出典:ジュリー・スノウデン氏講演録(1998年7月 ヨーロッパ・ハンチントン協会会議にて) |
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| <はじめに> ハンチントン病は不随意運動を起こすと共に行動や知能にも変化をもたらす多発性の疾患です。 最も見た目にわかりやすい症状が不随意運動なので、それがしばしばこの病気のトレードマークのように思われてしまいがちですが、それよりも行動の変化の方が、往々にしてHD患者が最も無力に感じることであり、家族にとって一番苦痛となる面なのです。 行動は感情に左右される部分があり、HDには苛立ち、鬱状態、情緒の鈍化などの気分変化が見られます。 けれども、人がどのような立ち居振舞いをするのかは、その時の思考の産物でもあるわけです。HDを完全に理解するためには、病気がHD患者の思考にどのような変化をもたらすのかを理解する必要があります。 <認識能力にきたす変化の概要> 医学の教科書では、HDがもたらす認識能力の変化を「痴呆」と呼ぶのが典型的です。「痴呆」という言葉が単に「知能の損失」を意味し、それを形容している限りであれば、適切な表現であるといえましょう。けれども不幸にも、痴呆という言葉には歴史的に「脳の全域に渡る」損傷という意味が含まれており、患者はどのような知能も知性も伴う思考を持つことができなくなると解釈されてしまいます。この考え方に基づけば、「痴呆」という言葉は適切とは言いがたいものです。なぜなら、HDが脳にもたらす損傷は全域に渡るものでも、普遍的なものでもないからです。そうではなく、HDは脳が持つ機能のいくつかを選び出して破損するのであって、他の部分はそのまま保たれるのです。 脳は高度に専門分化されていて、各部分が個別にはっきりと決められた役割を担っています。ということはつまり、HDによる精神的な変化は部分的で特徴があり、どの部分を損傷したかによってその変化は決定される、ということです。HDでは脳の奥深くにあって脳の前面と関係が強い線条体という部分に、特に影響を及ぼします。 <HDではどのような能力が保持されるか?> HD患者は感覚を通じて、まわりで何が起こっているかを把握することができます。例えば、周囲にあるものに気が付き、似ているものとそうでないものを分類することができます。 子供の頃に覚えた言葉の意味を理解し、あるものにどういう用途があるかというような一般的な世界観は保持します。このような能力は思考を進めるための「道具」と考えられます。思考能力の土台となるものなのです。 <HDではどのような能力が破損するのか?> 言葉や視覚的な認識能力を「道具」として持つだけでは不十分なことも事実です。 船のことを考えるとわかりやすいかもしれません。大型旅客船には様々な運行機器と、受信装置が配置されています。これらの機器や装置は船の航海に必要なものです。けれども、それだけの装備ではまだ不十分です。航海の計画を立て、整理して、機器の表示や受信装置を点検、チェックして重要な情報とそうでないものとを選り分ける仕事をする船長や乗組員が必要です。目的地につくために、事態が変わったときは柔軟に対応して航路を変えるように、受信された情報をチェックしなくてはいけません。つまり、船長の役割は事態のコントロールと管理にあるのです。私達もまた、計画し、行動をまとめ、情報処理をし、自己管理をして、事態が変わった時にはそれ相応に行動を変えることが出来る柔軟さがなくてはいけません。 HDの場合には、このような制御を行うとき特に大切な役目を負かされる、中脳構造と前頭葉を結ぶ神経回路が、影響をこうむってしまいます。 <どうしたら患者さんの困難を探り当てることができるか?> 様々な臨床的な検査を通じて明らかになったのは、HD患者は計画すること、まとめること、集中すること、抽象化すること、知的な柔軟さをもつことに困難があるという点です。 そうした検査のひとつに、そこにあるいくつかの絵をつなげて患者さんに話をつくってもらうというのがあります。HD患者の場合、個々の絵の中にある要素が何であるのか、一つ一つはわかるにもかかわらず、この作業にかなりの困難を示します。つまり、絵の内容はわかるけれども、それをまとめて整理する段階で難しさがあることになります。 また別の検査では、違う色のインクで色名が書いてあるもので、そのインクの色名を聞かれます(例:青いインクで「赤」と書いてある)。「青」と正しく答えるためには、インクの色に注意を集中し、文字の意味に注意をはらうことを抑制しなくてはなりません。こういった注意力を要する作業に、HDの人は困難を示しがちです。 さらに別の検査では、順不同の数字やアルファベットの集まりを、交互に順序立てて並べるようにいわれます(例:1A2B3C)。この課題はふたつのことを頭にいれておき(数字とアルファベット)一方から次にと注意を移動させる能力が必要です。 もう一つ例を挙げましょう。カラフルな模様が描かれたカードで、4枚の親カードの下に「規則」を作って揃えていくようにいわれます。カードは模様によって、あるいは模様の色によって、又はカードについている数字によって、揃えることができます。 HD患者の場合、揃え方の一つを割り出すのに何の苦労もありません(例:模様、色、あるいは数字のいずれか)。けれども、ルールをひとつ考え出すと、他の揃え方を考えることに難しさを覚えます。ひとつの考え方をみつけると、別の新しい見方をするのが難しくなるのです。HD患者は抽象的なかたちや模様を4本の線だけで描くという作業にも、困難を示します。 HDでない人には、統合された思考パターンがあります。一つのアイディアを変形させ(例:四角形の角度)、そのアイディアが使い果たされると違った方針を立てます(例:円や線が交わるかたち)。一つの思考回路から、別の思考回路に切り替えることができるわけです。 典型的なHD患者は指示を理解し、4本の線でできたかたちを考え出すのには何の問題もありません。とはいうものの、彼らはしばしば一つの考え方に「凝り固まり」、同じ主題の変形はしますが 別の見地からの考えを作り出すことができません。 <認識能力の変化とは?その実際の意味> 計画をしたり予測をしたりする能力は、行動をうながす大きな動機になります。前もって考えることができる力が、毎日の生活の中の行動を刺激しています。例えば、明日の朝食用のミルクやパンが足りないので、仕事の帰りに店に寄って買い物をすることを計画します。親類の誕生日が近くなり、その日に間に合うように贈り物やカードを買わなくてはなりません。 計画したり予想したりする能力がHDで損失したしたとき、人は本質的に受け身になります。つまり、出来事に対しての反応はありますが、能動的ではないのです。自分から働きかけるための刺激をなくしてしまいます。HD患者に積極的な主導権が喪失してみえるのは、計画したり予想したりする能力にきたした障害を反映していると理解することができます。HDの人はただ寝ていたり、何もしないで座っていたりして、それで満足しているようにみえます。 行動するにあたって自主的な動機が失われますから、往々にして外部からの刺激、たとえば介護者からの促しや刺激が必要です。通常の場合、私達は自分で、これから何をするのかをまとめる部分です。例えば、買い物をするのに何件かの店に行かなくてはならないとき、行ったり来たりすることがないようにあらかじめ順序立てて道順を考えます。 HDの人はひとつひとつの課題や作業をこなす力はあるのですが、まとめることに困難があるため、していることにまとまりがなく、無駄が多いように見受けられがちです。これはHDの初期症状にある、まだ仕事をしている人にとって問題となることがあります。日常生活で、私達は色々な作業の中でそれぞれに注意を払い分け、時には今していることから別のものに気持ちを切り替えたりしなくてはなりません。例えば家の中では、テレビを見ながらアイロンをかけたり、料理の途中で電話に出たりしています。 HDによる集中力の低下は、患者さんが二つのことを同時にすることや、一つの作業から別のものにきりかえることを難しくします。HDの人は、自己を監視したり自分の行動をチェックしたりすることが困難になります。そのため、自分のまちがいに気が付かない時があります。これも、初期には仕事の上で問題になる場合があります。仕事をこなすことはできるのですが、自分で気が付かないうちに間違いが少しずつ増えていきます。雇い主の目にはそれが怠慢にうつったり、やる気がないように見えたりしてしまいます。でも、そうではないのです。これは単に、間違いをチェックする管理の段階で能率良く行うことができなくなってしまったためなのです。 柔軟さと知能の順応性の欠損は、かなりの広範囲で影響がみられます。HDの人は行動パターンや所作に融通がきかないように見受けられ、いつも手がける変化のない日課が好きで、新しいものを受け入れることができなかったり、したがらなかったりします。 柔軟さの欠損は、人付き合いの面にも影響を及ぼします。同情や思いやりをほかの人に持つためには、その人の気持ちになれることができなくてはなりません。HDの患者さんは別の見地に立った見方をすることに困難があるので、他人の気持ちを思いやったり、その人の身になって考えたりすることがなかなかできません。ですから思いやりがなく、冷たい人のように見られてしまいますが、わざと不親切にしているのではなく、病気のせいで、相手の気持ちを思いやる能力を取り去られてしまうのです。あらかじめ考えておいたり、知能の柔軟さに不自由があるということは、HDの人には自分の行動がどのような波紋を呼ぶか予測することに難しさを覚えるということでもあります。 自分の行動が実際面や感情面で、他の人にどんな影響を与えるのか、予測することができません。 <HDと記憶能力> 記憶力の低下はHD患者さんと家族がよく困る問題となります。脳の疾患からくる記憶能力の問題は、いくつかの違った原因が考えられます。多くは、脳内にある、記憶を入れておくのに不可欠ないくつかの部分が損傷したためにおこるという、情報収納にかかわる基本的な問題からくるようです。 けれども、何かを思い出すという行為が能率的に行われるかどうかは、情報を摂取し、それを記憶から取り出すという脳のはたらきに左右されます。会話を聞いている際に、何がいわれているか、その内容に注意力を全面的に傾けて、それが自分自身の経験や意見に適合するのか活発に思考を働かせると、ただ受動的に聞いていたり、他のことを考えながらだったりする時に比べて、よりはっきりと会話を思い出すことができます。 同じように、過去のできごとを思い出す時に、それが起こった前後の様子を活発な心をもって思い浮かべると、全く受動的に心に浮かんでくるのを待つよりも、もっと効果的に細部を思い出すことができます。HDによる記憶の問題が、「情報を収集する」という第一段階でよりも、「情報を処理する」という第二段階において生じる要因があると考えられるのには理由があるのです。 第一のヒントとして、HD患者の記憶能力に、ムラがみられる、という事実があります。忘れっぽかったりぼんやりしているように見えますが、一ヶ月前や一年前のできごとや、誰かがいったことを詳しく覚えていたりします。ということは忘れっぽさがあるにもかかわらず、新しいことを覚えたり、思い出したりする能力がある、ということです。もっと確実な、正式な証拠もあります。正式に誰かの記憶力を測定するために、まずHD患者に2個で一組の言葉を覚えてもらいます(例:友達―汽車、金―砂糖)。口頭で6個から8個の言葉が提示された後、その1つをいわれ(例:友達)、もうひとつはなんだったか聞かれます(例:汽車)。健常者の場合は学習曲線がみられます。つまり、最初に聞いたときは3個から4個のペアを思い出し、さらに繰り返して聞くたびに全部覚えていくという記憶量の向上がみられます。 HD患者の場合、この作業を大変困難に感じ、繰り返し聞いても記憶の進歩があまりみられません。これは記憶力に関わる問題がしばしば最も目立つ特徴であるアルツハイマー病の人にもいえることです。けれども、言葉と言葉をリンクする方法が与えられた場合(例:友達が汽車に乗るところ、砂糖壷に金の延べ棒が立っている、などを想像してもらう)、また違った様相を呈してきます。アルツハイマー病の人の場合、言葉を繋げる工夫は助けにならず、あまり改善がみられません。それに対して、HDの場合は記憶力に画期的な改善がみられます。 この違いをどのように解釈したらいいのでしょうか。アルツハイマー病の場合は、情報を収納しておくのに重要な脳内の部分におこる障害が原因となって、新しい情報を取り入れてそれを覚えるという記憶の保持の点に根本的な問題があるようです。HDの場合は、新しいことを覚える能力が、可能性としてはあるのです。けれどもHD患者は、能率よく覚える方法を自発的に取り入れないのです。はいってきた情報について活発な心で考えてみたり、頭の中にある他の情報に繋げてみたりをしないわけです。もしもこの情報をリンクする手順が、外部からの援助を通じて与えられるならば、記憶能力の改善は可能です。HDによる記憶管理の問題に意味深く関わるものなので、これは重大な発見です。掲示板、メモ帳などの外部からの記憶の補助は、情報の整理と構成をし易くし、それが情報を取り出すときの手助けとなり、HDの人の利益となる、といっていることになります。 <HDによる感情の変化> HDによるいくつかの変化が感情面にもみられます。患者は、いらいらしやすくなったり、不安感や心理的な動揺を感じたりするかもしれません。はっきりした理由がないのに怒り出したりして、感情を爆発させることもあります。鬱状態になることもあります。病気になる前に見せていた様々な感情表現や、人間的な暖かさを喪失し、感情の鈍化を見せることもあります。この気分の変化は認識能力や思考能力とは関係なく起こるかもしれません。認識能力と感情の変化の間には関連がある可能性があるのです。例えばテレビを見ている最中に話し掛けられると怒るHD患者は、感情抑制の喪失と感情の激しさを表現しています。けれども、この苛立ちはその人がテレビから会話へ手際良く注意力を移行させ、その後又テレビに戻ることに難しさを覚えることから発しているのかもしれないのです。患者さんは、一度に一つ以上のことをするのが難しくなってきているのです。はっきりした理由がないままに怒り出した時には、それを促した何かが背後にないか、考え直してみる価値があります。認識作用で対処しきれない量の要求をしてはいないでしょうか。 <個人差> 行動や知性にもたらされる変化は、HDの避けられない一部分です。けれども、不随意運動の激しさに個人差がみられるように、能力の変化もまたそうなのです。 ある人にとっては生活上に多少の不便がみられるだけですむけれども、ある人にとっては人間関係に深い影響を及ぼし、介護者に多大な負担をかけることもあります。症状の深刻さに個人差があるのと同じように、行動の変化の質にも、違いがうかがわれます。すべての患者さんに、考えられる異常な行動のすべてが表われるわけではないのです。 私達はイギリスのマンチェスターで、どのような行動障害がどのくらい頻繁に起こるのか、その種類と頻度と、それが疾患の進行につれてどのように変化していくかを明確にする試みとして、アンケートを作成しました。 研究の第一段階では、HD施設に来訪する108人のHD患者とその家族(患者のほとんどは初期から中期にある)との面接を根拠にし、行動の変化は確かに頻繁にみられ、HDに影響された人のほとんどにあらわれる、という結果が示唆されました。変化に含まれるものとして、上で述べたように自発的な行動の減少、作業の質の低下などがあります。このような変化には認識作用にきたした障害との関わりがみられ、HD患者の思考過程とこれらの行動との関係が強調されています。 鬱病のあらわれのような気分の変化もよくみられるもので、HD患者の半数に達する度合いでおこりますが、これらの気分の変化は認識(思考)障害の度合いとはそれほど関係が強くありません。このような多岐にわたる結果は、HDによる行動の変化の多重性と複雑さを強調しています。 <疾患の影響対疾患に対する反応> HDによる行動の変化が、はたして疾患本来の症状として起こるのか(脳内の物理的変化から生じるのか)、それとも困窮した衰弱状態に対する反応として起こるのかは、たびたび問われてきたところです。 先に挙げたような行動の変化のほとんどは、疾患本来のものといえます。けれども疾患に対する反応としての行動の変化がないといっているわけではありません。 HD患者は人生を強制的に変えられてしまいます。仕事、人付き合い、身体の自由、そして独立を奪われてしまうかもしれません。他人に誤解され、仲間はずれにされるかもしれません。苛立ちや、フラストレーションをみせるのも、無理はないことなのです。疾患の直接の症状と、症状がもたらした結果とが混じりあって生まれた行動かもしれないのです。ここで例を示しますと、HDの男性が道を歩いているとき、警察に呼び止められて酔っ払っていると非難されました。男性は酔ってはいないので侮辱を感じ、非常に怒って警察官を殴り、そのため暴行をはたらいたとして逮捕されました。このHD患者の怒りは理解できることであり、誤解され、間違って非難されるという、HDが引き起こした結果に対する反応とみることができます。 けれどもこのような場合、警察官を殴ることでどんなことになるか、ほとんどの人はとっさに予想し、それが自分の得にはならないということに気が付いて、その上で怒りを自制することができます。HD患者の場合、疾患のために自分の行動が引き起こす結果を予想できず、怒りを抑制することもできないのです。 <おわりに> HDは、家族や社会との関係を損ねてしまう要因となり得ます。けれどもこれは、病気が悪いのです。HDの人は故意に冷淡で、気難しくしているのではないのです。病気のせいで、柔軟さや思いやり、心使いが奪われてしまっているのです。 もしもHDの治療が成功するとすれば、それは不随意運動にだけでなく、行動に及ぼされる影響にも効くものであることが必要です。 |
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