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JDさんの話
「ちょっとこちらにおいで」、と母はいいました。
僕はテレビを観るのをやめて、突き抜けの居間にある中古のテーブルのところに座っている両親のほうを振り返りました。「あ〜、しまった、お母さんがシャワーを浴びている間に僕がチョコレートビスケットをつまみ食いしたのがばれたな」と僕は思いました。けれども、どうやらそうじゃないらしい、父のほうも難しい顔をしています。
僕は母の向かいに座りました。父は僕の右側、テーブルの上座にいます。僕は自分の濃紺のガウンを来ています。僕は11歳で、ハンチントン病について始めて知らされるところなのです。
その後に続いた話は基本的なHDのあらましで、そして母がHDを持っているかどうか検査を受ける、ということでした。母のことをどう思うか父がたずねました。僕は、そう、なんだか違う感じがしています。他にいいようがない。ただ今までとは違うように感じるのです。僕は、悲嘆にくれるべきなんだろう、と考えています。この場を、自分が感じているよりももっと悲劇的にしなくちゃいけないだろう、と思っているのです。けれども、僕が選んだ正しい行動と感じ方は、ただ静かに座り、スポンジのように当面の知識を吸収することでした。
質問が思い浮かびました。
「お母さん、じゃあリンおばさんがちゃんと僕を抱きしめないのも、そのせいなの?」
「そうよ」が母の答えでした。
翌日、僕は親友のシャロンに、このことについて話したいと思いますが、僕は自分がどう感じているのか、よくわからないのです。しかし、話してみることに決めます。彼女は心配し、僕を慰めてくれますが、彼女にとってこれは手短な会話でしかありません。僕はもっと話したいと思っているのです。
僕は会話を続けようと中途半端に試みますが、彼女は僕がどう感じているか全然わからなく、そして実際のところ僕自身もわからないのでした。
今、僕は20歳です。話すことについての状態は、あまり変わっていません。僕が誰かにHDについて話そうとすると、相手は、僕と違ったレベルのところにいるような印象があります。僕が長く話したくても、相手はちょっとの間しか聞いてくれないのです。というわけですから、あの夜以来の数年間、このHDユースキャンプが僕にとってとてもためになったことは驚くことではありません。隙間を埋めてくれたのです。僕には自分の気持ちを聞いてもらうことが必要でした。HDについて、理解ある人たちとオープンに話し合うことが必要でした。このキャンプがそれを与えてくれたのです。
母が、あるキャンプが予定されているといって、興味があるかどうか僕にたずねました。僕が一番気がかりだったのは、同じ立場の人たちと出会うことではなく、アクティビティーのなかにアブセーリング(ザイルを使う登山)があったことでした。アブセーリングは当時の僕の一番の恐怖だったのです! 僕は行くことに決めました。
着いたとき、僕は本当にびっくりしました。まわりを見渡して、「ニュージーランド中で、僕ひとりだけだと思ってたよ」といいました。その時から、誰かに話したいという気持ちと孤立感はなくなったのです。キャンプでは一度だけ泣いたのですが、その時はグループの中にいた女の人にむかってかなり大きくぶちまけました。その時僕はHDの影響について習っているところで、同時に母のことを考えていたのです。それがちょっと耐え切れなくなったので、外にぶちまけたのです。僕はこの情報を得ることに腹が立ったのですが、それはほんの一瞬でした。
泣いた後、気持ちが軽くなりました。涙だけでなく、それはたくさんのものが心から流れて無くなったような気がしました。僕はこれで、充分に吸い込んだスポンジでした。それはたくさんのことを学びました。それはたくさんの友達ができました。僕らは連絡を取り続け、長い間お互いに支えあっています。僕は自分のHDについての学び方に満足しています。
では、子供にいつ伝えるのか? 僕は自分の答えがはっきりしていると思っていました。今日ここでなんというかはっきりと決めてあったのですが、このスピーチについて従姉妹と話して、それで少し気持ちを変えました。
僕のもともとの考えは「早ければ、早いほどいい」でした。従姉妹は、はっきりそうとはいえない、といいました。彼女には6歳になる息子がいます。
最近この子は洪水や地震で家族が死んでしまうという想像で頭をいっぱいにしています。それは学校で聞いてきたことからでした。僕は、考えさせられました。HDについて幼い子供に知らせたら、この子と同じように反応して心配で頭がいっぱいになるかもしれません。僕は意見を変えました。
つまり、こういうことです。
もしも僕のガールフレンドが明日出産するとしたら、僕は彼女とこのことについて話し合うつもりです。
第一に子供に対して正直であること。たとえば、母について、「どうしておばあちゃんは(他の人と)違うように笑うし、動くの?」ときかれたとします。好奇心から、5歳の子供はこういった質問をするものだと思います。僕は「おばあちゃんは、あまり身体の具合がよくないんだけど、一日中寝てなくちゃならないほど悪くもないんだよ。幸せになったり、笑ったり、それに君を山ほど好いてあげたりはできるんだ。おばあちゃんが身体具合をよくするように、君も山ほどおばあちゃんにダッコとキスをしてあげようね」と答えます。
もしも子供が質問しつづけたら、僕は正直に、けれども優しく答えるつもりです。子供が聞くのを止めたら? それで今日の分はおしまいです。
もしも発症前診断検査を受けることにしたら、僕はお医者にいって自分がおばあちゃんのようにちょっと具合が悪くなるかどうか調べてもらう、といいます。
僕は、子供を一番よく知っているのは、その子の保護者だと思うのです。そしてその子がどれだけのことに対処できるかも。ここに必要なのは「繊細な正直さ」だと思います。
もしも検査結果が陽性だったら、僕はガールフレンドと子供が、ソーシャルワーカー、心理士と同席して話し合うようにしたいですが、それはその子が情報を正しく理解できると僕たちが判断してからのことです。もしも子供が幼いときには、多分僕は「ある人は風邪を引くし、ある人はとてもお腹が痛くなるし、ある人はHDになるんだよ。でも大抵は大人がなる」というでしょう。もっと大きい子だったら、もっと詳しく話します。
僕は時間をかけて少しずつ情報を与えていくつもりです。その子が10代になるまで待ちはしないと思います。10代には余りにもたくさんのことが起こるのに、さらにその上にHDを加えることになってしまいます。
僕は自分の子にこのHDユース合宿のことを教えることは疑いありません。それはたくさんのことを手に入れました。友情、理解、サポート、情報、そして母とのより強いきずな。なくしたものはひとつもありません。僕にとっては、知るのにちょうどいい年齢でした。
もしも今日教えられたら、僕の世界はひっくりかえったでしょう。それでは不公平というものです。
今、僕はHDを自分の人生のプランの中にいれてあります。僕にはそうする権利があります。
では、いつ子供に話すのか。僕の答えは、「子供がきいたとき」です。
ニュージーランドのキャンプについて ソーシャルワーカー ドロシー・トーテル
<解説>
ウェリントンにあるハンチントン病協会(WHDA)では、しばらく前からHDについての情報が若い世代に与えられるのはよいことだと考えるようになりました。ここでは、そのような情報がいつ与えられるべきかという、時として論争となる問題に取り組んでみます。
この問題に対するWHDAのスタンスは、世界中にある同類の他機関の考え方とは足並みがそろわないこともあります。けれども、私たちの協会と同じ見方をする国が多くなってきています。
私たちが行う、HD家族の若い人達のための合宿は、他の国々でも実施されるようになり、2000年に出版した「ハンチントン病と私−若い人達のためのガイド」は、広く海外の協会が購入しています。デンマーク語に翻訳され、抜粋がインターネットに載っています。
WHDAの主たる考えは、
★子供達にいつ、誰が伝えるか、ということは、それぞれの家族が自身で決めなければならない。
★いつでも真実を子供に伝えることがとても重要。嘘は悲嘆、混乱の原因になるばかりで、後には怒りともなりかねない。
★伝えるのが早ければ早いほど、子供にとってはそれを受入れやすい。
★情報は子供が理解できる範囲にとどめ、それが質問に答えられているものでなければならない。きかれた以上の情報を与える必要はない。
★子供に伝える情報は正確で、誤解を招くものであってはならない。
★情報を与えた人は、その後のケアも与えなくてはならない。「子供が一旦情報を手に入れた時、それをどう取り扱うか」ということを考えなければならない。いいかえれば、適したサポートがそこにあること、それは家族が主体となって与えなければならないということだ。
WHDAのこの信念は過去9年にわたって行ってきた、若い人たちのための合宿の際に貫かれています。
合宿参加者は、HDについてある程度の情報を知っている家族ですが、合宿ではより多くの情報と、質問や議論をさらに進める機会、お互いのサポートと現状に対処するための対策案を与える場となっています。
私たちが受け取った反響から判断すると、この合宿は成功しています。けれども、いつ若い人にHDの情報を与えるのかという問題については、いまだに議論が続けられています。
本日、こうして経験豊かな人々が集まり「いつ子供に知らせるか」ということについて意見を出し合って下さる機会が持てたことは、私たちにとってとても幸運なことです。
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