ゲスト・
ノベルズ。

女 養 護 教 諭
 安 芸 原 素 子 ( 本 編 1)

作:☆ 咲 耶 / 構成:J I N

 1

 春はきらいじゃない。新しい出会いに期待しているわけではないけど、惰性に流れた

付きあいを清算するいい機会。

 養護教諭なんて仕事に就いたのも一人になれる時と場所を手に入れたかったから。そ

れなのに前の学校はひどかった。授業をさぼりたいだけの生徒達に、できの悪いサラリ

ーマンみたいな教師達。おかげで手間がかかったのなんのって。今度の学校では、教師

たちも、うるさい生徒たちも、保健室のことなんか忘れて自分らで好きにやっててくれ

たらいいのに。

 スラックスとTシャツの上に白衣をはおって、開けはなった窓から桜の花びらが舞い

こむままにして、デスクワークにいそしむのがこの季節の楽しみ。

 でも、静かな時は望んだほど永くはもたなかった。ノックもせずに部屋に飛びこんで

きた女生徒のせいだ。

 2

 「すみませーん、休ませて下さーい。」くりくりと目のよく動く女生徒が、当然のよ

うな顔をしてベッドにぽんと座った。上履きのまま足を組んであおむけに寝転がろうと

する。「ちょっと待ちなさい。」額に手をあて、口を開けさせ、わざと冷たい顔で言っ

てやった。「熱なし、咳なし、腹痛でもなさそうだし、ここで休む必要なんてなさそう

だけど。」

 女生徒は一瞬ぽかんとしていたが、すぐまた目をくりくりさせながら笑い出した。

 「私、篠崎真鈴ですう。まりん。前の保健の先生から聞いてない?」私の表情はさら

に冷たくなっていただろう。「前任の先生の方針は知りませんが、今は私の判断で言う

わ。教室にもどって授業を受けなさい。」少女は見る間に頬をふくらませ、床を踏みな

らしながら出て行った。思いきり閉めたドアが廊下じゅうにひびきわたるような音をた

てた。

 5分もたたないうちに少女のクラス担任がかけこんできた。「いや、先生のお考えも

わかるんですけど、あの子は特別なんですよ。ほら、心のなんとかで、保健室には好き

な時に行っていいって約束しちゃってるから。」

 汗をふきながらごちゃごちゃ喋っている教師の顔を見て思い出した。口の軽い同僚に

「気弱だから問題児ばかり押し付けられちゃって。」と陰で笑われていた奴だ。

 あの時名前のあがった生徒が、足代、羽柴、木下、織田、そして篠崎…。

 
 3

 4月も終わりに近付くと、保健室は静かになった。いねむりをしに来る生徒も下品な

下心で寄ってくる教師もいないので気分がかるい。身体検査のデータ入力のためにキー

ボードをたたく指も気持ちよく動く。

 転勤早々いろいろあったけど、そろそろ落ち着いて暮らせるだろうか、などと考えて

いた。それが甘かった。私は生まれつき行く先々でトラブルに歓迎される運命らしい。

 どたどたと廊下を走る音がして、扉がばたんと開いた。うんざりしながら振り向くと、

ピンクのかたまりが目にはいった。クマ?のぬいぐるみをかかえているのは見覚えのあ

る少女だ。

「篠崎さん、またあなたなの…」小言を言いかけてすぐにことばを飲み込んだ。

 少女の顔はひきつっていた。ふだん狐のように教師達をからかってちょんちょんとび

はねている子が、おびえている。猟師に追われた狐。

「隠れさせて…。」

「…こっちにきなさい。」

 きっかり30秒後に扉をけとばして追っ手が乗り込んできた。いくら自由な校風とい

っても、この風体はいただけない。紫と金色の縞に染めた髪をトサカのように立てたや

せっぽちと、頬に海賊旗のペインティングをした重量級。かろうじて学生服と判別でき

るだぶだぶの上着をだらしなくひっかけた二人組だ。

「くっせぇ部屋だなあ。薬くせぇよ。早いとこさがしてひきあげようぜぇ。」

「ほんとにここかぁ。鬼ババみてぇな女センコがいるんだろぉ?」

 二人組ははじめ、扉のすぐ横に立っていた私に気付かなかったようだ。

「それって私のことかしら?」陽気な声をかけてやるとびくっと振り向いた。

「な、なんでぇ、いやがったのかよ。」

 ここ半月ほどのあいだに私の噂はけっこう広まっているようだ。羽柴あたりが吹聴し

てまわっているんだろうけど、ほっておいたら尾ひれがついてとんでもない極悪女だと

いうことになってしまった。まあ今回はそれが役にたちそうだけど。口先だけは強がっ

ている二人組、私がいるとわかってから目が泳いでいる。雑魚だ。

「ここに隠れてる女がいるだろぅ。だしなよ。」

「ベッドで休んでいる生徒ならいるけどね。近寄らない方がいいわよ。伝染性双角球症

の疑いで、病院に隔離する予定だから。」

「嘘こきやがると承知しねぇぞ。」

「あら、じゃあご勝手に。」

 つかつかと二人の正面まで歩いて行って、パンプスの先で床にきゅっと線をひいてや

った。

「さっき咳き込んでツバとばしてたの、このへんの床よ。」

 トサカ頭がびくっと後ずさって相棒の袖をひいた。

「なあ、もうここはいいじゃんか。」

 海賊旗は片意地をはって、その手をふりほどいた。

「ばぁろ。ここでしくじったらビョーキになるくらいじゃすまねぇんだよ。どけぇよ、

くそアマ。」

 腰をかがめるようにしてずかずかとベッドに近付いて行く。ベッドには頭まですっ

ぽりと布団をかぶった生徒が横になっている。海賊旗はえいやっと掛布団をひきむし

った。

 4

 掛布団をひきはがされた生徒はまぶしそうに目をほそめ、顔をしかめて海賊旗を見

上げた。ほっそりときゃしゃな体格。布団をかぶっていた時にはわからなかっただろ

うけど、まぎれもない男子生徒だ。肩すかしをくった海賊旗はそれでも勢いにまかせ

て男子生徒にからもうとしたようだが、何か言おうとした時に反対側の薬品棚のあた

りでがたがたと音がした。二人組が振りむくと、棚の引き戸をするりと通りぬけて一

匹の黒猫が現れた。猫はのんびりとしたしぐさで背筋をのばし、私の足に頭をすりよ

せて喉を鳴らした。

 「ナベシマ!だめじゃないの部屋に入ってきちゃ。」

 猫のあくびを見て完璧に気をそがれた乱入者達は、ベッドの足を蹴飛ばして退却し

て行った。

 「覚えてろよ、くそオバン!」

 結構。オバン呼ばわりされたことはちゃんと覚えておくよ。ナベシマのあごをくす

ぐってやっていると、ベッドの男子生徒が半身を起こしてつぶやいた。

 「織田に木下。ただの不良だと思ってたけど、最近妙にいきがってるな。」

それから私に向かって不機嫌そうにたずねた。

 「俺、伝染病なんですか?」

 「口からでまかせに決まってるでしょ。天羽くんだっけ。あなた、お腹が空き過ぎ

てひっくりかえっただけじゃない。ちゃんと食べてないからそんな細っこい体なのよ。」

 天羽 翼はさらに不機嫌そうな顔になった。

 廊下を歩き去る足音を確認していたのだろうか。ナベシマが通りぬけてきた引き戸

が広めにあいて、篠崎が這いでてきた。

 「あなたもバカよね。あんなのに追いまわされるなんて。これに懲りたらもうちょ

っと行いをあらためなさい。」

 女子生徒はきまり悪そうに首をすくめたが、なぜだか天羽の勘にさわったらしい。

 「その言い方ひどいすよ先生。逃げてきた方が悪いみたいじゃないすか。わけも聞

かずにいきなり説教ですか。」

 「なんであんたがこの子の弁護するのよ。」

 「大人の物言いがいつだって一方的で理屈にあわないって言ってるだけです。事情

も知らずに自分らの都合だけで俺らのすることに口をだす、決めつける、たまらない

っすよ。」

 「口だしされるのがいやならさっさと大人におなりなさい。高校は義務教育じゃな

いんだからね。親の金で学校に行かせてもらって世間から守ってもらっている身分な

ら、それなりの縛りもあるってものよ。」

 天羽の白い顔に赤みがさしてきた。

 「好きではいったんじゃねぇよ、こんな学校。」

 「じゃあ、やめちゃいなさい。めんどくさい子ね。篠崎さん、この子あなたの代わ

りに怒ってくれちゃってるのよ。何か言ってあげたら…。」

 ふりむいた時にはすでに少女はいなくなっていた。薬品棚の前にはピンクのぬいぐ

るみだけが置きざりにされてころがっていた。首輪をしていたはずがいつの間にかと

れてしまっている。

 少年の顔色がすっと青くなり、そのままぷいと壁をむいて動かなくなってしまった。

ちょっと気の毒に思ったが、すぐになぐさめても聞いてもらえそうになかった。少し

時間をおいて話をしてあげようと思いなおしたが、とたんに保健室に来客が殺到しは

じめた。

 まず、音楽部の女子生徒がリードを削っていて指を切ったと言ってきた。たいした

傷ではなかったが、ボーイフレンドとおぼしき上級生が飛んできて、家まで送ると言

いはった。二人並ぶと絵に描いたようにきれいなカップルだ。

さっきの連中と同じ学校に通っているなんて信じられない。

 下校した二人と入れ替わりに斎場とかいう男子生徒が運びこまれた。足の骨を折っ

ているようなので救急車を手配したが、こちらには女の子の見舞いも付き沿いもなか

った。同じクラブの田中という1年生に玄関までおぶっていってもらうことにした。

天羽は田中を見ると嫌悪むきだしの顔をして布団にもぐりこんでしまった。

 5

 斎場と田中が出て行った頃には下校時刻が迫っていた。デスクまわりを片付け始め

ていると、今度は教頭が訪ねてきた。ベッドに天羽がいることに気付いているのかい

ないのか、私の椅子に座り込んでうだうだと話し始める。

 最初のうちは本校の来歴だの伝統だの校風だのが私に何の関係があるのかといぶか

りながら適当に相づちを打っていたのだが、20分たっても40分たっても腰をあげ

る気配すらない。わざと忙しいふりをして部屋の中を行ったり来たり、しばらく外へ

出てみたりさえしたが、相手はかまわずしゃべり続けている。そのうち最近の風紀の

乱れだの社会的な性風俗の影響だの話になってようやく本筋が見えてきた。

 このオヤジ、私が保健室で不純異性交友にふけっていると疑っているのだ。それど

ころか、新学期以来不良生徒達の動きが不穏なのまで私の着任のせいにしたいらしい。

それなら始めっから「クビだ」と言えばいいものを、「君にはもっと力を発揮できる

場があるはずだから」だの「希望退職なら細かいことは不問にしてかまわないから」

だのときりだすまでに1時間近い前置きにつきあわされたのだ。

 胸のむかむかが頭にまで昇りつめて脳神経が2、3本切れる音が聞こえた気がした。

ショルダーバッグをわしづかみにしてタコオヤジの頭を張ったおしてやろうと身構え

たところへ教務主任がやってきた。中年すぎの男二人が額をよせてぼそぼそ話し始め

たのをしおに、横をすりぬけて部屋を出た。天羽はとっくにいなくなっていた。

 夕暮れの職員用駐車場にはもうほとんど車は残っていなかった。赤いホンダタクト

を押して通用門をくぐろうとした時、50メートルほど離れた交差点のあたりに立っ

ている若い男に気がついた。遠目にはサラリーマンか教師にしか見えない地味ななり

をしていたが、こちらを振り向いて見せたのはなつかしい笑顔だった。目尻がさがっ

ているせいで普段でも笑ったようにみえる顔が、本当に笑うとくしゃくしゃにしわが

寄って細い目がどこにあるのかわからないほどになる。

 正木真悟。なぜ彼がここにいるの?びっくりしたけれど胸のむかつきがふっと軽く

なった。真悟は軽く手を振り、煉瓦敷きの歩道を音もたてずに走って私のそばに来た。

よれよれのスーツと履き古した革靴の中にはちゃんと鍛えられた体がおさまっている

のだ。

 「久しぶりね。あなたが鈴鹿の関より東に来るとは思わなかったわ。」

 「仕事や。板宿からこっちに流れてきたやつがおんねん。」

 なごみかけた空気がしらっと冷えた気がした。

 「素子がこの学校におると聞いてびっくりしたわ。こういうとこには取っ掛かりが

なかなか無いから参っとってな。ちょっと付きおうてもらえたら助かるんやけど。」

 「あっそう。これって聞き込みなわけね。ほんと、相変わらずお仕事熱心で大変だ
こと。」

 「何つんけんしとんのや。半年ぶりやいうのに。」真悟の顔から笑いじわが消えて、

声が低くなった。

 「まさか、知っててここに勤めたわけやないんやろな。」

 ストラップをぶんとまわして振り上げたショルダーバッグが男の頭頂部を直撃した。

男は薄くなりかけたつむじのあたりを押さえてうめいた。

 「ひど…。」

 「私はもともとあんた達と同業じゃないの。たまたま巻き込まれて面倒ごとに付き

合わされてただけなの。それがいやになって帰ってきたのにさ。何よ、馴れ馴れしい

ったら。ちゃんとした頼み方してくれなきゃ何か知ってても教えてなんかあげない。」

 タクトにまたがって乱暴にキーをまわす。

 「危険なんや。素子がその気でなくても、相手はおまえを…。」

 「ご心配なく。明日にはクビになるから。」

 思いきりアクセルを踏み込んで発進した。バックミラーにまだ何か言おうと手をの

ばしかける真悟がうつって、すぐに消えた。こんな再会のしかたをしたくなんかなか

った。本当は織田たちのことや教頭の話を教えてやってもよかったのだ。でも。

 今さらだ。どうせ半年前に終わらせたつもりだったんだから。そのつもりで前の仕

事もやめちゃったんだ。

 まっすぐ帰宅する気分にもなれなくて、私はなじみの中華料理店に向けて走った。

その時、私はまだ気がついていなかった。私が手を切ろうとしていた悪意は、再びす

り寄ってきて私を追い詰めようとしていたのだ。

                              ...2へ続く


●top ●index ●gallery1 ●gallery2 ●notes ●otehrs ●link