
今度はまりんもこくこくと首を縦に振った。モノを身につけていないのは本当のこと
なのだろう。
「ざけやがって。」
顔を真っ赤にした織田がポケットからカッターナイフを抜きだした。ダンボール用の
Lサイズだ。布団を穴だらけにしたのもこいつだろう。切っ先を私のTシャツに引っか
けてはねあげた。私はよけなかった。ぷつりと音がして襟に切れ込みがはいった。
「高くつくわよ。」
しらっとした声で言ってやった。飛賀がいらいらと巻き尺を引いては戻しした。
「チョケな。んなもんでびびる玉けぇ。」
サングラスはずっと黙ってことの成り行きを見守っている。ナンバー2らしく控えて
はいるが、主の度量を測っているだけかもしれない。彼がしくじれば自分が先頭に立て
る、くらいにしか考えていなくても不思議ではない。
飛賀の目にはちろちろと憎悪が燃えていた。
「コケにされんのはもう御免よ。あんたらと刺し違えるくらいのことはしたるけ。」
彼は追い詰められたと思ってやけになりかけている。今なら落とせる。
「まあ、待ちなさいよ。せっかちね。番組は最後まで見ないとプレゼントをもらいそ
こねるわよ。」
ファストフード店のバイト嬢風のスマイルを見せてやった。
「ここからがビジネスの本題よ。」
4
場を仕切っているのが私だということを強調するために、足元に倒れていた診察用い
すを立てなおし、腰をおろして足をくんだ。視線の高さが飛賀とほぼ同じになった。
「商談に応じてくれたら、モノをお返しした上で面倒な人達が来るのを遅らせてあげ
てもいいのよ。」
「何の話や。」
「交換条件。私の欲しいのは自分とこの子の身の安全。こんな場所で切ったはったに
まきこまれるのはゴメンってこと。運良く難をのがれても、あんたなら一生私を恨み続
けるでしょ?あんたらみたいなのに付きまとわれるくらいなら、今のうちに手打ちを決
めといた方がましだわ。」
木下が懇願するような目でボスを見た。すでに、一刻も早くこの場を逃れることしか
頭にないのだろう。織田はカッターナイフを床につきたてようとがしがしいわせている。
サングラスは無言。何がおこっても自分ひとりなら切り抜ける自信があるといった風情。
やっと飛賀が沈黙をやぶった。
「先生、人がかわったな。裏取り引きなんぞにゃ一番縁の無い人種と思ってたで。」
「お互い様よ。あんたも欲望のおもむくまんまに突っ走るガキじゃなくなったみたい
だし。」
「俺はな、上昇指向なのよ。この道でもほんとに好き放題やるためにゃ、一時は他人
にへつらうのもしゃあない。」
「確かにね。私も子どもじゃないからね。今の仕事も飽き飽きしながらがまんしてる
わけ。」
「その話にのる代わりに、あんたらを人質にとる手もあるな。」
「私にもあんたにも最低の選択ね。こんな所に立て篭っても何もいいことはおこらな
いし、逃げるにはただの足手まといでしょうよ。」
他愛もないおしゃべりをしていても時間は刻々と過ぎて行く。待ち過ぎるのは危険だ。
あまりゆっくりしていると飛賀の疑念が強まってしまう。
焦りが抑えきれなくなってきたと感じた時、前触れなくデスクのビジネスホンが鳴り
だした。織田がびくっとして振り向いた。
内線通話のランプがついていた。サングラスが受話器をとり、ほんの数秒耳をかたむ
けていたが、ひとこと
「追い返せ。」
と答えて通話を終えた。それから飛賀に頭を寄せてぼそぼそと何か伝えた。
木下が泣きそうな顔で織田を見ている。潮時だ。
「このままじゃ間に合わなくなるわ。ともかく外へ出て話をつけてこきゃ。」
まりんをうながして先に立たせ、ドアに向かう。
「勝手に動くなぁ!」
飛賀が吠えた。無視して木下の目を見据え、きっぱりと命令した。
「開けなさい。今なら不法侵入で済む。強盗傷害犯になりたいわけ?」
ためらいながらも、木下は必死の形相でドアのロックをはずした。私とまりんはゆっ
くりと、立ち止まらずに、出口に向かって歩いた。背中にナイフを構えた織田の気配を
感じる。しかし、襲っては来ない。あと三歩。あと二歩でまりんが部屋を出る。あと一
歩。
ふいに、フニャアと猫の鳴き声がした。全員が振り向いて薬品棚のあたりを見た。一
匹の黒猫が棚と壁のすきまから姿をみせた。
「首輪だ!」
「来ちゃだめー!」
織田とまりんが同時に叫んだ。サングラスが猫に飛びかかった。私は木下に体当たり
した。木下の体が当たってドアが大きく開いた。
「まりん、走って!」
身をかがめて織田のナイフをかわし、その腕を下から逆手につかんで思いきりねじっ
た。ナイフが床に落ち、私と織田もだんごになって転がった。立ち上がって走り出そう
としたとたん、首に何かがぐいとかかって引き戻された。
巻きついたものを引き剥がそうともがきながら指でさぐった。巻き尺だ。幅のあるテ
ープが肌にくいこむ。はずせない。頭ががんがんする。
視界が暗い。背後ではばたばたと誰かが走り回る音と、猫のぎゃあぎゃあ鳴くこえが
している。その音もだんだん遠くなる。
耳もとで飛賀が嗤った。
「猿芝居はしまいや。こけにしてくれたなぁ、先生よ。」
まりんは?…逃げて、まりん。ニ ゲ テ。
巻き尺をねじあげる手にさらに力がこもった。
5
頭蓋の内側で白い光が瞬いた。手足の力がぬけていく。このまま倒れこめば全体重
がテープにかかり頸が折れて終わり、だ。結果が判っていても膝はがくがくで思うよう
にならない。
遠くで男の叫ぶ声がした。
「……イサツ…」
首を締めつけていた力がすっとゆるんで私の体は床に投げ出された。したたかに胸を
打ってそのまま転がり、あおむけになった。痛んだ気管が空気をとりこもうと焦ってヒ
ュウと鳴った。
ぼんやりした視界に真悟の顔が現れた。何か叫んでいる。私は幻覚を見ている。まぼ
ろしでもいい。もう一度会えたら話したいことがあったの。
よろよろと手を伸ばして、そのまま気を失った。
この時おこったことは後日まりんが教えてくれた。
「廊下に飛びだしたら大勢の足音が聞こえたの。こっちよって呼んだらすぐきてくれ
たわ。近所のお巡りさんよ、『警察だ!』って叫んだのは。でも真っ先に部屋に飛びこ
んだのは刑事さんだった。え?だってひとりだけ私服だったから、そうなんでしょ。す
ごい勢いだったわよ。一撃で美形ボスをのしちゃったんだもん。ナベシマもがんばった
のよー。サングラスに追いかけられて反対に立ち向かって行ったんだから。どじな猫だ
けどね。そうそう、天羽くんもいたけど、何してたのかしら。」
気がつくと救急病院のベッドの上で、翌日の夕方になっていた。次の一日は検査や事
情聴取にひきまわされた。ほとんど逃げだすように退院して、四日後には保健室に戻っ
てきた。
その後二日ほどは訪問者が続いた。まず天羽 翼が常にも増して青い顔で現われ、深
々と頭を下げた。
「鍵かくしたの、俺です。とんでもないことになっちまって、すみませんでした。」
事件の第一通報者が彼だったことは警察に聞いていた。命の恩人といってもいいのだ
が、礼を言うのもどうかと思った。
「こんど女性の家の鍵を手にした時には行動に自覚を持ってちょうだい。」
とだけ伝えた。
篠崎まりんは私になついた。手製のクッキーを山のように持ちこんで機嫌よくおしゃ
べりしていく。気持ちは嬉しいが甘い物は苦手だ。足代秀雄が片付けの手伝いに来てく
れたので、あまったクッキーを全部あげたら、とても喜んでいた。
教頭も来た。2時間がかりで言いたかったのは、「仕事はやめなくていいから、生徒
の不始末を口外しないで欲しい。」ということだけだったようだ。
部屋の整理はどんどんはかどったが、私の気持ちの整理はついていなかった。警察関
係も含め、これだけいろいろな人間と話しているというのに誰もナベシマが一日でなく
した首輪のことを言わない。誰も私と飛賀の関係について尋ねない。
もやもやが溜まってどうしようもなくなった頃に最後の訪問者が来た。
正木真悟だ。
6
真悟がドアを開けた瞬間、5月の風が新緑の薫りをのせてするりと通りぬけて行った。
この部屋はドアと窓を閉めてしまうと外の気配がほとんど感じられなくなる。音楽部の
建物だから防音構造なのかもしれない。
シャツの袖をまくり、ノーネクタイの姿で黙って壁ぎわに立った。私はちらっとそち
らを見たが、書類整理の手は休めなかった。背中を向けたまま、いきなり質問を始めた。
「守衛が買収されてたって、いつからわかってたの。」
「確証はなかった。天羽っちゅうたか、あのボンが裏門のゲンチャリと通用門が開い
とるの見て素子が中におると気ィついた。正直に正門にまわって、守衛に入れてくれ言
うたところが妙な態度で追い帰されてな。途方にくれとるとこを巡査がみつけた。」
「猫の首輪は?」
「篠崎の嬢ちゃんがはずしてくれた。そのまま上にまわした。中身は知らん。」
「まりんはそのことを警察に話していないの?」
「みつかったら窃盗罪やから黙っとりぃて言うといた。地元警察は生徒に手引きさせ
たクスリ泥棒が居直り強盗に化けたと思ぅて捜査しとる。」
「じゃあ、飛賀や織田たちは。」
「当分は留置されとったほうが安全やな。」
彼らの「お客」は予想以上にあぶない筋だったのだ。深みにはまらぬうちにバレて良
かったのだろう。
「子ども達の勝手気ままのおかげでずいぶん楽な仕事だったみたいね。」
返事はなかった。胸のもやもやがふくらんできた。
「ところでさあ、私と女の子が缶詰になってた時、内線かけてきたのは守衛でしょ。
あの時天羽くんを追い払った直後だったとしたら、警察の登場がずいぶん早かった気が
したんだけど。」
無言。
「ひょっとして正門にも裏門にも張り番がついてたとしたら、中の状況を察して準備
もできていたんでしょうけどね。都合のいい通報者がみつかるまで待つ間にね。」
無言。
「空き巣ねらいが強盗殺人未遂に変わるまで待ってたのだとしたら…。」
「素子。」
悲痛な呼びかけがすぐそばで聞こえた。振りむくと、そこに真悟が立っていた。その
表情を見てはじめて、彼がどんな気持ちで今度の仕事をしていたのかがわかった。今ま
で自分の感情にまかせてしゃべっていたことを後悔した。穴があったら入りたかったが、
彼の顔をみつめたまま体が動かなくなってしまった。
頭ひとつ分高い所から、真悟は私の顔より少し下を見ていた。あの夜以来衿つきのシ
ャツブラウスを選んで身につけていたけれど、その位置からなら首筋の傷あとが見えた
のだろう。まだ赤みののこっている条痕に、ごつい指がそっと触れた。真悟の目が潤ん
だ。
「痛かったやろ。堪忍な。」
私は何も言えずに頭を横に振った。ここ何日間かの出来事も明日から始まる日常も、
もうどうでもよかった。私は今、生きて真悟の前にいる、そのことを想うだけで胸がい
っぱいになった。
「話したいことがあったの。」
筋ばった腕がゆっくりと私の背中を抱きよせた。
「真……。」
のどが詰まって声が続かなかった。振り仰ぐと彼の顔がふわりと降りてきて、そのま
ま唇が重なった。
ベッドに横たえられたとき、彼の肩ごしにナベシマと目が合った。黒猫はにゃあと短
く鳴いて、薬品棚の裏の猫だけが知っている出口をぬけていった。
尻尾の先までみえなくなってから、私は微笑み、目を閉じた。
...終わり
●1へ戻る ●3(特別編)へ行く ●関連作品「安芸原素子」へ行く
今回新しくゲスト・ノベルズコーナーを設置しました。参加して頂いた☆咲耶さんは@niftyの
Macバラエティフォーラム(FMACV)のお友達です。HP隆盛の昨今、パソ通時代からのよい伝統
もなくなってしまい、寂しい限りです。当時の作品をできれば少しでも残したいと思い、安芸原先生
のお話し(99年&00年)をお借りした次第です。本当に、ありがとうごっざいました!
当方 HP「じんべえ」のノベルズコーナーに以前から載せている素子センセのオリジナルがこちらで
す。キャラクタの配置や動かし方、女性の心情のとらえ方とかやっぱり上手です。
もともとリレー小説だったので、文章が重複するところもありますがご了承下さいませませ(^^;)。
感想はメールで右記までお願い致します。sakuya@a2.shes.net