ショート・ヒロイニック・ファンタジー
ばーさーかー・ぷりんせす!
第十一話 春遠き村

    <前編>    絵・文 : J I N


 

序章


 どことも知れぬ、暗い洞窟。よく見れば人の手が入った、住居にも見える。月明か

りがくり貫かれた窓から差し込む。岩盤を覆う、氷。

氷山、その中の横穴を改造したらしい。そこに立つ人影。

「仕事に感情を挟むとは…息子ながら、嘆かわしい」

冷徹な女性の声。白いドレス、サファイヤとダイヤの宝飾、青みがかった豊かな長髪、

そしてアイスブルーの瞳。氷に向かい話すその顔には表情がない。

「―――女王」

後ろから声が。人ではない。白い蝙蝠が人語を操っている。

「やつらが、来た。」

女は薄い笑みを浮かべる。

「息子をたらしこんだ奴らか。さて、どうしてくれよう」

踵を返し、外へ歩きだす。氷の中には少年らしき人影。そして、大きな板一枚分の透

き間があった。あたかも見えぬ盾が存在し、それごと少年を封じ込めたように。



本章
1


 雪深い寒村、ロウ。白い鷹を紋章とする国が統治していた中では最北端の村である。

未開の北方民族や北に追われた訳有りのはぐれ者も多く交じり、習慣や文化はもはや

他の国と言ってもよい。王族の支配も、統治も途切れがちな場所に、やって来た者た

ちがいた。

「ううう、さぶいなあ」

赤い魔法使いの服にコートを着込んだ子供がつぶやく。いつも元気なマリアでさえ、

不満が口をつく。

「間もなく、ロウ村があるはずですが…こう雪が多くては、かないませんな。」

後に続く老執事のギャリソンが淡々と言う。

「この辺りもぉ、ほんとは春が近いはずなんです〜。でも、冬のまんまですね〜」

のんびりと、シスターのルーシーがつぶやく。

「ええ。このおかしな気候も、何か原因があるのかもしれませんわ。皆さん、行きま

してよ」

豪奢な金髪をフードに隠し、しかし熱気ある瞳と表情で済んだ声を張り上げる少女。

亡国の王女にして、正義の為に悪を討つ、凶戦姫・・・フロリーナたち一行は、ロウ

村へと足を進めた。

「ちょ、ちょっと待ってくれええええ〜〜」

ガチガチと歯を鳴らし、後を追う者がいる。ひょろっとした体躯に山のような荷物、

巨大なカバンを背負った従者、ラッキーだ。しょぼい顎髭もツララのように凍ってい

る。

「ひめ〜、寝姿を盗み見したのは謝りますから、せ、せめてコートを貸してくだせえ

ええガチガチガチ。」

歯の根も合わない。

「だーめ! いっくら言っても治らないんだもん、そのビョーキ。それにチョットだ

け冬らしいカッコにさせてんじゃん」

お付の見張り番を兼ねているマリアが容赦なく言い切る。見れば、二の腕までめくっ

ていたシャツが手首まで延ばしてある…それだけである。後はベストにズボン、いつ

もと同じ格好であった。

「むむむムチャ言うななななななぁ!」

「それでも困りましたわ。このまま夜になったら。こう雪が多くては…あら、あれ

は?」

雪山の間、白く塗りつぶされた街道の先に明りが見える。

「まだ、峠の途中です。ロウの民家にしては見えるのが早いはずですが」

老執事が首をかしげているが、ラッキー、そしてマリアが一目散に走りだした。



 多くの魔導師を輩出してきた町、セイブ。魔術をなりわいとするギルドも、ここが

 建物は一軒だけであった。小ぶりの酒場兼宿屋といったところか。『陽気な子豚亭』

と看板がある。

「どうやらお食事と休憩は出来そうですわね」

フロリーナも安堵の声をもらす。少し考えながらもギャリソン、ルーシーも姫の後に

付いて行った。

 カラン。

店に入る一行。と、意外に中は広く、暖かい。光源がどこか分からないが、ぼんやり

明るい。

「こんちわー。誰かいます?」

マリアが声をかける。

「―――誰だい?」

少し間を置いて、ハスキーな女性の声が。暗いカウンターから身を乗り出そうとする

と、巨大なバストが先に姿を現す。飲み屋の女将、そういった感じの紅色のドレスだ。

「うきょーん、お姉様あ、オイラをあっためて〜!」

ピョーン。その胸めがけてラッキーが跳躍した。…が。

ガバキャ!

張り手一閃、ラッキーは紙くずのように吹き飛んだ。

「へるつぇごびな!」

意味不明な叫びを上げ、宙を舞うカバン持ち。そこへ、

バシーン! ガッ、ガガッ!

革製の鞭がぶち当たり、さらにトマホーク…投げ斧と投げナイフが飛び交い、ラッ

キーを店の天井に張り付けた。

「うわ、ラッキー大丈夫?」

マリアが驚き、続いて入って来たフロリーナたちも身構える。

「フゴっ。無礼な客はあたしゃ許さないよ。」

鼻息とともにハスキーな声が響く。

 『陽気な子豚亭』は、名前どおりの楽しげな場所とは、いささか違うようであった。


3

 最果ての寒村、ロウに向かう亡国の王女フロリーナとその一行。雪をしのぐべく

立ち寄った「陽気な子豚亭」で、早速ラッキーがトラブルを起こした。女将の張り

手、客の鞭使いの少女、ナイフ使いの細面の男、トマホーク使いの大男の手痛い洗

礼をうけたのだ…が。

「――ラッキー、早く降りてらっしゃい」

天井に刃物で縫い付けられたかに思えたカバン持ちだが、姫の命令でひょいと降り

てきてしまった。

「へーい。あーあ、袖んとこ、穴が開いちまった」

ナイフ使い達はあんぐりと口を開けた。侵入者の四肢を狙ったのだが、すべて服が

縫い付けてられただけだ。

「いやー、シャツの袖を延ばしておいてラッキーでした。」

ナイフ使いと投げ斧使い、鞭使いが見合わせる。

(お、おい、確かに手足をねらったよな?)

(あ、ああ。)

(それに、私の鞭と、女将さんの張り手が効いてないなんて?)

「あー、ビックラこいた。これ、返す?」

ラッキーの手にはナイフ、トマホーク、そして鞭と白い布が。

「あー! 私の鞭が! いつの間に?」

黒髪の少女が叫ぶ。そして、もともと鞭のあった腰のあたりを触ると。

「あ、あ、あ、ししし下着が! きゃー!」

そのままへたり込んでしまった。

「あ、だ、だ」

フロリーナの靴が床にひれ伏したラッキーの顔を踏みつけている。

「わたくしの従者がたいへん失礼をいたしました」

丁寧な詫びに、酒場の雰囲気も沈静化した。腕に覚えのある者も、今度は動かない。

姫の動作、立ち振る舞いで手練と察したのだろう。だが、怒りが収まらない血気盛

んな者もいる。ナイフ使いだ。再びナイフを取り出し、今度は呪文のようなつぶや

きを始めた。その途端。

バキイッ!

今度はナイフ使いに女将の張り手が飛んだ。

「引っ込んでな、こっちのお嬢ちゃんは筋を通してんだ。悪かったね、手荒な真似

をして。あたしゃこの店をしきってるリオ。」

「フレアですわ。」

「あだ、だ、だ」

ラッキーがうめく。

執事のギャリソンが中に入り、賞金稼ぎとして働きたい旨、そして魔物や魔導師を

探していることを端的に話す。

「ふーん、お嬢ちゃん、腕はよさそうだね。爺さんも頭が切れるし、そっちの魔女

っ子も何か隠してそうだ。そこのゴキブリもしぶとくて好きだよ。フゴッ」

床でじたばたするラッキーを見て笑う。

「それに、そっちのちいさいシスター、いい子だね。」

見ればルーシーがリオに吹き飛ばされたナイフ使いをいつの間にか手当をしている。

男もばつが悪そうにうつむく。

「雪以外何もない場所だしね。みんな酒も肴も持ち寄り、物々交換もオッケーだ。

そうさねえ、食料と宿代、私の頼みを聞いてくれるなら、チャラにしとくけど。フ

ゴッ」

鼻を鳴らし、牙に見まごうほどの犬歯を光らせ笑うリオ。

「分かりました。そちらの条件でなら…こんなところで」

ギャリソンが算盤を弾く。

「よおし、わかった。仕事を斡旋してやるよ。ただし情報も金づるだ。それなりの

仕事をこなせたら、考えなくもないよ」

フロリーナもいくぶん緊張がとけ、マリアとルーシーも微笑んだ。1人、踏みつけ

られている男を除いて。

「あだだだ! ひ、姫。お願いです。もう少しだけ足をどかしてっ」

「少しは反省しましたか?」

姫の問いにまぶたの筋肉を動かし、顔の位置をずらそうと必死のラッキー。

「も、もー少しで姫のスカートの中が見えそーなんです!」

めりめり!

姫のブーツの踵がラッキーの顔にめり込んでいった。

 雪は「陽気な子豚亭」に降り注ぐ。一行はひと時の安らぎを得た。明日からの

冒険も騒動も、まだ誰も知らず。

4

「姫さまぁ、着きました〜。ロウの村です〜。」

「なんだか辛気臭い村ですねえ」

「こらラッキー、そんなコト言うな」

「そうですわ。皆さん、魔物の被害に苦しんでいるはず…魔物を倒すことがわた

くしの使命ですわ。」

寒村、ロウにやってきたフロリーナとその一行。

30数人の小さな村だ。人々は老人が多く、無愛想で無口なうえどこかよそよそ

しい。酒場『陽気な子豚亭』の女主人、リオの紹介状を見るまでは番人たちの槍

は向けられたままであった。

「ふん、あんたらが魔物退治のプロじゃと? そのお嬢さんがかい?」

禿げ頭に白い髭の村長が紹介状と一行を猜疑の目で何度も見直す。

「さようでございます。無論契約は出来高払い、成功後にいただければ」

ギャリソンの説明に村長を含めそこにいた数名も納得したようだ。

「―――この村は国の外れも外れ、特に魔物も襲ってくることはなく、しめたも

のじゃったが」

「離れた場所の海から取れる海産物を行商したり、山間部の植物を取ったりして

暮らしていければよかったんだ」

「ところがここ1年、雪が、やまなくなって」

「しかも氷で覆われた恐ろしい怪物がやってくるようになったんだ」

青白い顔で話す村の面々。とにかく魔物を追い払ってほしい、村が襲われなくな

れば他はどうでもよい、と。

「…他の村や動物たちが襲われても、この村のかたたちは平気なのかしら」

 

 村を離れ、フロリーナは魔物を退治するべく魔鎧を準備する。複雑な思いは拭

い切れない。

「長い冬と魔物の襲来が、村人達の心も硬く閉ざしてしまったのでしょう。姫、

そろそろお着替えを」

ギャリソンが促し、マリアとルーシーがシーツを張り、ラッキーは覗きをしよう

としては…


「んぎゃあ!」

マリアの使い魔、黒猫のナベシマに引っ掻かれた。


 鉛色の魔鎧に着替えたフロリーナ。禍々しい顔を胸部に持つそれは

「ぎへえ、俺様調子悪いぜー」

珍しく不平を口にする。

「こう寒いと魔物をばったばた倒さねえと、火も吹けねえ。なにより姫さん、

あんた乗り気じゃないだろ?」

「…関係ないですわ」

「ところがあるんだなあ。いいことするって気構えがないと、俺様も力が抜け

るわけよ。一身同体だからな。ぎひゃひゃひゃ」

フロリーナの迷いを、敏感に感じ取ったのであろうか。

「真っ白い雪の中に立つ真っ白な姫さまのお肌、きれいだにゃあ」

マリアがうっとりと見つめる。

(マリアちゃん、姫さまに聞こえますよ〜)

ルーシーがたしなめる。彼女たちの目には厳寒な銀世界に、裸身で立つ少女が

見えるのだ。

「姫さま、がんばってくださ〜い」

一行の応援の声に、

(…ぐす、聞こえていますわ〜〜〜)

肩を落とし魔物の現れた場所へ赴く狂戦姫であった。


 伝説の魔鎧には呪いが掛けられている。それは『心正しき者には見えない』

という呪い。彼女がひとたび鎧を纏えば絶大なパワーを生み出すが、悪者には

凶悪な顔、正しい心の持ち主には生まれたままの姫をさらけ出してしまうのだ。


ズズズズ・・・雪原に、ゆるやかな響き。

「む、いよいよですぞ」

「ええ!」

気を取り直し、身構えるフロリーナ。わらわらと雪の中で蠢く魔物。今回はど

んな相手か、データが少ない。村人は「氷の固まりのような化け物」と言うば

かりであった。

「雪男かな? それとも灰色オオカミ?」

マリアの予想に対し、現れたのは…

「ガガ…」「ガガガッ」

氷の固まり、である。ツララが逆さに生えたような背に氷塊のような体、数本

の足で腹ばいに動く。よく見れば氷の中に黒い影が。人と同じ大きさのそれは

2匹、4匹と次々に現れた。



「ちぇー、雪女ちゃんじゃないのか」

「ううむ、なんとも判別がつきませんな。姫、ご注意を」

ラッキーはともかく、博識のギャリソンすら解らない。しかしそれらは間違い

なく村に向かい押し寄せてきている。

「かまいませんわ。バーサーカープリンセス、行きましてよ!」

巨大な斧を振りかざし、フロリーナが跳ぶ。

 ガキイイイィ!

襲い来る氷の魔物に狂戦姫の斧がぶち当たる。が、厚い氷がひび割れ、破片が

飛び散るがダメージは与えていない。

「ガガ」「ガガガガ!」

雪中から這い出した彼らはますます数を増やし、十数匹にも達した。

「くうっ」

ガキイッ、ガシャ! 視界を埋め尽くすように迫る魔物。姫も懸命に斧を振るう

が、畳み掛けるように魔物が突き進む。…が、姫を襲わず、村を目指すのみ。

(しまった! このままでは、村が…でも、何故かしら? 彼等から凶暴な気配

が感じない…)

「ぎへ、俺様だって分厚い殻や聖なるものを斬るのは苦手だぜ。」

姫の疑問に呼応するように魔鎧が叫ぶ。

「聖なる…?」

「白魔法のかかったもの、祝福や他から崇められているもの、んなとこだな」

「では、この怪物は魔の属性じゃない…? そんな!」

通過した魔物の群れを跳躍で追い抜き、胸を大きく張り上げる。パワーは少ない

が、魔鎧の口から漏れ出す瘴気に牙の火花が引火する。

ゴオオオオォ!

吹き出した炎は最前列の魔物を包み、氷の外殻が溶け出した。そこには…その下

にも土色の厚い殻で包まれた正体が。

「むう、あれは…」

遠巻きにかまくらを作り、暖をとっていたギャリソンがうなる。

「これは…魔物、ではありません。巨大な生き物、といっても逆ですぞ。聖獣と

呼ばれることもある、ハナサキガニでございます」

老執事の声に思わず振り向くフロリーナ。

「季節の変わり目に出現する、幻の聖獣。俗に春を呼ぶ蟹、と呼ばれ、性格は穏

やか…と聞きましたが…」

ズズズ…

その時、雪山が振るえ、地鳴りが。

「しまった! 今の格闘と炎が雪山を…雪崩が来ますぞ!」

ズズッズズ…
ゴゴゴゴオオオオ!

「どっひゃあ〜〜〜! 逃げろ〜〜い!!」

ラッキーがいの一番に逃げ出し、続いてギャリソンが退避する。

「うわわわ、ルーシーちゃん、行くよ!」

ワンテンポ遅れてルーシーが応えた。

「あ、は、は〜い〜」

マリアが帽子からずるっと機械の箒を取り出し、エンジンをかける。

ボボッボオン。飛び出した魔法機。飛び乗ったマリアが手をのばし、ルーシーの

手を…つかみ損ねた。

「あ〜、マリアちゃ〜ん」

ドドドド! ルーシーの叫びと姿が雪に紛れた。

「・・・・ルーシーちゃん! ルーシーちゃ−ん!」

「! ルーシー!」

マリアと姫が叫んだ。

 雪崩の轟音が遠くに聞こえる。

 


「さて、あの子たち…うまく切り抜けるかね。フゴ」

『陽気な子豚亭』の窓辺で。女将のリオが雪山をにらむ。まわりには数名の客。

彼らもまた同様に彼方を見つめていた。

5

 ルーシーは、がんばり屋さんだ。のんびり屋さんのマイペースで、怒ったこと

もほとんどない。

先の魔族の王都襲来の時、壊滅した教会で教皇を手当てし、その際特別にシスタ

ーの称号を与えられた。フロリーナが彼女と出会った時、彼女には記憶がなかっ

た。原因も不明だが、それも彼女は気にしない。

いつものんびりマイペースで、傷つく者を助けていく。ほがらかな笑顔も忘れず

に。

 

「び〜〜〜〜! ルーシーちゃーん! わ、私のせいで〜〜」

泣きじゃくるマリア。魔物…いや、巨大生物「ハナサキガニ」の襲来の際起こっ

た雪崩。巨蟹もまた同じく村とは逆の方向へ流されたが、ルーシーも巻き添えを

食ってしまったのだ。

「いいえ、わたくしの迂闊な攻撃が原因ですわ…」

マリアを抱きしめるフロリーナもまた青ざめている。

「とにかく探しましょう。さいわい雪崩の規模は小さいことですし、カニたちも

埋もれたまま、まだ現れておりません」

「ルーシー、生きてろよ〜っ!」

ギャリソンの指示にラッキーも雪に埋まりながらも捜索を開始した。少女達もそ

れにならう。

 絶望的な状況に、低い声が響く。

「―――おい」

人影が森林のほうから聞こえる。すかさずギャリソンは魔鎧のままのフロリーナ

にコートをかける。

「あのシスターがいないのか…婆、頼む」

現れたのは…ナイフ投げの男だ。フード姿の老女も連れている。

「やれやれ、人使いが荒いねえ。よいしょ」

取り出した水晶。妖しげな光を発すると、その中にルーシーの姿が見える。

「ああ、ルーシーちゃん!」

「どこかの山の裂け目か岩場に落ちたのでしょうか? 怪我はないようですが…」

執事とマリアが球を覗き込む。フロリーナもラッキーに手を引かれ、重い鎧を引

きずりながらやって来た。

「この子、極端に強い聖の光を発しているね。おかげですぐ見つかったよ。ただ、

場所の特定は出来ないよ。雪崩が起きた一帯を探すしかないだろうけど」

占い婆がつぶやく。

「生きているんですのね! ありがとうございます。お婆ちゃん! それと…」

涙を浮かべ礼を言うフロリーナ。

「イワンだ。別に礼はいい。この子には借りがあったからな。それにお前達が請

けた依頼だ。俺が手を貸したことは誰にも言うな」

ナイフ投げの男…イワンはそれだけ言うと老女を連れて去っていった。



「う〜〜ん・・・」

ルーシーは目覚めた。節々が痛むが、幸い大きなケガはないようだ。

「ここは…どこでしょ〜?」

数メートル上から光が差し込む。雪崩に流され、どこかの小さな崖から落下した

らしい。偶然にも雪がクッションになったようだ。

「神様、お救いいただきありがとうございます〜。――姫さまたちは、大丈夫だ

ったかなあ」

手を合わせ、祈る彼女の近くに、もうひとつ動くものが。

「ふぇ?」

固い甲羅、ハサミ型の前肢。シスターを威嚇し、襲いかかってきた。

「カカカカカ!」

「ふわわ、カニさんです〜!」

さすがのおっとりルーシーもちょっとだけ慌て気味だ、が。

「あれぇ?」

すぽっと彼女の胸にそれは収まった。

「変ですねぇ。さっきは姫さまの倍くらいあったのに…あ〜!」

どうやらハナサキガニの幼生らしい。目だけはくりっと飛び出しているが、あと

は全体的に丸っこく、手足も短い。それよりルーシーが驚いたのは、片側のハサ

ミが傷ついていること。

「! 痛かったでしょう。もう、大丈夫ですよ〜」

彼女は泡をふき暴れる子蟹をそっと抱き締め、慈愛の光を与える。暴れる片方の

ハサミが容赦なく彼女の手の甲をはさむ。それでも彼女は治療の手を休めない。

「怖くない、ですよぉ。」

カニに向かいささやく。やがて子蟹はおとなしくなった。ハンカチを裂き、傷口

に当てる。泡は途切れ、目は穏やかさを取り戻した。目まぐるしく動く瞳は喜ん

でいるようにも見える。

「あ、笑ったです〜かわいい〜。あなた、ニカちゃんって呼びますね〜。」

「・・・ニカ?」

「言葉がわかるのかしら? かしこいですねぇ。あ、でもぉ、あなたも仲間のカ

ニさんとはぐれちゃったんですかぁ」

思い出したかのように子蟹…ニカは彼女の胸元を飛び出し、断崖に沿って奥へ歩

き出す。ルーシーは後を追った。もしかしたらケガをした仲間が、とは考えても、

襲われるとは考えもしない。暗がりに光が見える。ランプかなにか、人工的な明

かりだ。

「あ〜っ」

ルーシーは叫んだ。いつもより、緊張した声で。

                             ・・・つづく。


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